―86― 襲撃(30)~父と息子~
助けは間に合わなかった。
助けられなかった。父親は”殺された”。
俺は親父を助けることができなかった。
「うおおおお――!」
再び獣のごとき咆哮をあげたバーニー・ソロモン・スミスの刃は、自身が倒すべき最後の1人へと振り上がった。
「ち……っ!」
海賊は、スミスのその刃をかわした。
いや、正確にいうとかわしたわけではない。
風を切ったスミスの鋭き刃は、海賊の碌に散髪もしていない肩までの髪を一房だけ、一瞬にしてバサリと分断したのだ。
「お前ら……お前らぁぁ!!!」
バーニー・ソロモン・スミスは、その年齢の割に澄んでいる瞳からボロボロと大粒の涙を流し、先ほどまで顔面蒼白となっていた顔はいまや真っ赤になっていた。フーフーと荒い息を吐きながら、鼻水が口の中に流れ込んでいるのにも構わず、子供のようにしゃくりあげていた。
「――ぜってえに許さねえぇぇ!!!」
スミスの刃は、再び海賊へとバッと発された。
彼の怒り――父を海賊たちに無惨に殺されたという怒りと、そして俺は親父を守ることができなかったという自身への怒りによって、剣を握るスミスの両手は熱を持ち、ドクドクと脈打ち続けていた。
「く……っ!」
次なる鋭き風も、なんとかかわすことができた――かわすことで精一杯であった海賊。
目の前のデブ兵士に、こっち(ペイン海賊団側)の頭数を2人も減らされ、この操舵室における戦いは1対1へと切り替わってしまった。
――なんだよ、こいつ……ガキみてえな泣き方しやがって……ただの一兵士っぽい奴が操舵室にいた船長っぽいおっさんを俺に殺(や)られたってだけで、何こんなにキレてやがんだ?
奴は知らない――というよりも、奴自身が絶大な生命の危機にさらされつつある今、自分が”殺したと思っている者”がただの船長と兵士の関係ではないというところまで、思考が到達しないのだろう。
点と点を線で繋げて、考えている余裕など今はない。
そのうえ、ペイン海賊団の構成員のほぼ全員といってもいいが、奴らは親の顔すら碌に知らない孤児たちであった。スミスと対峙しているこの海賊も例外ではなかった。
キレたスミスに気圧されつつある海賊。
だが、いくらこの海賊が”ペイン海賊団においては”、戦闘能力が二軍とされている者であったとしても、アドリアナ王国の兵士相手に全く話にならないというわけではないのだ。
ペイン海賊団に迎え入れられ、今日というこの日まで、ペイン海賊団の殺戮団員として”生き残ってきた”のだから――
瞬時に体勢を立て直した海賊からの反撃の刃が――刃先がソロモン・カイル・スミスの血で濡れているその刃は、バーニー・ソロモン・スミスの右太腿を”浅くではあるが”横へと切り裂いた。
「……っ……!」
海賊の刃は、スミスに致命傷を負わせはしなかった。
だが、スミスの痛みに歪んだ顔と流れ出る血を見た海賊は、そのがさついた唇の端を耳へと近づけた。
あのデブ兵士に苦痛を与え、”これからの”あいつの動きを相当に鈍らせることに俺は成功したのだ、と。
けれども、海賊は自身のその推測が間違っていたことを悟った。
大抵の人間の利き足であるだろう右脚を傷つけられたにもかかわらず、スミスは動きを鈍らせるどころか、むしろ彼の全身から発される怒りと哀しみの炎はさらに勢いを増して立ち昇っている。
