―91― 襲撃(35)~英雄たちは無敵じゃない トレヴァーvsルイージ~

 アドリアナ王国兵士軍団 vs ペイン海賊団。

 みるみる減っていく双方の頭数。

 表か裏か。勝つか、負けるか。生か死か。

 何より、殺(や)らなきゃ、殺(や)られる。どちらかしかない。

 誰もが余裕のない状況であった。

 だが、アドリアナ王国側で、殊更に余裕のない状況へと追い込まれているのは――明らかに自分よりも数段、剣の腕に秀でた者をそれぞれ相手にしているディランとトレヴァーの2人であった。


 ディランは数年前まで侵食をともにしていた元同僚であったジェームス・ハーヴェイ・アトキンスと、そしてトレヴァーは彼は今日というこの日まで面識などなかったルイージ・ビル・オルコットと真正面より剣を交えていた。

 この時の彼らについて、”剣を交えていた”という描写を使うのは正確ではないだろう。

 ディランもトレヴァーも、それぞれが相対する海賊の剣を”防ぎ続けること”で精一杯であったのだから――


 これは非常にまずい状況だ。

 ”希望の光を守る者たち”の肉体派に属する英雄たちは、戦闘能力という点では(カテゴリー違いではあるものの)倒すべきラスボスであるフランシス一味には及ばないのはもちろんのこと、旅の途中で遭遇(いや、ディランにとっては再会か?)してしまった海賊相手にも力の差は如実であった。

 

 英雄たちは無敵ではない。

 けれども、今のこの状況の裏を返せば、ディランとトレヴァーは海賊たちの殺戮の刃を”防ぎ続けることができている”ということである。

 そう、2人の海賊たちにとっても、奴らが予測していた時間よりもずっと長く己の刃は防がれ続けているのだ。



――こいつ……!

 躊躇なく殺戮の刃を発し続ける、海賊ルイージ・ビル・オルコット。

 奴は、目の前の名前も知らないムッキムキの筋肉野郎――トレヴァー・モーリス・ガルシアに思いのほか長く自分の剣を防ぎ続けていやがることに、ほんの少しばかり体の奥から立ち上ってくる焦りのごときねばつきを己の肌に感じていた。

 トレヴァーは、逞しい上半身に、ルイージによる”真新しい斬り傷”を幾つも滲ませてはいる。けれども、この甲板に倒れ伏し動けなくなるほどの致命傷を負ってはいない。よって、現時点でルイージは彼に致命傷を負わせることは”できてはいない”。



――この俺には及ばないけど、筋肉野郎、お前もなかなかやるな。見かけだおしの筋肉の鎧ってわけじゃねえってことか……でもよぉ……

 心の中で言葉を飲み込んだルイージは、その唇の端をニイッと歪めた。

 戦闘中の笑み。

 笑える要素など微塵もない、自分自身も(奴の戦闘能力からすると可能性は低いが)死を孕んだ戦いの中においての、ルイージのその不気味な笑顔にトレヴァーの頬は引き攣った。


 奴は知っている。そのうえ、奴は確信している。 

 この戦いは、奴自身が明らかに優勢にあるということを。そして、このまま”優勢にあり続ける”ということを。

 あとは時間の問題だ。


――ルークたちは皆、無事なのか? 皆、持ちこたえているのか? 今の俺には、仲間たちの安否を確認する余裕すらない。この海賊を倒さない限りは……だが、このまま、俺は何十分も剣を防ぎ続けられるか? いずれ、俺の防ぎにも綻びは生じる……その綻びを狙って、この海賊は俺に止めをするはずだ……!!


 トレヴァーが握り続ける剣の柄は、粘り気のある汗で湿り、ドッドッドッと脈打つ心臓の鼓動は、彼の手の平だけでなく足の裏までもに伝わってきていた。まるで、トレヴァーの全身が、”どうにか今は生き続けている”ことの証明のごとく、脈打ち続ける心臓の鼓動をこれ以上ないほどに感じていた。


 目の前の海賊の腕は確かだ。そうとうに場慣れもしている。技術的にも、”精神的にも”奴には押されている。この海賊に自分が明らかに勝っているのは、体格ぐらいだ。

 だが――

 トレヴァーは決意した。

 いずれ生じるであろう綻びを、今、”自ら”生じさせようとした。

 はたから見たら(より正確に言うなら、神人の船より覗き見をしている武闘派レディたちから見たら)、とても正気の沙汰とは思えない行動にでたのだ。



「……っ……お前……ルークたちと……どういった知り合いなんだ……っ?」

 荒い息を喘がせながら、トレヴァーはルイージへと問う。

 彼は1本目の綻びの糸を、ルイージに向かって垂らした。


 この海賊は、ルークとディランを知っていた。

 そのうえ、この海賊は”甲板での開戦前にすでに血で濡れていた”剣を向ける相手を、ルークかディランかのどちらかに定めていたようであった。

 トレヴァーは目の端で、もう1人のリーダー格である紫がかった黒髪の海賊の方がディランの前にバッと踊り出たのを間違いなく見た。


――こいつは、ルークに向かっていたが、別の海賊が先にルークに剣を突き付けた。よって、こいつは近くにいた俺に狙いを切り替えたんだ。もし、俺がここでこいつに殺(や)られてしまったら、ルークだけでなく、別の者たちが犠牲になる。ここで俺はそれを食い止めなければ……剣ではこいつには勝てない……! けれども、戦闘開始前に、わざとルークとディランのフルネームを大勢の前で呼ぶなどといった底意地の悪さと、喋りたがりで調子乗りの性質が見て取れるこいつなら、俺の挑発に乗るかもしれない……!



