第34話 リーシュの記憶に関する弊害
場の空気は冷え切っている。叫んだルミルの言葉を聞いて、バレルは俺から顔を離した。リーシュが焦って、俺の服の裾を引っ張る。
どうやら、気にしてくれているらしい。リーシュは小声で、俺の耳元に唇を近付けた。
「キッ、キス、されませんでしたか」
「されねえよ」
気にするポイントが、かなり間違っていた。
「そうじゃねーのよ、グレンオード。お前、ソロだと結構強いって話も出てるからさ……一応、アドバイスしてやろうかなと思ってよ。別に、悪い意味じゃねえんだ。他の職業の方が得だろって、そういう話がしたいわけ」
バレルはそう言って、両手を広げた。俺はつい、怪訝な表情になってしまう……これから何を言われるのか、何となく察しが付いていたからだ。
「魔法が飛ばないって時点で、もう魔導士は止めた方が良いじゃねえか。他の職業探した方が、ずっと得じゃんよ。俺もよ、昔は聖職者目指してた時もあったよ? でもとっとと諦めて、今は召喚士やってんだよ」
召喚士。その言葉に、俺はルミルが言っていた事を思い出してしまった。
『召喚士になった友達がいて。魔法を扱う方の中には魔物を仲間として連れ歩く方も居るって、知っていたので』
先程、ルミルがそう言っていたのは。恐らく、この男の事なのだろう。苦笑していたのは、あまり良くない出来事がそこにあったからだ。つまり、こいつはルミルに嫌われるような何かをして、聖職者への道を諦め、召喚士になった。
召喚士も、魔導士と同じポジションだ。覚えていく魔法の種類に、魔物を呼び寄せるモノが多いというだけ。積極的に魔力を使う職業には変わりないが。
俺はバレルを見詰めたまま。特に、感情も起こらなかった。
「……そうか。でも、俺は魔導士で行くって決めてるからよ」
リーシュが見ている。……これ以上、不安にさせたくないという気持ちもあった。
「わっかんねえよなァ、そういうの。この世は才能よ? 才能と血。血統が強い奴がクールだって、そういう風に世の中は決まってんの。無理して才能の無い所で頑張っても無駄じゃんよ」
当然のように、バレルは言う。
「まー、後は運かな。……そういう事が分からねえ奴、吐き気がする程嫌いでさ。……つい、踏み潰したくなるんだよなァ」
一瞬だけ、魔力が俺に向いた。
瞬間、俺は、スケゾーと魔力を共有した。何時でも戦う事が出来るように――……しかし、バレルの魔力は俺の方向を向いただけで、俺に襲い掛かっては来なかった。
どこまで制御出来ているのか、分からない。……俺から手を出すべきではない、が。
喫茶店の扉が開いた。
「そう言って貴方が、どれだけの人の期待を裏切って来たと思ってるの? ……勝手に家を飛び出して、おばさんが泣いていたわよ」
扉を開いたのは、ルミルだった。バレルを力一杯に睨み付け、ルミルの方が今にも殴り掛かりそうな雰囲気だったが。……しかし、関わりたくない気持ちが勝っているようにも見えた。
「帰って。……もう、顔も見たくない」
バレルはルミルの顔を見て――……そして、苦笑した。ルミルはもう話を聞かないと分かったのだろう。
「やれやれ……まっ、今の所は仲良くやろうぜ、グレンオード。明日の敵は今日の友って言うじゃんよ」
「昨日の敵、な」
「あ、それとさ。銀髪の嬢ちゃん、そのでっかい剣、何なの? 親の形見か何か? いやー、大変だねえ」
馬鹿にされたと感じたのだろう。リーシュの目が大きく見開かれた。珍しく、その表情には怒りの色が見える。
「バレル!!」
「はいはい、出て行きますよーっと……でもよ、案外ルミルみたいな気の強い奴が、一度折れると従順なんだよなァ……好きだぜ、俺、そういうの」
ぶつぶつと喋りながら、バレルは喫茶店『赤い甘味』から出て行った。既にルミルは震える程怒っており、リーシュも自身の剣を握り締めて、怒りの瞳でバレルの背中を見詰めていた。
ぽつりと、呟いた。
「これは…………私の、武器です…………」
…………リーシュ。
バレルが出て行くと、ルミルは俺に苦笑した。……別に何を気にする事も無いが、ルミルにとっては胸が痛いだろう。
「ごめんなさい。……紅茶、淹れ直しますね」
