第16話「ホムンクルス -桐恵と小さな化石の博物喫茶-」

 今や動物園に行けば馬やら鶏やらと変わらない大きさの恐竜が色々見られるし、水族館に行けば手の平サイズの古生物もざらにいる。太古の生き物が皆巨大だったというイメージは過去のものだろう。

 さらに本当に小さな、ルーペが必要なほど小さな古生物に会えるのは?

 アクアリスト向けの専門店か、そんな店を冷やかすのは気が引けるなら、私の勤めるこの喫茶店だ。

「いらっしゃいませ、小さな化石の博物喫茶「パレオスコープ」へようこそ!」

 入り口でまっさらな白衣姿の二人が声を上げた。

 後輩の「職員」が「見学者」のかたを出迎えたのだ。

「見学手帳はお持ちですか?……初めてのご見学ですね、それでは見学手帳をどうぞ!」

 私と同じ大学生くらいのカップルが、二つ折りになった縦長の厚紙を受け取った。「見学」に来るごとに認め印を押すのである。

 特殊な喫茶店はそれらしい制服と符丁を使わなければならないというわけだ。

 カップルは笑顔を見せ合いながらも、店内の様子に唖然とした。

 やや薄暗い室内にカウンターとテーブルがあるのは普通の喫茶店に似ている。が、あとは丸っきり別物だ。

 スポットライトを浴びる棚には、化石の実物やレプリカ、三葉虫の生体から作った標本や復元模型に、懐かしい図鑑から古生物ファン向けの雑誌、学会のパンフレット、専門的な論文まで。壁にかかっている絵も論文から抜き出した図版だ。観葉植物の代わりに、発掘に使うハンマーとタガネが立ててある。

