第31話 ヒールという、世にも不思議な魔法
セントラル・シティを南東方向に出て、元・我が家のあった山を越えると、山の麓のすぐ近くに街がある。
村だと言うほど小さくはなく、だが街と言うには少し広さが足りない。そんな中、辛うじて街の体裁を保っているサウス・マウンテンサイドには、どういう訳か城がある。セントラル・シティとの契約を保ちながら、未だに国としての側面も併せ持っているという、一風変わった街だ。
主にレンガで構成される町並みに、俺達は足を踏み入れていた。
「ここが……マウンテンサイドですか……!!」
俺は街に向かって走るリーシュの後姿を眺めて、少し和んでいた。リーシュは両手を広げると、俺に振り返った。満面の笑みを見せている。
セントラル・シティに着いた時もそうだが、リーシュは新しい街に訪れる度、とても楽しそうにしている。案外、旅を好む性格なのかもしれない。
「へんぴな街ですね!!」
「ひでえな!?」
俺の反応に、リーシュは目を丸くしていた。……何だよ、その『私何か変な事言いましたか』的な目は……これは、また言葉を間違えたな。毎度毎度、よく飽きもせず間違えられるものだ。
多分、長閑な街だとか、平和な街だとか、そんな言葉を使うつもりだったに違いない。
「ここで、聖職者様を探すのですか?」
「そうだな。俺も街に入るのは初めてだから、とりあえず人を探そう。地図みたいな物があるなら、手に入るかもしれない」
「えっ? 冒険者依頼所に行けば良いのではないですか?」
「……お前の村には無かっただろ? 冒険者依頼所」
セントラル・シティを各所にある街のスタンダードモデルとして考えるのは止めて欲しい。
しかし、城壁の横を歩いているからか、建物の数がまだ少ない。恐らく、城の正面に向かえばもっと民家もあるだろうし、宿もあるのだろう。とりあえずは、今夜の宿を探さなければ。
セントラルから馬車で半日強。山を回らなければならないので時間が掛かるが、距離的にはそう離れている訳でもない。楽な旅である。
「おおおおお――――い!!」
城の上から声が聞こえる。……騒がしいな。セントラルを早朝に出たから、まだ昼前だ。王様が誰かと喧嘩でもしているのだろうか。
「助けてくれえぇぇぇぇ――――!!」
助けてくれ?
俺はつい、隣の城壁を見上げてしまった。
「…………あれ? グレン様?」
な…………何だ、アレは…………!!
「うおおおおお!! 旅の人オオオォォ――――!!」
城壁から、人が…………生えている…………!?
両手を一生懸命に振って、俺達に助けを求めていた。だらしなく弛んだ腹、それとは裏腹に綺麗な茶色の髪を持った、若干太り気味な男。狂ったように城壁を叩いて、涙を流していた。
「助けてくれえぇぇェェェ!! ハマってしまったんだああァァァ――――!!」
かっ…………関わりたくない!!
俺はすぐに視線を元に戻して、リーシュに向かって歩いた。既に男を発見してしまったリーシュは何事かと目を丸くしているが、俺はそんなリーシュの肩を叩いて、爽やかな笑顔をリーシュに向けた。
「あ、あの、グレン様っ」
「いや気にするなリーシュ俺達は何も見ていない聞いていない。城壁に埋まった変な男の事も知らなければ、この場所からマウンテンサイドに入った訳でもない。そうだろ?」
「違います!!」
いやそこは空気読めよ!!
リーシュは俺のささやかな抵抗をばっさりと斬ると、城壁に埋まった男に向かって走る……さすが剣士だ。……上手くねえな。
分かっていた。分かっていたさ。心優しいリーシュの事だから、きっと困っている人を見てしまったら、放っておけないんだろうなって。例えそれが、城壁から生えている変な男だったとしても、きっとリーシュは助けてしまうのさ。
俺は諦めにも似た苦笑で、リーシュの後を追い掛けた。リーシュは目を輝かせて、男の真下に辿り着くと、上を見上げた。
「何がそんなに楽しいんですか!?」
瞬間、俺は叫んでいた。
「ハマる違いだよオオォォォ!!」
楽しそうだと思ったのか!! あれを!!
