―69― 襲撃(13)~鳥~

 魔導士の力によって、弾かれ粉砕された殺戮の弓矢。

 弓矢の海賊――エルドレッドが発した殺戮の風は、獲物たち――今や平行線上に並び合っている船の甲板にいる者たちには、届かなかった。


 海賊船の甲板で、幾人もの血を吸った武器を手に身構えている海賊たちからはどよめいたようであった。

 魔導士だ。今回の獲物の船には、魔導士が乗っている。

 思わぬ強敵が、獲物の船に潜んでいたと――

 けれども、見張り台にて殺戮の風を発した”張本人”は、自分の弓矢が魔導士の力によって防がれた事実に、別にそう驚いた様子もみせてはいないであろうことがルークやディランには感じ取れた。



「……お前たち! わしがあの黒い鳥”ども”を散らす。だから、機を見つけたら”ピーターの力で”逃げろ!」

 アダムは腹の肉を震わせ、しわがれた声でミザリーとピーターに叫んだ。

「はいっ!!」

 まだ微熱を含み、喉がかすれきっていることが明らかに分かる声で頷いたミザリーがピーターへと駆け寄った。


 ピーターは、肉体に沈殿し続けている魔法薬の苦痛と先ほどの瞬間移動にて急激に消耗した体力の疲れがこもりにこもった息を、ここ数日さらに伸び放題となっている無精髭の中にある唇から吐き、ミザリーに頷いた。

 ピーター・ザック・マッキンタイヤーとミザリー・タラ・レックス。

 ともにアドリアナ王国の城内の厳正なる審査と”これから見舞われるであろう危険の予測”により、今回の旅路に選ばれた、優秀であることは間違いないと思われる魔導士たち。


 ガバッとその場にしゃがみこんだピーターが、両の手の平をバッと甲板へと着いた。

 無骨な形をしているも何年も日光に当たっていないほどに青白いピーターのその両手の甲に、ふっくらとして女性らしい丸みと小ささを持つミザリーの真白い両手が重なった。


 顔を向かい合わせにして、甲板にしゃがみこんで乱れた髪の旋毛を見せ、大勢の兵士の前で両手を重ねった2人の若き男女の魔導士。

 彼ら2人は一体、今から何をしようとしているのか? 

 それに先ほど、魔導士アダム・ポール・タウンゼントが言った”ピーターの力で”という言葉は一体?


「皆さん! 機が生じましたら”この船ごと飛びます”! だから、甲板から振り落とされないように何かにつかまるか、数人で固まっていてください!」

 ミザリーの言葉――つまりは指示に、剣を構えている者たちは一斉に戦闘における最初のフォーメーションを崩し、散らばった。

 

 散らばったとは言っても、この甲板より一目散に逃げ出して、船内に引っ込もうとする者は一人もなく、皆、自分たちが”瞬時に判断した”それぞれの持ち場へとついた。

 ある者たちは、今から何やら大がかりな術を使うピーターとミザリーの盾とならんがために、彼ら2人を鍛えられた後ろ姿で囲み、またある者たちは無念の死を遂げたマードックとムーディーの遺体を運び、彼らの見開かれたままの瞳をそっと閉じさせた。


 不良兵士バーニー・ソロモン・スミスは、ドカドカとけたたましく駆け、その酒太りしたかのような身を乗り崩さないように甲板より下のフロアに位置するバルコニーを覗き込み、ただでさえ大きい地声を張りあげた。

「おーい!! 聞こえるかあ?! 魔術かなんかで飛ぶらしいぞ!! だから、何かに掴まっとけええ!! 絶対に振り落とされるなよおお!!」

「イエッサー!!」

 自分より年上の航海士にタメ口で指示を出したスミス(船長の息子)の声に間髪入れず、バルコニーより1人の航海士――花火と”赤旗”にて後続船に海賊の襲来を知らせていた中年航海士ドミニク・ハーマン・アリンガムの張りあげた声が聞こえた。


