第171話 マックランド・マクレラン

「……グレン様」


 思わず、固まってしまった俺。リーシュが不安そうな表情で、俺の顔を覗き込んでくる。


「……あ、いや。……何でもないって、大丈夫」


 こんな事、これまで魔力共有をして来て、初めての出来事だ。

 確かに、人間が扱う事のできる魔力量と、魔物が使う魔力量には差がある。必要以上に人体へ魔力を注ぎ込み過ぎれば、何か異常が出たっておかしくはない……とは、思うけれど。

 それでも、これまでは気分が悪くなってしまったり、場合によっては嘔吐してしまったりもしたが、それだけだ。後を引くような事って、無かったのに。


「グレン様。……本当に、大丈夫ですか?」


 リーシュにそう言われて、俺は少し困ってしまったが。


「……リーガルオンと戦った後から、両手が痺れていてさ。……正直、あんまり感覚がないんだ」


 素直に、そう言う事にした。カブキの一件で、リーシュには何を隠しても無駄だという事が分かったからな。今更、こんな所で俺の不調を隠しても、何の得もない。

 必要以上に心配されるのは、少し気まずい想いはあるけどな。


「魔力共有のせいですか?」

「多分……いや、まだ分からない」

「むー……」


 リーシュは少し考え込んで、ベンチに座った。俺も座る。

 解決の取っ掛かりも無いので、今は放置して様子を見るしかないが。俺だって、少し焦っている。これ以上の魔力共有が出来ないとなったら、もう皆を護れない。そういう負い目はあるが。


「多分、そのうち治るって。大丈夫だよ」


 そう言って、俺は笑う事にした。

 今は、余計な心配を掛けたくない――……というのが、正直な所だ。セントラル・シティも少しずつ安全な場所では無くなって来ている。またいつ、リーガルオンのような強敵が俺の前に現れるかどうか分からない。ただでさえ、俺は連中に目を付けられているんだ。

 リーシュは少し苦笑して、俺を見た。


「……何かあったら、いつでも相談してくださいね」


 普段空気が読めない癖に、こんな時ばかり大人びているリーシュだった。


「おう。ありがとな」


 不意に、リーシュは横移動して、俺と距離を詰めてきた。ぴったりと肩が付く程に寄り添う。

 ……な、なんだ? 急に。


「グレン様」

「お、おう」


 リーシュは少し顔を赤らめて、俺にクレープを。


「では、私が……食べさせてあげますね」


 人が見ている。……ような気がするだけで、こんな状況は別に珍しくもない。クレープ屋の前ともなれば、日頃カップルがじゃれついているせいで、すっかり通行人も見て見ぬフリだ。

 し、しかし。……これは。


「い、いいよ。今は少し気が緩んで落としちまったけど、別に力が入らない訳じゃないから」

「あーん、と口移し、どちらが良いですか」

「人の話聞けよ!!」


 ……ん?


「なあ、リーシュ。これは……なんだ?」


 クレープの中に入っているモノを指さして、俺はリーシュに問い掛けた。リーシュは中身を確認するが、特に何かに気付く様子もなく――……首を傾げた。


「それは、ジンジャーチョコクレープですから……生姜ですよ?」


 そんなもの、見れば分かる。


「いや、問題はそこじゃないだろ。……普通さ、ジンジャーって言ったら、みじん切りとか、ジンジャーエキスとかさ。……いや、せめてスライスとかさ。そういう奴だろ」

「大丈夫ですよっ!! きっと美味しいですから!!」


 ずい、とリーシュが……ジンジャーチョコクレープなる代物を、俺の口元に近付けてくる……!!


「いや、皮も剥かずに丸一個はおかしいってさすがに!! 何かの間違いだって!! 第一これ、本当に人気メニューなのか!?」

「え? 裏メニューですよ?」

「ゲテモノって事じゃねえか!!」


 生姜とニンニク程、そのまま一個で食べてしまってはいけない食べ物もないぞ……!? いや、まだニンニクの方が可能性がある。生姜は……生姜は、ない……!!

 辛すぎて暫く何も食べられなくなる状況が容易に想像できる!!


「はい、あーん」

「やめろっ……!! やめるんだリーシュッ……!!」

「あ――――――――ん」


 神よ!!



「随分楽しそうじゃないか」



 リーシュは瞬間、世にも機敏な動きでクレープを自分の口元に戻した。

 ベンチの裏側からいつの間にか首が出て、俺とリーシュのやり取りを真ん中から覗いていた。……唐突な事で、思わずベンチの上で距離を離す俺とリーシュだったが。

 この、死んだ魚のような目で俺達を見ている女性は……!!


