第33話 グレンオードの悪寒
『赤い甘味』本店は、セントラル・シティに臨時で出店していた店よりも遥かに綺麗で、洒落た内装だった。一面メープルの木で構築された明るい雰囲気の店内には、幾つもの茶葉が瓶詰めにされ、保管されている。
メニューは沢山あったが、とりあえずは『赤い甘味』のオリジナルだ。ルミルがポットに湯を注いでいる様子を眺めながら、俺は椅子に腰掛けていた。
「一緒に、ガレットなんてどうですか?」
「おお、ありがとう。頂くよ」
店内に人は居ない。俺達が来た時に話していた中年女性のグループは、もう帰ったのだろうか。
「もう閉店なのか?」
「いえいえ、今は本当はお休みなんですけど。私はいつも来ているので、子供が遊びに来ると、どうしてもおばさま達にはお茶を出さないといけなくて」
そういう事だったのか。そういえば、いつの間にか子供も帰っているようだし……間もなく日も暮れるだろうから、時間としては丁度良いのかもしれない。
しまった、まだ宿を取っていない……野宿にならなければ良いが。まあ、マウンテンサイドに来る客が今日多いようには見えないので、宿が空いていないという事は無いだろうか。
テーブルの上で、スケゾーがルミルを見ながら言った。紅茶が待ち遠しいのだろうか。
「酒は無えんスかね」
「紅茶屋に酒なんかあると思うのか?」
と思った矢先がこれだよ。
美味いんだから紅茶で我慢しろと言いたい。この髑髏は、変な所で酒好きだからな。ルミルが顔を上げて、スケゾーに言った。
「あ、使い魔さんはお酒の方が良いですか? ラムコーラならありますけど」
「わーい!! いただきまーす!!」
あるのかよ。意外と守備範囲広いんだな、この喫茶店。ルミルは戸棚からラムコーラの瓶とジョッキを取り出し、蓋を開けた。……俺は、自分の使い魔がこんな性格で悲しいよ。
…………ん? ふと気付いて、俺はルミルを見た。ルミルは鼻歌を歌いながら、紅茶のカップとラムコーラのジョッキを盆に乗せて、俺達の所に歩いて来る。
「そういえば、紹介もしてないのに、よく使い魔だって分かったな」
トムディも当たり前のようにスケゾーを受け入れていたから、つい紹介を忘れてしまっていた。リーシュの住んでいたサウス・ノーブルヴィレッジでも、魔物に対する警戒が薄いな、とは思っていたものだが。
紅茶を飲む――……うん。やはり、別店よりも美味いな。茶葉を買って帰りたいくらいだ。
俺が問い掛けると、ルミルは苦笑した。
「召喚士になった友達がいて。魔法を扱う方の中には魔物を仲間として連れ歩く方も居るって、知っていたので」
そうか。もしかしたら、トムディも過去に知っていたのかもしれない。スケゾーを見て驚きはしたが、それきりスケゾーに攻撃する事も無かった。……いや、もしかしたら単に攻撃するだけの能力を持っていなかっただけなのかもしれないが。
「魔物と言えば、マウンテンサイドには最近魔物がよく現れるんだって、セントラルの別店から聞いたけど」
問い掛けると、ルミルは頷いた。
「あ、そうなんですよね。どうも、最近は周りの環境が変わって来ているみたいで……今、魔物が入って来られないように、マウンテンサイド全体に結界を張ろうとしているので。それが終われば、少しは安全になるのですけどね」
魔物を入れない結界。聖職者って言うと、【サンクチュアリ】という魔法が防御魔法の十八番だが。それにしたって、不思議だ。……俺は、その言葉に首を傾げてしまった。
術者がその場を離れても継続する魔法には、大概何らかのコストが掛かる。自分の代わりに、定期的に魔法陣へ魔力を込めてやる必要があるからだ。代表的なのは、聖職者が作る『聖水』だが……街全体を覆うとなると、明らかに魔力が足りない。そうでなければ、誰かが交代で魔法陣の番をしなければならない筈だ。
「結界って、ルミルが張ってるのか?」
「ですです。一応、私も冒険者登録をしているヒーラーなので」
「…………変な事、聞いても良いか? その手の魔法を使おうと思ったら、媒体が必要だろ?」
問い掛けると、ルミルは口元に人差し指を当てて、俺にウインクした。
「ごめんなさい。それは、お話できません」
不覚にも、ときめいてしまった自分を呪いたい。
…………まあ、何らかの媒体を使って、結界を発動させるつもりなのだろう。それはサウス・マウンテンサイドの事情でもあるし、俺が首を突っ込むべきではないか。
それに、今は紅茶を楽しむ時間である。普段は荒っぽい俺と言えど、この時だけはゆったりとした時間を過ごすものだ。情報の模索はこれくらいにして、後はルミルと談笑しながら紅茶についてのこだわりでも聞くとするか。
何故か、紅茶を飲んでいると紳士になったような気がするものである。
「ところでルミル。この茶葉――――」
「かーっ!! うめーっ!!」
スケゾーが何の遠慮も無く、ラムコーラのジョッキでテーブルを叩いた。
俺はスケゾーを殴った。
「ところで……お連れ様は大丈夫ですか?」
ルミルが気にしている……リーシュ? 俺はふと、隣のリーシュに視線を向けた。
机に突っ伏して、眠っている。さっきまで楽しみにしていた筈の紅茶が冷めてしまうじゃないか。
「……おい、リーシュ。……起きろ、リーシュ」
「みゅう…………」
肩を揺さぶると、瞬間、リーシュが首を跳ね上げる。
「――――はっ!? はいっ!! 六十八ページですか!?」
「一体何の話だ!!」
「……あれ、グレン様?」
こいつ……大丈夫か?