 黒いテーブルには水槽が陣取り、アンモナイトや少し大きめの三葉虫が見られる。しかしこっちの水槽ははっきり言ってありきたりだ。

 カップルの見学者は私の正面のカウンター席に通された。

 私と見学者の間には、大きめのビーカーがずらりと並んで下から照らされている。人工海水が満たされ、一対ずつチューブが刺してある。

「ようこそご見学にいらっしゃいました。メニューとルーペをどうぞ」

 メモボードに挟まれたメニューには、両手の指で足りる程度の品しか載っていない。コーヒーと紅茶、ささやかなお菓子。コーヒー二杯の注文を受けて後輩が用意に動いた。

 見学者の二人はやや緊張した様子だ。私の切りそろえた黒髪と眼鏡は、白衣と調和するものの威圧的に見えるようだ。

 私は、手元のビーカーを一つ前に置いた。

「こちら、初めてのご見学でも親しみやすい種類かと思います」

「何?」

「ダンゴムシ?」

「あ、三葉虫!」

「はい、ゲラストスという種類の三葉虫です」

 丸っこい姿は確かにダンゴムシに似ているが、倍近く大きい。それに、甲羅は乳白色をしている。細かいガラスビーズが敷かれた上を、三匹がちょこちょこと歩く。

「ルーペでよくご覧になっていてください」

 二人が先程渡したルーペを構えているうちに、私は引き出しからガラス棒を取り出した。

 そして注目を浴びている一匹の頭に、こつりと触れた。

 ゲラストスは即座に体を二つ折りにした。

「丸まった!」

「うわ、完全にダンゴムシだ!」

「ダンゴムシと三葉虫は遠い間柄なんですけど、そっくりな身の守り方を進化させたんです。ほら、戻りますよ」

 ぴったり閉じていた頭と尾の合わせ目が開き、細い触角が飛び出した。

 さらに腹側が現れる。たくさんの肢の他にも動くものが見えるはずだ。

「なんか、ひらひらしたのがある」

「三葉虫の鰓です」

「水から出すとどうなるんすか?」

「鰓が乾き次第、もう駄目ですね」

「へー、やっぱダンゴムシと違うんだ」

 二人が感心しているうちに後輩がコーヒーの入ったマグカップを持ってきた。

 このカップはアメリカの有名な博物館の公式グッズで、ティラノサウルスの骨格があしらわれたロゴの入った重厚なものだ。

「あ、ビーカーとかじゃないんだ」

「実験の結果、ビーカーでのんびりとコーヒーを楽しむことは難しいと分かりましたので」

「実験!」

「試したんだ!」

 鉄板のネタで二人とも笑ってくれた。本当は食品衛生法だとかの影響が大きい。

「それではごゆっくりお過ごしください。他の種類を観察されるときは職員にお申し付けくださいね。お席を移動してもかまいませんので」

 そう言いながら、ビーカーを一つカウンターから下げた。調子の悪そうなのが見えたからだ。

「あ、じゃあ今いいっすか。そこの、なんか速いやつ」

 男性のほうが指差したのは、元気に泳ぎ回るものが入ったビーカーだった。

 ゲラストスと同じくらいの大きさだが、平たい流線型をしていて身軽そうだ。ビーカーの壁に沿って滑らかに進み続けている。

「こちらですね。これも三葉虫の一種で、ヒポディクラノトゥスといいます」

「えー、さっきのと全然違う」

「三葉虫は海底を歩く種類が普通なんですけど、こういう身軽な体つきで、泳ぎ回る種類もいたんです」

「かっけえ」

 真珠光沢で銀色に光りながら、鰓で水を押し出して素早く泳ぐ姿は、小さいながらも流麗だ。

 ヒポディクラノトゥスの隣にあったビーカーも、続けて前に出した。

「こちらも泳ぐ三葉虫の、キクロピゲです」

「また違うの出てきた」

 丸い頭の両側が大きな複眼になっていて、昆虫にいそうな顔付きだ。胴体は小さくて二頭身、鰓がはみ出している。

 形が違えば泳ぎ方も違う。大きな尾鰭を上下に反らして、少し進むたびに向きを変える。

「可愛い、ゆるキャラみたい」

 この言葉が出れば一安心だ。

「ごゆっくりご観察ください」

 私はカップルから離れ、カウンターに向かう別の見学者さんに近付いた。ロリータ風に着飾った、とても若い女の子二人。

 さっきからスマホのシャッター音が何度も聞こえていた。撮影が上手くいかなくて撮り直しているようだ。

「難しいですか」

「ええ。この子達、とっても綺麗だから友達にも見せてあげたいの。でも、どうしてもブレてしまって」

 白い服の子の手元にあるビーカーの中で、淡い虹のかけらがいくつか漂っていた。

 光っているのは、マルレラの角だ。これも二センチ程度の虫のような生き物だが、分厚い甲羅はない。

 ただ頭からは大きな角が二対、横から後ろに曲がって生えている。そのうち前にある角は、表面の微細構造により虹色に輝くのだ。薄暗い店内で光るものを撮影するのは難しい。

「では、これを使いましょう」

 私は白いプラスチックの帯を取り出し、泳いでいたマルレラの前に差し入れた。マルレラは帯に突き当たると、その上にしがみついて休んでしまった。

「それと、このスマホ用の三脚をお貸しします。これで固定してタイマーで撮れば、ブレずに済みますよ」

 こういう場合に備えて用意した、どんなスマホでも固定できるやつだ。

「まあ、ありがとう」

「その三脚、次は私に貸してちょうだいね。この子達は最初から動かないけど、手ではブレるから」

 黒い服の子が見ていたビーカーでは、雪の結晶そっくりのものが水面に浮かんで煌めいていた。

 これはマルレラの仲間、ミメタスターだ。枝分かれした六本の角に表面張力を働かせ、体はその下にぶら下がって腕を左右に伸ばしたままじっとしている。こうやって流れてくる餌を待ち構えているのだ。

 このロリータ風の二人組は今日が二度目の見学で、学問的なことを深く知ろうという気配はない。それでも再び見学に来てくれたということは、二人の興味にかなったということだろう。

