第102話 その悪魔の名前は!
リーシュ・クライヌは再び、長机の部屋まで戻って来ていた。
その瞳に生気は無く、覇気も無い。まるで城の中は時間が止まっているかのようで、暖炉の火は相変わらずに燃え続け、再び、リーシュの所に茶が差し出される。
「あ、コーヒーの方が良かったかな?」
「いえ…………大丈夫です」
どうせ、冷めて捨てられるだけのものだ。
男の言葉を一通り聞いてから帰ろう。リーシュはそのように決めていた。まだこの男が何者なのか、ヴィティアを酷い目に遭わせた張本人で間違いないのか、それさえ分からない。
もしかしたら真の黒幕は別の所にいて、ヴィティアはどこか、安全な場所に避難しているのかも――――しれない。
それは楽観的な解釈であり、本当は一刻も早くこの場を出なければならない筈だ。それは、分かっている。
何しろ、魔界に居るのだ。リーシュの期待するような平和な展開になる筈がない。
だが――……。
「それじゃあ、君の幼少期の話だったね。…………それでいいかな?」
「…………はい」
リーシュは力無く、頷いた。
フードの男は決して顔を見せない。紅茶のカップを回しながら――……どうも、リーシュの方は見ていないように思えた。
「私の知る限りでは、君はスカイガーデンの人間なんだ。父親はブレイヴァル・コフール、母親はミント・コフール。スカイガーデンでも最も地位の高い人間が住まう町、『サイドスベイ』に城を構える。スカイガーデン全域を支配する、王家の人間だよ」
「あの、スカイガーデン、というのは…………」
「セントラル大陸の上空に、普通の人間には見えない島がある。そこには君のように美しい、金色の瞳を持つ人間が沢山居るんだ。普通の人間よりも魔力が高く、様々な魔法を扱う事ができる」
聞いた事のない話だった。リーシュの金色の瞳はサウス・ノーブルヴィレッジに居た時も珍しがられたし、自分以外に同じ色の瞳を見た事も無かった。
それは、自分だけの特徴なのだと思っていた。
「どうして君が、スカイガーデンでは優位な立場に居る家系から、追い出されたのか。そこが気になる所だと思う」
聞きたくない。
リーシュは、そう思った。以前から気になっていた筈の、自分のルーツ。それをようやく知る事ができる、良い機会ではないかとも思える。だが、男の話を総合して考えると、そこから先に良い話が待っているとは、どうしても思えない。
この話自体が、何かの戦略なのかもしれない。自分はもしかして、今まさに、洗脳されているのかも――……そうは思いながらも、リーシュは席を動く事ができない。
「単刀直入に言ってしまうと」
話さないでくれ。
「君は、純粋なコフールの血として産まれた訳ではなかった。君の身体には、間違いなく魔物の血が流れていた――……それも、とびきり優秀な悪魔にね。以前、母親のミント・コフールが悪魔に襲われた事があった。これがどういう事か、分かるかい?」
リーシュは、立ち上がった。
「もう、いいです」
意識していた訳ではない。だが、知らずのうちにリーシュは、涙を浮かべていた。
「スカイガーデンの人間達は、総じて『穢れ』を最も嫌う人種だ。だからこそ、地上の人間を魔物と殆ど同列に扱い、限られたごく一部の人間にしか、関係を作ることを認めなかった。そんな中、王家の人間の中から、魔物との血が混ざった子供が産まれてしまった。…………当然、内部では大騒ぎになった。君はそれを理由に、『コフール』の家系から追い出されたんだよ」
「やめてください」
「君は、地上に捨てられた。山の上だった。それをたまたま、サウス・ノーブルヴィレッジに居た一人の女性が救う。私と出会ったのも、その後だ。…………可哀想にね。今でも君を産んだ人間達は、空の島で悠々自適に暮らしているというのに」
リーシュは遂に、耐えられなくなった。
「やめて!!」
フードの男は、立ち上がった。リーシュは拳を握り、不自然な程に息を荒げていた。男が話す言葉を、これ以上聞いてはいけないと思った。
だが男はふと、両手に魔力を込めた。男の目の前に、奇妙な光の球体が現れる。…………その中には、一人の少女が映っていた。リーシュと同じ銀色の髪、金色の瞳を持ち、しかし今のリーシュには無い、明るい笑顔を持っていた。
自分ではない。それが、リーシュには分かった。とてもよく似ているが――――他人だ。