自分は火に油を注いでしまったのだ。
狭い操舵室内で剣を交え合う――いや、スミスの剣を防ぎ、逃げ続けることに必死である海賊は、もう1つの不利な事実を目の当たりにすることとなっていた。
決して引き締まってはおらず、いかにも重たげな体をしているこの兵士は、太腿を血で染めている今であっても、その見た目に比例した愚鈍な動きが”体に刻みこまれているわけではない”という事実に――
見た目よりできるデブ。そのうえ、キレさせたら恐ろしいデブ。
キレさせたのは――スミスのリミッターを外し、完全に我を忘れさせるほどのショックを与えたのは海賊本人ではあったのだが。
「くっ……!!」
スミスへの反撃の隙すら、なかなか見つけることができない。
隙を見つけることは難しい。だが、隙を作り出すことができたなら……
スミスの剣を防ぎ続ける海賊は、目を操舵室内にサッと走らせた。
――あのチビおやじを人質に取っちまうか。人質の相場は大抵、女だけどよ。女みたいな背丈のあいつだったら、細っこい首に俺の片腕まわしゃ押さえ込むのは簡単だっての。
卑怯な海賊の腕が、人質候補として定められたアンドリュースへとビュッと伸ばされた。
「!!!」
だが、副船長ブロック・ダン・アンドリュースは、いくら成人男性にして目立つほどに小柄であったとしても、身体能力や状況判断能力が皆無というわけではない。
血まみれの右肩をかばいながら、アンドリュースは床へバッと身を伏せ、海賊の逞しい腕を――この腕につかまれば兵士スミスの足手まといになることは確実である腕を逃れた。
床に身を伏せると同時に、肩の傷が呼応して熱く脈打ち、アンドリュースに苦痛の息を吐かせた。けれども、アンドリュースは歯を食いしばり、海賊の利き足の向う脛にキックをお見舞いすることにも成功したのだ。
「てめ……っ!」
海賊は、このチビおやじもその見た目よりできる野郎であったと知ることになった。
手負いのアンドリュースの脚力自体は、そう強くはなく、例えるなら小鹿のキック(だが例え小鹿とはいえ、蹴られたら充分痛いが)のようなものではあったのだが……
そう、卑怯な手を使い、強引にスミスに隙を生じさせようとした海賊であったが、見事なまでに自分の側に隙を生じさせてしまった。
奴がそのことを感じ取った次の瞬間――
スミスの剣によって肉体を一直線に貫かれたのだ!
断末魔。
この世での最期の声をあげた海賊のその声は、自身が割った窓より風へと運ばれていった。
貧困の中で生まれ、血と欲望の中で生きることを選択した若き海賊の声は、青き空と海に吸い込まれ、かき消えていった。
ゼエゼエと息を吐き続けていたスミスが血に染まった剣を抜くとともに、親の仇でもある最後の1人はドサリと床へ倒れ込んだ。
2人の海賊の物言わぬ死体が転がる操舵室。
この操舵室内でスミスが先に倒した海賊も、床に倒れ伏した時はわずか痙攣していたものの、今や全く動かなくなっていた。
1対3であった戦いは、1対0となることで完全に決着がついた。
「親父ぃぃ!」
「スミス船長!」
スミスとアンドリュースは、床へとうつ伏せに倒れ、真紅の血だまりにその喉元を浸しているソロモン・カイル・スミスの元へと駆け寄った。
「……親父っ!?」
生きている!
