誰の旦那でいい嫁で

「浅浦クーン」

「どうぞ」


 やってきた彼女の手には、タッパーと紙袋。伊東家からの言付けとかおつかいという名目での訪問だという。さっそく嫁としての初仕事かと思ったけど、そんな話でもなかったらしい。

 伊東家では毎年正月に本家で餅つきをしている。伊東の祖父に当たる人(アイツはじっちゃんと呼んでいる)がこの餅つきにかなり気合を入れるのだ。そうやって出来上がる餅は、配っても配ってもなくならないほど。

 そうやって大量につかれた餅は鏡餅として飾られた後、ご丁寧に木槌で割って分配するのだ。今ここに来たのはそのおこぼれと言ったら難だけど、伊東家だけでは処理しきれない分だ。毎年のイベントでもある。


「と言うか、伊東はどうしたんだ?」

「カズは高校サッカー見るから行って来てくれないかーって」

「ああ、そういや決勝だったな」


 さて、もらった餅はどうする。そのまま焼いて食べてもいいけど、それだけだとそのうち飽きが来る。となると、ぜんざいか。自分で作る分には甘さの心配もしなくていいから楽と言えば楽だ。


「でね、浅浦クン。これなんだけど」

「ん? ああ、小豆か」

「カズはサッカー見てるし小豆も嫌いだし、ぜーんぜん当てにならないから浅浦クンに頼もうと思って」

「ちょうどよかった。俺もぜんざいにしようかなって思ってたから」


 まずは鍋を準備する。何が始まるんだと彼女は興味津々で空っぽの鍋を覗き込む。ただ、食べたいとは思っても作り方はちゃんと知らない。ジャンルで言えば和のスイーツ、つまり製菓に当たるだろう。俺の最も苦手とする調理分野だ。


「なあ、アンタ色彩感覚はそれなりにあるだろ。この小豆を見て、変色してるのとかを取り除いてくれないか」

「はーい」


 ピンッ、ピンッと変色した豆を取り除くのを見つつ、砂糖と塩を用意する。あまり砂糖を使った覚えがなかったけど、今ここでぜんざいを作る分くらいは残っていて助かった。


「ふー。これでオッケーじゃないかな」

「ありがとう。えっと、これで渋抜き、っと」

「小豆って水に浸さないの?」

「何か、このレシピでは浸さなくていいみたいなことが書いてある。沸騰したら茹で汁を捨てる。これを2回やるらしい」


 3回目で初めて小豆が柔らかくなるまで茹でるらしい。途中で水が少なくなってくるから、それを少しずつ補いながら。そんな風にレシピには書いてある。

 まだかなまだかなー、なんて言いながら鍋を覗き込むこの人はいつになったら自分で家事をやるようになるのだろうか。いや、俺が心配することでもないし、旦那がそれでいいって言うならいいんだろうけど。

 伊東が希望する職種の勤務形態を考えると、奴は毎日当たり前のようには家に帰ることは出来ないだろう。そういうことを考えると、嫁となるこの人も多少の家事は出来た方がいいに決まっている。


「ねえ浅浦クン」

「ん?」

「後でこのレシピ書いてくれる?」

「いいけど、どうした」

「レシピ見ながら簡単なことから始めないとなーと思いました。カズに嫌いな物作らせるワケにもいかないし。包丁使わないからこれくらいから始めたらいいかなーと思って」


 この人の何が危なっかしいって、第一に包丁の扱い方だ。その他にももちろんあるけど、伊東が彼女に包丁を握らせないのはとにかく危なっかしいからだ。現時点で包丁を使わないぜんざいくらいなら出来ると思ったのか。


「それはいいけど、ぜんざいとなると大変だぞ」

「何が?」

「嫁姑戦争には気を付けろよ」

「京子さんのは別次元のぜんざいだから大丈夫だよ」

「まあ、いろんな意味で次元が違うなあれは」


 伊東をあんこ嫌いに仕立て上げた曰くつきの激甘ぜんざいだ。姑となる京子さんのそれと戦争が起こるようなことがあれば正月早々戦争勃発かと思われたけど、彼女は京子さんのそれも好きだから特に問題はないとのこと。あれを美味いと言えるのは出来た嫁だ。


「そしたら、餅焼くか」

「はっ、うちが浅浦クンを独り占めしてこんなことやってるってカズに知れたらやきもち妬くかも」

「……意味は詳しく聞かない方がいいな」

「いい加減もらってやってくれませんかねえ。うちの旦那はいい嫁よ?」

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