第十章 心優しい(魔法少女の)大物武闘家(男)

第138話 これだから無表情は困る

 やはり『赤い甘味』のランチは、トマトソースのパスタに限る。


「スケゾー、本当に食べないのか? リンゴだけだと腹減るぞ」


 店内からテラスまで、辺り一面に広がる丸テーブルと小洒落た椅子。大通りは馬車が二台擦れ違う事が出来る程度には道幅があるのだが、今日もセントラル・シティはその道幅を埋め尽くす程、沢山の人で賑わっていた。

 俺は、スケゾーと『赤い甘味』に来ていた。新商品のアップルティーが、これまたトマトソースのパスタによく合う。


「トマト嫌いなんスよ。ていうか、よくそんなモン食えるっスね」

「お前な。トマト農家の人に謝れ。師匠がよく作ってたじゃないかよ、トマト料理」


 俺がそう言うと、スケゾーは苦い顔をしてそっぽを向いた。


「だから嫌いなんスよ」


 ああ、なるほど。……まあ師匠は、俺が料理した方がまだ美味いくらいの味音痴だったからな。

 リーシュの料理を見ていると、やっぱり味見をしないから料理がまずくなるのだな、とよく分かる。リーシュは調味料ひとつ入れるのにもかなり気を使っているし、分量や組み合わせにもうるさい。

 師匠はやはり、ズボラなので――……そういう所は苦手なのだ。苦手なものは仕方がない。


「トマト食うくらいなら、まだトマトの魔物を喰った方がマシっスね」

「居るのかよ、そんな魔物……」


 しかし。マリンブリッジ・ホテルにも無事に泊まれたという事で、俺達も再び、普段通りの生活に帰って来た。リーシュを捕らえた組織を探して討たなければならない、という目標はあるが、やっぱり日々の食い扶持は重要だ。腹が減ってはなんとやら、ってな。

 手頃なミッションを二つ三つ、一人でこなしてからのランチ。やはり、仕事をした後は飯がうまい。……と言っても、やった事と言えば迷子の子供探しに屋根の修理、露天商の手伝いと、もはやただのお手伝いさんじゃないのかと思えるような仕事ばかりだったが。

 それでも、三つこなして合計二セル。毎日こんな仕事があれば、俺も楽なんだけどな。


「ふうっ」

「おわあっ……!?」


 唐突に、片耳の裏側辺りに生暖かい空気が吹き付けられた。

 思わず声を出して、振り返る。同時に、数名の客が俺の方を見た。

 そこには……無表情の、ミュー・ムーイッシュの姿があった。


「人の顔を見て……『おわあ』とは、失礼ね……」

「いや見る前に言っただろ!? 飯食ってる時にビビるような事すんなよ!!」


 俺がそう言うと、ミューは溜息を付いて、俺の対面に腰を下ろした。俺を、ジト目で睨んで……いや、違う。こいつの場合、いつもこんな目をしているだけだ。

 おもむろに、ミューは口を開く。


「ビビらせたのよ」

「なんでちょっと俺が悪い的な雰囲気醸し出してんだよ!!」

「ところで……美味しそうなパスタね」

「喰うな!!」


 真顔で繰り広げられる、謎の電波発言の数々。……これだから、無表情は困る。相変わらず、何を考えているのかちっとも分からないが。

 俺は周囲に苦笑して頭を下げ、ミューに向き直った。……俺、ここで大声を出してばかりだな。そのうち出禁になったりしないだろうか。したら泣く。

 やれやれ。いつか来るとは思っていたが、遂に来たのか。


「久し振りだな、ミュー。来たのか」

「ええ……来たわ」

「この前言ってた、『捜し物』の件だよな?」


 俺は、ミューに『呪い』の事を教えて貰う代わりに、ミューの『捜し物』とやらを手伝う事になっていた。それは分かっていたが、いつミューが来るのかも分からなかったので、放置していた。