 ルイージは、この緊迫している1対1での戦いの最中に、まさかトレヴァーが自分に話しかけてくるとは予測していなかったようで、「はぁ?!」と驚いたようであった。けれども奴はすぐに、先刻までと同様の薄気味悪い笑いを、その無数のそばかすが散った頬に浮かべ直した。


「おいおい……お前、そろそろ限界来てんだろ? 何、余裕ぶっこいてるワケ?」

 ルイージは、トレヴァーの予測通り、垂らされた綻びの糸を手に取った。

 しかも、手に取っただけではなかった。奴はトレヴァーに向かって、さらに言葉を続けたのだから。


「……”俺たち”とあいつらの関係を知りてえってのか? ま、昔の同僚ってトコ。まだ、”俺たち”が真面目チャンだったころのな。ただ、”俺たち”の方があいつらより、年も喧嘩の強さも、あらゆる面で上だけどよ」

 ルイージがビュッと発した刃が、トレヴァーの左頬すれすれでカキン!と音を立てた。綻びの糸を手に取ったルイージであったが、奴の剣さばきには”まだ”崩れは見られない。 



「……お前の名は……っ……?」

 再び息を喘がせながら、トレヴァーは問う。先ほどよりも、数段荒い自身の息が彼の眼前で舞ったかのようであった。

 2本目の綻びの糸をトレヴァーは垂らしたのだ。


「……ルイージだよ。ルイージ・ビル・オルコット。”お前の人生の最後の話し相手”となるんだから、この俺の名前ぐらいは出血大サービスで教えてやるぜ」

 2本目の綻びの糸を手に取った奴は、ニタリと笑った。



――ルイージ・ビル・オルコット!?


 トレヴァーは、その名を思い出した。しっかりと覚えていた。

 今朝のディランの悪夢(実際にあった過去の事件)に、登場した名前だ。

 ルークとディランの昔の同僚。

 彼らより3つ年上の気の荒い――”気の荒い”という表現が生易しく感じられるほどの元・少年は今、悪名高きペイン海賊団の一員として自分と対峙しているということか!


――こいつが、ルイージってことは……まさか、あの黒髪の海賊の名はジム……?



「あっと……筋肉野郎、別にお前の名前は言わなくてもいいぜ。どうせ、”この船にいる女を抱いている頃には”お前の名前なんて綺麗サッパリ忘れちまってるだろうしよぉ」

 そういったルイージの薄気味悪い笑みに、歪んだ性欲による下品さも上塗りされる。

 

 今のルイージの言葉を聞いたトレヴァーは、脈打ち続ける心臓の鼓動にカッと更なる熱までもが瞬く間に上塗りされたのが分かった。

 殺して奪え、奪って殺せの最凶最悪のスローガンを掲げているペイン海賊団に、この甲板を制覇されてしまったなら、奴らはこの甲板の下へと”男の精と残虐欲にまみれた手”を伸ばすことは間違いない。

 レイナやジェニーたちが、こいつらに見逃されるはずがない。

 奴らの手に、彼女たちがひとたび捕まってしまったなら……



「さ、そろそろ冥海への土産話は終いにしようや。化けてでるんじゃねえぞ、筋肉野郎」

 ビュンと鋭い風が――止めの刃が、ルイージより発された。

 その止めの刃は、トレヴァーの心臓を間違いなく狙っていた。手っ取り早く、さっくりと彼を冥海へと向かう船へと乗せるために。

 ”こっちも時間がそれほどねえからな。嬲り殺しにされないだけ幸運に思えよ”とルイージの栗色の瞳は語っているようであった。


「!!」

 トレヴァーはその止めの刃を防がなかった。

 そのうえ、彼は握りしめていた”熱い剣”を自身の両手よりパッと離した。


 けれども、彼は決して戦意を喪失したわけではなかった。目の前の海の悪党に屈し、自身の命を差し出したわけではなかった。

 身をよじり、その止めの刃を間一髪避けた彼は、自らルイージの懐へと向かって――

 バッと身をかがめたトレヴァーの両手が、ルイージの右腕をガッと掴んだ!


「!?」

 ルイージがトレヴァーの狙いをハッと悟った時には、すでに彼の肉体は宙を舞っていた。

 トレヴァーはルイージを背負い投げのだ。


「!!!」

 投げられたルイージは、まるでひょろ長い体躯の蛙(そんなの現実にいるのか?)がベチャッとひっくり返ったかのように、仰向けにその薄い腹を見せて、血塗られた甲板へと無様に叩きつけられた。

 だが、奴を投げたトレヴァー自身に緊張と疲労が蓄積されていたためか、ルイージを戦闘不能にするほどの威力ではなかった。

 けれども、一時的にしろ、ルイージの手から剣を離し、ルイージの顔を打ち身の苦痛に歪ませることには成功したのだ。


 元・用心棒をしていたトレヴァーには、護身術の嗜みは多少はあった。いまや故人となっている魔導士の力の持つ団長が、悪意や危険を避けていた旅路を選択していたため、輩を背負い投げる状況になることなどは滅多になかったが……


 トレヴァーとルイージの剣の腕の軍配は、確実にルイージにあがっていた。時間とともにトレヴァーの防御に綻びが生じるのも、確実であった。

 その状況において、ルイージの(あの派手なオウムと同じく)喋りたがりの性質を掴み取ったトレヴァーは、わざと綻びの糸を奴の前に垂らした。

 その綻びの糸を手にとってしまったルイージは、なんと自分自身の防御の綻びの糸(比喩を使わない言い方をするなら”自身の右腕”)をトレヴァーに掴まれ、宙を舞った。

 戦闘の最中にベラベラ喋ることのできるルイージの余裕を、トレヴァーは逆手に取ったのだ。

 剣を発しながらも得意気に喋り続けるであろう奴が自分に止めをさしにくる時こそ、奴に反撃できる勝機であると――

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