一応、気が付いた時に休ませているつもりなんだが。あんまり無理なトレーニングをしたって、身体が付いて来ないに決まっている。リーシュの事だから、また訓練をするとなったら、限界を超えていそうな気もする。
でも、体力の管理なんて、俺の方から言う事も出来ない。適度に休めと言う以上に、リーシュの行動を制限する事も出来ないものだが。
心配だなあ…………。
「あの、夢を見てました……!! ラグナスさんが『ライジングサン・アカデミー』っていう学校を作ってですね……!!」
「考えるのもおぞましいわ!! やめろ!!」
案外、大丈夫だったりするもんだろうか。俺が気にしなくても、リーシュは魔力が尽きれば何処でも眠るし、その程度の事なのかもしれない。
別に、今すぐに何かが危険になる訳でも無いのだし、リーシュにはじっくり訓練をする時間を設けてやった方が、今後の為なのだろうか。
「あれ? 紅茶がある……!!」
惚けた表情のリーシュに、ルミルが微笑んだ。たったそれだけで、場の空気がファンタジスタから楽園へと変わる。
「リーシュさんの分ですよ」
「わあ……!! ありがとうございますっ!!」
いや、やはり『ルミル効果』は偉大だ。リーシュと話している様子は、秘密の花園を横から眺めているかのようだ。
……別に怪しい人間じゃないぞ、俺は。和むと言っているだけだ。
その時、扉が開いた。
場違いな魔力に、俺は席を立っていた。特に会話の中で、目立って不自然な点があった訳ではない。先程までラムコーラを飲んでいた筈のスケゾーが、素早く俺の肩に移動していた。――――それ程に、異質な出来事だった。
空気は再び変わる。俺が席を立った事によって、ルミルとリーシュが何事かと、俺を見ていた。……二人共、俺達に向けられた不自然な殺気と魔力に、まだ気付いていないだけだ。
例えば、腹を空かせたライオンに睨まれれば、誰だって警戒するだろう。だが、姿を見たり足音を聞いたりする事で気付けなければ、そのライオンを警戒する事は出来ない。
魔力を感知出来るのは、俺が魔導士だからだ。
――――なら、この、不自然に意味も無く撒き散らされる巨大なエネルギーは、一体何なんだ。
「ルミル。さっきそこで、トムディと擦れ違ったけど」
扉の向こうの、そいつが言った。
俺は振り返り、エネルギーの正体を見た。
「何? まだあいつ、生きてたの?」
人間だ。…………本当に、人間なのか。…………いや、人間だ。
「バレル・ド・バランタイン…………!!」
ルミルが立ち上がり、その男の名前を呼んだ。
全身、複雑な模様の描かれたマントに身を隠していた。やや褐色で、白に近い金髪、灰色の瞳。短髪で、魔法陣の描かれたピアスをしている。
ズボンのポケットに手を突っ込んで、扉の枠に体重を預けていた。
出遅れたリーシュが、俺とバレル・ド・バランタインと呼ばれた男とを交互に見て、慌て始めた。
「あれー、珍しい顔が居るなァ。どっかで見たような……んー? お前さ、名前は何ていうの?」
恐ろしい程に上から目線だ。……常時放たれている魔物のような魔力に、俺の気は知らず引き締まる。別に奴は、俺達を敵視している訳ではない……筈なんだが。
意識せずとも魔力が溢れ出るなんて、普通は病気の類だ。だが……臭いが違うな。こいつは、人間の魔力じゃない。
喉を鳴らした。
「…………グレンオード・バーンズキッドだ」
俺がそう言うと、男は思い出したと言わんばかりの顔で、手を叩いた。
「あー!! あー、あれね、『零の魔導士』!! そうだ、思い出したじゃんよ!! なんだ、今日はこんな所に居るの? セントラル・シティはどうしたの?」
「別に何処に行こうが、俺の勝手だろ?」
「そらそうだ。悪いな、変な事言って」
今度は、けたけたと笑い出した。……変な奴だ。先程から、ルミルの固まった表情が一向に解れないのも気になる所だが。男はルミルの名前を呼んでいた。二人は、何らかの形で知り合っている。
「…………バレル? 帰って来たの?」
「ついさっきなァ。やー、今回は長旅だったじゃんよ……なァ!! 野宿もしてよォ。クールじゃねえわ、ほんと」
