第19話『酷吐く』

 俺達の件が終わった後は和やかな雰囲気でホームルーム活動が進んだ。

 そして、昼過ぎになって終礼が終わると俺達はすぐに家に帰った。それには一つ理由があり、ホームルーム活動の間にまどかに松本さんからメールが来たのだ。松本さんは俺とまどかの家で大事な話をしたいらしい。

「大事な話ってなんでしょうね?」

「さあ、何だろうな? でも、事件に関係することかもしれないな」

 ソファーに座り、俺は昼飯ができるのを待つ。

 ああ、幸せだな。自分で作らなくても家で温かい料理が食べられるなんて。どんなものでも作ってくれるだけで有り難いのに、まどかの料理は美味いからな。こんな生活が待っているなんて三日前には想像できなかったぞ。

 まどかは私服姿で料理をしている。薄いブラウンのキュロットパンツに上は鮮やかな桃色のTシャツだ。シンプルな服装は清純なまどかによく似合っている。

「もう少しでできますからね」

「ああ」

 昼食が何なのかは出来上がったときの楽しみにしておこう。

 あの後、何人かのクラスメイトが越水さんなどの情報をくれた。やっぱり、一貫して越水さんは良い先生だったというのが第一声だった。また、彼等が中学に入学したときには既に越水さんと松本さんは付き合っていたそうだ。

 それ以外にも色々な情報を手に入れられたが、特に事件に関わるような情報は一つもなかった。

「篤人さん、できましたよ。今日はカルボナーラを作ってみました」

 まどかに言われると俺はテーブルの方に行く。

 テーブルにはカルボナーラが二つ置かれている。クリーミーな匂いに食欲をそそられるな。美味そうだ。

「黒コショウはお好みでお願いします」

「ああ」

 黒コショウをいつもかけるので遠慮なくかけさせてもらおう。

 俺はカルボナーラに黒コショウをかけ、一口食べる。

「うん、美味しい」

 程よいクリーミーさがたまらない。スパゲティの塩分も丁度良い感じ。少しでも塩気がないと単に甘ったるいだけになる。黒コショウの辛さがいいアクセントになっている。

 まどかは一口も食べずに緊張した面持ちで俺のことを見ている。

「どうしたんだよ。早く食べないと冷めるぞ」

「いえ、篤人さんのお口に合うかどうか気になってしまって」

「……俺好みだよ。そういうのってオーラの色で分かるんじゃないのか?」

「能力を使えばまさに一目で分かりますけど、嬉しいかどうかはやっぱりその人の表情を見て知っていきたいんです」

 まどかは優しく微笑みながら言った。

 嬉しい気持ちは自分の目で確かめたい、か。まどからしい考えだ。能力を使って相手の気持ちを知れても、それで本当に心が通い合っているとは言えないだろうし。

「そういえば、松本さんって何時頃に来るんだっけ?」

「午後二時過ぎと言っていました。特別寮の場所は知っているみたいですし、部屋番号を知らせたので大丈夫だと思います」

「そうか」

 松本さんが来る理由、何なのだろう。大事な話をしたいと言っているので、必然的に気になってくる。

 でも、まずはカルボナーラだ。冷めないうちに食べきらないと。

「美味しいです。上手に作れて良かった……」

「たまには俺も飯を作るよ。まどかが来てからずっと作ってくれてるだろう?」

「いえいえ、いいんですよ。それに、一昨日の夕ご飯の時……篤人さん、泣きながら完食してくれたじゃないですか。それが凄く嬉しかったんです」

「……あ、あれには色々と理由があって……」

 もちろん、まどかの料理が美味かったこともある。

 それよりも、俺のために料理を作ってくれたという感動の方が大きすぎて。しかも同い年の女子が作ってくれるなんて、夢にも思わなかったんだ。

「両親がいない時間が多かったから平日は基本、俺が作ってたんだよ。だから、作ってくれたのが嬉しかったんだ」

「そうだったんですか」

 こうして言ってみると結構恥ずかしいもんだな。さっさとカルボナーラ食っちまおう。うん、凄く美味い。

 それからは無言だったが、まどかは凄く幸せそうだった。



 午後二時過ぎ。

 約束通り、松本さんが家にやってきた。今日は少し暑いからか、松本さんは水色の半袖のワンピース姿というとても爽やかな格好をしていた。まどかから聞いたが、これで二十七歳だとは思えない。大人の雰囲気を醸し出す大学生のような感じだ。それは竹内さんにも言えることか。

