第十三章 万人を癒やす、聖女の(男の)娘

第187話 予定外の客人!

 ヴィティア・ルーズは、ノース・ノックドゥ城の自室にいた。

 ベッドの上に置かれた夜間着は薄い生地のわりにふんわりと柔らかく、着心地が良い。

 男女が別れている大浴場に行って、広い客室に戻って来た。落ち着いた赤色の絨毯に、広いベッド。レモンの入った飲料水が透明なポットに入っている。まるで高級な宿屋のようだ。

 流石は王族の利用している城、といった所だろうか。ヴィティアは周囲を見ながら、漠然とそんな事を考えていた。

 豪華なシャンデリアを眺めながら、タオルで髪を拭いているリーシュを見る。


「……グレン様、遅いですねえ。のぼせていないと良いんですけど」


 特に深く考えている様子ではなかったが、不意にリーシュがそんな事を言った。

 リーシュは雑談を振ったつもりなのだろう。だが、ヴィティアにはリーシュの言葉を受ける余裕が無かった。


「ヴィティアさん?」


 気になったのか、リーシュがヴィティアに声を掛ける。

 客室のベッドに腰掛けたまま、ヴィティアは俯いて考えていた。

 それは、リーシュとウシュクが話していた時の事だ。


『ウシュクさんっ。……私、グレン様の所に戻ります!!』

『もう良いのかい?』

『はいっ……!! お酒の件、明日には選んでおきますので、よろしくお願いしますっ!!』


 ノース・ノックドゥのほぼ中心に位置する、花壇のある広場。

 リーシュが話していたのは、この国では重要な立ち位置に居る男。姫君の兄、ウシュク・ノックドゥだった。先の会食では、司会進行を担当していた。緑がかった栗色の髪はチェリア――チェリィ・ノックドゥと同じ。だが、どこか印象に陰が落ちる男。


 あの時ヴィティアが花壇の近くを通り掛かったのは、全くの偶然だった。リーシュとウシュクを発見して、ヴィティアは声を掛けようとした。

 だが、既に会話は終了していたようだった。リーシュは立ち上がり、どこか元気を取り戻したような様子で笑い、ウシュクに向かって手を振った。

 少し離れた場所でその様子を見ていたヴィティアは、二人から発見される事は無かった――……何より、既に日は落ちていた。唯でさえ暗い中で、店を畳み、ノックドゥを離れようとしている商人や、未だ商売を続けている商人で溢れ返っていた。その状況で、商店街の端にいたヴィティアを発見する事は難しかっただろう。

 笑顔で手を振り、リーシュを見送ったウシュク。程なくして、手を下ろした――……。


 ヴィティアの耳が確かなら、確かに聞こえた。


『リーシュ・クライヌ=コフール。……素直な、良い娘じゃないか』


 確かに、雑踏にかき消されて、声は殆ど聞こえなかった。だがヴィティアの耳は、人よりは少し良い。

 ヴィティアは二人に声を掛けようとして挙げた手を、咄嗟に下ろした。

 ウシュクはふと、くたびれたような笑みを浮かべた。


『――――だから、騙されるんだよ』


 あれは一体、どういう意味だったのか。

 考えても、結論に辿り着く事ができない。

 リーシュの立場を慮って、そのような事を口にしたのか? ……いや。雰囲気だけで決め付けるのは良くないかもしれないが、とてもそのような態度には思えなかった。どちらかと言えば、リーシュを貶める立場でものを言っているかのような雰囲気だった。

 何か、仕掛けようとしているのだろうか。

 ……しかし、一体どこで?


 ここは、ノース・ノックドゥの城内だ。これからギルドリーダーの就任式まで、基本的に城から出る事はない。もしあったとしても、確率は非常に少ないだろう。多少散歩なりするかもしれないが、それだけだ。

 グレンにもチェリィにも、ノックドゥの城内以外で接触する機会は無いと考えるのが自然だろう。


 ならば、一体何を騙そうと言うのだろうか。

 ……何について。


 戦略的に何かを仕掛ける可能性があるとすれば、やはり就任式なのだろうが――……まず、理由がない。ウシュク・ノックドゥは、当然の事ながらノックドゥ側の人間だ。所属ギルドがおらず、護る者の居ない今のノックドゥを好ましくは思えない筈だ。その空いた穴に入ろうとしている自分達を、わざわざ貶める理由が考えられない。

 それに、就任式で何かを仕掛けるのだとすれば、余程大掛かりな内容でなければ無理だろう。就任式は、沢山の人の目に晒されている状況で行われる。そんな場所で、一体何をしようと言うのだ。