「あー、いや、いいよ。今日はこれで出て行くからさ」
気の遣い合い。仕方無く、俺は席を立った。
*
都合良く宿を取る事ができたので、俺達はサウス・マウンテンサイドに暫くの間、滞在する事となった。ツインベッドの部屋は無かったので、マウンテンサイドに居る間はリーシュと別々の部屋になる。俺としてはゆっくりできて良いが、リーシュの事は心配でもある。
夜も更けて、辺りがすっかり寝静まった頃。……俺は、宿の部屋でまだ起きていた。窓からは月明かりが漏れ、その向こう側にはマウンテンサイドの街並みが見える。煉瓦造りの家に囲まれた、何とも静かな街だ。夜になってみると、よりその静寂は存在を主張し、ふとすると呑み込まれてしまいそうになる。
窓を開けて、桟に腰掛ける。ここは二階だ。宿から出て行くリーシュの姿は、いつもよりも小さく見えたが。
「おい」
びくんと反応して、辺りを見回しているリーシュ。やがて俺の存在を発見すると、不安そうな表情で俺を見上げた。
ビキニアーマーは、リーシュの戦闘装備だ。何の理由も無く着て、夜の街を出歩く事などない。それが分かっていた俺は、二階からリーシュを見下ろした。
「昼間寝てた奴が、まだ何かやろうって言うのかよ。……いい加減に、俺も見過ごせないぞ」
リーシュは自身の大きな剣を抱き締めて、唇を噛んだ。
好き放題訓練すれば、ある日唐突に強くなる訳でもない。日々の鍛錬は確かに重要だが、度を過ぎれば逆効果にもなる。身体を壊してダウンしている時間と、オーバートレーニングをしている間の時間では、ダウンしている時間の方が長い事が多い。
何より、精神的にも大きな負担になる。
「悪い事は言わないから、今日は寝ろ。サウス・マウンテンサイドに暫く滞在する事もできる。無理してやる程の事でもないだろ?」
俺がそう言うと、リーシュは俯いた。こいつが真面目なのは、俺もよく知っている。近頃のミッション事情を見て、そろそろ焦り出す時期では無いか、とも思っていた。
リーシュはまだ、見習いでもいい。今はとにかく、ミッションの経験や魔物と戦う経験を積んで行く方が有意義だ。
「…………もう、少しなんです。今だけ、見逃して頂けないでしょうか」
だが、リーシュはそう言った。もう少しというのは、何の話だろうか。何か、自分の中で考えている事があるのかもしれないが……。
リーシュの魔力が人よりも多いと言ったって、限度もある。……賛同はし難い。
「なあ、リーシュ。別に、そんなに急ぐ必要も無いんだぜ? 今の所、別にミッションがクリア出来ない訳でもない。リーシュが役に立っていない訳でもない」
「私は、立っていないと思います」
うっ。…………少し、泣きそうな顔をされてしまった。思わず、言い淀んでしまう俺だったが。
「私は、グレン様の役に立っていないと思います」
パーティーの女の子が、自分の為に努力してくれると言う。……そんなに必死な顔で言われると、流石に少し、意見し辛くなる。
リーシュが俺との距離を気にしているのは、何となく把握していたが。だからと言って、今すぐにどうにかなる距離でもない。歩こうが走ろうが、それは同じだと思うが。
「必ず、一段落したらお休みを取ります。……だから、よろしくお願いします」
腰から深々と、リーシュは頭を下げた。……確かに、俺だって立ち止まっている訳じゃない。成長の速度が同じなら、リーシュが俺に追い付く事は無いかもしれない。
いや、でもなあ。それで身体を壊されても、俺だって困るんだ。
リーシュは顔を上げない。…………困ったもんだ。
「…………あまり、遅くならないようにしとけよ」
どうしようもなく、俺はそう答えた。リーシュが顔を上げると、それはもう嬉しそうにして、俺に……花が咲いたような笑顔を向けていた。
「はいっ!!」
うーむ。……こうも真面目だと、仕方がない部分もあるのかもしれない。
走り去るリーシュの背中を見詰めて、俺は思わず微笑んでしまった――――…………
「タマ入ってんのかコラァ!!」
やばい忘れてた!! アレ、言わないようにさせないと……!! くそ、あのオヤジめ。とんでもない言葉を年頃の女の子に吹き込んで行きやがって……!! 今度殴り倒す……!!
