第224話 思い出したぜ……!

「『シナプス』は、すべての生命の思念統合体だ。あらゆる生物をコントロールし、同じ意識、同じ価値観を共有する。もう、食物連鎖で争いなど起きない。必要なだけの生命を、必要な相手に、必要なだけ提供する事が可能になる」


 ハースレッドは得意気に、そう言った。

 寿命の長いスケルトン・デビルと言えど、こんなモノを見たのは正真正銘、初めての事だった。神々しいまでの魔力に満ちている――……これだけの大きな魔力となると、もはや存在を主張したりはしない。この大地や星のように、当たり前のようにそこに存在している。否定するものなど居ないかのようだ。

 あまりにも、圧倒的な存在。……それを、こんなにも間近で見ることになるとは。


「スケルトン・デビル。君は、この世界で生き残るに相応しい……どうだい、我々の一員にならないか?」


 ハースレッドは、そう言った。

 魔物は、少しばかり考えた。

 全ての生命を統一する。その意思を共有し、最も優秀な判断ができる者に、それを委ねる。この場合は、その最も優秀な判断ができる者というのが、生命ではなく『シナプス』、つまり物だった――……と、そういう事だろうか。

 理には適っている……と、思う。太古の昔から生命は、知能を身に付けるたび、最も優秀な生命が意思を統括し、団体で行動するようになっていった。だがそこには、必ずと言って良いほどに、どうしても食い違いが生じるものだ。

 完全なる、『意思の共有』。もしもそんなことが本当に成立するのだとすれば、この世界に争いは無くなる。希望的観測ではない――……『百%』、無くなるのだ。

 魔物は、問い掛けた。


「……どこで、こんなモンを?」


 静寂の空間。ハースレッドの手となり足となり動く、黒い翼の兵士達。だが――……そのハースレッドでさえも、『シナプス』によって作り出された人格なのだろうか? ……一体どれが、本物?

 これだけの人間が――魔物が――従っているのだとすれば。それは本当に、価値のあるものなのだろうか。


「勿論、偶然掘り当てた訳じゃないよ。作ったんだ。何十年、何百年という時を掛けて、少しずつ人々の中に蓄積されていった知識を使ってね。私はそれを、具現化したに過ぎない」


 その言葉に、魔物は驚きを隠せなかった。


「……つまり、人間の浅知恵だと?」

「浅知恵とは酷いな、スケルトン・デビル。元々は、人間達がまだ小国同士の小競り合いをしていた時のことさ。全員の見ているモノ、感じているモノを共有し、作戦を立てる事ができれば……絶対に、戦争に勝てると考えた人間がいた。その時は形にならなかったんだけどね――――その後、様々な人間が同じ事を考えたんだ。そうして、その人間達は知識を少しずつ集めて、ひとつのプランを作った」


 まさか。

 これだけの魔力を持つ物体を、人の手によって造ったと。……本当に、そう言うのだろうか。


「それが、『シナプス』の原形だよ。まあ簡単に言えば、テレパシーの進化形のようなものかな」


 にわかには信じがたい。これが、人の創り出したモノだなどと言うのは。


「……時間かかっただろ、こんなモン」

「まあ、そりゃあね。人生の殆どをこれに費やしたさ。この目的の為だけに、国をひとつ滅ぼした事もある。どうしても、生物の魔力が必要でね……十や二十じゃない。世界を震撼させるほどの魔力に匹敵する、圧倒的な数が必要だった」


 なるほど。……それが、この魔力の正体という訳か。

 正気の沙汰ではない。そう、魔物は思った。

 目の前にいる男の行動力は、あまりにも異常だ。『人を統率する』たったそれだけの目的の為に、水面下でこれまでひたすらに、ただこれを作っていたと言うのだろうか。

 いつから? ……どこから、この作戦は始まっていたのだろう。

 ハースレッドは口の端を吊り上げて、魔物に言った。


「つまり、無数の屍の上に成り立った、神々しくも美しい『大いなる意思』だという訳なのさ。……どうだい? 君にとっての理想でもあるだろう?」


 どうしてだろうか。

 この男と話していると、どういう訳か――……どうしても、虫唾が走る。


「キヒヒ……キヒャヒャヒャヒャ……!!」


 それだけに、魔物は嗤った。


「狂ってやがる……あァ、狂ってやがるぜ、お前……!! このために、何百、何千っていう命を葬ったって言うのか……!? まだいっそ、『気に入らねえから殺した』位の方がシンプルで良いってもんだぜ……!!」


