第181話 少女少年との約束
「ぎゃあああああぁぁぁぁ――――――――!!」
何なんだ!? なんでチェリアがこんな所に居るんだ!?
一体、何がどうなってるんだよ……!!
「チェリィ!?」
エドラが慌てて立ち上がった。目を白黒というか、既に白黒を通り越して虹色を見せていたチェリアは、ふと我に返って固まり、視線を右へ、左へ……なんだ? 何を考えてる……!!
真っ直ぐに俺の方へと走って来ると、俺の腕を掴み、席から立ち上がらせた。
「す、素敵な筋肉ですねえっへへへうへえへへへ」
本当にこいつは一体どうしてしまったんだ!?
呆然として、立ち上がったエドラはそのまま、チェリアを見詰めた。チェリアは気持ちの悪い笑みを浮かべて、涎を垂らしながら俺とエドラを交互に見ている。
「……そ、その人の筋肉が気に入ったの? それで、大声を出したの?」
んな訳ねえだろ!? まさか、そんな大ボケで話が進む訳が……
「い、いやあぁぁ、実はそうなんですよねえええ!!」
進むのかよ!?
「いやあ、実は私、大胸筋と背筋と出目金には目が無くてですね」
最後のは筋肉じゃねえよ!!
怪しげに俺の二の腕を擦りながら、チェリアは真っ青な顔をしている。……こいつは一体、何をやっているんだ? 唐突に女物のドレスで現れ、俺の筋肉を擦る謎の男。どうして良いのか分からないと言うか、もはや理解に苦しむ。
クランはチェリアを見るのは初めてだ。案の定、呆気に取られている……あれ? でもそういえば、エドラも栗色の髪。多少緑が入っているが、チェリアも栗色の髪。
……………………えっ、親子!? 本当に!?
「お、おい。チェ」
「チェックメイトッ!! ……なーんちゃって、あはは!!」
そう言いながら、見えないように俺の脇腹を肘で小突くチェリア。……ど、どういう事なんだよ。この態度。
チェリアはしきりに、俺に向かってウインクをしている。これは……まさか、モールス信号……!?
俺は慎重にチェリアの様子を観察して、その意味を読み取ろうとした。
あ……わ……せ……て……く……だ……さ……い。
……合わせろって? この状況に合わせろ、って事か?
ヴィティアは唖然として、その場に固まっているが。とりあえず、チェリアに隠し事があるのはよく分かった。そうでなければ、こんなに必死で俺の言葉を遮ろうとする筈がない。
チェリアは何かを隠したい。この場にいる、誰かに。
俺と知り合いである事を隠したいのか、それとも。
「チェリィ、大丈夫? ……顔色がすぐれないようだけれど」
「大丈夫ですよ、ぼっ……私は。あの、こちらのグレンオードさん御一行と、少しだけお話したい事があるのですけど、私の部屋に連れて行っても構いませんか?」
いきなり何を言い出すんだ、こいつは。まだエドラとクランと会議中だぞ。
「……急な話なの?」
「ええ、できればできるだけ早く……実は私、冒険者をやっていた時にこちらのグレンオードさんと会った事がありまして、積もる話もありますので」
「それは……それなら、残りの話は夜の会食に回す、けれど……」
それは苦しいぞ、チェリア。そして俺に合わせろというのも、かなり無理がある話だ。
俺の二の腕に抱き付いて、チェリアはどうにか笑顔で取り繕っているが。エドラは目をぱちくりとさせて、俺とチェリアの様子を見ている。
流石に無理があると思うぞ、この状況で俺をこの場から引き抜くのは。……ギルドリーダーだぞ。この話を遮ってまで、チェリアに付いて行かなければならない用事など思い付かない。
後じゃ駄目なのか? 俺がぽろっと言ってしまうとまずいような事なのか?