*
次の日。俺は、早朝からサウス・マウンテンサイドの街を歩いていた。
昨日は『赤い甘味』と宿の間を行き来しただけで、あまりじっくりと街を見て回る事が出来なかった、というのが主な理由だ。リーシュの防具についても、そろそろビキニアーマー以外のモノを買ってやりたいと思っていた。何か良い物があれば、買って行くのだが。
そして、そんな事はリーシュの朝が遅い、最近だからこそ可能になる事だ。思えばセントラル・シティに居る内に、リーシュの防具に魔法を掛けてやれば良かったと思う。今は宿が別の部屋なので、リーシュのビキニアーマーに触ることが出来るのはもう少し後の話になるだろう。
なんだか、触ると言うと変な意味になってしまいそうだが。断じて違う。俺はリーシュの身を守る為にだな。
…………誰に言い訳しているんだ、俺は。
両手両足に魔法を掛けて、重量を増加させながら、俺は歩いた。道具の要らないウエイト・トレーニングである。
「しっかし、朝っぱらからよく動きますね、ご主人も」
「零の魔導士は筋力が命だからな。黙っていると身体が腐る」
「そっスか……あーあ」
スケゾーは欠伸を噛み殺しながら、俺の肩の上で辺りを見回していた。
しかし……武器屋も防具屋も、見当たらないな。そういうモノはセントラル・シティに任せているのだろうか。セントラル・シティまで馬車で半日。確かに、必要無いと言えば必要無いのかもしれない。
今日は、『赤い甘味』に修道士が集まる日だ。あまり時間を掛けたくない、という思いはあったが。
仕方無い。一旦宿に戻って、リーシュを起こすか。
「…………ん?」
その時、謎の違和感を覚えた。
何だ? 何かの歌声が聞こえる。
何の歌だよ。
「この大空にっ!! 僕の【ヒール】!! 嗚呼【ヒール】!! 飛んで行くよオォォ!!」
何だこの、意味が分かってしまうと、とてつもなく悲しい歌は……。
ついに壊れたか、トムディ……!!
俺は何とも言えない気持ちになってしまい、スケゾーを見た。
「……どうする?」
「オイラに聞かねえで下さいよ」
まあ、そりゃそうだ。
しかし、奴も懲りないものだ。そんな事を考えながら、俺は歩いた。
また、先の城壁だろうか。同じ場所に向かう……探してみたが、城壁に何者かがハマっている様子は見られない。奴の事だから、どうせ尻を頂点にして空中を漂っているのかもしれない……
「悲しみのない……自由な空へ……僕、飛んで行くよオォォー……くよオォォー……よオォォー……オー」
…………居た。意思を失った瞳で、自分の歌に自分でエコーを掛けていた。
何故か俺は、悲しい気持ちになってしまった。
「おや……グレン。こんな所で会うなんて奇遇だね」
「ああ、限りなく必然に近い奇遇だよな……」
昨日と同じように、トムディ・ディーンは空に漂っていた。むしろ、それを【ヒール】だと言い張らずに別のスキルだと言った方が、まだ使い道がありそうな気がする。
大人二人分を縦に並べたくらいの高さに、トムディは浮いていた。
「ちょっと天気が良かったから、思わず浮遊魔法を掛けてしまってね。もし良かったら、助けてくれないか」
「助けてやるから、その無意味な嘘をやめような」
軽くジャンプして、俺はトムディの手を掴んだ。そのまま真っ直ぐ降りて来ると、トムディの魔法を上から打ち消す。
トムディは黙って、俺の様子を見ていた。少し驚いているようにも感じられる。
「君……『零の魔導士』なんだよね?」
「そうだけど?」
「落ちこぼれじゃなかったのか…………」
とても失礼な事を呟いて、溜め息をつくトムディだった。
「……どうしても、【ヒール】を掛けるとお尻が浮くんだよ。どうしたら良いのかなあ」
「ほんと、どうしたら良いんだろうな。俺が聞きたいよ……」
トムディは切実な悩みを俺に打ち明けてくれたが、その問題を解決する術を俺は持っていなかった。座り込んでしまったトムディを見下ろし、俺は腕を組んだ。
「……もしかしてお前、聖職者の魔法、何も使えないのか?」
俺が問い掛けると、トムディは顔を上げた。
「そ、そんな事無いよ!! 失礼な奴だな!! 見てなよ!!」
立ち上がったトムディは、聖職者の杖を手にし、魔力を高めた。足下に現れる魔法陣。トムディは不敵な笑みを称え、周囲に風を巻き起こす。
俺は少し離れて腕を組んだまま、トムディの様子を見ていた。
「知っているかい……? 聖職者にとって、最も有効な支援魔法を……!!」
何やら凄そうだが。俺は無心のままで、トムディの様子を見ていた。
トムディは、叫んだ。
「――――【ヴァニッシュ・ノイズ】ッ!!」
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