「師匠……!?」

「よう、グレン。……久しいな」


 俺は思わず、驚いてしまった。リーシュが赤くなった顔を手で仰ぎながら、俺と師匠を見る。


「グレン様、この方は……?」


 そうか、まだリーシュを始め、俺の仲間は師匠に会った事が無いんだ。

 俺はベンチの背もたれから顔だけ出して俺達を見詰める、死んだ魚のような目をした女性を指さした。


「紹介するよ。この人は、マックランド・マクレラン。セントラル・シティでも結構有名な『龍使い』の魔導士。俺の師匠なんだ」

「ああ、あなたが、噂の……!!」


 リーシュは手を合わせて、笑顔で言った。


「グレン様が会いに来なくて、独り寂しい師匠さん!!」


 リイイィィィィ――――――――シュ!!


「おい、グレン。この娘に何を吹き込んだ? 言ってみろ……!!」


 人差し指と親指で、全力で頬を掴まれる俺。強制的に唇が突き出されて、最悪のビジュアルになっている。


「ふほぅぇあふぁひほひっへはへんほ」

「何を言っているか全然分からんぞ。ちゃんと喋れ」


 あんたが頬を掴んでるからだよ!!

 ようやく俺を離した師匠。軽く咳き込む俺に対し、訝しげな視線を向けて来る。


「ったくお前は、すっかり腑抜けになってしまったな。何だ、あ? ハナタレのガキがいっちょまえに色気付いているのか?」


 一体どうしたって言うんだ。久し振りの再会だって言うのに、何だか随分機嫌が悪いぞ。

 俺は襟元を正して、咳払いをして言った。


「別に、そういうんじゃねーよ。……どうもお久し振りです、師匠」

「ふん。私は酷く傷付いたよ、お前のような弟子を持って!!」

「……何の話?」


 俺がそう問い掛けると、師匠は涙ながらに俺へと謎の紙を突き付けた。



「『煩い』って何だよオォォォォォ!!」



 えっ。


 何だ? 何これ……手紙、か? 問二……フリーコメント欄、と書いてある。……そこには確かに俺の筆跡で、『煩い』とだけ書かれてあった。

 唐突な事で、頭が真っ白になってしまった。何だこれ、全然身に覚えが……いや、ちょっと待て。確かにこんな手紙、俺はどこかで書いたような……。

 ……そうだ。確か冒険者依頼所で、師匠から俺に手紙が届いたんだ。中を開けたら、問題形式だったんだっけ。

 で、問題形式なのに問題は二つしか無かった。一つは面倒臭い質問で、もう一つはフリーコメントだったな。


『スケゾー。……これは、なんかあったんだよな。師匠』

『振られたかもしれないっスね』

『敢えて言わなかったのに、お前って奴は……』


 俺は確かその時、フリーコメント欄に何かを書こうとして。……そうだ。確か、「煩い仲間が沢山増えましたが、元気にやっています」とでも書くか。そう、思ったはずだ。


『おお、グレンじゃないか』


 うーん? そういやその後、クラン・ヴィ・エンシェントが冒険者依頼所に来たな。


『しかし、丁度良い所で会えたな。実は君に、話したい事があったんだよ』

『……話したい事?』


 その後、昨今の魔物の狂暴化についての話をして……。


『これ、送り返しといてください』

『あっ、はい。かしこまりました』



 あっ。



「ごめん、師匠。書き掛けだったわ、それ」

「ごめんじゃなあァァアァいっ!! 私はなあ、ショックを受けたぞ!! 愛する愛弟子に、最近は元気にやっているかと思ってなあ!! これでも一生懸命考えたんだ!! 手紙の内容をな!!」


 強制返答必須の、とんでもない手紙だったけどな。あと、『愛する愛弟子』ってそれ、意味重複してないか。


「帰って来た返事はどうだ!? 『煩い』!? お前まで私に煩いだと!? どういう事だあアァァァァ!!」

「いや……ごめんって。途中で人に話し掛けられて、うっかりそのまま出しちゃったんですよ。と言うか、お前までって何?」

「うををををを!!」


 がくがくと肩を揺さ振られる俺であったが。……しかし、本当にうっかりしていたな。まさか、よりにもよって『煩い』で筆を止めていたとは。クランもとんでもないタイミングで現れたもんだな、しかし。