 この船には転落事故等の防止のため、各々の部屋に窓はあれどその部屋専用のバルコニーなどはない。遊びに行くわけではないこの船のバルコニーとは景色を楽しんだり酔い覚ましのためのものではなく、航海士たちが船の異常を外観から調べたり、また今自分たちが直面しているように海賊の危険を知らせるために、船体を一本の線でグルッと囲むかのごとく、設置されているものであった。

 この船のバルコニーに足を踏み入れることができるのは、この船にいる航海士含む”航海のプロたち”のみだ。

 だが、海賊の襲撃があった時など、バルコニーを足掛かりとして船内に侵入されなどされたら、たまらない。よって、バルコニーそのものには出入り口などはなく、担当の航海士がバルコニーの上に位置する窓のどれかより頑強なロープを使ってバルコニーへとストンと下りてくる。

 ”万が一の時は”自分が船内へと戻る唯一の命綱であるロープを海へと投げ捨て、襲撃者の侵入を身を持って防ぐことともなっていた。

 そう、航海士ドミニク・ハーマン・アリンガムも、万が一の時は自分の命綱を海へと捨てる選択をしバルコニーで”職務を全う”することとなる危険と背中合わせとなって、後続船に向かって必死で花火を上げ、赤旗を振り続けていたのだ。



 そして――

 ルーク、ディラン、トレヴァー、ヴィンセント、フレディ、パトリックの6人は、邪悪な黒い鳥と睨み合うアダムを守るため、彼の左右それぞれに海賊船と睨み合う船の最前線にザザッと並び、剣を構えた。

 最前線へと立った彼らに、生臭い血の臭いと、その生臭く真っ赤な血を口元から滴らせているかのような獣の臭いはさらに強く吹き付けてきた。彼らの髪は、嫌すぎる悪臭によってたなびいた。

 威嚇だ。

 あの物言わぬ鳥は、人間が本能的に恐怖を感じる臭いをさらに強くパワーアップさせて、獲物である自分たちを威嚇してきている。


 不気味で醜悪。

 フランシス一味もそれはそれで不気味なことこの上ないが、あいつらの容姿も手伝ってか醜悪さはそれほどは感じられない。だが、今、対峙している敵は不気味さと醜悪さを併せ持っている。


 さらに”そのうえ”――

 威嚇の臭気に吐き気を堪えたアダムは、続く微熱でザラザラに荒れてしまっている唇をグッと噛みしめ――

「あれは……一体、何人が”混じり合った”んじゃ? おそらく20人以上か? あれほどに膨れ上がるとは……!」


 身構えているアダムの言葉を聞いたルークたちは思う。

 アダムが言った”あれ”とは、武器を手に構えている”人間の姿はしているも”人間とは思えない非道な行いを重ねていた海賊たちのことではなく、外見すら人間ではなく、さらに悪臭を放つ巨大な”鳥”を指しているのだと。

 魔導士の力を持っていない自分たちには分からないが、あの鳥は20人以上の者が”混じり合い、膨れ上がった”悪意や欲望の集合体のようなものであるのか?

 


「い、今の内に、その”飛ぶ”ってことはできないのか? 今ならまだ海賊船とも、あの鳥とも距離があるし……これ以上、距離を詰められたら……」

 ピーターとミザリーを保護するために背中で囲んでいた兵士の1人がチラリと背後に目をやり、問う。実際に口に出して問うた彼だけではなく、他の兵士たちも同一のことを考えていたらしく、彼の言葉に同意するがごとく頷きあった。

 飛ぶ準備のために瞳を閉じ、精神統一を行っているであろうピーターの代わりにミザリーが答える。

「……いいえ。飛ぶことができるのは、私たちだけではなく、向こう(ペイン海賊団)もできることであると……あの黒い鳥からは”魔導士としての力を持って生まれて死んだはずの幾人もの気”が伝わってきます。おそらく、船ごとの瞬間移動も各々の力を削ることなく、何度も行えると思います。でも、私たちの力では、この船ごと飛べる限界は1回きりです」


