第20話『白昼の血潮』
悲鳴と同時に、倒れている松本さんの周りには人が集まってきている。
「ど、どうして先生が……」
ここから見ても松本さんの体から血が流れていくのが分かる。一刻も早く応急処置をしないと、彼女が死ぬことになる!
「まどか! 救急車と警察を呼んでくれ! あと、堤先輩にも松本さんが刺されたことを伝えるんだ! 俺は松本さんの応急処置をしてくる!」
「は、はい!」
連絡などをまどかに任せ、俺はリビングにあった布巾やタオルなどを持って、一刻も早く松本さんの所へ向かう。
特別寮の外に出たときには、既に入り口前で仰向けに倒れている松本さんの周りを何人もの人が取り囲んでいた。
「すみません! 俺は彼女の知り合いです!」
俺がそう言うと、松本さんを取り囲む人達はすぐに離れていく。
倒れている松本さんの近くの路上には、血だらけの家庭用ナイフが落ちている。松本さんはこれで刺されたのか。
俺は左手で松本さんを仰向けの状態で抱きかかえ、タオルを持った右手で刺された箇所である腹部を力強く押さえつける。
耳を松本さんの口元に近づけ、呼吸を確認する。呼吸音が聞こえるため、まだ生きていることが分かる。
「松本さん、救急車がもう少しで来ますから……それまで頑張ってください」
松本さんは腹部をナイフで一突きされただけだ。
しかし、深く刺されたせいかタオルを伝って俺の右手に生温かい感触がどんどんと伝わってきている。その度に俺は強く押さえる。
「成瀬、君……」
松本さんが意識を取り戻した。その証拠に彼女の眼が少しだけ開く。
「松本さん! もう大丈夫ですよ。すぐに救急車が来るので」
「私は……だ、誰かに……刺された……」
「そこに落ちているナイフで腹部を刺されたんですね! 刺した人の顔は見ましたか?」
「わ、分からない……。黒い帽子を被って……黒いコートを……着ていた……」
黒い帽子にコートか。白昼にナイフで刺すには相当なリスクがある。きっと、自分の姿が見えないように変装したのだろう。
俺はすぐにその二つの条件に合っている人がいないかどうか周りを確認する。しかし、誰もいない。逃げられたか。
「俺達が絶対に松本さんを刺した犯人を見つけますから。だから、松本さんはしっかりと気を持つことだけを考えてください! もう、無理して喋らなくていいですから」
すぐ側にある家庭用ナイフは越水さんを殺害した凶器と同じものだ。ということは、松本さんを刺した人間は越水さんを殺害した犯人と同一である可能性が高い。
そうなると、真犯人はナイフを持って松本さんが特別寮から出てくるのをずっと待っていたことになる。
「先生!」
まどかが特別寮から俺の方へ走ってやってくる。
「篤人さん、救急車と警察に通報しました。あと、堤先輩にも連絡しました。先輩は走れば後数分ほどでここに着くそうです」
「分かった、どうもありがとう」
「それよりも、先生はどうなんですか?」
「意識もあるし、呼吸も何とかできている。でも、出血が酷い。俺が必死に押さえていても止まる気配がない。早く病院に行って輸血とかをしないと危険だ」
「そ、そんな……」
まどかは涙を流して、その場に座り込んでしまう。
「私が駅まで一緒に行かなかったから、先生が……」
「まどかは何も悪くない! 悪い奴がいたとすれば、それは松本さんのことをナイフで刺した人間だ。まどかは自分を責める必要はないんだ……」
俺だって、まどかと同じことを思っているさ。悔しくてたまらないんだ。
「送って行かなかった自分を悔やむなら、今できることを精一杯すればいい! 松本さんはまだ生きている。意識を失わないためにもまどかは松本さんに声を掛けてくれ!」
そうだ、松本さんの温もりはまだしっかりと感じられる。俺達にできることは救急車が来るまでその温もりを絶対に無くさせないようにするだけだ。