 二人が手元に集中しているうちに、餌の溶液が入った試験管の蓋を取り、ピペットで別のマルレラに与えた。

「ねえ、私もこの子達を飼ってみたいわ」

 唐突に声をかけられた。黒い服の子だった。

「泳ぐわけではないようだし、こんな入れ物でも飼えるんでしょう?」

 ミメタスターが六本の角で浮かんでいるだけなのは確かだが。

「ええっと……。このビーカーは展示用の一時的なものでして、長く飼い続けるにはもっと大がかりな設備と専門的な知識が必要になってしまいます」

「まあ、そうなの」

 やはり簡単そうに見えるのだろう。こういった質問が時々出てくる。

「三葉虫でしたら綺麗な種類でも飼いやすいですよ」

「そう。この子達はこのお店に見に来ることにするわ」

「それがいいわ。雪なんですもの、珍しいから綺麗と思えるのよ」

 白い服の子の言葉に、黒い服の子が深くうなずいた。

 素直に納得してくれてよかった。

 また別の見学者さんが訪れた。地味な服装の男性一人。ロリータ風の二人とは対照的に、かなり詳しい常連のかただ。

「いらっしゃいませ」

「何か現生種につながる系統のはいますか?今日はそういうのが見たくて」

「はい、ちょうど入ってますよ」

 こういった質問にもすぐ答えられないと。

 私は丸い頭の生き物が歩いているビーカーを差し出した。

「こちらはディバステリウム、シルル紀のカブトガニ類です」

「ああ、これは初めて見ます!」

 彼は愛用の少し大きなカメラを向けてシャッターを切った。

「机の上にカブトガニがいるなんて、いいですね。腹部に体節がありますね」

「共剣尾類といって、今のカブトガニのグループより原始的ということになってます」

「断言できない?」

「体節がないもののほうが古い層から見つかってまして」

「なるほど。まあ、きっとまだ古い共剣尾類が見つかってないだけでしょうね。鳥と羽毛恐竜がそうだったみたいに」

「ディバステリウムは他にも原始的な特徴がありますからね。……ちょっと失礼します」

 私は長いピンセットを使って、ディバステリウムを傷付けないようにそっとひっくり返した。

 ルーペで凝視していた彼はすぐに気付いた。

「肢が多い!しかも密集して生えてる」

「二肢型なんです」

「両方とも歩脚?」

「はい」

 手足は枝分かれしたりしないのが私達脊椎動物の常識だが、節足動物ではそうでもない。ありふれたミジンコでさえ肢が二又に分かれて片方が鰓になっている。三葉虫やマルレラもそうだ。