「彼女は、リベット・コフール」
リベットと呼ばれた少女が小さくなる――……視点が遠ざかっているのだろう。少女の隣に、これまた同じ銀色の髪を持つ、背の高い男の姿がある。…………親子だ。母親と思わしき女性の姿もある。
皆、暖かそうな太陽の日差しを受けて、笑っている。
「ほら、君によく似ているだろう。彼が、スカイガーデンの王だよ。君は双子だった――……片方は人間として産まれ、もう片方に魔物の血は混ざった。それが、君だ。…………だから、この魔界は君の居場所なんだよ。君は殺戮を求めなければ、生きて行けない人間なんだ」
この男は、危険だ。リーシュはそう思った。まるで誘惑するような声音で、人の知りたがっている事に手を出させる。そうして、人を支配するのだろう。
――――ヴィティア・ルーズも、そうだったのだろうか。
唇が震えて、上手く言葉が出ない。
「あっ、あなっ…………!! あなたが、何を言っているのかっ…………、私には、さっぱり、分かりません…………!!」
やっとの思いで、リーシュは男にそう言った。男の表情は相変わらずまるで見えず、唯その向こう側には、微笑が絶えないように思える――……全てを知っているかのような。全てを知っていて、嘲笑っているかのような。
この男の掌の上で、自分は転がされているだけなのではないか。
「すべてを忘れているだけだよ、リーシュ」
リーシュの根底にあった、『自意識』や、『覚悟』といったような物が、音を立てて崩れていくような気がした。
「君は、罪深い人間なんだ。いや、魔物か――……でも、大丈夫。君には私が居るじゃないか。…………どうしても拒絶すると言うなら、確認しに行ってみようか」
確認?
疑問は、言葉にはならなかった。男の笑い声が、微かに聞こえて来る――……。男はリーシュの頬を撫でると、張り詰めた表情を解きほぐすような、優しい声色で言った。
「その悪魔の名前は、『ロイヤル・アスコット』。それを彼、スカイガーデンの王に言えば。きっと、反応してくれる筈だよ」
それを確認して、どうしろと言うのだろうか?
いや――……自分はとうに、この男から逃れる術を失っているのだ。どうにか強がって、この状況を克服しようともがいていただけだ。リーシュは、そう思った。
武器もない。防具もない。仲間もいない。本当は、この男と戦って勝つ自信もない。他に仲間が居るとも限らない。
背筋から凍り付くような声で、男は言う。
「君の父親に当たる存在だからね」
男に従う他に、手段は無かった。
*
「リーシュ・クライヌ? …………彼女が?」
俺達が写真を見せると、マクダフは唖然としていた。
「そうだよ、俺達の仲間だ。つい最近まで、一緒に旅をしていた」
「いや、そんな事言ったってねえ…………グレン君、これは誤解されても仕方ないよ」
どうやら、俺達が探しているリーシュの顔は、ここでは少し有名らしい。瓜二つのそっくりさんが居るらしい、という事だ。
そしてそれは、どうやらスカイガーデンを統べる王の家系で、姫のポジションに居るらしい…………なるほど、そりゃあ俺達が幾ら聞いて探し回っても、誰も何も答えてくれない筈だ。空の国の姫が地上に降りるなんて、これまでの話を聞いている限りではかなり考え難いし。
ある時地上から変な男が現れて、姫を探していると言う。…………そりゃ、ただの怪しい人間だよ。
ラグナスが腕を組んで、マクダフに言った。
「阿呆だな、空の民とやらは。…………自国の姫と、地上の娘との区別も付かんのか」
「いや、似てるっていうか、『同じ』なんだよ。これは分からないって」
「お前は男ではないか!! それくらい分かれ!!」
「何で僕にキレるの!?」
ラグナスの言葉に、ヴィティアが慌ててラグナスとマクダフの間に入った。
「ま、まあまあ。世の中にはよく似た人が三人は居るって言うし…………私達もこの前、グレンのそっくりさんが現れた時は分からなかったわよ。そういうものじゃないの?」
ああ、あれか。あれは酷い体験だった…………。あのメサイアという男がもし生きていたら、俺の存在はかなり曖昧なものになっていただろう。
ラグナスは至って真剣に、ヴィティアを見て言った。
「俺は一卵性双生児の三つ子だろうが五つ子だろうが、女性の名前と顔を見間違えた事はありませんよ」
