第117話 全ッ然、エレガントじゃない!
城のある方角は駄目だ。どうにか小道を通って、ヴィティアは円を描くように、元の場所へと帰って来る。
走りながらヴィティアは、この状況をどうやって逆転したら良いのか、それだけを考えていた。追い掛けてくるベリーは分離した蜘蛛の魔物に乗って、優雅にも息一つ切らさずに、ヴィティアを追い掛けている。
逃げ回れば、その分だけ体力を使う。
「所詮、攻撃魔法の使えない貴女に、手段なんて無いのではなくて?」
そのままでは、ベリーの言う通りだ。
だが、ヴィティアは振り返って、ベリーに笑ってみせた。どうして、この状況で余裕を見せられるのかと思っただろうか――……。ベリーは不思議に思ったようで、ふと表情を変えた。
何も考えず、逃げ回っていた訳ではない。ヴィティアは、勝利の為の手段を探していたのだ。
立ち止まり、ヴィティアは振り返った。
「さあ、どうかしら。実は私、覚えているのよ」
ベリーベリー・ブラッドベリーは、その全身をぴったりと覆うドレスに包まれている。ポケットは無く、黒い手袋に何かが仕込まれている様子もない。
「あんたが、『ゴールデンクリスタル』を使っているって事だけはね…………!!」
ベリーの視線が、ふと鋭くなった。
だとすれば、仕込まれている場所は絞られる。真っ先に思い付くのは、『胸元』か『髪の中』だ。
ヴィティアの右手が、眩く光る。ベリーは、まだヴィティアが何をしようとしているのか、理解していない様子だった。だが、その光に少し身構える。
「何をするつもり…………!?」
「さあ。あんたが大事に仕舞っているそれを、壊すための魔法かもね…………!!」
攻撃魔法か何かだと、思っているのだろう。それならば、ベリーは既にヴィティアの術中に嵌っている。
ヴィティアは、高らかに叫んだ。
「【エレガント・スティール】ッ!!」
頭を抱えて、ベリーが蜘蛛の陰に隠れた。
なら、髪の中だろうか?
現れたのは、眩い発光。ベリーだけではなく、ヴィティアもまた、目を閉じる。
「ス…………スティール!? 無駄な光…………!!」
少しだけ、ヴィティアの心に傷が付いた。
だが、好都合だ。元々盗賊は、隠密行動と奇襲を生業とするもの。相手の不意を突く一手や、様々な撹乱手段を用いて、予測不能な攻撃を相手に仕掛けることを目的とする。
ゴールデンクリスタルさえ奪ってしまえば、形勢は逆転する。これで、ベリーは戦闘不能にしたようなものだ。
ヴィティアは、伸ばした右手に掴んだものを、確かめた。
「な……何が、起こったの……!?」
「えっ…………」
思わず、ヴィティアは声を漏らした。ベリーの視覚が戻って来ると、目の前に居るヴィティアに、驚愕の眼差しを向けた。
「えっ…………」
恐る恐る、ヴィティアは自分の身体を見詰めた。
伸ばした右腕には、何も掴まれていない。
……………………代わりに、ヴィティアは一糸纏わぬ姿で、痴態を晒していた。
ヴィティア、ベリー。二人して、その場で絶句していた。途端に静寂が訪れ、ベリーはヴィティアを見詰め、ヴィティアはどうしようもなく、ベリーを見詰める。
ヴィティアが涙目になっていたのは、言うまでもない事だ。
「…………露出狂?」
ベリーがそう言うや否や、ヴィティアは咄嗟に物陰に隠れた。唐突の事で驚いたベリーは、今更ヴィティアの放った魔法について、分析を始めた。
「ま…………まさか、服を脱がせる魔法…………!? 失敗!? ええっ!? 何もしてないのに!?」
人知れず、物陰に隠れたヴィティアの胸に、言葉の槍が突き刺さる。
「はっ…………!? しまった、見失ったわ…………!!」
民家の壁に凭れ掛かり、ヴィティアは一人、膝を抱えて小さくなっていた。
「なっ…………なんで…………? 私は、運が良い筈なのに…………」
一人、ヴィティアは全く自分の為にならない言葉を吐いて、頭を抱えた。
しかし、考えている余裕はない。直ぐに、ベリーは近場を魔物に探させるだろう。そうだとするならば、ここに居るのはまずい。ベリーと近い距離に居る以上、数で言えばこちらが圧倒的に不利なのだから。
