第82話 リーシュの婆さん、再び
さて、召喚契約を結んだ俺が、どうやってサウス・ノーブルヴィレッジに行くのかと、そういう話だが。
実際の所、召喚契約を通して現れる実体のない姿というのは、言わば触れる幽霊みたいなモンだ。俺はセントラル・シティの宿で安全な場所を確保してから、魔法を使う。すると意識がノーブルヴィレッジに飛ばされ、そこに魔力で作られた仮の身体が現れる。
その身体は魔力がベースになっているから、飯も食わなければ排泄もしない。戦闘時の実力は本体の魔力に依存するけど、本物の身体では無い分、本調子にはなれない。そんな側面を持っている。
一瞬遠ざかった意識が覚醒すると、俺は既にノーブルヴィレッジに立っていた。
「…………何だか、夢を見てるみたいだな」
少し身体はふわふわとして、軽い。ちょっと足を離せば空でも飛べそうな気分だ。まあ勿論、実際は現実と違う事は出来ないので、空は飛べないが。
しかし、こんな状態でも人からはちゃんと認識されるんだよな。初めてやったけど、こんな風になるのか。
俺は少し新鮮な気持ちで、久方振りのノーブルヴィレッジを歩いた。
「いやー、しかし寂れてんな、相変わらず」
村興しは一体どうなったんだろうな。まあ、歩いている人が居ないんだから、当然まだなんだろうけど。レインボータウンはどうかって、俺が提案したんだっけ。
…………ん? 内側から来たから気付かなかったけど、なんか入口の方に変なアーチが作られている。
少し歩いて、俺はアーチの外側を見た。
『来たれ観光客 さうす・れいんぼーたうん』
…………。
…………いや、そうじゃなくない?
こういう、こう…………如何にも田舎臭い感じじゃなくてさ。レインボータウンって言うからには、もっとこう…………新しいっぽい雰囲気のある何かを設置しないと駄目じゃない?
誰が作ったんだろう、これ。
…………まあいいや。この村の人達に関わっていると、基本的に頭がおかしくなるからな。放っておこう。
「婆さんは、リーシュの家かな…………」
言葉を発しても、誰も気付いてくれない辺りが少し寂しい。ここにはスケゾーも来られないから、基本的には俺一人だ。勿論、魔力の共有をすればスケゾーもこっちに来る事ができる。でも、今の状態ではあまりやりたくないしな。
ここが危険になっている訳でもないので、今回は見送った。
さて、リーシュの家は。おお、まだ前と同じようにあるぞ。古びた旅館。食堂が大きめなのは嬉しいけれど、相変わらず人は来ているようではないな。
「こんにちはー」
正面入口…………は、鍵が掛かっている。
参ったな。留守か。
一応、裏に回って確認してみよう…………お?
「なんだ、人が居るじゃないか」
とは言っても、子供…………だ。薄めのブロンドの髪に、サファイアのような青い瞳。一生懸命背伸びをして、洗濯物を干している。
あの婆さん、一体何人子供抱えてるんだよ。俺が行った時にはリーシュしか見なかったけどな。
まあいい、あの少女から婆さんの居場所を聞き出すとしよう。
「こんにちは、ちょっと良いかな?」
「きゃあっ!! 変態下衆野郎!!」
「声掛けただけだろ!?」
声を掛けただけなのに、驚いて酷い事を言われた。子供に話し掛けるのがトラウマになりそうだ。どんな教育してんだよ、あの婆さん。
くっ。ここで挫けては駄目だ。ただでさえおかしな連中だって事は既に分かっているんだ、ここは根気良くいかないと。
「…………俺さ、この村のガードマンやってんだよ。今はその契約を利用して、こっちに来てんの」
「変態下衆詐欺野郎?」
「いや、そうじゃなくて。じゃあ、村長も呼んで来ようか。俺だって言えば、きっと来てくれると思うんだけど」
「変態下衆オレオレ詐欺野郎?」
「そう、オレオレー…………ねえ、ちょっと話聞いてくんない?」
どうしよう。涙が。
諦めて、本当に村長の所に行くべきだろうか。これじゃあ、まるで話にならない…………。まさか、ここまで酷いとは。あのババア、次に会ったらただじゃおかねえからな。覚悟しておけよ。
「ところで、リーシュは元気かいね?」
「あー、実はその事で、ここの婆さんに話があってさ。…………『かいね』?」
うわっ…………!? 急に少女が光り出した…………!?
少女は急に、大人になっていく。背が高くなって、胸と尻が大きくなって、そして縮んで…………縮んで?
