Cushion Kill

「おはようございます……」

「ん、おはよう野坂。しかしいつにも増して眠そうと言うか、鬱そうだ」

「ええ、少し夢見が悪くて」


 普段から頭の重そうな顔をしている野坂だけど、今日は一段と酷い。髪もいつもよりさらにボサボサだし、目も赤いし瞼も腫れぼったい。声にも万全の状態でないことが現れている。

 4年生の先輩がいらっしゃることにも気付いているのかいないのか。いつもならこの状況を面白がるだろう村井サンと麻里さんも、さすがに野坂を少し心配しているようで、天変地異の前触れか何かか。


「どうしたんだい野坂、僕で良ければその夢の話を聞くよ。話すことで楽になるかもしれない」

「ええ、奥さんとケンカをする夢を見ました」

「お前は結婚している設定なのかい?」

「ええ。俺は28歳の結婚2年目設定です」

「随分と具体的だな」


 やたら具体的な設定なのは措いておいて、野坂の夢の話を引き出していくことにした。話の内容が奥さんとのケンカということで、それまでは真面目に野坂を心配していた4年生がアップを始めた。

 4年生がアップを始める気持ちはわからなくもない。僕たちが気になるのはその「奥さん」というのが誰なのかというところなのだから。もし菜月さんだったりした日にはムライズムが暴発するだろう。


「どういうケンカだったんだい?」

「夏風邪の治りがけでまだ体の状態が万全ではないにも関わらず、奥さんが深夜まで俺の帰りを待っていてくれたんです。でも、治りがけですので無理はして欲しくなく。しっかりと休んで欲しいと訴えたのがケンカの原因です」

「お前は深夜まで残業をしていたという解釈でいいかい?」

「ええ、その通りです」


 また夏風邪とかいう菜月さんワードが散りばめられているな。ただ、菜月さんと結婚生活を送ってる夢とか野坂には鬱るどころか有頂天だろうに。いや、ケンカをしてるんだから必ずしもそうでもないか。


「そのケンカを朝まで引きずって、どことなくギクシャクしていたのですが、お弁当は持たせてくれました」

「あ、奥さんはお弁当を作ってくれてるんだね」

「はい。ケンカしているにも関わらず、そのお弁当には俺の好物ばかりが詰められていました」

「愛じゃないか」

「ええ。それでその夜、俺から奥さんに謝ることでこの問題は解決しました」

「それは単なる新婚の惚気話じゃないかい?」


 その奥さんがどんな人かはさておき、それがどうして悪い夢だったのか。それでなくても、日頃から愛する人と、その人と築く家庭を守る力を以下略と言い続けている男が。

 4年生サイドから「そんな愛のある生活は妄想ならではだ」と鋭利な刃物が野坂に向かって投げつけられ、それがクリーンヒット。何故なら、妄想だということを一番理解しているのは野坂自身だからだ。

 結婚生活の現実なんてまだ結婚したことのない僕が知るはずないのだけど、主婦層を対象にした情報番組なんかを見ていると、とても夢と希望に溢れたものではなさそうだ。


「ところで野坂、その奥さんてどんな人だったんだい?」

「ええと、それは――」

「おはよーございまーす。あれっ、村井サンに麻里さん。2人揃ってどうしたんですか?」

「おー、菜月ー。おじちゃんたちは新婚さんの悩み相談に乗ってたところでねー」

「麻里さん結婚されたんですか!?」

「ああ、ないない。野坂の話」

「え、ノサカが新婚?」

「あ、えとそのっ、えーと、そういう夢を見たというだけのことで、決して現実に結婚したとかそういうのではなく…!」


 あ、クロだな。4年生方の口角も吊り上がる。

 さて、ここからは菜月さんに新婚生活の夢と希望を聞いてみようじゃないか。野坂を殺す時間のはじまりはじまり。

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