―80― 襲撃(24)~父と息子~

 甲板は揺れた。

 いや、今も揺れ続けている。

 男たちの声は――船を守らんとする男たちと奪おうとする男たちの咆哮のごとき声は、死神に魅入られし船を揺らし、船にいる全ての者の鼓膜を震わせた。


 晴れ渡った空の下、男たちの声は飛び交う。

 穏やかな波の音が、剣の音と重なり合う。


 雄大な空と海の美しき青のなかにある、まるで一枚の絵画のごとく凛々しき佇まい船の甲板にて繰り広げられ続けている、その光景はまさに地獄であった。

 この世の地獄。

 血肉が裂かれる。

 噴き出した血に甲板は濡れる。

 血を吹き出した者は倒れ伏し、さらに甲板を真っ赤な血へと染める。


 倒れ伏した肉体の主たちは、苦痛の呻きを発すること”しか”できなくなっている者もいれば、死神の鋭き爪にその命をも蹂躙され苦痛の呻きすら永久に発することができなくなっている者もいた。


 立ち続け剣を振るい続けている者たちにとっては、甲板へと倒れ伏した者たちが”自分たちの仲間”の誰であるのか、それとも敵であるのかすら、時を止めてしっかりと確認する余裕などない。


 倒し、倒される。

 倒され、倒す。

 命というものは、頭数で数えるものではない。

 だが、アドリアナ王国兵士軍団もペイン海賊団も、当初はほぼ同じ人数で睨み合い始まったこの戦であるが、双方ともその命という頭数を徐々に削り取られていた。




 アドリアナ王国側の兵士であり、この船の船長の息子であるバーニー・ソロモン・スミスは――酒好き・お喋り好き・娼館好きといった三拍子が揃い、決して品行方正とはいえない兵士スミスは、現時点では削り取られた命の方には入ってはおらず、汗を散らしながら必死で剣を振るっていた。


――どこだ?! 次はどこから来る?! 


 スミスが剣を振り回すたび、彼の腹まわりの肉も揺れた。体が重い原因は、贅肉だけではない。睡眠不足と昨夜の酒がまだ体内に沈殿しているせいだ。


――ちくしょう。昨夜、同室のヤローたちと女の話に花を咲かせず、もっと早くに寝ていたら……そして、部屋に隠していた酒もあんなに飲まなかったら、俺はもっと機敏に動けたはずだ……!!


 アドリアナ王国の兵士として悪しき海賊たちに決して負けられぬという闘志。

 そして、その闘志とともに、この後に及んでは遅すぎる悔恨の念に囚われているバーニー・ソロモン・スミス。

 彼の場合は昨夜だけでなく、”普段より”兵士としての訓練を地道に積み上げ、さぼり癖を解消していれば、そして肉体を使って戦う者としての自己管理もしていればというのが正確に的を射た悔恨の念であったろう。

 けれども、酒太りしたような体格であり、身長のわりに手足も短めであるものの、生まれ持った兵士としての資質には、彼はかなり恵まれていた。

 額は汗ばみ、髪は乱れ、手足には致命傷ではない幾つもの切り傷を滲ませてはいたが、彼はまだ死神の鋭い爪にその命までは引き裂かれてはいなかったのだから。



 終わりが見えない死を孕んだ緊張と苦しさにスミスはハアハアと息を喘がせ、血塗られゆく甲板にサッと視線を走らせた。


「!!」

 ともに出港した仲間たちが死んでいる。

 倒れ伏し動かなくなっている者たちの中には見知った顔が――スミスが幾度となく言葉を交わしたことのある若い兵士たちの姿もあった。

 だが、その仲間たちの死体とともに、海賊たちも数人倒れ伏しており、奴らもまた死神の爪にその命を切り裂かれたのは明らかであった。

 すでに死している海賊たちのうちの1人に、スミスの目がハッと引きつけられた。



 日に焼けて、がさついた肌をしたその海賊は、ギョロギョロとしている両の瞳を見開いたまま半開きの口からは幾筋もの血を流し、事切れていた。そう、鉈を握りしめたまま死んでいるのは、間違いなくあの”ロジャー”と名のいう海賊だ。

 やけに自信満々で、獲物への殺意を――特に我らが兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーに執着と闘争心を抱いていたらしいあの海賊は、さも自身が強敵であるかのように存在をアピールしまくっていたが、既にこうして倒されている。



――さすがは、兵士隊長サマってとこか……


 スミス自身は、自分へと向かってくる殺意という名の剣を防ぎ反撃するのに必死であり、実際にロジャーが”自分たちのうちの誰か”に倒された瞬間を目撃はしていない。

 けれども、前後のことから推測すると、真っ先に”俺の獲物である兵士隊長のおっさん”へと向かっていったロジャーであったが、そのおっさん(パトリック)の返り討ちにあい……ロジャーの驚愕によって瞳が見開かれたような死に顔からすると、ほぼ瞬殺といえる状況であったであろうことを察することができた。


 

 そして――

 スミスは自身が視線を素早く走らせることができた範囲内で、ここからの距離は離れているも、ともに出港した”あの例の奴ら”のうちの2人が戦いの最中である姿をもとらえたのだ。

 しかも、その2人の相手は――

 ”いかにも不真面目っぽい感じ”で赤茶けた髪ののっぽの海賊が振りかざす剣を、トレヴァー・モーリス・ガルシアが防いでいる。

 そして、あの紫がかった黒髪で”猛禽類のごとき瞳をした”海賊と、ディラン・ニール・ハドソンが睨み合い、剣を交えている。



――あいつらもまだ、持ちこたえていやがる……


 その時であった。

 グッと剣を握り直したスミスの真横より、ヒュンと風を切る音が聞こえてきたのだ!


