―111― 救出(1)~囚われの船~

 水平線の彼方に沈む紅の夕陽は、”二隻の船”をゆっくりと――まるで覆いかぶさるがごとく包み込んでいった。

 二隻の船のどちらとも”程度の違いはあれ”、各々の甲板には残酷な襲撃の爪痕が刻まれている。

 日が高く昇っていた頃より変わらぬ、母の囁きのごとき穏やかな波の音が、この二隻の船の間には流れていた。

 


 その二隻の船のうちの一隻、アドリアナ王国から出港した船内において――

 戦いにおいて負傷者たちは、面積の大きい船室内(この船における広間のような)へと揃って運び込まれ、救護の真っ最中であった。

 もちろんレイナも、その船室で救護に当たっていた。

 医療に従事したことなどないレイナに専門的な知識などはない。だから、彼女は医師ハドリー・フィル・ガイガーの指示のもと、傷つき呻いている兵士たちの傷口を蒸留水等にて消毒し、包帯を巻くことしかできなかった。

 しかも、レイナはその包帯の巻き方すら正しいものであるのかという確証もないし、改めて勉強している余裕などもない。さらに、ここが陸地を遠く離れた船の中であるとはいえ、ガイガーが自前の医療器具を火で炙るなどしてきちんと消毒しているのを目にしているとはいえ、現代日本の病院という医療現場に比べると不衛生に感じずにもいられなかった。



 軽薄&女性蔑視で、なお数日前にレイナに性的なちょっかいまでかけてきた医師・ガイガーであるが、その性格はどうあれ医師としての職務は(当たり前であるが)全力で果たすタイプであるらしかった。

 もともと細面の彼の頬はさらに削られたようにこけ、彼の服の両袖口もそして服の前面も、まるでガイガー自身が重傷を負っているがのごとく、負傷者たちの血をふんだんに吸い込み、赤い地図を描いていた。

 しかし、ガイガーはこめかみに汗を滲ませながらも、傷口の縫合が必要である兵士たちにはハンカチを噛ませ、次々に彼らの傷口の縫合を行っている。


 この広い船室全体に立ちこめる血の匂いに、至るところであげられている痛苦の呻き声が重なり続けていた。傷の痛みに加え、発熱までの事態を引き起こし、真っ赤な顔で苦しんでいる兵士も数人いる。

 しかし、ともにアドリアナ王国を発った兵士たちの中には、もう痛みと苦しみに呻くことすらできなくなった者たちも多数いるのだ。

 この船を守るために、正義を胸に戦った兵士たち。

 そして、ペイン海賊団との戦いにおいて、海に散った若き兵士たち。


 何とか動くことができる兵士たちによって、この船室へと運び込まれ集められた負傷者たち全員が、今というこの時も呻き続けているわけではなかった。

 ほんの数刻前、1人の兵士が手当ての甲斐なく亡くなった。

 腹部に大きな傷を負っていた彼は、うっすらと目をあけたまま静かに息を引き取った。

 そして、今、レイナのすぐ近くでも――


「う……っ……!」

 横たわっていた兵士の1人より、発せられたひときわ重々しい呻きに、レイナはハッと振り返った。

 ビクビクと痙攣を起こして始めている彼のその姿に、レイナの顔はひときわ青くなった。

「し、しっかり……!」

 とっさに彼の元へと駆け付けたレイナであったが、どうすれば自分に彼の苦しみを止められるかどうか分からない。

 しかし、彼の痙攣はスッとおさまった。

 そして、彼は弱弱しく右手を宙へと伸ばした。まるで、何かを……いや、誰かの姿をそこに求めているかのように……


 思わず、レイナは彼のその手をギュっと握りしめていた。微笑むように口元を緩ませた、もう目が見えていないであろう彼もまた、レイナの手を握り返してくれた。

 ”最期の力”で……

「か、かあさん……」

 それが彼の最期の言葉であった。

 母を――アドリアナ王国にて自分の帰りを待っている母を呼んだ彼は、微笑んだままゆっくりと目を閉じ、静かにその頭(こうべ)をガクリと垂れた。


「…………!!」

 レイナの瞳より、ドッと流しつくしたはずの涙が溢れ出た。

 彼を救うために何もできなかった。

 彼の命の灯火は、自分の目の前で静かに、そして悲しく消えていった。

 

 レイナとたった今、息を引き取った若き兵士には、生前の関わりは皆無であった。話をしたこともなければ、レイナは(船内における生活エリアが別である)彼の名前すら知らなかった。