 ディバステリウムの場合は、肢のペアを両方とも歩くのに使うのが特徴だ。

 彼は夢中でカメラに持ち替え、撮影を再開した。肢が動くから難しくないだろうか。あまり逆さまの姿勢が長引くとディバステリウムの負担になる。

「なんとか撮れました。戻していいですよ」

「お気遣いありがとうございます」

 ディバステリウムの姿勢を戻した後も、彼は甲羅の縁から覗く肢の様子に注目していた。

「あっ、現生種につながるといえば、ちょっと変わったのが入ってますよ」

 三つだけ透明な板で蓋をされたビーカーがある。蓋をしないと、飛んでいってしまう恐れがあるのだ。

 そのうちの一つを彼の前に出した。

 ヒマワリの種ほどの虫が、長く平たい後肢を動かして水中に躍り上がる。

「白亜紀の昆虫、イベロネパです」

「ああ、いかにも今いそうな感じですね。マツモムシにそっくりです」

「分類はタガメに近いらしいんですよ」

「平行進化ですね。小学生の頃、自由研究でマツモムシを調べたことがありますよ。たまたまたくさんいる場所が見つかって……。懐かしいな」

 そう言ったきり、彼は黙ってイベロネパとディバステリウムに集中し始めた。

 私はカウンターの中を移動し、もう一つの部屋に向かった。店内は喫煙室のように仕切られているがカウンターは繋がっている。

 こちらの顕微鏡観察室にはビーカーは少なく、代わりに双眼実体顕微鏡が四台ある。一台は右のレンズにカメラアダプターが付いている。

 カメラから送られた映像はカウンターの上に掲げられたディスプレイに映り、向かい合ったソファーからよく見える。

 今はソファーに一人、高校生の女の子がうたた寝をしているだけだった。彼女も常連だ。

 テーブルにはいくつかの化石と、まだ温かい紅茶が乗っている。

 サブのディスプレイにはアグノストゥスが行き来する様子が映っていた。8の字形をした、三葉虫のようでそうでない、小指の爪ほどの生き物だ。

 顕微鏡を使うには大きすぎるせいか、顕微鏡観察室の中では盛り上がらない。少しこちらが寂しくなるが、アグノストゥスは一般観察室に移してしまおう。

 シャーレをステージから下げ、指先に乗るようなカップに、もっと小さい生き物のいる水をピペットで注いだ。

「カフェインが利かない」

 その声に振り向くと、女の子が目を覚ましていた。

「すみません、起こしてしまいましたか」

「私こそすいません。……何を映すんですか?」

「カンブロパキコーペと、ゴチカリスです」

「やった」

 彼女は半開きの目で微笑んだ。

 ピント調整が済み、ディスプレイに泳ぐものの姿が現れた。

 アリに似ているが、顔面には大きな複眼が一つあるだけだ。針金のような肢ではなく、ブラシ状の肢と丸い鰭がある。

 大小二組の鰭で水を蹴るのは、カンブロパキコーペ。ミジンコさながらに、進んでは止まりを繰り返す。大きさもミジンコと同じくらいだ。

 一回り大きいゴチカリスは四対の鰭を波打たせ、一定の速度でうろつく。

 女の子は紅茶をすすり、半分寝ぼけたままの表情でディスプレイを見上げていた。

 小さなカップの中でくるくると向きを変えながら、カンブリア紀のプランクトン達は進む。

 混乱するような複雑な姿だが、これをほぼそのままの形で五億年も化石として残した岩石があるというのだからますます驚きだ。

 ビーカーに残ったほうの世話をしていると先程のカップルが入ってきた。

「顕微鏡だ、すげー」

「こちらにどうぞ。使い方をご説明します」

 女の子は完全に目が覚めたようだ。


 夜九時、閉店直後。

 お店のほうは後輩の職員に任せて、私は急いでワゴンを押して裏の廊下を進んだ。

 突き当たりのドアを開けた。

 藻臭い。

 綺麗とは言い難い川の河口で水の匂いを嗅いだことがあるだろうか。あんな感じの、藻と潮の混ざった匂いだ。

 煌々と灯った蛍光灯の下に水槽がひしめき合う。

 いくつかはさらにスポットライトを浴び、緑色の水には大量の空気が送り込まれている。これが臭気の主な原因だ。

 餌となる微生物等もここで培養しているのだ。店内でビーカー内に補給するときも匂いにはかなりの注意を要する。

 奥の方に小さな白衣の背中が見えた。飼育設備の手入れ中か。

 小綺麗な制服の白衣ではない。汚れてしわの寄った実用品だ。

 長い髪もぼさぼさと波打ち、なんとなく彼女の行く末を案じてしまう、そんな背中である。

「博士」

「お、おう、キリか。……博士って呼ぶなよう、嫌味かよう」

 この店の店長に当たる「博士」、私の先輩が振り向いた。

「博士が決めたんでしょうが」

「所長とかにすればよかった」

 声音は弱々しく、肩が落ちていた。博士は背中を丸めたまま、ふらふらとワゴンに近付いた。

「いじったのは?」

「これひっくり返しました」

 常連の男性に見せたディバステリウムを指差した。

「うん、だいぶお疲れだね」