 学校から直接来たのかはよく分からないが、松本さんは少し大きめのブラウン色のバッグを手に持っている。

「こんにちは、まどかちゃんに成瀬君」

「こんにちは、松本先生」

「二人で住むにしてはかなり広そうな感じだけど」

「この部屋は四人部屋なんです。まだ、入居者が私と篤人さんしかいないだけで」

「ふうん、そうなんだ。城崎学院の特別寮はとにかく凄いって聞いたことがあるけど、どうやら本当だったみたいね」

 高校進学まで地方に暮らしていたせいか、俺は入居直前まで特別寮がどんな感じなのか全く知らなかった。鏡浜市内やその近郊では有名な話なのかな。

 松本さんをリビングに通すと、彼女はさっそくまどかのことを抱きしめる。

「今日は由佳がいないから好きなだけ抱きしめちゃうぞ!」

「あううっ……」

「やっぱりまどかちゃんは抱き心地も良いし、何よりも良い匂いがする……」

「は、恥ずかしいですよ……篤人さんの前で」

 松本さんは昨日と同じく、まどかの胸に顔を埋めている。そういえば、彼女は匂いフェチなんだっけ。婚約者である越水さんに対しても、今と同じようなことをしていたのだろうか。

「篤人さん、さすがにもう限界です……」

「分かった。今、引き離すから」

 俺は松本さんを今にも泣きそうなまどかから引き離す。

「松本さん、今日は大事な話があって来たんでしょう?」

「そ、そうだけど……もうちょっと抱かせてくれてもいいんじゃないかな」

「駄目ですって。まどかが限界だって言っているんですよ?」

「……それじゃ仕方ないわね。まどかちゃんに嫌われたくないし。ていうか、成瀬君ってもっと優しいと思ってたのに、由佳みたいに厳しい気がする」

俺はただ、まどかを助けるために引き離しただけなのに、何故ここまで言われなければならないんだ。そこまでまどかを気に入っているのか?

松本さんは少し不満そうな表情をしつつも、テーブルの椅子に座る。

「先生、紅茶でも淹れましょうか?」

「お構いなく。私の方からお願いしたわけだし」

「そうですか」

「それで、俺達に大事な話があるらしいですけど、それって何ですか? もしかして、事件に関係していることですか?」

 俺がそう訊くと、松本さんの表情が一気に曇る。

 一体どうしたんだ? やっぱり、事件に関係することなのか?

「まどか、オーラの色はどうだ?」

「濃い黒のオーラです。実は小会議室で聞いた罪悪感の話の後も……ずっと、黒いオーラが出続けていました。私はてっきり、自分が実験室を出なければ越水先生は亡くならなかったと強く思っていたことが原因だと考えていましたが、どうやら違うようですね」

 つまり、昨日……まどかに見えた黒いオーラの真意、それはあの時に話した松本さんの罪悪感ではなかったということか。もしかしたら、今から話す大事な話こそが今も見える黒いオーラの真意なのかもしれない。