 けれども、レイナは彼の手を握りしめ、祈っていた。

 彼の魂が冥海へと向かう前に、アドリアナ王国の大地へと――彼の愛する母の元へと戻ることを……

 若くして無念のうちにこの世を去ることとなった彼に……勇敢に戦い抜いて散った彼の人生に、そして愛する息子をこんな形で亡くし、その悲しみを背負い続けていくであろう彼の母の人生に、ほんの少しでも救いの光が差し込むように――



「…………その人も、亡くなったの?」

 後ろからの”涙声”に、レイナは振り返った。


 ジェニーだ。

 レイナはジェニーにコクリと頷いた。

 彼女の瞳もレイナと同じく赤くなっており、その柔らかな頬には涙の筋が残っていたことがありありと分かる。



※※※

 

 彼女の祖父・アダム、そして同じく魔導士であるピーターは、弓で貫かれるという重傷を負っているため、この船室内に兵士たちとともに保護されている。

 ”海賊の1人”に弓矢で貫かれてから、ほぼ5分以内に、ハドリー・フィル・ガイガーの応急処置を彼らは受けることができたためか、数刻前に傷口からの出血はようやく止まったらしかった。

 命そのものには、別条はない。

 しかし、今、彼ら2人は今、発熱という苦しみの中にいる。

 解熱剤の役割を果たしているらしい薬草を煎じたものを、彼らはそれぞれ服用はしたものの、すぐに体調回復し、傷も塞がるというわけではない。


 そして、ミザリーもこの船室内にいる。

 しかし、彼女は”負傷者”の中では唯一の女性であるため、兵士たちと並んで寝かされ、手当てを受けているわけでない。

 気を利かせた侍女長たちが、即席で作った仕切りの向こうにいる。

 

 レイナは兵士たちの手当を行いながらも、ミザリーの様子に気を配っていて、またジェニーも含め他の侍女たちも様子を見に行っていた。

 一気に体中の血を抜かれてしまったかのような顔色となったミザリーの唇はかすかに動き続け、心臓の確かな鼓動の証明のように、その胸は上下していた。

 ただ、彼女の白い左肩には、一般的な成人の親指の爪ほどの大きさの穴が開いており、そこから黒い煙がシュウシュウと今もなお、立ち上り続けている。

 忌まわしい狼煙が目印であるかのごとく……

 アダムとピーターは弓矢で肉体を傷つけられた。

 でも、ミザリーは違う。

 明らかに魔導士の力によって、彼女は重傷を負わされ苦しませられていることは誰が見て明白であった。



※※※



「レイナさん……私が”その方”を運びます」


 ダニエルがやってきた。

 ダニエルの服にも自分でない血が染み込み、そのうえ、彼はぎこちない歩き方をしていた。

 彼のズボンは膝小僧の少し上あたりで切断され(おそらくダニエル自身が切ったのであろう)、彼の体毛の薄い白い”両ふくらはぎ”には血の滲んだ痛々しい包帯が巻かれていた。


 ダニエルは自分の足の怪我――海賊レナート・ヴァンニ・ムーロの鉤爪で散々にザクザクと切り裂かれた怪我は、「私の怪我は命に係わることじゃありませんから……」と自分で手当てを行っていた。

 そして、今の彼は両足の痛みを押さえ、レイナやジェニーと同じく救護者側へと回っていた。

 




※※※


 

 あの猛獣のように暴れ狂っていた海賊は、駆け付けたパトリックたちに難なく制圧された。

 ジェニーが探し当てたロープによって縛り上げられた、声がとてつもなく大きいあの海賊の身長が男にしてはそう高くなかった(ジェニーよりわずかに高いぐらい)ことにも驚いた。でも、それ以上に驚いたのは、その身長に不釣り合いなほど奴の両肩の筋肉は盛り上がっており、体操選手のような印象まで抱かせた。

 正直、背は高いも軟弱な体型のダニエルが、あの海賊を一時的にはあるにしろ、よく1人で押さえ込めたと、レイナも他の者も思わざるを得なかった。



 しかも、あの海賊――鉤爪使い、レナート・ヴァンニ・ムーロは、メンバーの入れ替わりが激しいペイン海賊団において、固定された上位メンバーの1人でもあったのだから。


 パトリックたちに制圧された後でも、闘争心と残虐欲が色濃く、血の気までが多いレナートは、明らかに自分が劣勢に追い込まれたにも関わらず、ガアガアと怒鳴りまくっていた。