海賊に殺されたと思っていた父ソロモン・カイル・スミスには、まだ息があった。
「しっかりしろ! すぐにハドリーを呼ぶからな!!」
スミスの両の瞳からドッと溢れ出た喜びの涙が、父の頬を濡らした。
だが――
生者としての温かさをまだかろうじて保っている父の肉体。その頸部は赤く染まり、おそらくこのおびただしい血の源泉だと思われる喉の少し下あたりの肉は惨たらしく裂け、”数刻後の残酷な結末”を息子に示していた。
もはや、誰が見ても虫の息だ。
例え、今この操舵室内に(腕だけは)名医のハドリー・フィル・ガイガーがいたとしても、”もう助からない、助けるすべもない”と首を横に振ったに違いないほどに……
「……バ、バーニーか……?」
ソロモン・カイル・スミスは、ヒューヒューと苦し気に息をしながらも、息子の名をかすかな声で呼んだ。
もう目も見えなくなっているのだろう。もう自身の骨ばった手を握りしめる息子の熱い手を握り返す力もなくなっているのだろう。
ただ遠くなりゆく意識のなかで彼は悟った。
この操舵室へと正面から乗り込んできたあの海賊たちの声は全く聞こえなくなっており、けれども副船長アンドリュースの声と気配はすぐ近くにあり、そして、甲板にいるはずの息子の声と体温をこの冷たくなりつつある肉体で強く感じている。
息子バーニー・ソロモン・スミスは、自分たちを助けにきてくれたのだ。アドリアナ王国の兵士として、海賊たちを成敗し、奴らのこの操舵室より先への浸食を食い止めたのだと――
「……すまない………」
それが、ソロモン・カイル・スミスの最期の言葉であった。
静寂に包まれゆく自身の肉体の力を振り絞るかのように全身を震わせた彼は、息子の腕の中でガクリとその頭を垂れた……
「親父? ……親父ぃぃ! ……なんでだよ! なんで、謝るんだよ?! 頼むからもう一度、目を開けてくれぇぇ!! 俺こそ謝らなきゃいけねえよ! ごめんよ、親父ぃ! 助けられなくて、ごめんよ!!! 守れなくてごめんよ!!」
しゃくりあげるスミスのまるで幼子のような泣き声が――悲痛な慟哭が、操舵室に、そして操舵室の割れた窓より青き空と海へと響きわたった。
ソロモン・カイル・スミスが最期に力を振り絞って息子へと伝えた「すまない」というその言葉。
その最期の言葉に込められていた船長の思いが、ブロック・ダン・アンドリュースには分かる気がしていた。
アドリアナ王国の大地に、自分の帰りを待っているであろう妻と下の息子たちを残して先に逝くということ。それ以上に、長男バーニー・ソロモン・スミスに対しての……
前日、スミス船長は兵士スミスをペイン海賊団のスカウトについていきかねない息子だと言っていた。だが、違った。息子はこの船を守ろうとした。息子は、正義の側に立ち、悪に屈することはなく、敬愛するアドリアナ王国の兵士の1人として海賊たちを成敗した。
自身が見ていたと思っていた息子の姿と、実際の息子の姿は違っていた。
性格や適性の違いより、生きている間はなかなか歩み寄ることができなかった父と息子。けれども、父は自分の息子も捨てたものじゃなかったとこの最期の時に知ったのだ。
海を愛し海に生きたソロモン・カイル・スミスの54年の生涯に、今日、幕は下ろされた。
彼の魂は自身が先刻まで船長として舵を握っていたこの船を離れ、”冥海へと向かって舵を取る船”へと向かっていた。
冥海へと向かうその船には、奇しくも同じく今日という日に、この世を去ることとなった3人の航海士たち――ドミニク・ハーマン・アリンガム、ジャイルズ・エリス・マードック、マルコム・イアン・ムーディーがすでに乗っていた。
勤勉に、そして善良に生きてきた彼らは皆、それぞれの志半ばでの無念の死を知ることとなる……
ペイン海賊団の手によって、この船の船長は殺された。この操舵室においての犠牲者は出た。
けれども、兵士バーニー・ソロモン・スミスによって、悪しき海の獣たちの”操舵室より先への魔の手”は、こうして喰い留められたのだ。
だが、甲板における決着はまだ着いてなどいない。
穏やかな波と風を震わせる甲板からの男たちの咆哮は続き、船は揺れ続けている。
しかも、それだけではないのだ。
スミスも、甲板で船を守らんとする剣を振るい続ける者たちの誰一人として予想だにしないことであったが、悪しき海の獣の1人がこの船の下部に位置する窓を破り、その”鋭き鉤爪に飾られた魔の手”を伸ばしつつあったのだから……
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