助けて貰えると一瞬でも思ったのだろう、城壁にハマった小太りの男は、既に鬼もかくやと言ったような顔でリーシュを見下ろしていた。
「一体お前は何を言っているんだアアァァァ!!」
ああ、その気持ち。よく分かるよ。俺も常に困らされている。仲間だな。……城壁にハマってさえいなければ。
しかし、二度も目を合わせてしまったとなれば、これは助けない訳に行かないだろう。……どうやって助けるんだ。やっぱり、これは引っこ抜くしかないのか。城壁から。
仮に助けたとして、コイツは一体何なんだ。
「…………スケゾー」
「えー!? オイラが助けるんスか!?」
だって、この中で空中を浮遊する術を持っているのは、スケゾーだけだからな。仕方ないだろう。俺が自分の足下で爆発魔法使えば良いんじゃないかとか、そういうのはナシで。
スケゾーは俺の目配せに渋々といった様子で、城壁を上がって行った。男はようやく訪れた助っ人に、両目を大きく見開いた――……喜んでいるのだろう。
「ギャアアアアア!! 魔物だアアアアア!!」
「ご主人、こいつ殴って良いっスか?」
俺は腕を組んで、頷いた。
「アリだ」
スケゾーは遠慮なく、男を殴っていた。……スケゾーの教育に問題はない。はずだ。
溜め息を付きながら、スケゾーは小太りの男を引っ張る。……あれ? よく見てみれば、城壁には小さな穴が幾つか開いている。恐らくあれは、敵襲の時に身を守りながら外を観察するための、よくある穴だろう……名前あるのかな……まあいいや。ということは、小太りの男はもしかして、あの穴にハマってしまった、という事だろうか。
……いや。城壁の外側に、尻から突っ込んでいるんだぞ。常識的に考えて、空中浮遊でも出来る人間じゃなければ無理だ。
瞬間、足下の何かを俺は蹴ってしまい、下を見た。
何じゃこりゃ。王冠…………? と、プリーストの使う杖。
スケゾーがようやく、小太りの男を城壁から引き抜いた。胸倉を掴んでいる……余程嫌なようだ。
「助けてくれえェェェ!! まだ死にたくないよおぉぉぉ!!」
「うるせーっスね、あーもう……ご主人、そっち投げますよー」
「オーライ、オーライ」
俺は両手を振って、スケゾーから小太りの男を受け取ろうとした。男は思った以上に背が低い……スケゾーが投げると、小太りの男の顔が近付いて来る。
「良かったあああああ!! ほんとーに良かったあああああ!!」
……涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔が近付いて来る。
「おい汚ねえな」
「へブッ!?」
俺は思わず、男を避けてしまった。救われた筈の男はそのまま、顔から地面に突っ込んだ。
スケゾーが怪訝な表情を浮かべて、俺の肩に降りて来る。リーシュが不安そうな顔で、地面に突っ伏した男を人差し指で突いていた。
腰に手を当てて、俺は男の様子を眺めた。……よし、ちゃんと息をしている。
「良かったな、生きてて」
「たった今死ぬとこだコラ!! 何で避けるんだよォォォ!?」
物凄い顔で、小太りの男に怒られる俺。足下にあった王冠と杖を拾って、不機嫌ながらも立ち上がる……その王冠、お前のだったのかよ。
よく見てみれば、服装も随分と高価なモノだ。ただ高価なだけじゃない……肩の部分に見える魔法陣、アレは飾りじゃないな。防御用に魔法まで掛かっている、真っ白な聖職者用の装備。冒険者依頼所の『斡旋の間』で何度も見た装備より、遥かに高そうだ。
服の埃を払うと、男は俺に笑みを浮かべた。
「……方法はどうあれ、助かったよ。ありがとう」
「お、おう。悪いな、手荒で」
「でも次はちゃんと助けてくれよ、ほんとに」
小太りの男はそう言って、胸を張る。……助けて貰う側の立場だと理解しての行動なのだろうか。まあ、俺に罪が無いと言えば嘘になるのだが。
しかし、随分と裕福そうだな。男はポケットから金色の棒付きキャンディーを取り出すと、自身の口に咥えた。
「初めまして、僕はトムディ・ディーンって言うんだ。そしてこれは、サウス・マウンテンサイドでしか作られない貴重なお菓子、『ハイボールキャンディー』だよ」
「…………お、おう? そうか」
俺にどう反応しろと言うんだ。
「助けてくれたお礼に、君にも一本あげよう」
「いや、いらねえ…………」
そう言っている間に、手渡されてしまった。仕方なく、俺はその『ハイボールキャンディー』の包装紙を外して、口に咥える。
……なんか胸焼けしそうな程、甘い。
トムディ・ディーンと名乗った男はリーシュにも『ハイボールキャンディー』を手渡した。リーシュはそれを、口に含む。一転して、リーシュは目を輝かせた。