 博士はディバステリウムのビーカーを取ると、中の水ごと水槽に戻し、付箋に日付を書き込んで水槽に貼り付けた。このディバステリウムはしばらく観察室に出さない。

 他のビーカーも弱っているものから先に水槽に戻していった。

 ごく一部、もう観察室に出せる見込みがないものもいた。設備の無駄だからといってわざと殺すことはできない。

 さらにごく一部は、標本にするため冷蔵庫行きになった。

「で、また嫌なメールでももらったんですか?」

「ううん、電話」

 博士は入り口近くにわずかに確保された休憩スペースの、侘びしいソファーに身を預けた。

「もうあいつらと話すのやだ」

 私はコーヒーを入れ、ほぼ同量の牛乳と、スティックシュガーを三つ注いで混ぜた。

「どうぞ」

「うん」

 ティラノサウルスのカップは疲れた博士の小さな手には重そうだ。

「博士課程まで行っておいて、やることはコスプレカフェ~かよ、だってさ」

「柳さんしかできませんよ、このお店は」

 私は例の符丁を避け本名で呼んだ。

「このお店には柳さんぐらいしか知らないようなことがみっしり詰まってるんですから」

 柳さんは甘いコーヒー牛乳をすすりながら聞いていた。

「ありがと。ごめんね」

「いつものことですから」

 せっかくのコーヒーの良い香りも、この部屋に満ちた生命の吐息と争ってしまう。

「こっちの部屋で見学会を開く計画ですけどね」

「うん」

「やっぱり難しいですよ。お店を通らずに裏から出入りするようにしないといけないみたいですし……、」

「幻滅されるかも」

「はい」

 綺麗に見えるようにと整えた観察室とこっちの部屋とではギャップが凄まじい。

 あのロリータ風の二人が、マルレラやミメタスターが緑色の水から餌を濾し取るところを見たらどう思うだろう。

「私はたまに、人に嘘を教えてるような気がするよ」

 柳さんはそうつぶやいてコーヒー牛乳を飲み干した。

「嘘なんかではないですよ。ただいっぺんに全ては教えきれないだけで」

 ごく一部だけでさえ、うまく人に伝えれば驚かせ面白がらせるのに充分なのだ。受け止めきれず拒絶されることのないよう、小出しにしているのがこの喫茶店だ。

 柳さんは深めることより広めることを選んだ。それでもまだ、世間の人達にはちょっと深い。

 柳さんは席を立ってミメタスターの水槽を覗き込んでいた。水面に浮かんでいて見やすいので、ミメタスターを眺めることが自然と多くなった。

 この間、雪の結晶の写真集を見て、ミメタスターみたいだと思った。

「先は長いね」

「ついて行きますよ」

 やっと今日初めて柳さんが笑った。




[ゲラストス・グラヌロスス Gerastos granulosus]

学名の意味:粒に覆われた栄誉あるもの

時代と地域:デボン紀(約3億9000万年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸等

成体の全長:3cm以下

分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 プロエトゥス目 プロエトゥス科

 三葉虫は古生代を代表する節足動物だが、最盛期を迎えたのは古生代の前半~中頃に当たるオルドビス紀のことであり、シルル紀以降はむしろ多様性を減じていき、石炭紀にはプロエトゥス目のみとなっていた。

 プロエトゥス目の三葉虫はいずれも小型で、体形にもそれほど変わった特徴はなかった。ゲラストス(プロエトゥス属に含める意見もある)も3cmに達しない程度の、丸みを帯びたごく一般的な姿の三葉虫だった。頭はやや大きく、両脇に後ろ向きの短い棘があるものもいた。ゲラストスやプロエトゥスの化石は一般にも流通しており、保存状態やクリーニングの精度にこだわらなければ2000円以下でも手に入る。


[ヒポディクラノトゥス・ストリアトゥルス Hypodicranotus striatulus]

学名の意味:小さな帯があり、二つの付属物が頭から長く伸びているもの

時代と地域:オルドビス紀(約4億5000万年前)の北米(カナダ)沿岸

成体の全長:3cm

分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 レモプレウリデス科

 三葉虫は普通海底を歩いて暮らしていたが、付属肢が根元で二又に分かれ片方が幅の広い鰓になっていたことから、一部はこの鰓を動かして泳ぐことができたとされる。この付属肢を二肢型という。

 さらにヒポディクラノトゥスのように身軽で複眼が発達したものは、現生のオキアミのように遊泳生活を送っていたと考えられている。

 ヒポディクラノトゥスは頭が平たく膨らんでいて、胴体は後ろに向かってすぼまり、体節の段差は小さかった。流体力学的な検証でも判明しているように理想的な流線型をしていた。また体の後方には左右に平たく広がった部分があり、頭部両脇の棘は脇腹に沿うように後方に伸びていた。