「二人とも、何を小声で話してるの?」

「いえ、何かお菓子を出した方が良かったかなと思って」

「大丈夫だよ。それに、何にも喉を通らないだろうし……」

「それって、今から話そうとする大事な話のせいですか?」

 松本さんは小さく頷いた。

 俺とまどかの推理はどうやら当たっているみたいだ。昨日、松本さんが話した罪悪感の件は嘘だったということ。

 松本さんは自分のバッグを開けて何かを出そうとしている。

「二人に話す大事な話はこのことについてだよ」

 そう言って松本さんが取り出したのは、血の付いたA4サイズの茶封筒だった。血の所為で全て見えないが、『産婦人科』と書いてあるのが分かる。

 封筒に血が付いている所為か、まどかは目を見開き右手を口元に当てている。そういえば血を見るのが怖いからまどかは昨日、現場に入らなかったんだよな。

「産婦人科というのも気になりますけど、それよりも付着している血痕の方が気になります。これは誰の血痕ですか?」

「……直樹さんのもの」

 一瞬、耳を疑った。松本さんの声が小さかったため、聞き間違いじゃないかと思った。

「直樹さん、ということは……被害者である越水さんの血痕ですか?」

「うん、そうだよ」

「ちょっと待ってください。この茶封筒はいつ、どこで手に入れたものですか?」

「事件当日の午後三時十五分、理科第一実験室で」

「ということは、松本さんが事件現場に行ったときにはもう……」

「うん、血を流して亡くなってた。もちろん、ななみちゃんはいなかったよ」

 何てことだ。松本さんの今の話が本当なら状況が一変する。いや、越水さんの血痕が付いた茶封筒もあるわけだし、おそらく本当のことだろう。そして、今の話が真実であればななみさんの無実は証明される。

 同時に、真犯人は午後三時から三時十五分の間に越水さんを殺害したことになる。松本さん以外の人間が真犯人であれば。

「先生が昨日言っていた罪悪感、本当はこのことだったんですね……」

 まどかが茶封筒を見ながら言った。

 でも、血痕が付着する茶封筒の存在を隠していたことだけで、深い罪悪感へと繋がるのか? 俺はまだ何かあると思うけれど。

「松本さんが現場に来たときの越水さんの様子はどうでしたか?」

「……血だらけで仰向けに倒れてた。お腹にナイフが深く刺さってて」

 現場で遺体の写真を見た堤先輩が言っていたことと同じだ。ということは、ななみさんはナイフの柄を触っただけになる。理由はまだ分からないけど。

 松本さんが午後三時十五分に現場へやってきたときに越水さんは既に亡くなっていたことが分かった。そうなると、自然とある疑問点が浮かび上がってくる。

「どうして、この封筒の件を隠していたんですか? 事件当日、警察が捜査しているときに封筒と一緒に出せば、今頃……ななみさんは学校に通えたかもしれないんですよ。この封筒はななみさんの無実を証明するのには十分だと考えられますが」

 そう、どうして封筒の件を今まで隠していたのか。この疑問が残っているから、まどかがさっき言ったことに納得できなかった。

 まさか、誰かを庇っているのか? それとも、この証拠自体が今の話を創り上げるために用意したものだったりして。考えれば考えるほど分からなくなってくる。

 松本さんは茶封筒を指さして、

「成瀬君、封筒の中身を見て」

 と静かに言った。

 俺は松本さんの指示通り茶封筒を手にとって、中身を取り出そうとする。血痕のせいで封筒に張り付いてしまいなかなか取り出せなかったが、何とか中身を取り出すことができた。

「妊娠診断書ですね……」

 松本さんの妊娠診断書、なのか? 診断日は事件当日の三月二十九日だ。

 そして、俺はすぐに患者の名前の欄を確認した。すると、そこには信じられない人物の名前が記載されていた。

『百瀬遥』

 昨日、稲見さんと一緒にいた彼女のこと……だよな。年齢の欄も確認するとそこには十四歳と書かれている。

 まどかは信じられないと言わんばかりの表情をしている。きっと、彼女もこの妊娠診断書は松本さんについてのものだと思っていたのだろう。

「どうして、遥ちゃんの名前が……」

「それは……百瀬さんが妊娠しているからだろう。信じられないけど、彼女のお腹の中には誰かとの間の子供がいるんだ。別の人間が、百瀬さんの保険証や診察券を使って診察を受けたというのも考えにくい」

 そういえば、昨日……梅津君が言っていた。百瀬さんは三月頃から体調を崩す日が多かったと。診断書を見ると、事件当日の時点で十二週目か。となると、梅津君が目撃した時期はまさにつわりのピークだ。ということは、つまり百瀬さんはつわりで度々体調を崩していたんだ。百瀬さんが妊娠しているのは本当だな。

 中学生の妊娠自体が問題だが、その事実を知らせる診断書は事件現場にあり、越水さんの遺体を発見した松本さんが持ち去った。最優先に考えるべき問題は、百瀬さんは誰との間の子供を作ったかだ。もう、現場にあった以上、答えは一つに絞られているけど。

