すべての偶然に愛を叫ぼう

 少し遠巻きに見える外では、カラフルなビニール傘が通りを横切って行った。あれはもしかしなくても菜月先輩だ。赤と青、それと透明の3色構成だけに、メガネをかけなくてもわかるのがありがたい(ヘッドホンも然りで菜月先輩はわかりやすい)。

 掲示板の用事は終わった。改めて外をちゃんと見ればアスファルトには激しく雨が打ち付けている。だけど俺は靴が濡れるのも気にせずウキウキでその傘を追う。


「菜月先ぱ」


 ――と、声をかけようとして、その傘の主が菜月先輩ではないことに気付く。菜月先輩の傘を差しているのは、全身黒い男だ。


「野坂先輩。お疲れ様です」

「あ、タカティ。もしかして、練習してた?」

「はい。向島が一番本番の環境に近いそうなので、より本番に近い環境で」


 タカティが言うには、今日は夏合宿の班練習ではなく菜月先輩とのペア練習だったらしい。だけど、気になるのは傘の出どころだ。

 菜月先輩のこの傘は、こないだオンラインショップで買ったんだとウキウキで語られていた物に違いない。踊り踊るなら、というヤツか。よいよい。これを見ると前の青いビニ傘が地味に見える。


「タカティ、その傘って」

「裏駐車場を抜けたくらいのときに雨が降ってきて、自分はまだ学内で用事があるからと奥村先輩が貸してくれたんです。自分はバスに乗ればさほど濡れずに帰れるからって」

「ああ、やっぱり菜月先輩の傘か」

「いかにも奥村先輩らしい傘ですよね。俺が差すには派手ですけど」


 ブロロ、とバスの近付く音が聞こえてくる。夏休み中はバスの本数も少ない。これを逃せばまた30分は待たなくてはいけない。俺はともかくタカティがそれだけ待つのは悲惨だろう。とりあえずタカティを急がせて、俺はその背中を見送る。

 さて、また1人になった。そもそも、俺がなりふり構わず外に飛び出したのはタカティを菜月先輩だと思ったからで、菜月先輩がいらっしゃらないなら外で立ち尽くしている理由はない。次のバスまでまた30分。建物の中に避難しよう。


「あれ、ノサカじゃないか」

「菜月先輩!」


 ナ、ナンダッテー!?

 傘を脱水機にかけていたら、菜月先輩と遭遇するだなんて! ただでさえ夏休みで先輩の成分が足りてなかったのにこれは嬉しすぎてどうにかなってしまいそうだ。ありがとうタカティ、素晴らしい情報をありがとう!


「おっ、ちょっと晴れてきてる」

「えっ」


 その声に空を見上げると、先程までの豪雨は嘘のように。すっきり晴れたとはまだ言えないけど、傘はなくても歩ける程度には落ち着きつつあった。しかし、通り雨にしては酷すぎないか。


「高木が雨男だって言うから、先に帰らせたらひょっとするんじゃないかと思ったけど。ここまで来るとオカルトの存在を信じたくなる」

「なるほど、タカティは雨男なのですか……」

「でも、まだ微妙に降ってるな。ノサカ、うちは何においても前髪を守りたいのは知ってるだろ」

「はい。それと、メガネをかけて生活していたころの名残で雨に濡れるのがお嫌いでいらっしゃるとも」

「さすが、番組で話したことは知ってるな。そういうワケだから、途中まで傘に入れてくれ。バス停まで行けば屋根があるだろ、そこまででいい」


 ナ、ナンダッテー!?

 あわわ、近い近い近い! 腕が振れるか触れないかくらいの距離感が辛い! 嬉しいけど辛い!

 ああ、今にも踊りだしたくなるくらいの気持ちなのに。この感情を俺はどうしたらいいんだ。雨よありがとう、俺は今日起こったすべての偶然に愛を叫ぼう。

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