 そもそも、俺の居場所は教えていたが、ミューの居場所は知らないままだった。俺の方からミューに声を掛ける事は出来なかったという訳だ。

 そう問い掛けたのだが、ミューは首を横に振った。


「いいえ、違うわ」

「そうなのか? てっきり、それかと思ったが」


 ミューは、真面目な顔で俺を見ると、言った。


「今日はただ……からかいに来たのよ」

「暇だな、お前……」


 しかし本当にこいつ、可愛くないな。なんでこんな性格に育ってしまったのかしら。……俺は母親か。

 必要以上には絶対に話さないミューのスタイルだが、しかし。……わざわざ会いに来たって事は、俺もそれなりに気に入られているんだろうか。そうだとしたら、少し嬉しいが。

 まあ、曲がりなりにも一緒にマリンブリッジのイベントへ参加したりしたしな。多少の絆のようなものは、あると期待しても良いんじゃないだろうか。


「でも、耳に息を吹き掛けたのだから……そこは『おわあ』じゃなくて……『ああん』と言って欲しかったわ……」

「お前は俺を何キャラにしたい訳なの?」


 多分。多分ね。よく分からないけど。確率としては、五割位かな。

 ミューは頬杖を突いて、横目に『赤い甘味』の客を見ていた。綺麗な内装を見ながら、何かを考えているようにも見えた。


「今日は、愉快な仲間たちは……居ないのね……」

「ん? ……ああ。いつも一緒に居る訳じゃないよ。まあ、それぞれの気分次第というか」

「そう……」


 それぞれミッションをこなしていたりするので、俺達だって必ず団体行動をしている訳じゃない。ミッションには大抵の場合、人数制限がある。好きな人間を連れて行けば良い、という訳だ。ラグナスやキャメロン、チェリアなんかは、経済的にも独立しているしな。

 まあ、ギルドになって城を構える事になれば、全然事情は違うんだろうけどな。城の仕事も生まれるし、冒険者依頼所に行かなくたってミッションが舞い込んで来る事もある。

 言わば、城は看板。看板の無い俺達は、どこまで行っても無名のパーティーに過ぎない。


「ねえ……」

「なんだ?」

「……何でもないわ」


 俺は思わず、眉をひそめてしまった。

 どことなく、ミューが面白く無さそうな顔をしているように見えたからだ。……見えたというのは、いつも通りの無表情なので、中々感情が読み取れないから、という理由だったが。


「その使い魔……昼でも、外に出しているのね」


 不意に、ミューはそんな事を呟いた。


「ああ、まあ、スケゾーは大事な相棒だからな」


 特に俺とミューの会話に口出しする事もなく、黙々とリンゴを食べているスケゾー。こいつは、基本的に俺が誰かと話している時には、あまり口を挟まない。そういう意味では、優秀な悪魔だが。

 ミューは、そんなスケゾーの頬をつねった。


「……何スか?」

「いいえ。少し、触らせてくれないかしら」

「オイラはおもちゃじゃねえんですが」

「良いじゃない……柔らかい……」


 スケゾーはそう言うが、ミューの行動に抵抗する様子がない。……キララの時もそうだったが。何だかんだ、口は悪いのにスケゾーは人に優しい。

 一頻り遊ぶと、ミューはスケゾーから手を離した。


「でも……周囲からは……ひんしゅくを買っているようだけれど……」


 周囲? ……って、セントラル・シティの人間の事か。

 俺は苦笑して、ミューに答えた。


「ああ、もう仕方ないかと思ってさ。スケゾーは事実、危険じゃないし。誰が何を思っても良いだろ」

「ここに来る時、『零の魔導士』と名前を出したら……嫌そうな顔を、されたけれど……」

「ま、悪評だからな」


 クランが気にしてくれるようになったからと言って、状況は何も変わっていない。俺は相変わらず、周囲からは『零の魔導士』のままだし、評価も良くないものだ。

 ここで俺の噂を聞いたことが無いのなら、ミューにはそれが異質に見えてしまっても仕方がない。

 少し気不味そうな顔をするミューに、俺は腕を組んで、笑みを浮かべた。


「言いたい奴には言わせておけば良いさ。俺は俺で、俺以外の何かにはなれないからな」


 そう言うと、ミューは本当に僅かに、目を見開いて。それでも、納得はしていない様子だったが。

 俺から目を逸らすと、元の無表情に戻った。


「……自由なのね」

「自由?」

「私は……そんな風には……考えられないから……」


 どこか、切羽詰まっているような声色で。ミューは、そう言った。


「駄目な所があると……風当たり、冷たい事ばかりじゃない……?」


 もしかして、ギルド・ストロベリーガールズの一件だろうか。まだ、何か問題が残っているのか。……ある程度、ちゃんと話を運んだつもりだったけど。まだ言われているとしたら、連中も大したもんだな。ノアとか言ったっけか。

 俺は苦笑して、ミューに言った。


「まあほら、命まで取られる訳じゃないだろ。そんなに重く考えなくても、良いんじゃないか」


 ――――瞬間。


 思わず、俺は口を噤んだ。


 ミューが、冷たい氷のような眼差しで、俺を見てきたからだ。マリンブリッジでも、何度か見ていた。無表情の内側に隠された、或いはそれが素顔なのかとも思えるような表情だった。