 この体形により水の抵抗は小さく、また泳ぐときの安定性もあった。複眼は前後に発達して水平方向に広い視野を確保していた。

 マウスガード様器官と呼ばれるU字型の平たい出っ張りが、顔面から尾部まで伸び、腹面を覆っていた。これは鰓を通り抜ける流れと、逆流して口に向かう流れを整える働きがあった。鰓で推進力を得ながら呼吸することや、流れてくる微細な有機物粒子を食べることに役立ったと考えられている。


[キクロピゲ・レディヴィヴァ Cyclopyge rediviva]

学名の意味:蘇った丸い尾

時代と地域:オルドビス紀(約4億5000万年前)の北アフリカ(モロッコ)沿岸

成体の全長:2cm以下

分類:節足動物門 三葉虫形類 三葉虫綱 アサフス目 キクロピゲ科

 キクロピゲもヒポディクラノトゥス同様複眼の発達した遊泳性三葉虫であったと考えられるが、体形は異なっていた。

 大きく丸い頭部の左右には非常に発達した複眼があった。前後左右だけでなく上下まで広く見渡すことが可能だった。

 胴体は頭部に比べてかなり小さく、平たい尾部が目立った。ヒポディクラノトゥスと違って丸まって防御姿勢を取ることができた。


[マルレラ・スプレンデンス Marrella splendens]

学名の意味:華やかなジョン・マー氏のもの

時代と地域:カンブリア紀(約5億4000万年前)の北米(カナダ)沿岸

成体の全長:2cm

分類:節足動物門 三葉虫形類? マルレラ類

 いわゆるカンブリアンモンスターと呼ばれる動物群の化石を産出するカナダ・ブリティッシュコロンビア州のバージェス頁岩で、この地層の研究に大きく貢献したウォルコットが初めて発見した生き物の一つ。バージェス頁岩で最も多く見つかる生き物でもある。

 ホウネンエビのように発達した鰓と肢のある細長い胴体をもつが、ホウネンエビはもちろん他の節足動物との関係も良く分かっていない。しかしマルレラに近縁と見られる生き物は後の時代の地層からもいくつか見つかっている。

 最も目立つ特徴は頭部から2対のとても長い角が後ろに曲がって伸びていたことで、さらにそのうち前方の角には微細な溝構造があったことが分かった。この構造により光が回折し、生きているときはCDのように虹色に輝いたと考えられる。

 海底の砂をかき回しながら歩いたり、鰓をはためかせて遊泳することで微細な有機物を集めて食べていたと思われる。


[ミメタスター・ヘキサゴナリス Mimetaster hexagonalis]

学名の意味:六芒星もどき

時代と地域:デボン紀(約4億年前)のヨーロッパ(ドイツ)沿岸

成体の全長:2cm

分類:節足動物門 三葉虫形類? マルレラ類

 ミメタスターはマルレラと近縁ではないかと考えられ、胴体や鰓の様子はよく似ている。しかし角は3対となり、頭部から放射状に長く伸び、アンテナのように細かい枝が生えていた。

 さらに前方の2対の肢が、角の作る六角形から大きくはみ出すほど長く伸びていた。テナガエビに雪の結晶をかたどった帽子をかぶせたようなシルエットだった。

 前方の長い肢で体を起こして歩いたと考えられている。その場合一番後ろの角を海底に引きずることになるが、一番後ろの角は他の角と比べ特に丈夫になっていない。水面に浮かんで暮らしていたという説は特に出されていない。


[ディバステリウム・ドゥルガエ Dibasterium durgae]

学名の意味:多腕の女神ドゥルガーのように2つに分かれた肢の謎

時代と地域:シルル紀後期(約4億2500万年前)のヨーロッパ(イギリス)沿岸

成体の全長:2cm

分類:節足動物門 鋏角類 節口綱 剣尾目 共剣尾類

 剣尾類、つまりカブトガニの仲間の体は頭である前体、胴体である後体、そして尾剣からなる。シルル紀には後体の体節が分離した共剣尾類と体節が癒合した狭義のカブトガニ類がすでに登場していた。