「越水さんとの子供。そう考えていいですよね」

 俺がそう言うと、松本さんはこくりと頷いた。

「私、現場でこの封筒を見つけたとき、妙な胸騒ぎがしたの。私、直樹さんと子作りを頑張って何度も産婦人科に行って妊娠しているかどうか確かめた。だけど、妊娠が確認されないから診断書なんて一度も発行してもらわなかったの。だから、産婦人科の文字が見えたとき嫌な予感がして。それに、この封筒に書かれている病院の住所が私のいつも行っている病院の住所と違ったしね。だから、すぐに中身を出して患者名の欄を見たら……」

「百瀬さんの名前が書かれていて、彼女の妊娠を知ったわけですか」

「ええ、下の方が血で張り付いているから気づかなかったかもしれないけど、遥ちゃんは何度も病院に行っては診断書を発行してもらっていたみたい」

 確かに、診断書が何枚か重なっている。

 今見ている一番上の診断書は三月二十九日に診断を受けたときのものだ。一枚めくると三月二十日、次は三月十四日、最後の診断書は三月四日と書かれている。もちろん、全ての診断書の患者名は百瀬遥となっている。

「この診断書を見て、もしかしたら犯人は遥ちゃんじゃないかと思って。それに、警察が調べて彼女が妊娠しているとばれたら、マスコミを通じて全国にこのことが知らされてしまうわ。そうしたら、彼女や亡くなった直樹さんまで批判を浴びることになる」

「それで、松本さんはこの事実を自分の中で収めてしまおうとしたんですか」

「うん。その時にはななみちゃんが逮捕されるなんて思いもしなかったから……」

「それでも、どうして今まで診断書のことを言わなかったんですか! ななみさんは冤罪によって逮捕されて一週間以上も拘束されているんですよ!」

「篤人さん! ……そのくらいにしてもらえませんか?」

 思わず激昂してしまった。現場での松本さんの取った行動は、ななみさんを見放すことだと思ったから。

 まどかに声を掛けられて我に返ったときには、既に松本さんは泣き崩れていた。

「……本当にごめんなさい。胸が苦しくてたまらなかった。診断書のことを話せば遥ちゃんにも辛い思いをさせる。でも、このまま何も言わないと、ななみちゃんが無実のことで檻に入れられることになる」

「松本さん……」

「……ほんと、教師として最低だよ。だって教え子を裏切ったんだもん。そう思っていたからこそ、まどかちゃんに会えたことが嬉しかった。まどかちゃんはもうこんな私とは二度と合ってくれないと思ってたから」

 だから、まどかに会うとすぐに力強く抱きしめていたのか。そして、まどかの匂いを感じることでななみさんを抱きしめるという擬似体験をしていたわけか。

「先生は最低じゃありません」

「まどかちゃん……」

「だって、松本先生はこうして私達に遥ちゃんの診断書のことを話してくれたじゃないですか。それに、私や篤人さん、AGCのメンバー達は遥ちゃんの妊娠のことを絶対に悪く言わないです」

 まどかは両手で松本さんの手をぎゅっと握る。

「私達が真実を絶対に見つけます。だから、安心してください。それよりも、ななみの無実を証明してくれてありがとうございます」

 まどかがそう言うと、松本さんは再び大粒の涙を零し始める。

「まどかちゃんはやっぱり優しいな……」

 松本さんは小さな声で言う。

 まどかの言う通りだ。今まで診断書の件を隠していたのは問題だけど、その事実を今日になって俺達に伝えてくれた。松本さんは最低な人なんかじゃない。優しい心持っているから今日まで言い出せなかったのだろう。

「松本さん、一つ訊いてもいいですか?」

「何かな、成瀬君」

「この診断書ことは百瀬さんには話しましたか?」

「うん、事件のあった翌日……家の電話でね。遥ちゃん、凄く悲しんでた。直樹さんが死んじゃって、ななみちゃんも逮捕されちゃって。その時に現場で見つけた診断書の話をしたら、やっぱり驚いてた。それで、ずっと謝ってた」