 リーシュとウシュクの会話を聞いてからヴィティアはずっと、考えていた。そもそもチェリア・ノッカンドーだった彼を城に呼び戻したのもウシュクだ。……二つの出来事が繋がっている可能性は、ある。


「ヴィティアさん」


 不意にリーシュが、ヴィティアの顔を覗き込んだ。慌ててヴィティアは顔を上げた。


「あー、ごめんねリーシュ。どうしたの?」

「いいえ。……なんだか、化物のような形相をしていたので」

「どんな顔よ」


 それを言うなら『鬼のような形相』だろう。どの道、言葉としては不適切だが……相変わらず、リーシュの言葉遣いはどこかおかしい。

 ヴィティアは苦笑した。


「ずっと、何を考えていらっしゃるのですか?」


 今ヴィティアが抱えている不安を、リーシュに話すべきだろうか。

 一瞬、そのように考えて――……しかしヴィティアは苦笑して、首を横に振った。


「ううん、何でもない。ちょっと晩御飯があまりに酷かったから、気持ち悪いだけよ」

「あー……確かにあれは、ひどかったですね」


 ヴィティアの言葉に、リーシュも苦笑して返した。


「あのメニューなら、個人的には魚料理のソースをもう少しさっぱりしたものにすると思います」

「魚が喋るのは良いの?」


 ……やはり、リーシュはリーシュだった。

 今の言葉は聞かなかった事にして、ヴィティアは立ち上がった。

 どのような事情があったとしても、ウシュクの言葉にリーシュは救われている。また、ウシュクが何かを画策しているのかもしれない、というヴィティアの予想に、何の根拠もない。ただの不安でしかない今の状態で話しても、仕方がないだろう。

 ならばまずは、状況を確認するのが先だ。


「【ヴァニッシュ・ノイズ】!! ……それと、【エレガント・ハイドボディ】ッ!!」


 眩い光。ヴィティアは鏡を見て、自身の姿が消えている事を確認した――……服以外。

 ノックドゥに備え付けてあった夜間着を脱いで、ヴィティアは一糸纏わぬ姿になる。……当然、誰の目にも触れる事はない。


「きゃっ……!? ヴィティアさん、どうしたんですか!?」


 遮光カーテンを開いて、ヴィティアは窓を開けた。


「……ちょっと、外に出て来るわ。誰か来ても、私はもう寝たって事にして誤魔化してくれる? ……間違っても、窓の鍵なんか閉めないでよね」


 自分の不安が的中するのかどうか。それは、分からない事だったが……何れにしても、確かめずにはいられなかった。

 窓の隙間に身体を滑り込ませると、遮光カーテンを閉じる。


「あの、ヴィティアさん」


 ベランダに出るヴィティアに対し、リーシュはカーテンを開いた。視線は定まっていない。ヴィティアの姿が見えないからだ。

 ヴィティアは少し笑って、リーシュに言った。


「心配しないで。……ただの散歩よ」


 こういう事は、隠密行動に向いている自分が行うべきだ。それを理解しているヴィティアは、ちょっとした優越感を覚えていた。

 他の誰にもできない仕事がある。それは何より、自分にとってのアイデンティティだ。

 リーシュは胸の辺りで指を組んで、戸惑いを感じる視線を虚空に向けて言う。


「裸で、ですか?」


 ……。


 相変わらず、リーシュの素直な一言は。たまに、胸が痛い。


「あの、ヴィティアさん。……前から思っていたんですけど私、その魔法に慣れるのはあんまり良くないと思」

「うるっさいわね!! 良いから、とにかく私の言う通りにしてよ!! バカ!!」


 捨て台詞のようにそう呟いて、ヴィティアは隣の足場に飛び移った。

 足音はない。リーシュが溜息をついて、窓とカーテンを閉めた事を確認して。ヴィティアは一人、夜の城を探索し始めた。



 *



 初めてヴィティアは、【エレガント・ハイドボディ】を使って城の外を移動していた。

 壁の窪みに足を掛け、断崖絶壁をものともせずに平行移動していく。悪人の下っ端として以前から動いていたヴィティアにとって、こんな事は障害にもならない。

 移動は確かに、問題無いのだが。


「さ、寒い……」


 ヴィティアはがたがたと震えながら、城の外壁を移動していた。

 風が吹き荒ぶ、夜の城。服を着ていれば、どうという事は無いだろうが……風のない室内に戻りたい。そんな一心で、どうにかヴィティアは隣のベランダに着地する。

 二の腕をさすりながら、ヴィティアは窓の向こう側の室内を見詰めた。

 豪華な家具に囲まれた部屋。中では使用人と思わしき女性が二名ほど、部屋を掃除している。彼女達の自室だろうか。

 ヴィティアは溜息をついた。


「……もう、戻ろうかしら」


 ウシュクの部屋を探し始めて、それなりの時間が経っていた。外壁を移動しながらでは中々、目当ての部屋を探し当てる事ができない。

 昼間にチェリィがグレンを連れて行った部屋。あれは恐らく、チェリィの部屋だろう。それを考えると、チェリィの部屋からそう遠く離れている筈はないだろう、と思っていたのだが。いかんせん、近くを探しても見当たらない。