 この生意気な事を考える男に賛同した訳ではない。しかし、これだけの執念だ。何か、目的があるのだろう。

 それを聞いてからでも、遅くはない。

 ――殺すのは。


「俺を駒にしようって言うのは、気に入らねえが……聞こうじゃねえか。……てめェは何を望む」


 ハースレッドは笑うでもなく、言った。



「――――――――世界を変えるためだ」



 瞬間。

 魔物の中に、変化が生じた。


 その言葉を聞いた時、不意に過去の記憶が蘇った。魔物は思わず動きを止め、ハースレッドと視線を合わせた――……以前にも。……以前にも、この言葉を聞いた事がある。

 いつだ?

 この、懐かしい感覚。ずっと感じていた。魔物は一番初めから、魔王城の近くにある、あの檻の中に閉じ込められていた。だから、懐かしい筈はない――……それなのに、どういう訳か懐かしい。

 まるで水の中に飛び込んだ時のように、音は濁ってぼやけた。直後に感じたのは、熱い――……熱い、感覚。

 焼かれている?

 ……いや、まだだ。もっと、もっと過去へ遡らなければ。


『一体……一体、何のつもりだ……!!』


 檻の中に、閉じ込められた。魔物が知っている檻とは随分と様子の違う、鉄格子の檻だった。肉厚な、今とは全く違う、生身の腕。人間の太い腕が、鉄格子を握り締めている。

 それは、自分だ。


『ハースレッド!!』


 自分の両腕には、手錠が掛けられている。その程度の物ならば、自分は簡単に壊す事の出来る腕力を持っていた。……だが、どういう訳か、腕がまともに動かない。まるで力が入らないのだ。


『……それは、『鳥籠』と呼ばれるものだよ。中に入っている者は、一切の魔力を使用できなくなる。文明が生み出した、正真正銘の、『人間界最強の檻』さ。……どうだい、身動きが取れないだろう』


 対して、ハースレッドは今とまるで変わりない。時が止まってしまったかのように、若々しい――……いや。もしかしたら、今の方が多少若いかもしれない。外見を操作しているのだろう。

 自分は、焦っていた。普段ならば簡単に自由を取り戻せるはずの両腕が、まるで機能しなかった。


『君の力はいずれ、世界的な脅威となりうる。……意思を統括するに当たり、どうしてもそれでは都合が悪いんだ。この世界に『王』は、二人は要らない』


 鉄格子にどうにか力を込めて、それを歪めようとした。だが、まるでびくともしないのだ。

 そんな事は、初めてだった。

 初めて――……いや。有り得ない。自分は、龍に素手で殴り勝てるだけの腕力と魔力を持ち合わせた――……、人間のはずで。


『お前が何言ってるのか、全然分からねえよ……!! 何のためだ!? 何のために、こんな事をするんだ……!!』


 そうだ。

 あの時確かに、この男がそう言った。



『世界を変えるためだ』



 檻の中で、炎が燃え盛る。間もなくハースレッドの手によって、自分の身体は燃えていった。肉が焼け焦げる臭いがする……自分から発されている臭いだ。


『ぐああああああ……………………!!』


 堪らず、叫んだ。だが、歯を食い縛って、耐えた。


『……こんな……こんなモンで、俺を倒せると思うなよ……!!』

『確かに通常の状態なら、屁でもないかもしれないな。だけど……魔力を封じられた今、それに耐えられるかな?』


 意味が分からなかった。

 世界を変えるため。その抽象的な言葉の裏側で、一体ハースレッドが何を目的にしているのか、当時の自分にはまるで理解できなかったのだ。ハースレッドは酔狂でもなく、また狂人でもなく、理性的に自分を『焼き殺す』ということを、実行しているのだ。