可愛らしいブロンドの少女は、美しいブロンドのお姉さんになって、そして…………
「ババアアアアアアアアアアアア――――――――ン!?」
気が付けば、俺は叫んでいた。
「登場の効果音まで口でやってくれて、ありがとうねえ」
「てめえクソババアアアアアア!! こちとら危うく幼女トラウマが出来る所だったぞコラアアアアア!!」
分かっててやったのかよ変態下衆野郎って!! この変態下衆ババアが!!
ついうっかり、目玉が飛び出る程キレてしまったが。…………いや待て、落ち着け。相手はリーシュのおばあちゃんだぞ。ここで俺が怒ってどうする。
「…………失礼。久し振りだな、婆さん。元気だったか」
「電気の調子は別に悪かないがねえ」
「ついでにアンタも感電したらどうだ!!」
忘れていた。この婆さん、少なくともリーシュの育ての親である事は間違いないんだ。そのリーシュがアレだったのだから、当然親もまたコレな訳で。
俺は思わず、溜息を付いてしまった。全く、いつの時代も天然ボケっていうのは疲れるな…………。
無視だ、無視。俺は俺の聞きたい事を聞かなければ。
「それで婆さん、俺はあんたに聞きたい事があるんだよ」
「恋の悩みかい? いやあ、若いモンは大変だねえ」
…………この人は、わざとこうしてるんじゃないか、なんて、邪な思考が頭に浮かんできた。
「もしかして、リーシュが連れ去られたのかい?」
――――――――このババア。
「そうだ。『スカイガーデン』に居るっていう情報を得て、今そこに行こうとしてる」
「懐かしいねえ、空の庭。私も昔、遊びに行った事があるよ」
「そうなのか!? いつ行ったんだ!!」
「一週間くらい前?」
「めちゃくちゃ最近じゃねえかアァァァァ!!」
何でちょっと昔話風のオーラ出してたんだよ!! まるで『若い頃』みたいな空気だったじゃないかよ!!
しかし、どうやらこの婆さん、スカイガーデンへの行き方を知ってる…………っぽいぞ。しかも、ごく最近の出来事だ。これは…………いけるかもしれない。
知らなかった。要注意人物だったんだな。そういや、リーシュの胸に掛けられた呪いをあっさり解いてたりしたしな。
あれ? そういえばあの呪いって、ヴィティアが掛けたものだったんだっけ?
…………今度、どうやったのか聞いてみよう。
「それでババ…………婆さん、そうするとリーシュは…………『金眼の一族』は本当に、スカイガーデンに住んでいるのか?」
「キンメの煮付けがどうしたって?」
俺はとても、婆さんを殴りたかった。リーシュも将来、こんな感じになるのかな…………それは止めて欲しい。
「ババア、『金眼の一族』は本当に、スカイガーデンに住んでいるのか?」
「急に大分、遠慮が無くなったね」
「ババア、俺の質問に答えてくれないか?」
婆さんは溜息を付いて、再び全身から光を発して…………目が眩む。気が付くと、幼女の姿に戻っていた。
普段、その格好なのか。そういや、背伸びして洗濯物干す意味まるで無いよな。もう少し大人の姿になれば良いのに。
「スカイガーデンに住む人間全員が、『金眼の一族』ではないよ、グレンオード。…………しかし、スカイガーデンに住む人間のうち最も高貴な人間は、『金色の瞳』を持っている。そういう人種なのさ」
…………そう、なのか。つまり、スカイガーデンの中でも最も身分の高い人間が、『金眼の一族』ということか。
「いや、おいおいちょっと待ってくれよ。何でスカイガーデンで最も身分の高い筈のリーシュが、こんなへんぴな街で育てられていたんだ?」
「それはね……………………」
俺は、喉を鳴らした。
婆さんの背後に、暗い影が見える。…………やはり何か、重い理由があるのか。どうしてこんなに歳の離れた二人が、同じ場所で暮らしているものかと思ったが…………。
俺は、婆さんの唇に神経を集中させた…………!!
「教えてあげないよっ!! ジャン!!」
一瞬の出来事だった。
「うおおおおおおおおおお――――――――!!」
俺は婆さんに、全力で殴り掛かっていた。右の拳に炎を纏い、何の遠慮も躊躇もなく、見た目幼女の悪魔に拳を叩き付ける。
もう我慢の限界だ!! 人を玩具にしやがって!! このババアぶち殺す!!