 チェリィとウシュク。どうも、あの二人はあまり仲が良くないようにも思えた。……何か、あるのだろうか。


 そこまで考えて、ふとヴィティアは気付いた。

 もしもチェリィと部屋が離れているのだとすれば――……城は大きい。部屋が窓際だけとは限らない。窓の無い部屋が自室だとしたら、この方法で探していても、ヴィティアは見付ける事ができない、という結果が待っている。

 やはり、一度部屋まで戻るしか無いだろうか。明日以降、ウシュクの動向を探りながら、部屋を見付けるというのも……。

 窓が開いて、女性が顔を出した。ヴィティアは壁に張り付いて、触られないように注意する。


「換気?」

「ええ。……この後、お客様がいらっしゃるそうですから」


 ヴィティアは、使用人の言葉に耳を傾けた。


「そうなの? 全然、そのような話は聞いていなかったですけど」

「あら、そう。一応ベッドメイクはして、でも夜間着はウシュク様が戻って来てからよ」

「分かりました」


 思わず、ヴィティアは眉をひそめた。

 使用人が窓から離れた隙に、ヴィティアは室内へと身体を滑り込ませた。どこか、隠れる所は……最も手を伸ばしそうにない場所はやはり、クローゼットの上だろうか。

 物音ひとつ立てずに、素早く場所を移動する。【ヴァニッシュ・ノイズ】によって、ヴィティアから発生する音は消えている。後は、家具が揺れなければいい。

 無事、ヴィティアはクローゼットの上に到達した。出入口の扉が開き、もう一人の使用人が現れる。


「あの、間もなくウシュク様がこちらに……」

「あら、大変! 急ぎましょう」


 窓が閉まり、ヴィティアは退路を失った。しかしヴィティアは気にも留めず、目の前の状況に集中していた。

 こんな時間に、来客。……城にも門番が居る。あまり遅い時間では、何事かと思うだろう。既に日付が変わろうとしている……普通はノックドゥへの来客だったとして、宿に泊まって翌日に会うだろう。

 夜中に話さなければならない何かがあるのか。……それとも、イレギュラーな来客なのか。

 ……イレギュラーな来客とは。


「行きましょう」

「はい!」


 使用人が部屋から出て行く。出入口の扉が閉まり、部屋には暫く、沈黙が訪れた。

 見付かれば、唯事では済まされないだろう。この状態のまま、ウシュクが就寝するまで待機するのか……それとも。ヴィティアは頭上を確認したが、牢屋などと違い、換気口のような抜け道はない。

 ……ふと、自分が考え過ぎているのだろうか、とヴィティアは思った。


 ヴィティアのウシュクに対する懸念は、あくまで個人的な感情に過ぎない。何かが怪しいのは確かだが、それが自分達にとって不利になる事かどうかも分からない。

 今、窓を開けて出れば。使用人がどのように清掃をしていたのかは不明だ。鍵が閉まっていない事を不審に思いはしないだろう。

 誰にも気付かれず、今、逃げてしまえば――……


「どうぞ。汚い部屋だけど」


 出入口の扉が開いた。

 ヴィティアは口元を押さえて、クローゼット上の隅に移動した。ウシュクが現れ、客人を中に通す。

 黒いローブ。顔はフードに隠れていて、見えない……。身長は百七十か、もう少し高いか。女性の体格には見えない。

 地面を滑るかのような動きで音もなく現れ、フードの男は出入口の前で固まった。

 それに気付いて、ウシュクが声を掛けた。


「座ったらどうだ?」


 一体、何者――――…………?


「いや、ここでいい。すぐに話も終わるだろうからね」


 その声は透き通るように美しく。しかし、どこか不気味だった。

 どこかで聞いたような気も――――

 瞬間、ヴィティアの心臓は跳ね上がるように胸を打った。全身に目まぐるしく血流が巡り、胃液がせり上がって来るのを感じた。

 強く口元を押さえ、身体を可能な限り小さくする。


「そろそろ、作戦を聞いても良いかな?」


 ヴィティアの失われた記憶が、瞬間的に蘇った。


『ヴィティア。お前には本当に、価値が無いね』


 その声と、重なった。

 間違いない。……裏で糸を引いている、あの男だ。


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