「!!!」

 スミスが咄嗟に身を翻すより先に、彼の前へとバッとかばい出て、彼の血肉を裂くはずであった”弓矢”を自身の剣によってキィィンとはじき返した者がいた。


「お前……!」

 間一髪、スミスを救ってくれたその剣の主は、赤毛で長身の超色男ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーであった。


「いけません!! 気を抜いては!!」

 ヴィンセントが声を荒げ、スミスを叱責した。 

 彼の額もスミスと同じく汗ばみ、その美しい顔にはまだ傷の一つもついてはいなかったが、彼のその腕や肩にはスミスと同じく切り裂かれた傷口からの血が滲んでいた。


「すまん!!」

 ガバッと構え直したスミスはヴィンセントと同じく、弓矢が発されたその方向へと闘志を向けた。

 自分を殺そうとした弓矢の主に。

 そう、あのエルドレッドという名の海賊へと――


 この戦いのなか、ペイン海賊団における唯一の弓使い・エルドレッドは、船べりを足場とし、そこで器用にバランスを取りながら、弓矢にて襲撃を行っていたらしかった。

 エルドレッドの背後では眩しき太陽が輝き続け、逆光となっているため、奴の表情までは分からない。だが、双方の命を削り取られゆく戦いの最中において、奴だけ汗の一滴も流していないかのような、まるでこの海の音のごとく落ち着き払っている静かな佇まいを全く崩してはいない。

 

 スミスとヴィンセントは顔を見合わせなくても、異質であり不気味なエルドレッドを前にして、同じことを考えていることが分かった。


――あの弓矢野郎。絶対に普通じゃねえ。ヤバすぎる弓の腕だけじゃなく、魔導士みてえなこともできる。それによ、うちの兵士隊長とあのロジャーって奴の力の差を、剣を交える前に”感じ取って”もいたみてえだ……でも、俺は――俺たちは絶対に負けるわけにはいかえねえんだよ!!



「おい! オラオラ! 来いよ! この弓矢野郎! よくも仲間や航海士たちを殺しやがったな! この俺が相手になってやらあ!!」

 スミスが吠えた。

 だが、やはりというべきか、エルドレッドはスミスの挑発になどは乗るはずもない。


「…………あんた、”この船においての”ロジャーみたいな奴だな。声もデカいし、威嚇の仕方も良く似ているよ。ウザいな」

 呆れたように溜息をついたエルドレッドは、吠える男の隣で凛々しい眉を潜め剣を構えている赤毛の男の方へと向き直った。


 エルドレッドの青き瞳は、一瞬にしてその赤毛の男・ヴィンセントの頭からつま先までをとらえた。

「そっちの命を吹き込まれた彫刻みたいなあんたには、こんな出会い方じゃなかったら、俺の絵のモチーフを頼みたかったぐらいだ」

 自分自身の命をも失う可能性も孕んだ戦闘中だというのに、エルドレッドはあまりにも落ち着き払い、自身が仕留めるべき獲物に”普通に”話をしている。


「こんな時に、何を……!?」

 普段は温厚で大人な対応はお手の物であるヴィンセントも、エルドレッドをそのこげ茶色の麗しき瞳で射抜くがごとく、怒りと闘志をさらに燃え上がらせた。


 けれども、その時――

 

「!!!!!」

 

 エルドレッドが背を向けている方向――海賊船の本船の姿が見える方向より、あの怪鳥が飛んできている。

 邪悪であり、血生臭い、邪悪な怪鳥。

 再び奴が、この船に向かって飛んできている。

 しかも、オウムのように瞬間移動を行いながらの飛行だ。

 いいや、それだけではない――!

 

 あの怪鳥は、”本船で待機していたらしい”ペイン海賊構成員らしき者たちをその背に乗せている!

 アドリアナ王国側の命という頭数は削り取られていく一方であるが、向こうはそうではない。削り取られた頭数を奴らは補充することすることができるし、今まさに補充するつもりでこうして飛んできているのだ。


 自分たちにの鼻孔を戻ってきた悪臭によって、”なお一層”蹂躙し始めた怪鳥とその背にいる”新たな海賊たち”の姿が、ヴィンセントとスミスの視界で、いいや”船を守らんと剣を構える者たち”の視界でみるみるうちに大きくなり始めた――

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