 だからこそ、戸惑った。


『安心してくれ。すぐに君の妻も、君の所へ連れて行ってあげるよ。……ああ、ただ……少しだけ、利用させて貰うかもしれない』

『なっ……!? や、やめろ……!!』


 ハースレッドは、踵を返した。自分に、背を向けた。

 崖から崩れた岩が、檻に降り注ぐ。それでも、炎は消えない――……焼け焦げた肉体が、激しい痛みを訴える。逃げる事もできずに。

 そうか。……檻と呼ばれていたのに、洞窟のように見えたのは。

 それでもどうにか、自分は耐えていた。男の背中を限界まで見詰めていた。


『やめろ、ハースレッド……!! ……良いか、アイラに手を出してみろ……!! 俺が……俺が、地獄の底からでも這い上がって、絶対にお前を止めてやるからな……!!』


 子供が居るのだ。

 アイラの腹には、子供が居るのだ。自分との間に生まれた、希望の光なのだ。

 最後に、ハースレッドが言った。


『無理だよ。……君は死ぬ』


 冷酷な瞳だった。


『やめろ……!! ふざけるなよ、ハースレッド!! お前、セントラルを出て何をやってるのかと思えば……こんな事が、赦されると思うなよ……!! 世界を変えるだと!? それが幾つもの犠牲の上に立つ変化なら、本当にそれは正しいと言えるのかよ!! なあ!!』


 もう、ハースレッドは振り返らない。

 二度と。



『やめろおおおおぉぉおぉぉぉぉ――――――――!!』



「……キヒッ」


 その魔物は、嗤った。

 大したものだ。……この上、自分を『シナプス』に、引き込もうなどと。


「キッヒッヒッヒッヒ……ケキャキャキャキャ……!!」


 そうして魔物は、飛び出した。


「づっ……!? アイラ!!」


 変化に気付いて、ハースレッドがアイラを向ける。だが、もう遅い。

 自分が抱える膨大な魔力を一点集中させた。それは自分を中心として、壮大な爆発を引き起こすためのきっかけとなった。眩い光に、視界が埋め尽くされる――……。

 ハースレッドの命で斬り掛かろうとしていたアイラが吹き飛ばされる。『魔王城』は跡形もなく吹き飛び、その場に居る無数の魔物が、人間が、剥き出しの荒野に晒される。

 自分を中心として、魔力は巨大な柱となった。天まで延びる眩い光が、その場を明るく照らしていた。

 そうして、気付いた。

 時間がない。


「悪ぃな、ハースレッド。残念だが……交渉決裂だ」


 ハースレッドは驚いて、自分を見ていた。どうして急に戦闘態勢に入ったのか、まだ理解できていないのだろう。

 気付いてしまった。……だからもう、時間がない。

 ようやく、分かった。どうして自分が、こんなにも人から恐れられるのか。どうして自分以外に、同じ種族を一匹も見ることがないのか。



「俺ァ――――――――『思い出した』ぜ」



 ハースレッドは理解していないようだ。……当然だろう。

 骨だけの……こんな姿になっているのだ。自分があの『檻』から抜け出した存在であるなどと、ハースレッドは気付いていないだろう。明らかに魔物のような見た目である自分が、元は人間だった事など。知る由もなかっただろう。

 だから、グレンオードの隣に居た時、小さな姿だった時も――自分は、『人間の髑髏』を被っていたのだ。

 元、『人間の髑髏を被った魔物』は――『元・人間の』、髑髏を被った魔物だったというわけだ。

 ――笑えない。


「くっ……アイラ!! 構わない、全員奴を攻撃しろ……!!」


 黒い翼の兵士や、魔王城の中にいた様々な魔物が、自分を狙う。まるでそれが当然であるかのように。

 これだけの衝撃を伴っても、『シナプス』はなお、そこで輝いていた。自分の輝きに、勝るとも劣らない。……もうこの瞬間に、自分の魔力は徐々に弱まっている。この様子では、あれを壊すのはもう、無理だろう。

 ならば、やるべき事はひとつだ。


「アイラ……!! そうだ、こっちに来い……!!」


 つまり――『スケルトン・デビル』というのは――人間だったのだ。

 人間の強い意志が生み出した、魔力だけの化物。それは目的だけを持ち、そのためだけに実体が存在している。言わば、動いて触れる『亡霊』のようなものだ。

 魔物は、スケルトン・デビルは――自分は、思い出してしまった。自分の過去を。……そして、その目的が何だったのかも。

 魔物は、アイラの両腕を掴んだ。容易く、氷の剣を叩き落とす……そうして、アイラの両肩を掴んだ。


「まだ、目が覚めねえのかよ……!! あんな脳みたいな変なヤツ、どうにでもなるだろうが……!! らしくねえぞ、アイラ!!」


 アイラの腹の中には、子供がいた。

 護らなければならなかった。アイラと、その子供を。……どうしても。……絶対に。



「俺達の出番はもう終わったんだ、アイラ……!! もう俺達は、ここに居ちゃいけない存在なんだよ……!!」


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