 百瀬さんがそうするのも分かる気がする。越水さんとの子供ができたということは、松本さんから彼を奪い取ってしまったことに等しいから。

「松本さんはどう思っているんですか? 百瀬さんが越水さんとの子供を妊娠してしまったことに」

 いずれ、訊かなければいけないことだと思っていた。まどかには悪いけど、俺は松本さんが真犯人である可能性もあると考えているからな。

 松本さんは口元では笑っていたが、やはり暗い表情を俺達に見せてくる。

「どうなんだろうね。遥ちゃんに新しい命を宿ったことは嬉しいよ。でも、それが直樹さんとの子供だとなると複雑な気分だよね。越水家のお嫁さんになるにはまず、彼との間に子供ができないと婚約する資格が与えられないの。だから、現場で診断書を見たときから今までずっともやもやしたまんま」

「そう、ですか……」

 つまり、事実上は越水さんとの結婚の資格を百瀬さんに奪われたことになるのか。複雑な気持ちになるのは分かる気がする。

「遥ちゃんには深く考え込まないで、って言ったわ」

「なるほど。ちなみに、百瀬さんの妊娠のことを知っている人は?」

「私の知る限りだと、妊娠を知っているのは彼女のご家族と……私ぐらいかな。後はまどかちゃんと成瀬君だけだよ」

「分かりました」

「……本当は遥ちゃんが直樹さんを殺したんじゃないかなって思ってる」

 不意に漏らした松本さんの本音に俺やまどかは何も言い返せない。

 女性にとって妊娠は今後の人生を大きく左右することだ。ましてや、その女性が中学生となると、この先の人生……一筋縄ではいかないことは確かだろう。

 人生を大きく狂わされたから殺した。松本さんはそう考えているのかもしれない。

「それは、捜査をしないと……分からないことですよ」

「……そうだよね」

「俺達は誰が真犯人で、どんな理由で越水さんを殺害したと分かったとしても、その真実をありのままに伝えるつもりです。たとえ、あなたが真犯人であっても」

「篤人さん……」

 もう、今回の事件はそう単純ではないことは分かっている。幾つものの背景が複雑に折り重なって越水さんは殺害されたんだ。

 そして、現に嘘の罪でななみさんが逮捕されている。そんな状態で必要なものは確かな真実を見つけ、真犯人に罪を認めさせることだけだ。俺達はそのために動いていると言っても過言ではない。誰が真犯人であろうと容赦しない。

「……安心したよ」

「えっ?」

 意外にも松本さんは優しく微笑んでいた。

「成瀬君がいれば、事件の真実どんなものだって見つけられると思うよ。それに、ななみちゃんが逮捕されてからまどかちゃんのことが心配だったの。でも、こんなに頼もしい男の子が側にいてくれるなら、私も安心できる」

「いえ、そんな……」

 まどかは頬を赤くしながら俯いてしまう。でも、少し嬉しそうだ。

「私もそんな人がいれば良かった。直樹さんも死んじゃって、私はもう一人ぼっちな気がしてならないの。それは遥ちゃんにも言えることかな……」

「私達で良ければ何時でも先生の力になりたいです! ね、篤人さん」

「ああ、そうだな。そして、今……その力になるというのは、真実を見つけるということだと思っています」

「……ありがとう。まどかちゃん、成瀬君」

 松本さんは椅子から立ち上がり、まどかの所まで行き……まどかのことを力強く抱きしめる。

「私、そう言ってくれるまどかちゃんのことが大好きだよ」

「先生……私も大好きです」

 そして、まどかも松本さんのことを抱きしめた。思えば、二人が抱き合った場面を初めて見た気がする。

 十秒ほど経ち、まどかとの抱擁が終わると松本さんは俺の前までやってくる。

「さすがに成瀬君を抱きしめられないな。だって、そうするとまどかちゃんから成瀬君を取っちゃう感じになっちゃうでしょ?」

「ふええっ! べ、別に私と篤人さんはそんな関係では……」

「もう、照れなくて良いんだよ。私には分かってるんだから」

「だから、私は……あううっ」

 まどかは顔を真っ赤にして、テーブルに突っ伏してしまった。

 やはり女性にとって、男女二人が同じ部屋に住んでいると『同棲』というワードに行き着くのだろう。

 よし、ここは俺が松本さんの誤解を解かないと。

「別に俺とまどかは付き合っているとかそういう関係じゃありませんから。ただ、まどかを守ることは決めましたけど」

「平然と言えるなんてかっこいいね、成瀬君」

「……俺が決めたことなので、かっこいいとか考えてないですよ」

 俺はナルシストとかじゃないんでね。まどかを守りたいからそうしているだけの話だ。そんな俺っていい奴だろ、だなんて人に自慢する意味なんて全くないと思う。いい奴かどうかは周りが判断することだ。