 微細な火山灰からなる岩石を、中の化石ごと薄くスライスして切り出し、断面をコンピュータ上で重ね合せることで、ディバステリウムの体の細かい構造まで明らかになった。

 ディバステリウムは共剣尾類に含まれ、現生のカブトガニと似た体形をしていたが、腹部は長かった。

 付属肢は三葉虫やマルレラ類のように二肢型だったが、それらと違って分岐した肢の片方が鰓になっていたのではなく、両方とも歩脚だった。肢の先端はすでに今のカブトガニと同じくハサミとなっていた。二肢型の様々な節足動物と一肢型の剣尾類の中間の特徴を持っていた原始的な剣尾類だとされる。


[イベロネパ・ロメラリ Iberonepa romerali]

学名の意味:アルマンド・ディアス・ロメラル氏のイベリア半島のサソリ

時代と地域:白亜紀前期(約1億2700万年前)のヨーロッパ(スペイン)

成虫の全長:1.5cm

分類:節足動物門 汎甲殻類 六脚類 外顎綱 有翅類 旧翅類 半翅目 異翅類 タイコウチ類 コオイムシ科

 昆虫は現在非常に繁栄しているにもかかわらず、化石記録には残りづらく、詳しく分かっている種類は少ない。半翅類(カメムシとセミの仲間)は石炭紀末には現れ、三畳紀の中頃にはすでにタガメやコオイムシに近縁な水生のものもいた。

 イベロネパは保存状態の良い化石が発見されている。タガメやコオイムシの仲間だが、マツモムシに似た小さくやや細長い体、泳ぐのに役立つ長く平たい後肢を持った水生昆虫だったことが分かっている。生態はどちらかというとマツモムシに近かっただろう。


[アグノストゥス・ピシフォルミス Agnostus pisiformis ]

学名の意味:豆のような形の知られていないもの

時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸

成虫の全長:1cm

分類:節足動物門 三葉虫形類? アグノストゥス綱 アグノストゥス目 アグノストゥス科

 アグノストゥス類は非常に小型で原始的な三葉虫であるという説と、付属肢の構造の違いから三葉虫には含まれないという説がある。

 ほとんど同じ形をした丸い頭部と尾部が、数節の短い胴体で繋がれていた。体を二つ折りにしてがま口財布のような姿勢で身を守ることができた。


[カンブロパキコーペ・クラークソニ Cambropachycope clarksoni]

学名の意味:ユアン・N・K・クラークソン博士のカンブリア紀の分厚い複眼

時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸

成虫の全長:1.7mm

分類:節足動物門 汎甲殻類

 全長が数mmしかないようなプランクトンでも化石に残ることがあるし、さらに小さくμm単位の化石さえある(微化石という)。

 ボン大学のミュラー博士は、スウェーデンのオルステンという土地にあるカンブリア紀の地層からノジュール(地層中で丸く固まった石灰岩)を発掘し、砕いて薬品で溶かして小さな化石を取り出した。ノジュールの中にはカンブロパキコーペや後述のゴチカリス、また前述のアグノストゥスなど、非常に小さな節足動物や線形動物等の化石が、とても良好な状態で立体的に保存されていた。

 カンブロパキコーペは一見、足鰭を付けたアリのような節足動物だった。ただし頭に見える部分は本当の頭からバイクのヘッドライトのように突き出た複眼の土台(眼柄)で、前面を大きな単一の複眼が覆っていた。

 1対の触角、それにブラシ状の短い付属肢が3対と、大小2対のパドル状の付属肢があった。これだけ小さいとブラシ状の付属肢でも泳ぐのに使えるが、もっぱらパドル状の付属肢を動かして泳いだと考えられている。


[ゴチカリス・ロンギスピノサ Goticaris longispinosa]

学名の意味:長い棘のあるゴート族のエビ

時代と地域:カンブリア紀(約5億年前)のヨーロッパ(スウェーデン)沿岸

成虫の全長:2.5mm

分類:節足動物門 汎甲殻類

 カンブロパキコーペとよく似た体の造りをしていて、より大型で細長い体型だった。

 パドル状の付属肢は小さく、4対並んでいた。

 カンブロパキコーペと同じく眼柄の正面に大きな複眼があり、さらに左右には丸く小さな付属物があった。光の強さを感じる単眼だったと思われる。尾端は長い針状になっていた。

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