加えて、今は正真正銘の丸腰、いや丸裸である。武器はなく、場合によっては人目に付くだけでまずい状況だ。
まさか人様の町で、しかも戦闘中に、こんな事になるなんて。ヴィティアは仕方なく、その場に立ち上がった。
音を立てずに移動し、小道から小道へと移動する。身体を横にしなければ通れない隙間に身を滑らせ、脇道を通った。…………未だ、広場の方では魔物と住民が戦っているのだろう。悲鳴や雄叫びなど、様々な声が聞こえて来る。
「隠密行動って、こういう事じゃないでしょ…………」
頭が痛くなるヴィティアだったが。
しかしこれは、チャンスでもあるのだ。ベリーは今の珍プレーで、すっかり【エレガント・スティール】の事を、『相手の服を脱がす魔法』だと錯覚しただろう。これは、ヴィティアにとって有利に働く要素でもある。
…………とは言えども、元々候補は『胸元』か『髪の中』、その二択だった。ベリーの髪は長い。加えて、今回は髪を結っていた。もしかしたら、あの中にゴールデンクリスタルがある可能性も…………否定はできない。
一回は、油断を誘って放つ事が出来ると考えていた。だが、一度見せた後でもう二回は…………流石に、対策して来るだろう。
「…………あ」
ヴィティアは、脇道の上を見上げた。民家の二階、窓が開いている。
「ラッキー…………!!」
ここぞとばかりにヴィティアはジャンプし、壁を蹴って二階の窓に手を掛けた。流石にこんな小道では、窓から侵入する者も居ないと思ったのだろうか。
素早く身体を滑り込ませ、ヴィティアは中へと入った。
部屋の中には、金眼の一族が好んで着ていた――――複雑な模様の描かれたローブがある。ヴィティアは素早く、それを手に取った。幸いにも、フードが付いている。これで、いきなり顔で発見される可能性はかなり低くなる。
窓を閉め、ローブを着る。下着は箪笥の中だろうか。だが、今は探している余裕がない。身体を隠せれば十分だ。
階段を使って、今度は一階へと降りる。台所には、まな板と包丁があった。料理中だったのだろう。ヴィティアは、包丁を手にした。
「…………落ち着け。…………私、落ち着け」
心臓の鼓動が早い。思わぬ展開だったが、じっくりと考える余裕ができた。今の自分に、ベリーベリー・ブラッドベリーを倒す手段はあるだろうか。そんな事を考える。
やはり、ゴールデンクリスタルを奪う以外に手段は無いだろう。あの、どこからでも呼び出せる魔物。ゴールデンクリスタルを奪えば、そもそもあの能力自体を封じる事が出来る筈だ。人間は本来、何百体もの魔物を同時に操る程の魔力は持ち合わせていないものだ。
玄関に行くと、靴を発見した。ヴィティアはそれを借り、完全に空の国の住人に変装した。
ヴィティアは今、自分の上司に当たる人間を、倒さなければならないという状況に陥っている。
やはり、恐怖が勝る。下っ端として上の人間に逆らわないようにと徹底してきたヴィティアは、こんな時、どうして良いのか分からない。
あの目に睨まれると、足が竦んでしまうのだ。どうしようもなく怖くて、逃げ出したくなってしまう――――それは、ベリーの外見だけが問題ではなかった。
ヴィティアはそっと、玄関扉を開いた。
外には、誰も居ない。遠くで、戦いの音が聞こえて来るばかりだ。
「…………今度は、先手を取る」
ヴィティアは胸に手を当て、深呼吸をした。
「みーつけた」
寒気がするような声に、ヴィティアは民家の屋根を見上げた。
そんな…………!! フードを被って、顔も見えない状態なのに…………!? ヴィティアはそう思ったが、見付かってしまった以上、もう戦うしかない。ヴィティアは民家で見付けた包丁を構え、ベリーと対峙した。
ベリーが、空から降って来る――――…………。
「はあっ…………!!」
ヴィティアは二度ほどバックステップで距離を離し、ベリーが着地する瞬間を狙って、包丁を突き出した――――…………!!