 ペイン海賊団の者たちが甲板より撤退していった(正確に言うならクリスティーナの魔力によって回収&退却させられた)ことを聞かされても、まだまだ狂犬のごとく喚いていた。


「嘘つくんじゃねえぇ!!! 俺らが――ペイン海賊団がてめえらなんかに負けるわけねえだろ!!!」

 しかし、パトリックに「こうしてお前が捕らえられたことが何よりの証拠だ」との声に、グッと詰まったらしく、黙り込んだ。


 だが、レナートはこの状況にあっても、自分を取り押さえている野郎たちから視線を逸らし、ロープを持ってきたジェニー(ババアではないピチピチの若い女、そのうえ胡桃色の髪と瞳の相当に可愛い娘)を見て、獲物を前にした肉食獣のごとく目を光らせた。

 そして――

 レナートと”レイナ”の目もあった。


「!!!」

 レイナ(マリア王女の絶世の美貌)を目の前にした者たちの例に漏れず、レナートも言葉を失った。

 先ほどまでの憤怒の形相が嘘のように口をポカンと開けていたレナート。

 奴の”時”は、間違いなく止まっていたであろう。


 レイナの美しさに、しばし見惚れていたレナートであったが、すぐに肉食獣の瞳に戻り、ククッと喉を鳴らし、笑った。

「大外れのクソババアばかりかと思ったが、ちゃんと大当たりの女も2人乗ってたとはよ」


 レナートの言葉を聞いた侍女長たちが、一斉にキッと目を吊り上げた。

 窮地に追い詰められたにも関わらず、レナートにはまだ余裕なるものがあった。やはり”普通の海賊”ではなく、バックに魔導士がついているとなると、態度が大きくなるのであろうか。


「……お前の名はレナートか?」

 パトリックが問う。

 ペイン海賊団上位メンバーの人相書きと、それに書かれていた情報をしっかりと記憶していたパトリックが――


 レナートがギョッとする。

「な、なんで、てめえが俺の名前を知ってんだ? 俺はてめえみてえなおっさん、知らねえってのに!」

 レナートは、すでに冥海へと向かった海賊ロジャー・ダグラス・クィルターと、非常に似通った狼狽を見せ、似通った言葉を吐いた。


「そして、あなたは元軽業師であり、エマヌエーレ国の出身者ですね」

 膝下を血に染め、靴にまで血が滴り落ちてるも、立ち上がっているダニエルがパトリックの言葉を継ぐように言った。

 ダニエルもしっかりとペイン海賊団の人相書き及びそこに書かれていた情報――被害者と目撃者からの情報を記憶していた。



「な、なんだよ! てめえら! なんで、そんなに俺のことを知ってんだよ! 気持ちわりぃ!!」

 レナートが喚く。

 しかし、レナートの元々の職業はともかく、レナートの顔立ちややや浅黒い肌のトーンからして、アドリアナ王国出身者ではなさそうであることは、その他の者にも一目で予測はつくことであった。



「この船はエマヌエーレ国へと向かっている。お前をこの場で成敗したいのはやまやまだが、お前をエマヌエーレ国の衛所へと引き渡し、法の下での裁きを受けてもらう」

 パトリックのその言葉に、レナートはなおも鼻を鳴らし、笑った。



 何度、火炙りになっても、何度、斧で首を切り落とされても、また何度、”鉤爪でその喉元を切り裂かれたとしても”被害者たちの無念と恐怖にはとうてい及ばないほどの罪を犯し続けているペイン海賊団の一員。


 クリスティーナなる魔導士に武器である剣を取り上げられたパトリックたちであるも、今ここでレナートの首を絞めるなり、なんなりして、奴の息の音を止めることは可能であった。

 しかし、それはしない。

 生け捕りにして、エマヌエーレ国の衛所へと引き渡す。

 そして、ペイン海賊団が今までに行ってきた悪行を吐かせる。衛所の者たちも、”やや非人道的な手を使ってでも”吐かせようとするはずだ。

 海にて消息を絶った船は多数あり、そのうちの幾隻かはペイン海賊団の魔の手に掻き潰されたのは間違いない。

 無念の思いを背負った”遺族たち”のためにも、法の下で”真実”を明らかにさせる。

 そして、”最後には”、レナートは間違いなく極刑に処されるであろう。



※※※

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