俺の気持ちがちゃんと伝わったおかげか、まどかは両手で涙を拭って、松本さんの側まで近寄る。
「先生! 頑張ってください!」
まどかが声を掛けると、松本さんは激しい呼吸の中をしながらも頷く。
一秒でも早く救急車は来てくれないのか。松本さんを見つけてから数分しか経っていないのにとてつもなく長く感じる。
「篤人君! まどかちゃん!」
堤先輩がそう叫びながら、俺達の方へ走ってくる。
「俺達の家から出た直後に、松本さんがそこに落ちているナイフで刺されました。刺した人は黒い帽子と黒いコートを身に纏っていたようで、顔もよく見えなかったそうです」
「ということは、越水さんを殺害した犯人と同一である可能性が高いわね。ナイフも越水さんを殺害した凶器と同じ種類のナイフだし」
「やはり、先輩もそう考えますか」
もし、同一犯であれば松本さんが俺達と接触することを恐れたのかも。松本さんの持つ情報でななみさんが無実であり、真犯人が別にいることが知られたら、自分が疑われる可能性が生じることになる。それを食い止めたかったのかもしれない。あるいは、そんなことは関係無しに元から松本さんを殺害しようとしていたか。
そんなことを考えていると、救急車のサイレンが聞こえてきた。
「救急車が来たようね。私が誘導してくるわ」
堤先輩は道路の方へ行き、救急車に手を振る。
「先生、救急車がもうすぐ到着しますよ! もう少しの辛抱ですから!」
まどかが必死に声を掛けるが松本さんが返事をしない。目も閉じてしまっている。
俺はすぐに膝の上に松本さんの頭を乗せ、左手を松本さんの首筋に触れる。
「脈拍は弱いけどまだある。生きてるぞ」
「救急車が到着したわ!」
振り返ると、救急車がすぐ側に停車していた。救急車から三人の救急隊の人が担架と共に降りてくる。
「患者さんはこちらの方でよろしいでしょうか!」
「はい。ナイフで腹部を一突きされました。深く刺されたためか出血が酷いです。意識は失っていますが、脈はまだあります」
「分かりました。では、二名ほど救急車の方に同乗してもらえませんか?」
二人、か。
そうなると、俺達の中で必ず一人ここに残ることになる。診断書の件もあるし、どうすればいいんだ。
「篤人君はここに残りなさい」
堤先輩はすぐにそう言った。
「救急車には私とまどかちゃんが同乗するわ。これから警察が来るし、この状況を一番分かっていて正確に説明できるのは篤人君よ。それに、私の見つけた重要な情報も後で話せればいいことだから」
「分かりました」
「紗希ちゃんや香織ちゃん、霧嶋刑事には私から伝えておくわ。じゃあ、篤人君……また後で会いましょう。まどかちゃん、行くわよ」
「は、はい! では、篤人さん……また後で」
「ああ」
救急隊の人により松本さんが担架で運ばれた後、堤先輩とまどかも救急車に乗る。そして、再びサイレンが鳴り、救急車は俺のいる特別寮から離れていったのだった。
その後、鏡浜警察署の刑事が現場にやってきて俺は事情を話しながら、一緒に混ざらせてもらい現場検証を行った。そして、松本さんが刺された瞬間を目撃した人がいないかどうか聞き込みも行ったが、事件の瞬間を見た人はいなかった。しかし、松本さんと同じく黒い帽子と黒いコートを身に纏った人が特別寮の入り口の方から走っていくのを見た人は何人かいた。
日も暮れて、一連の初動捜査が終わったときに、松本さんが越水さんの婚約者であることを知らせるとすぐに霧嶋刑事に話しておくと言われた。彼が越水さんの殺害された事件の担当責任者らしい。
やっと解放された俺は一度家に戻り、血だらけの服を脱いで新しい服に着替える。そして、俺は松本さんから渡された診断書を持って、松本さんが手術を受けているという鏡浜総合病院に向かうのであった。
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