 何か、悪い事を言っただろうか。そんなに変な事は、言っていないつもりだったが。


「……軽く、考え過ぎよ」


 それはどうにも、刺さる口調だった。


「自分が生きる事で……精一杯になってしまう、人生があるの……。駄目な所があると……それだけで、死んでしまう世界もあるのよ……」


 きっと、ミューにも何か、考えている事はあった筈で。

 その内側で何が起こっているのか分からず、ただ、その事実だけを理解した俺は。ミューにどんな言葉を言ったら良いのか、迷っていたが。


「生きることは、冷たい……何もしていなくても、凍えて、死んでしまいそうなのに……」


 どこか、悲しい顔をしていた。一瞬の怒りの後に見せた、どこか虚ろで、消えてしまいそうな瞳の奥に。俺は、これまでに見て来た人間達と似たものが、ミューにもある事に気付いた。

 できれば、ミューの事を知りたいと思った。こいつが何を考え、今までどうやって生きて来たのか。

 それが分かれば、今よりもう少しだけ、仲良くなれるような気がして。


「あのさ、ミュー」


 何を言えば、良いだろうか。

 ミューは俺のことを、じっと見詰める。俺の考えを聞こうとしているように思えた。ミューの意見は、よく分かった。多分ミューには俺と同じように、生きることに必死になっていた時があった。または、今でもそうなんだろうか。

 多分それは、辛い経験だったのだろうと思う。


「俺は。俺とか、お前みたいな人間が、今より生きやすい場所を作れれば良いって思ってる。その為になら、死んでも良いって思っているのかもしれないな」


 スケゾーが、いい例だ。

 生きにくい環境下、というものがある。特に俺達は都合上、そうなってしまいがちだ。人に利用されて、辛い思いをしてしまう事も、少なくないだろう。

 俺はきっと、そんな世界に抗ってみたいんだろう。『虐げられる者』として。同じような運命、境遇を共にした、仲間と一緒に。

 ミューは俺から目を逸らして、呟くように言った。


「……愚かだと、思うわ。死んでしまったら、何の意味も無いもの」


 確かに、そんな意見もある。俺は、苦笑した。

 マリンブリッジでミューにも見せた、俺のロケット。そこには相変わらず、母さんの写真がある。

 俺はそれを今一度、ミューに見せた。


「俺の母さん、俺と同じで、ずっと一人でさ。……いや、多分俺なんかよりも、ずっと酷い目に遭ってきたと思う。確かにミューの言う通り、俺が何をした所で、死んじまったら意味なんて無いのかもしれない。……でも、そんな母さんを見て来たから、思うんだ」


 ミューは透き通るような瞳で、俺を見た。



「死んだように生きるってのも、多分……死ぬのと同じ位、辛いんじゃないかな」



 俺は、考えられる限りの事を、ミューに伝えた。

 ミューは、大きく目を見開いた。きっとそれは、ミューにとっては考えていなかった言葉だったんじゃないだろうか。俺の心の奥底にあったものが、ミューの心の中にあったものと、共鳴したのかもしれない。

 例え、生まれた境遇、生きて来た歴史が違ったとしても。


「……えっ? ミュー……!?」


 ミュー・ムーイッシュは、気が付くと、涙を零していた。瞬間、俺は我に返った。


「お、おい……!! 大丈夫か……!? ごめんな、勝手なこと言って……」

「……? 何が……?」


 しまった。ミューの事情も知らず、何だか分かったような事を言ってしまった。唐突に現れたミューの変化に、俺は全く付いて行く事が出来なかったが。

 ミューは自身の頬を拭って、ようやく、自分が涙を流していた事に気付いたらしい。まるで予想外といった様子で、ミューは呟いた。


「目から砂糖水が出たかしら……」

「塩じゃね……?」


 相変わらずこいつは、真面目な顔してすっとぼけていたが。

 ミューは、服の袖で目をごしごしと擦っていた。


「おおグレン、ここにいたか。冒険者依頼所に居るかと思って、探してしまったぞ」


 振り返ると、キャメロンがこちらに向かって来ていた。……なんてタイミングだ。まるで俺が女の子を泣かせたみたいじゃないか。


「お、おー、キャメロン。どうしたよ、急に」

「見てくれ。実は前から特注で作らせていた、新しいコスチュームが完成したんだ」


 相変わらずピンクでフリルの付いた服をキャメロンは見せる。……正直、俺には何が変わったのかさっぱり理解できない。


「お、そっちは新顔か?」


 キャメロンはそう言って、俺の影になっていたミューを発見した。

 ……ん?

 瞬間、キャメロンの顔色が変わった。


「……ミュー? ……まさか、ミュー・ムーイッシュか……?」


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