……何が考えられる。
「お願いします、お母様」
チェリアはもじもじと両足を擦り合わせながら、エドラに言った。
エドラは不意に、ぱあ、と表情を明るくさせて――……。
「……ええ、ええ!! 構わないわよ私は!! クランも、よろしいかしら?」
「えっ? ……ええ、そういう事でしたら、会食までご一緒しても、構いませんが……」
おい。……絶対今、何か嫌な勘違いをされたぞ。
これまで散々、訳の分からない勘違いをされ続けて来た俺だ。もはや考えなくとも感じる事ができる。この、不要な勘違いを得た瞬間というものが。
チェリアは安堵して、俺の手を引いた。リーシュとヴィティアに視線を向けると、慌てて二人も立ち上がる。
「で、では!! ちょっと、失礼いたします……!!」
そう言うが早いか、チェリアは高貴なドレスが台無しになる走り方で俺の手を引き、部屋を出た。
……説明して貰いたい事は山程あるが、今のチェリアにどこまで聞けるのか。……こうなると、チェリア・ノッカンドーという名前が本当に実名なのか、それさえもよく分からなくなって来るが。
魔物使いになってから引き連れていた魔物は、一体どうしたのか。必死で走るチェリアに付いて行きながら、俺はチェリアの事を考えた。
そして――――…………。
「はっ、はあっ!! ……はあっ!! ……はあっ!!」
俺達全員が入るや否や、部屋の扉を勢い良く閉めて、チェリアは扉に突っ伏して、肩で息をしていた。俺達は呆然と、その様子を見詰める……ドレスであれだけ全力疾走すれば、そりゃあ息も上がるだろうが。よく転ばなかったもんだな。
そんな事より、俺はこれまでの事と、これからの事。チェリアの事を、どう究明して行けば良いのか。そんな事を考えていた。
今度は勢い良くチェリアは振り返り、俺を睨んだ。
「なんで、こんな所にいるんですかっ!!」
いや、それは完全に俺の台詞だろ。
「ちょ、ちょっと待てよ。ノックドゥの所属ギルドになるって言っただろ? お前、何の疑問もなく聞いてたじゃないか」
両拳を握り締めて叫んだチェリアは、ふと目を丸くした。
……沈黙。
あんまりにあんまりな出来事に、一応付いて来たリーシュとヴィティアも、まるで何も話す事ができていない。
四人、いかにも乙女な部屋で硬直する。……見れば、天蓋付きのベッドに縫いぐるみの数々。とても男の部屋には思えない。
これ、もしかしてチェリアの部屋なのか。
チェリアは舌打ちをして、黒い顔をした。
「そうか、ノックドゥってここの事だったっけ……」
「……お前の中にはここ以外のノックドゥがあるのか?」
気が動転しているのか。初めて俺は、チェリアのこんな顔を見たような気がする。
チェリアは二、三度深呼吸をして、息を整えた。ヴィティアが前に出て、腰に手を当てて言った。
「それで、どういうこと? ……ちゃんと説明しなさいよね」
言われると、チェリアはヴィティアから目を逸らした。
確かに、出会ってから今まで、俺達はチェリアの素性なんてものは聞いた事が無かった。それだけ、チェリアの内部事情を知る必要が無かったという事もあったが……キャメロンなんかの時は、自然と知らなければならない状況になっていたから。
それにしたって、一国の姫なんていうのは本来、隠しておくような事じゃない。周囲の対応だって変わってくるだろうし、冒険者なんていう危険が付き纏う職業にはなれないものだろう。
だからやっぱり、チェリアは忍び隠れて、冒険者をやっていたのであって。
「……すいません」
ぽつりと、チェリアはそんな事を呟いた。
「チェリアさん。……チェリアさんは、チェリィさんだったんですか?」
リーシュが言葉足らずにも、そのような問い掛けをしたが。チェリアは居心地が悪そうな顔をして、下唇を噛むばかりだ。
さて、どうするべきだろうか。チェリアにも何か事情があったのは明らかだ。これからギルドをやって行くなら、解決しなければならない問題もある。
とにかく今は、話を転がさなければならないか。
「別にお前がどういう存在で、どうして冒険者をやっていたのか……とか、そんな事は聞かねえよ、今は。……ただ、これは答えてくれ。俺達はどうしたらいい? わざわざ会議を中断してまでこんな所に来たのは、訳があるんだろ?」
チェリアは右手で左腕を掴んで、両肩を寄せた。
「えっと、僕が冒険者をやっていた事は、言うしかなくて、言ったんですけど……でも、僕が男として冒険者をやっていた事と、魔物を引き連れていた事は……できれば、黙っていて欲しいんです」
…………なに?
