第152話 長い怪物……!

「はぁっ……!! ぜぇっ……!!」


 トムディ・ディーンは、森の中を歩いていた。

 自分よりも身長の高いリーシュを背負い、肩で息をしていた。道中、森の中は歩きやすい道などなく、この島に上陸した時と同じような毒蜘蛛が、木の幹を彷徨いている。


 だが、トムディは森の中を歩くしか無かった。人の歩き易い道を通れば、もしかすると連中に見付かってしまうかもしれない。それを考えると、少なくとも背中のリーシュが目覚めるまでは、この森で逃げ切るしか無いのだと。

 ポケットに魔法石は無く、仲間も居ない。孤独の身になった今のトムディには、逃げる以外に手段が無かったのだ。


「く、くそう……なんで僕がこんな目に……」


 トムディは自分の運命を呪ったが。

 ふと、どこからか桃色の花びらが一枚、トムディの目の前を横切った。不思議に思ったトムディは、その桃色の花びらを捕まえた。


「……? なんだ、これ……」


 緑の葉ばかりを見て来たトムディにとって、それは珍しいものだった。どこかに、桃色の花が咲く木が立っているのだろうか。

 桃色の花びらは、森の向こう側から流れて来る。トムディは、その場所を目指した。

 そして――……。


「……うわあ。すごいな」


 トムディは、なんとも美しい、桃色の木々を見ていた。

 このような場所が、『カブキ』にあったとは。戦いの最中、ほんの一瞬でも、気を抜く事ができる場所を発見した。少し落ち着いたトムディだったが。


「ぐすっ……ひっく……」


 トムディは、気付いた。……ふと、どこからか泣き声が聞こえて来る。明らかに、人間のものだ。

 泣き声の主を探した。桃色の木々は幾つも立っていて、花びらは柔らかな風を受けて、絶えず舞い落ちていたが。その、桃色の木に擬態した、謎の粘性の物体がひとつ。

 なんだこれ……。

 トムディは、率直な感想を持った。


「…………トムディさん?」


 ふと名前を呼ばれ、トムディはその粘性の物体から視線を移した。

 桃色の木の下に、見知った顔があった。緑色の髪の毛、仄かに赤くなった頬。魔物使いの格好をしていた少年は、所々服が溶け、白い素肌を惜しげもなく晒している。


「えっ、何、この状況」


 思わずトムディは、率直な感想を語った。


「トムディさん……うあ――!!」


 訳も分からず、トムディはチェリアに抱きつかれた。チェリアは何故か号泣で、トムディの胸に顔を埋めていた。

 呆然として、トムディはその場の状況を見守ったが。


「トムディさぶわ……ちぇむちぇむ……」

「待って、落ち着いてチェリア。わけがわからないよ」


 何故か、チェリアは酔っ払っているようだった。……酒臭い訳ではない。しかし、明らかに様子がおかしい。

 一体、どうしたのだろう。トムディはチェリアの肩を揺さぶって、起こそうとしたが。

 対するチェリアは、ただ泣くばかりだ。


「とぶでぃさぁん!! ぼくは……ぼくは、男なんですっ……!!」

「知ってる、知ってるよチェリア。大丈夫だから。ほんと、落ち着いて? ねっ?」

「ぐすっ……ううっ……ちぇむちぇむ……」


 ちぇむちぇむってなんだよ。

 チェリアは潤んだ瞳で、トムディを見詰めているが。トムディは呆然として、そのようにどうでもいい事しか頭に浮かばなかった。

 しかし、どうにか泣き止んだようだ。チェリアはトムディの目を見て少し落ち着いたようで、ぐすぐすと鼻をすすりながらも、どうにか堪えているようだった。


「んう……親子丼……」


 背中でリーシュが、寝言を呟いた。

 眠ってしまった仲間に、酔っ払ってしまった仲間。……通常、戦闘では考えられない光景である。

 ……不意に、トムディは不思議な香りが辺りに充満している事に気付いた。見れば、チェリアの連れていた魔物達も踊ったり眠ったり、桃色に変化して壁にへばり付いたりしている。……何かと戦った後とも思えない。と、いうことは。