「あんた、伊達に女好きやってないわね…………」
何という無駄スキル…………いや、この場合有用なのか? 分からん…………。
「じゃあ、何れにしてもその姫様に会えれば、話は早そうだね?」
トムディがハイボールキャンディーを舐めながら、そう言った。俺達はトムディを見る。…………どうでも良いけど、キャメロンと『サウス・ローズウッド』に行った時に、ついでに家に寄ったらしい。それで、ハイボールキャンディーが復活しているのだ。
どうせまた、阿呆ほど買い込んだんだろう。…………背中に背負ったリュックの何%だろうか。
トムディの言葉に、ヴィティアが首を傾げた。
「どうして?」
「え、だって姫様は、リーシュとよく似た顔なんでしょ? 住民が間違える位だから、街のどこかで見たんだったら、どこかで時系列が狂ってもおかしくないでしょ」
「えっ…………あ、そういうこと?」
「姫様に会って、『最近自分を見たっていう話がありませんでしたか』って聞けば良いのさ。大切にされてる姫様なんだったら、一人で街を徘徊している事なんてまず無いんだから。城まで報告行くでしょ、普通は」
「…………なんか、あんたに言われるとイラつくわね」
「人種差別か!!」
くちゃくちゃ飴舐めてるような奴に思考力で負けてるんだから、そりゃ苛々もする、か。…………しかし、トムディはどういう訳かよく気が付く男だからな。仕方ない。
ラグナスがトムディの肩に手を乗せた。
「よし、トムディ。俺が教えた通りだ」
「…………」
全力で人の手柄を横取りしようとしていた。
「残念だけど、直接聞くのは難しいかな」
マクダフは苦笑していたが。
「現国王の姫、リベット・コフールは、スカイガーデンどころか城からも出られないんだよ。国王の命令で、そうなっていてね。…………僕達地上人では、会うことも難しいんじゃないかな」
なるほど、そうなのか。確かに、この『エリゼーサ』でさえ、俺達に情報を提供してくれたのは目の前に居るマクダフ一人だし…………その姫様とやらに会えたからといって、姫様が俺達とまともに話してくれるのかどうかもよく分からない。
なら、城のある街は『エリゼーサ』ではないみたいだし、ひとまず城の近くまで行って、改めて聞き込みをしてみる、というのも悪くはないか。
いや、待てよ。
「姫様と直接話すのは無理でも、それだけ箱入り娘なんだったら、目撃者が居れば大きな話になる筈だよな?」
その場に居る全員が、俺を見た。
「だったら、俺達が聞き込みをするでもなく、情報は入って来るかもしれない。…………とりあえずその街まで移動してさ、そこでまた聞き込みをしてみれば良いんじゃないか。何も答えてくれなかったとしても、もしかしてリーシュの尻尾が掴めるかもしれない」
ヴィティアが再び首を傾げた。
「…………それは、どうして?」
「普段外に出ない姫様が、何故か外に出ていた。しかも、一人でだ。そんな所を目撃して、その後に地上人が現れて、『姫様を見なかったか』って言う。…………ヴィティアなら、どう思う?」
どうやら、気付いたらしいな。
「あっ…………そうか。姫様を連れ出したのは私達じゃないかとか、そういう疑いを掛けられてもおかしくない、ってこと?」
「そういう事だ」
「そうしたら、絶対に反応で分かるわね!! 凄い、さすがグレン!!」
「…………なんか、僕の時と随分反応が違いませんかねえ」
ヴィティアの露骨過ぎる態度に、トムディが面白く無さそうな顔をして見ていた。…………確かに、トムディはもう少し褒められて良い。俺が褒めても仕方ないが。
マクダフは未だ、苦笑していたが。
「なんか、更に印象悪くなりそうな気はするけど…………」
「そん時はそん時じゃないか。何も動けない、今の状態よりは良いよ」
「うーん…………分かった、じゃあ城のある街、『ザ・コフール』までは案内するよ。そこから先は、僕はリタイアってことで。…………ここで研究している以上、あんまりヒンシュク買いたくないんだ」
「ああ、良いよ良いよ、そんなのは。色々とありがとう、マクダフさん」
ようやく、何らかの情報が掴めるようになるのかもしれない。
後、もう一歩だ。
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