 松本さんはすっかりとさっきまでの暗い雰囲気を払拭しているようだった。

「そっか、分かったよ。じゃあ、握手でいいかな」

「……はい」

 俺は右手で松本さんと握手した。彼女の手から伝わる温もりからはやはり、包み込むような大人の優しさが感じられた。

「二人に話して正解だったよ。遥ちゃんの診断書は二人に預けておくわ」

「分かりました。俺達が責任を持って管理します」

「絶対に真実を見つけて、真犯人を教えてね」

「……ええ、もちろんですよ」

「じゃあ、私は帰るわ。まどかちゃんも頑張って」

「はい!」

 松本さんは笑顔で手を振って、家から出て行った。その前に俺とまどかが駅まで送ろうかと言ったけれど、大丈夫だと言われた。

 とりあえず、今のことをすぐに堤先輩に言っておかないと。俺は携帯電話で堤先輩の携帯に電話をかける。

『篤人君? どうかしたの?』

「今さっきまで、松本さんが俺とまどかの家に来ていたんですよ」

『へえ、そうなの。私に電話をしてくるってことは何か事件のことについて有益な情報でも手に入れられたのかしら?』

「ええ、そうです。実は――」

 俺は堤先輩に全てを話した。松本さんが現場に行ったときには既に越水さんが亡くなっていたこと。現場に置かれていた封筒には、百瀬さんの妊娠診断書が入っていたこと。

『分かったわ。じゃあ、今すぐにあなたたちの家に向かうわ。私も一つ、学校で重要な情報を手に入れられたしね』

「そうですか、分かりました。では、また後で」

『ええ、また後で』

 通話を切って俺はリビングに戻る。

「今の話だと、堤先輩に電話をかけていたんですか?」

「ああ、松本さんが来たことや診断書のことについて話した。堤先輩も学校で何か情報を手に入れたそうだから、今すぐにここに来るって」

「そうですか。それにしても、気になりますね、その情報」

「そうだな。堤先輩が重要だって言うんだから相当なんだろう」

 まあ、先輩がすぐに来るからその情報のことはあまり気にしないでおこう。

 何はともあれ、ななみさんの無実が証明できそうで良かった。きっと、ななみさんは苦しい思いをし続けただろうから。彼女が解放されたら、すぐに事件のことについて聞かないと。彼女にしか知らないこともきっとあるはずだ。

「そういえば、篤人さん。私……ずっと気になっていることがあるんです」

「何かあったのか?」

「篤人さんのことです。昨日、捜査が終わって中学校を出ようとしたときに『誰だ!』ってもの凄い剣幕で叫んだじゃないですか。私にはそれが気になって……」

「そういえば、叫んだな……」

 叫ぶ直前に堤先輩がふざけていたため防衛本能が発揮した。その防衛本能の影響が残っていたせいで不意に叫んでしまったのだと思っている。

「急に後ろを振り向いて叫んだので、後ろに誰かいたのかと思いました」

 そういえば、あの時……俺は後ろに振り返ってから『誰だ!』と叫んだ。そこから導き出される答えは唯一つしか――。

『きゃああああっ!』

 どこからか女性の叫び声が聞こえた。

「今、誰か叫んだよな」

「多分、外からです。バルコニーへ出て様子を見ましょう!」

 まどかの言う通り、俺はバルコニーに出て外の様子を確かめる。

 すると、そこには信じられない光景が待っていた。

「あ、あれって……」

 特別寮の入り口前に一人の女性が血を流して倒れていた。その近くを通りかかった人達が続々と立ち止まっていく。

 血を流している女性は水色のワンピースを着ており、その顔は――。

「松本さん!」

 さっき、笑顔になって家を出た松本さんだった。

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