「変装なんて、してもムダ。私、あなたの魔力をマーキングしてるの。探すのに少し、時間が掛かっちゃったけどね…………ねえ、追い掛けっこはもう終わりにしない?」
ヴィティアは堪らず、動きを止めていた。
ベリーはただ、その場に立っているだけだ。そのベリーに、ヴィティアは包丁を振るった。しかし――――その包丁はヴィティアが視認できない程の速度で粉微塵にされたのか、気が付けば取っ手だけになっていた。
精一杯の所で、ヴィティアは腕の動きを止めた。もう、数センチでも進んでいれば――……粉微塵になっていたのは、ヴィティアの右腕だったかもしれない。
どうしようもなく青い顔をして、ヴィティアは一歩、後退った。
「遊んであげるって言ったけど、そろそろ時間が無いのよ。…………どうやら、ギルデンストの方が意外と手古摺っているみたいね」
ベリーの言葉は、ヴィティアの耳には入らない。だが――……、ベリーはヴィティアが恐怖している事に気付くと、にやり、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「――――今なら、逃げても良いわよ? 三十秒だけ、逃げる時間をあげる。それだけあれば、貴女なら逃げ果せて、地上に帰れるかも、ね?」
ベリーの言っている事は、嘘だ。ヴィティアが背中を見せたら、その瞬間に攻撃を仕掛けるに決まっている。
だが…………怖い。…………この場から、逃げ出してしまいたい。先程までと違って、ベリーは本気でヴィティアに攻撃を仕掛けるつもりだ。
今までは、『遊んでいた』。もう、時間が無いのだと。そう言っているように、聞こえる。
ほんの少しベリーから殺意を向けられるだけで、ヴィティアの闘志は萎んでいってしまった。ベリーはそんなヴィティアの様子を見て、嬉しそうに嗤った。
「震えているじゃない。…………かわいそうに」
ヴィティアは目を閉じ、どうにか、逃走したくなる衝動を押し殺そうとした。
まだ、全然相手は本気じゃない。もしもベリーが本当に殺意を向けているとするなら、とうにヴィティアは殺されていて良い筈なのだ。
つまり、相手はまだ油断している。自分との戦力差に奢り、ヴィティアの事を甘く見ているのだ。
それなら――――…………。
ヴィティアは、ベリーに背を向け、走り出した。
「はっ!! やっぱり貴女は、結局そうなるのね!!」
ベリーの腕から、魔物の腕が伸びる。それは逃げ出したヴィティアの背中へと、圧倒的な速度とリーチで伸びる。まるで飛び道具だ。
だが、ヴィティアは振り返る準備をしていた。一度ベリーに背を向けたのは、逃走か、反撃か、悟られないようにする為。
「ならないわよ、バーカ!!」
ヴィティアの右手が、眩く光る。その光に、ベリーが咄嗟に服を押さえた。だが、意味のない行動だ。
――――胸元か。――――髪か。
二つに一つ。
信じた。
ヴィティアは信じ、目を閉じる。伸ばした右手に掴まれているであろうモノの存在を、確かめる。
光が治まり、その場には静寂が訪れた。
ベリーの攻撃は届いていない。そうして――――…………。
「…………私にだって、帰りを待っている人が、いるんだから」
その感覚に、ヴィティアは堪らず、笑みを浮かべた。
「形勢、逆転みたいね…………!!」
右手に握られた、『ゴールデンクリスタル』。ヴィティアはそれをしっかりと握り締め、魔力を高めた。ヴィティアの足下に魔法陣が出現し、眩い光が発された。
「何度も何度も、頭の悪い光ばっかり…………!!」
ベリーは、本当に怒りを感じているようだった。先程までとは違う、焦りの色も見える。ヴィティアにゴールデンクリスタルが渡り、今、二人の戦力は完全に逆転した。
何故ならヴィティアは、ゴールデンクリスタルの使い方を知っている。頭では忘れていても、身体が覚えている。
ベリーもまた、両手を前に出し、魔法を使った。
先程までの、自動的に発動するそれとは違う。…………ベリーは、魔法を使っている。それは、魔法を使わなければ何もできない事を意味していた。
『呪い』は、封じられたのだ。
「だから、どうしたって言うの…………!? 所詮貴女は、魔導士の癖に魔法も使えない仔猫じゃない…………!!」
ヴィティアは、ベリーを指差し、ほくそ笑んだ。
僅かな地震が、二人を襲う。何が起きているのか分からないベリーに、防御の意思は無かった。
「魔導士? ――――――――そんなの、忘れたわ」
ベリーは、恐怖に顔を引き攣らせる事になった。
ヴィティアの周囲に信じられない程、多量の石が――――いや、岩が浮いている。それらは全て、今にもベリー目掛けて襲い掛かろうと、魔力に包まれている。
魔物を召喚させる余裕など、与えない。
「【エレガント】!! 【スロウストーン】――――――――ッ!!」
眩い光と共に、無数の岩がベリーへと襲い掛かる。
「…………全ッ然、エレガントじゃない…………!!」
小さなベリーの呟きは、虚空へと消えた。
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