俺達とは隣のテーブルに、バレルは座った。丸椅子に腰掛け、テーブルを背もたれ代わりにして、両肘を預ける。男が唇を舐めると、リーシュが顔を青くして縮み上がった。
「ひっ!! ……し、舌にピアス……!!」
魔力は消えない。……コントロール出来ていないのか? それとも、敢えてそうしているのか? 理由は分からないが。
俺もスケゾーも、特に緊張している訳ではない。だが、これだけの魔力を敵視してぶつけられると厄介だ。何時でも相殺出来るように、気を遣っている。
すっかり黙ったスケゾーは、しかし俺の肩に座ることなく、立ち上がっていた。
「何の用?」
……ルミルも、警戒しているな。
「何の用とは、これまた随分な挨拶じゃんよ、ルミル。旧友が帰って来たんだぜ? 紅茶の一杯でも出してくれよ」
「……一杯、三百トラルだけど。もう、お店は閉めてるの」
「ひでえなオイ。他の客も来てんのに? 俺だけ除け者?」
あまり、ルミルとバレルの関係は良く無さそうだ。それ所か、ルミルはバレルの事を敵視しているようにも見える。すぐには魔力が襲い掛かって来ないと分かり、着席する俺。だが、ルミルはそのままだ。
拳が、固く握り締められている。
「ルミルに聞きてえんだけどさ。実は俺、この街に『ゴールデンクリスタル』があるって聞いて、来たんだよね。そんなモン、あったっけね? 知らない?」
「知らないわ」
即答だ。
バレルは思わずといった様子で吹き出し、笑っていた。その態度が更に、ルミルの怒りを加速させる――……バレルは俺の方を向き、やたらと長い人差し指と向けた。
……舌も無駄に長い。
「じゃあ、お前は? グレンオード・バーンズキッド」
「いや、俺は知らんが」
今度は、その人差し指をリーシュに向ける。リーシュがしゃくり上げるような声を漏らした。……少し、怯えているように見える。若しかして、奴の魔力に気付いたのか。
「じゃあ、そこの銀髪のねーちゃんは?」
「し、知りません……」
「そうかァ、そりゃ残念だ。……まー、いっけどさ。ちょっと長めに滞在する予定だし? ゆっくり探すよ」
バレルは立ち上がり、溜め息をついた。苦笑したような顔でルミルに笑みを向けるが、ルミルは笑顔を返さない。その様子が面白かったのか、バレルは今一度、軽く吹き出していた。
何にしても、不気味な男だ。出来ることなら、あまり関わりたくない……バレルを見ながら、俺はそんな事を考えていた。
「おい」
スケゾー?
普段、あまり他人に話し掛ける事の無いスケゾーが、バレルに声を掛けた。ふとバレルはスケゾーに気付いて、眉をひそめる……スケゾーは腕を組んで、少しバレルを威圧しているようにも見える。
バレルは俺に嘲笑を向けた。
「……何? 置物じゃなかったの。使い魔?」
「オイラが何者かなんて、おめーには関係のねえ話っスが……『それ』、どうした?」
スケゾーはバレルの挑発には乗らず、淡々と話していた。『それ』というのは、バレルから発されている魔力の事だろう。
「おめーの魔力じゃねえっスね、それは。……悪い事は言わねえから、扱えねえモンは持つな。おめーだけじゃねえ、周囲にも迷惑が掛かるんスよ」
初対面の相手に説教なんて、スケゾーはするような奴じゃない。……それだけ、奴が危ない物を持っているのだと言う事が分かっている。
……まあ確かに、魔導士として見過ごせない状況では、あるだろうか。
「ッハハハ!! グレンオード、てめえムカつく置物持ってんなァ……アァ!?」
バレル・ド・バランタインはスケゾーを見て、笑っていた。聞く耳を持たないな、これは。……そうだとは思っていたけれども。
「まあ、まあまあまあ? 俺はそんな事で怒る奴じゃねえじゃんよ……でもよ、『零の魔導士』。お前こそ、コントロール出来ねえ魔物は持つもんじゃねえぜ?」
俺は腕と足を組んで、バレルの態度を観察していた。バレルは目と鼻の先まで顔を近づけて、俺の肩を叩いた。
「悪い事は言わねえから、魔導士は廃業しな。お前、多分向いてねえんだよ」
「いいかげんにして!! もう、帰ってよ!!」
ルミルが叫んだ。
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