「どうだい。美味しいだろう?」
トムディは何故か、大袈裟に胸を張った。リーシュは満面の笑みを浮かべて、トムディに応えた。
「はい!! ゲロ甘ですね!!」
「おいコイツ何なんだ!!」
指を指して、トムディは泣きながら俺に抗議していた。……まあ、気持ちは分かるが。俺が首を振ると、トムディは咳払いをして、場の空気を変えた。
「それで、君達の名前を聞いても良いかい?」
丁度良いな。このトムディという男に、マウンテンサイドの聖職者事情について聞いてみるとするか。
「俺は、グレンオード・バーンズキッドだ。こいつが俺の使い魔で、こっちの剣士はリーシュ・クライヌ。この場所に、修道士の集まりがあるって聞いて来たんだけど、知らないか?」
「『赤い甘味』の事かな? それなら、案内できるけど――もしかして、君は噂の『零の魔導士』?」
トムディは何故か目を輝かせて、俺を見ていた。……何だよ。零の魔導士って、あんまり良い通り名じゃないぞ。
「…………ああ、それは俺の事だけど」
「そうか!! 君がそうなのか!! 初めまして!!」
なんだかよく分からないが、手厚い歓迎を受ける俺だった。急に態度を変えて……何だよ。気味が悪いぞ。
トムディと握手をする。高さが合わず、トムディに合わせて少し姿勢を低くする俺。何だか、子供と大人のようだ。リーシュよりも背が低い。百四十センチくらいだろうか。百三十……? 飴が好きみたいだし、子供だろうか。それにしては、随分と口達者だし……よく分からない男だ。
リーシュが目を輝かせて、トムディを見ていた。
「それで、何が楽しくて城壁にハマっていたんですかっ!?」
「お前僕の事バカにしてるだろ!? そうなんだろ!?」
「えっ…………?」
言葉が足りてないんだよ、お嬢ちゃん……思わず、目を覆ってしまった。トムディはリーシュに悪気が無いらしい事を確認して溜め息をつくと、口を開いた。
「……【ヒール】の練習をしていたら、ハマっちゃってね。大変だったよ」
【ヒール】……? 【ヒール】って言ったら、回復の魔法だよな。聖職者御用達の……何故、それを練習していて城壁にハマるんだ……?
思わず、怪訝な顔になってしまった。
「それって、回復魔法だよな?」
「そうだよ? 『零の魔導士』の君なら分かるだろ?」
いや、正直、さっぱり分からん。
頭に疑問符ばかりが浮かぶ会話。トムディは俺が理解していない事を知ると、少し落胆した表情を見せた……いや、だって。分からないものは分からないよ。
「仕方ない、見せてあげるよ。本物の回復魔法は、時に災いさえ齎すものだよ。君なら分かるかと思ったんだけどな」
何だ……? 俺の知らない、極めた者だけが使える【ヒール】の姿みたいなモノがある、って事か…………?
大仰な言葉を言い放ったトムディは杖を振り、魔力を高めた。通常の【ヒール】からは考えられないような魔力がトムディの全身から発され、俺は思わず、喉を鳴らしてしまった。
周囲に風さえ巻き起こす程の、強烈な魔力。トムディは額に汗を浮かべて、しかしその顔に、不敵な笑みを称えた。
「これが万物の万能薬に成り得る至高の魔法……!! とくと見よ!! ――――――――【ヒール】!!」
トムディはその回復魔法を唱えた!!
そしてトムディの身体が尻から宙に浮き、ふわふわと空中を浮遊…………
ゆっくりと、俺達のトムディに集まった視線は高くなっていき、やがて青空を見詰めた。尻が不自然に持ち上がった格好のまま、俺に向かって得意気な顔を見せるトムディ。
確かに圧倒された。目の前に起きている出来事に、思考が付いて行かない……魔法を解除したトムディは、その場に着陸すると、目を閉じて腕を組んだ。
「――――――――改めて自己紹介するよ。僕が巷で噂の至高のプリースト、トムディ・ディーンさ」
これは……スルーするべきだろう。
リーシュが目を丸くして、人差し指を唇に当てた。
「回復してなくないですか?」
だからどうしてお前は常に地雷を踏みに行くんだ!!
トムディが衝撃に顔を歪めた。劇画のように顔のパーツを際立たせて、リーシュから一歩、後退った。
誰もが沈黙し、トムディは口に『ハイボールキャンディー』を突っ込んだまま。
静止した時間。鳥の声だけが、その場に響いていた――……。
何だ、コレは。
「…………グレンオード、僕が『赤い甘味』まで案内してあげるよ。付いておいでよ」
流したアァァァァ――――――――!!
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