「チェリア、行こう。……多分、この木が何かおかしいんだよ」


 自然と、トムディはそのような結論に至った。

 とにかく一刻も早くこの場から離れなければ、トムディとリーシュがどうなるか分からない。チェリアはトムディの言葉に頷いて、トムディの袖を握った。


「おーい、……えっと、なんだっけ? 君達も行くから、起きて起きて」


 トムディは魔物にも声を掛けた。身動きが取れない様子で仕方なく、トムディは魔物を掴んでチェリアのリュックに詰める。そうして、チェリアにリュックを背負わせた。

 とんでもないトラップがあったものだ。もしトムディが気付かなければ、チェリアはずっとこうしていたのだろうか。

 トムディは、苦い顔をしてしまったが。


「よし、早く行こう」


 とにかく、チェリアが泣き止んでくれて良かった。大声を出せば、何者かに発見されるかもしれない。

 トムディは、ほっと胸を撫で下ろした。


「確認……」

「えっ?」


 振り返ると、チェリアは。


「……かくにんしてくださいよぉ――――!!」


 唐突に、チェリアが服を脱ぎ出した。トムディは咄嗟の出来事に対応できず、呆然と様子を眺めていたが。


「ちょ、ちょっとチェリア……大声出さないで、ねっ?」

「ぼくが男だってこと、かくにんしてくださいよぉ――――!!」

「チェ、チェリアッ……!!」


 もう、手に負えない。


「んふふ……おそばもあるんですか……? 贅沢ですね……」


 これは、何だろうか。自分は子守か何かをする担当だったのだろうか。あまりにあまりな状況に、トムディは白目を剥いた。

 トムディの背中から、リーシュがずるりと滑り落ちた。


「うあぁ――――!! かくにん――――!!」

「七味唐辛子……」


 トムディの握り拳に、力が入った。



 *



「大っっっ変、失礼いたしました……!!」

「……まあ、良いけどね。仕方ないけどさあ」


 チェリアは土下座をして、トムディに謝っていた。

 トムディはチェリアのリュックから水筒を取り出して、水をチェリアの頭にぶっかけたのだった。お陰でチェリアは全身ずぶ濡れ、おまけに所々服が破けており、中々に無残な状況になっていたが。

 頭の上にタンコブを作ったリーシュが、更にその上に疑問符を浮かべ、首を傾げていた。


「……あの、どうして私はぶたれたのでしょうか」

「ついでに起こすためだよ」

「えっ!? 私、寝ていたんですか!?」

「そこから!?」


 リーシュの発言に、トムディは衝撃を隠す事が出来なかったが。

 トムディは腕を組んで、木に凭れ掛かった。


「……やっぱり、あの木が問題だったんだ?」

「はい。……あれは『ユメミザクラ』といって、近くに居る者を酔わせてしまうらしいんです。離れようと思ったんですが、いち早く酔っ払ったヘッド君に捕まってしまって……もう、ヘッド君!! 君も謝ってよ!!」


 ヘドロスライムはチェリアの指摘を受けて、多少顔を赤らめて照れている様子だった。

 顔とは、どこだろうか。

 一応、仲は良いらしい。トムディはその様子を見て、そんな感想を持ったが。

 リーシュが確信を持ったような顔をして、頷いた。


「なるほど。それで私も、眠ってしまったと……」


 それは違う。トムディは既に、ツッコむ気力も失せていた。


「とにかく、ここを離れようよ。騒いじゃったから、連中の誰かが気付いているかもしれない……!!」


 そう言って、トムディは喉を鳴らした。

 トムディから見て、連中は異様だ。あのリーガルオン・シバスネイヴァーという男からはとてつもない圧力を感じたし、ベルス・ロックオンという弓士の男も、とんでもない腕だ。チュチュ・デュワーズの能力も太刀打ち不能なものだった。

 こうなると、あのロング・ジョンという男も、一体何を隠し玉に持っているのか分かったものではない。何やら脅威であろう事は容易に想像できる。

 リーシュが少し不安そうな表情を見せた。


「グレン様は、大丈夫でしょうか……」


 自分の心配より、いち早くグレンの身を案じているリーシュだったが。


「分からないからこそ、金色の建物に向かうしかないよ。大丈夫、グレンもキャメロンも、どうにかやってるでしょ」


 少なくとも、ここにいる三人よりは安全だと思われる。実力的に。

 トムディ、リーシュ、チェリアと三人集まった所で、あの二人が個人で戦った方が強いのだ。それは仕方がない。

 だが、自分達にも何か、出来ることがあれば良いのだが。


「こんな時、魔法石があればなあ……」


 トムディは、ぼんやりとそう呟いた。


「トムディさん、私に何か……できること、ありますか?」


 リーシュがトムディの手を握って、そう言った。

 いつになく、真剣である。……いや、リーシュはいつも真剣で、ただいつも、その方向性がずれているだけなのだが。

 少し慌てて、トムディは言った。


「な、なんで僕に聞くの?」

「トムディさんは作戦を立てるのが、いつも上手だと思うんです。ほら、ドラゴンさんを探すミッションの時も、タコさんと戦う方法を見付けていましたし。スカイガーデンでも凄かったって、皆さん言っていました」