「お前まで私を邪険にする事はないだろう……!! 何で何年経っても、手紙のひとつも寄越さないんだ……!!」

「いや、だって師匠。あんた、結婚するから魔導士やめるって言ってたじゃないっすか。浮気だと思われたら嫌だからって空気がひしひしと伝わって来たから、俺も連絡しなかったんだけど」


 そう言うと、師匠は下衆な笑みを浮かべて、吐き捨てるように……実際に、唾を道端に吐き捨てた。


「結婚!? ハッ!! エンゲージリングなんて、滅びの山の谷底に捨てて来てやったわ!!」


 えーっ…………。

 俺は暫し、呆気に取られて師匠を見てしまった。師匠は暫く、少し得意気な顔をしていたが。

 ……直後、そのままの体勢で涙を流し始めた。


「……駄目だったんだな、要するに」


 本当にもう、この人は。

 俺がまだ弟子をやっていた時から、何度か男絡みのトラブルはあったが……大体最後はいつも、ボロ雑巾のように捨てられるんだよな。まあ、やる事なす事極端だからな……正直、仕方が無いとも思える。

 女子力低過ぎるし、男勝り過ぎるんだ。あの女性特有の、いかにも守ってやりたくなる空気感みたいなモノが一切ない、この人は。


「一体私の、何がいけないと言うんだっ!?」


 師匠は何やら、天に向かって吠え始めた。俺は腕を組んで、その様子を傍観していたが。


「料理もできるし!!」

「スープだけだったけどな」

「自立もしているし!!」

「山奥でしか暮らせなかったけどな」

「見た目も若いし!!」

「見た目だけな」

「面倒見もいい!!」

「意外とズボラだけどな」


 再び、俺の頬は掴まれた。


「……暫く見ない内に、随分と口が悪くなったんじゃないのかい……? ええ!? 愛するグレンオードよ……!!」

「ほんほうのほほをいっははへはほ」


 本当の事を言っただけだろ、と言いたかったのだが。

 程なくして、師匠は俺から手を離した。まだ少し不満そうだが……ありったけの文句を口にして、少し落ち着いたように見えた。

 セントラルの新鮮な空気を吸って、吐いて、深呼吸。一瞬、まるで昇天したかのように爽やかな笑顔を見せる師匠。

 その後、ハンカチで口元を拭って、師匠は涙を流す。


「…………恋がしたい…………」


 ……うん。……まあ、俺は結構可愛いと思うよ、この人。


「まあまあ、大先生。元気出して下さい、明日は明るいっスよ」


 スケゾーが師匠の肩に移って、師匠の頭を撫でた。


「ううう……スケゾオォォォ……!!」


 スケゾーは暫く、優しい笑顔で師匠の頭を撫でていたが。


「……………………ブフッ」

「ねえ、グレン。こいつ殺していい? お前の使い魔、私殺してもいいかな?」

「止めてください。俺も死ぬんで」


 まず、スケゾーにデリカシーを求める時点で色々と間違っていると思う。基本的に人の不幸は蜜の味だと思っているコイツに、同情なんて感情がある訳が無い。

 師匠は俺に向かってスケゾーを投げると、人差し指を突き付けた。


「ふんっ!! 見ていろ、この骨が!! 私だって、今にかっこいい男と結婚してやるからな!!」

「へいへい。精々、かっこいいシルバーを見付けてください」

「歳の話をするなあアァァァァァ!!」


 不意に、師匠は俺の隣で呆然としているリーシュを見た。

 ……おお、師匠の珍しくもないアホ顔が。


「ところで、そこのオナゴはいつから居たんだ?」

「え? その会話の流れおかしいよね? 色々と間違ってるよね?」


 ちなみに、師匠は人を自分の視界から消す天才であるが。


「あっ、えっと、あの……初めましてっ。私、リーシュ・クライヌと申します」


 リーシュの言葉に、師匠はふと、にやにやとした気持ちの悪い笑みを浮かべて、舐め回すようにリーシュを見た。……その挙動は、完全におっさんのそれである。


「ほほう。……君が、グレンの嫁候補かね? どうやら見た所、君も冒険者のようだね。ヒーラーなのかな?」


 不意に。

 その瞬間まで浮ついた表情で冗談を言っていた師匠の顔が、突如として引き締まった。リーシュは気付いていないようで、師匠に笑顔を見せていたが。


「いえ、これでも一応、剣士をやっているんですよ」


 まずいな。


「…………剣士?」



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