「チェリア、お前……黙るも何も、男だろ……?」
エドラはチェリアの母親だ。幾ら何でも、自分の体内から出て来た子供の性別を知らない訳がない。
何と言っても俺は、チェリアの股の間にあるソレを一度、拝んでいるんだ。この期に及んで実は女でしたとか、そういう理屈は通用しないぞ。
こいつは男だ。どれだけ顔が女みたいでも、確かに男なんだ。
「いやっ……!! それは、そうなんですけど!! あの、それがそうでもないと言いますか……!! えっと、直訳するとですね!!」
チェリアは慌てて、俺に詰め寄った。
「お母様のガチホモ計画が潰れてしまうんです」
「潰れちまえよそんな計画」
一体何を言っているんだこいつは。
「……ごめんなさい。変な人なんです」
それはやはり、エドラの事を言っているのだろう。……少し話した今の段階では、別に変な所は無かったけどな。むしろ、かなりまともな雰囲気を醸し出していたと思うんだけども。
やっぱり、それだけでは語り切れない何かがあるんだろうか。まあ、出会い頭にあの怯え方だ。もしかしたら何かが隠れていても、不思議ではないのかもしれない。
いや、ちょっと待てよ? ガチホモ計画……って事はやっぱり、会議が中断されて俺が今ここに居るというのは、エドラはそういう風に勘違いを……。
……どうしよう。
「チェリアさん。……ひとまず、事情は分かりました」
リーシュはファイティングポーズを決めると、笑顔で言った。
「ひとまず、グレン様とチェリアさんを付き合っている事にすればいいんですねっ!!」
「あ……いや、確かにお母様の計画が潰れたらちょっとまずいんですけど、僕としてはできれば成立はさせたくないと言いますか……」
リーシュはアホ毛をクエスチョンマークの形にして、首を傾げた。
とりあえず、微妙な状況らしい。
「……友達以上恋人未満、的な?」
「あー……まあなんか、そんな感じです」
説明するのが面倒になったんだな、要するに。
まあでも、事情は分かった。チェリアの母親であるエドラは、チェリアの事を女として見ているということだ。確かに、次期国王候補だなんて言っていて、国王は『聖女』だと言うのだから、そうなんだろう。……そんな背景があるなら、チェリアが城を抜け出して冒険者をやっていたというのも、何となく察しがつく話だ。
どうしてこのタイミングで戻って来たのかとか、そういう事はさて置いて。
「まあ、分かったよ。とりあえず、チェリアが男として冒険者をやっていた事と、魔物の事は言わないでおく。……そういえば、あの魔物はどこに行ったんだ? ヘッド君だっけ?」
チェリアは天蓋付きのベッドまで歩いて、山程転がっているぬいぐるみを掻き分けた。
「ここに」
おお……!? 小さな魔物が、こうして見るとまるでぬいぐるみのように……!!
……見えるか? 微妙な所だ……しかし、ヘドロスライムは駄目だろ。この状況に全く溶け込んでいないぞ。色が紫って時点でアウトだ。
……ん? ……紫?
……………………いや、まさかな。
「皆さんの部屋はもう用意してありますので、夜の会食までは自由行動だと思います。ノックドゥを歩いてみても良いですし、ここに居ても構いません。時間がきたら使用人が呼びに行きますので、夜には戻るようにして頂ければと」
モアイゴーレムを抱き締めて、チェリアは憂鬱な顔をした。
「……ギルド、付き合ってみたかったですけど……僕は、ここから先の参加は難しそうです」
ギルドの話をしていた時は、こんな様子ではなかった。という事を考えると、あの後チェリアは戻る決断をしたんだろう。エドラの肺が悪いという報告を受けたから……だろうな。今の所、それしか考えられない。
全く関係ない俺の問題に命懸けで付き合ってくれる程、チェリアはお人好しだ。実の母親が困っているのを見過ごす事はできないだろう。
……全く、誰に似た事やら。
その時、部屋の扉がノックされた。慌ててチェリアがモアイゴーレムをベッドに戻す。
俺達が振り返ると、扉が少しだけ開いて、廊下から女性が顔を出した。
「チェリィちゃん、チェリィちゃん。ちょっと、ちょっと」
チェリアに向かって手招きをしている。チェリアは溜息を付いて、部屋の外に出た。
扉が閉まる。
……ヴィティア?
「何してんだ?」
「いや、ちょっと……」
内側から扉に耳を付けて……外の音を聞こうとしているのか。……なんで?
釣られて、リーシュがヴィティアの真似をした。……何だよ、この状況。盗み聞きは良くないぞ……うーむ。何だか俺もやらなければいけないような気がしてくる。
扉に耳を付けた。
「チェリィ。……ごめんなさいね、話の途中に呼び出してしまって」
「いえ、良いですよ。特別大した話をしていた訳ではないですから……どうしたんですか?」
わざわざ会議を抜け出してまでした話が、『特別大した話』ではないというチェリア。……何だかなあ。
チェリアが面倒臭そうに話をするのも、初めての出来事のような気がするが。
エドラはもう、ココロオドルって感じだ。言葉が鞠のように弾んでいる。
「あの赤髪の男の子が、気に入っているのね?」
「……はあ」
なるほど。……変な人か。
俺の周り、いい加減に変人ばっかりだな……。
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