 意外にも、リーシュはそんな事を言った。チェリアが全力で頷いていた。


「そ、そうですよ……!! トムディさん、ヒューマン・カジノ・コロシアムでも、ちゃんと戦っていたじゃないですか……!!」


 トムディは少し、感動してしまった。

 まさか、皆がトムディに対して、そんな感想を抱いていたとは。トムディは精一杯にやっているだけだったが、意外にも色々な所で認められていた、のかもしれない。

 トムディは少し照れてしまったが、胸を張って言った。


「そうだね……!! 大丈夫、僕に任せ――――」


 その時だった。


 トムディの後ろにあった森が、一瞬にしてその姿をなくしてしまった。何かが高速で通過し、木々は薙ぎ倒されて吹っ飛んだ。

 ほんの一瞬の出来事で、誰も反応できなかった。トムディは笑った状態のまま硬直し、その一瞬の爆音に驚いたのは、少しの時間が経ってからだった。


 トムディは、後ろを振り返った。


「……あれ、おかしいな。確かこっちで声が聞こえた筈なんだけどな」


 トムディ所か、リーシュの身長の二倍程はあろうかという男が、木々が吹き飛んで道になってしまった場所を歩いていた。木の陰になって、三人のすぐ向こう側を大男が歩いている。

 いや。その顔は悪魔染みていて、とても人間のそれとは思えない。例えるなら、『化物』と呼ぶのが最も都合が良いだろうか。


「仕方ねーな。……ま、全部ぶっ飛ばしてみれば分かるだろ」


 それから、トムディの行動は早かった。

 リーシュとチェリアの手を引いて、何も言わず、物音も立てずにその場から逃げ出した。



 *



 トムディ、リーシュ、チェリアの三人は、『カブキ』から見える中で最も背の高い山の山頂に辿り着いていた。


「ぜえ……ぜえ……も、もう限界だあ……!!」


 既に体力は限界に近付いていた。走って山を登ったものだから、酸素は足りないし、異様に喉が渇く。トムディはいつしか奪っていたチェリアの水筒の水を飲み、山頂の岩で一息付いた。

 チェリアもまた、肩で息をしていた。岩に手をつくと、呼吸を整える。


「ト、トムディさん……。何も、逃げるのに山を登らなくても……。あとそれ、僕のです……」


 リーシュは一人、平然としていたが。


「もうっ……トムディさんもチェリアさんも、もっと体力を付けないとですね」


 トムディは、どこか遠い目でリーシュの事を見た。


「……君は、こっち側だと思っていたけど……今日から、考えを改める事にするよ」

「こっち側、ですか?」


 頭に疑問符を浮かべて困っているリーシュを横目に、トムディは山頂から『カブキ』の風景を確認していた。

 何も考えず、山を登っていた訳ではない。トムディは、考えていたのだ。これまでの、連中の行動。そして、自分達の行動を振り返りながら。

 そうして、トムディは確信を得た。


「……やっぱり」

「やっぱり?」


 チェリアがトムディに聞き返して、景色を共有する。……しかし、チェリアには理解できていない様子だったが。


「何か、おかしいと思っていたんだ。……そして今、謎が解けたよ」

「ど、どういう事ですか、トムディさん……!!」


 リーシュも山頂から、下の景色を見た。


「もしかして、『もっこり村』ですか……!!」


 チェリアとトムディはリーシュを見て、そして――……。

 リーシュから、視線を逸らした。

 リーシュは慌てて、二人に手を振った。


「ご、ごめんなさい……!! さすがに、今の発言は取り消します……!!」


 トムディは溜息をついて、リーシュを睨んだ。


「あのね。今、ギャグ展開じゃないの。そういう状況じゃないの。分かるでしょ? 幾らリーシュと言えど、場と雰囲気に合った台詞を選ばなきゃいけないの。わかる?」

「はいっ!! 以後、気を付けます……!!」

「この僕が、真剣に推理しているんだよ? リーシュ。これから君にも役割があるの。これは、極めてシリアスな話なの。下ネタとか出て来る余地無いの。軽い気持ちでふざけないでくれる?」

「はいっ!! はい、申し訳ありませんでした……!!」


 トムディは腕を組んで、怪訝な顔をしてリーシュを見ていたが。


「あ、あの。……それで、謎が解けた、とは……?」


 おずおずとチェリアが手を挙げて、トムディに聞いた。

 リーシュもようやく、聞く気になったらしい。トムディはふと笑って、下顎に指を這わせた。

 トムディの、口が開く――……



「――――――――『もっこり村』さ」



 次の瞬間トムディは、リーシュに殴られていた。


「トムディさんっ!! 幾らトムディさんでも、言っていい事と悪い事がありますよ!!」

「ごめんっ!! ごめんなさいっ!! でも、違うんだ!! 偶然にもリーシュの言ってる事が合ってたから、つい……!!」


 トムディは剣の柄で殴り掛かるリーシュを手で制して、言った。


「僕達は、嵌められたんだ……!!」


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