小さな腹に、鋭い拳を振り抜いた。
――――――――視界が、反転した。
婆さんに右腕を捕まれ、逆に遠心力を利用して投げられたのだと気付いた時には、俺の視界に巨大な岩が映っていた。
真っ直ぐに、その岩目掛けて俺は顔面から突っ込む。
星が見えた。
「……………………」
俺は白目を剥き、その場に崩れ落ちた。
何なんだ、このババア…………。めちゃくちゃ強いじゃないか…………。今の俺に実体がない事を差し引いたとしても、幾らなんでも強すぎる。
くそ。こんな時に、スケゾーが居れば。……いや、本気で戦ってどうする。
「リーシュはね、地上に捨てられていたんだよ。あんたが住んでいた、あの山にね。まだ、小さな赤子だった」
倒れた俺に、婆さんはそう告げた。
俺はどうにか起き上がり、服の埃を払って婆さんを見た。
「事情は、私にも分からないよ。スカイガーデンの人々に聞いても、何も答えてはくれなかった――……ただ、気不味そうな顔をされたね。それがあって、私はリーシュを育てる事に決めたんだよ。本名も分からないままにね」
婆さんは…………幼女の姿をした婆さんは少し、寂しそうに笑った。
リーシュというのは、婆さんが付けた名前だったのか。
「あの子は今、スカイガーデンに居るのかい?」
「…………恐らくは。あまり、好ましい状況じゃない。スカイガーデンの人っていうのが秘密を大切にしているのは分かるけど、正直こっちも一刻を争う状態だ。スカイガーデンに行く方法を、知っているなら教えて欲しい」
「これは、あの子にとっての試練なのかねえ…………」
幼女の婆さんは空を仰ぎ見て、何かを考えているようだった。俺はその様子を、ただじっと見詰めていたが。
誰かから頼まれた訳じゃなかった。もしも婆さんの話が本当だったとするなら――――本当なんだろうが――――リーシュは、捨て子だという事、か?
まだ、断定は出来ないな。
「スカイガーデンへ続くゲートは、二つのアイテムによって開かれる」
「二つの、アイテム――――…………」
「『昼の顔』と、『夜の顔』というアイテムさ」
「なんかくたびれた熟女の香りがするんだが…………」
何でそんな名前なんだよ。
「二つのアイテムを合わせると、スカイガーデンへのゲートが開かれる。一度ゲートが開かれると、二つのアイテムは散り散りになって、私のようにスカイガーデンの存在を知り、空の住人から認められた者の所へ行く仕組みになっている」
なるほど。空の住人の事を知っている人間の誰かが、地上でアイテムを管理する事になっているのか。それなら知らない人間は行きようがないし、仮に知っていたとしても、地上の番人に認められなければ行く事はできない。二重の防御策、って訳だ。
しかし、名前。
「連中は地上から来る人間をあまり好まないから、よく知っている人間だけが入れるように考えたんだろうねえ」
俺は、ヴィティアの言葉を思い出していた。
『空の国の人が使う言葉で、自分達、空の国に住む人間の事を『マウロ(天上の民)』、逆に私やあんたみたいな地上に住む人間を『サウロ(地獄の民)』と呼ぶの。差別しているから、滅多に地上には降りて来ない……貴重な存在なのよ、『マウロ』はね』
それだけでも、連中が酷く閉鎖的な環境を作り出していると、容易に想像できる。
「今そのアイテムがどこにあるのか、知っていたら教えてくれないか」
「教えてあげな」
「それはもういいんで」
幼女のババアは舌打ちをして、俺に背を向けた。
「北に、『ギルド・グランドスネイク』というギルドがある。今はそこの、『キララ・バルブレア』というギルドリーダーが持っているようだね。後は、ここより南に『サウス・ローズウッド』という国があって、そこの国王が持っているようだよ」
どうして分かるのかは俺にはさっぱり分からなかったが、そういうモノなのだろうか。婆さんの話では、一度誰かがスカイガーデンに行くと、二つのアイテムは散って、別の人間の所に行ってしまうようだったが。
「ローズウッドの国王、ローズウッド三世は、気の良い男さね。問題は、グランドスネイクの所だ。あの娘は、ちょいと性格がひん曲がっていてね」
女なのか。…………キララ・バルブレアとか言う奴も、こんなふざけた婆さんに性格がひん曲がっているなんて言われたんじゃ、激怒もんだろうな。
「…………分かった、ありがとう。行ってみるよ」
「キララをキラキラ頼むよっ!!」
何故だろうか。死ぬ程殴りたい。
俺はそうロリババアに告げて、自身に掛けられた魔法を解いた。すう、と身体が透けて、透明になって行く。同時に、俺の意識も少しずつ、遠くなって行った。
去り際に、婆さんが言った。
「もう二度と、リーシュを手放すんじゃないよ」
…………よく言うぜ。強引に押し付けやがって。
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