 ミザリーは、きっぱりと言い切った。

 彼女の今の言葉を聞いた兵士たちは理解した。いや、正確に言うと、”魔導士としての力を持って生まれて死んだはずの幾人もの気”のさわりはよく分からなかったが、この船が逃げきれるチャンスはたった1回だけであると――

 老魔導士アダム・ポール・タウンゼントが魔術で、不気味で得体の知れない鳥”ども”を散らす。だが、散らされた鳥どもはそのまま消滅するとは限らない。散らされても、またまた集まって一匹の巨大な黒鳥の姿を復元するかもしれない。

 だから、チャンスは1回だけだ。アダムが魔術によって鳥どもを散らしたまさにその一瞬だけなのだと。


 両目を閉じ、そのチャンスを待っているピーターが、腹から絞り出したかのような声で、自分と向かい合うミザリーに呟いた。

「……この船の後ろにいる船も、俺の力が及ぶなら一緒に飛ばせたい……もしかしたら、俺の体がもたないかもしれないが……」

「ピーター……」

 ミザリーがピーターの両手をギュっと握りしめた。


 そうだ。この船だけが飛べ(逃げれ)ば、それで済む話ではない。

 この船が消えたとなると、あのペイン海賊団たちは後続船を――エマヌエーレ国の豪奢な船、金目のものなどはこの船などよりも多く積んでいるに違いないあの船を襲うであろう。

 ピーターは、自分の力で助けることができる者たち全員を助けたいと考えている。

 普段は居眠りをこいてばかり(彼の体質的に仕方ないことであるが)で不真面目すぎる怠け者の印象を周りに与える同僚ピーター・ザック・マッキンタイヤーであるも、正義の心を、誰かをその身を挺してでも救いたいと思う心は持っている。彼はただ、それを周りにアピールしないだけだ。

 例え自分の奥底に眠る魔力を全放出し、自分の肉体がもたなくなっても――心臓がバチンと破裂したり、体中の穴より血をドバドバと吹き出させて死ぬようなこととなっても……


 ピーターができうる限りの力を――この船だけではなく、後ろの後続船もともに飛ばす力を放出する。ミザリーは、彼のその力をコントロールする。

 魂の奥底に眠る力はピーターが圧倒的であるも、力の”コントロールの技術”に関してはミザリーは卓越していた。城にいる同僚たち――カールやダリオ、そして今は亡きアンバーにも並ぶほどに。



 機を待て。

 たった1回だけの機を待つのだ。

 けれども――

 自分たちと睨みあう鳥と海賊船は、なかなか攻撃を仕掛けてはこない。

 なぜか、距離を強引に詰めてくるわけでもなく、相変わらず穏やかな波に遊ばれるように平行線上に並んだままだ。

 続く緊張状態。しかも、それだけではない。

 あの鳥は――鳥の形をしている黒い煙のようなものは、急激にその黒の濃度を薄くしたり、濃くしたりといった、底意地悪い変化を見せている。

 力を誇示しながら、遊んでいる。おそらく、こちらの出方を見ているのだろう。

 あの鳥が攻撃してきた時、つまりは黒い煙が、より濃く獣臭いひとかたまりとなりこの甲板へと向かってきた時が、こちらから攻撃できる絶好のチャンスであり唯一のチャンスでもあることは、魔導士でもないルークたちでも薄々予測はできた。


 ゆらりゆらりと遊んでいる黒い鳥とは対照的に、甲板にいる海賊たちは一刻も早く各々の武器を、獲物たちの新たな血で染めたくてウズウズとしているようであった。

 殺して奪え、奪って殺せ。女は犯(や)りまくれ、飽きたら売るか捨てろ、とニヤニヤと舌なめずりをして、こちらをうかがっているに違いない。

 弓矢の海賊の肩に止まっていたオウムも、じっとしていられない性分であるのか、甲板の海賊たちの上を派手な原色の翼をはためかせ、飛び回り始めた。


 だが――

 たった1人だけ様子が違う者がいた。

 見張り台の弓矢の海賊――エルドレッドという名の海賊は、”何か”に気が付いたらしく弓矢をスッと下ろし、見張り台から身を少しだけ乗り出すようにして、獲物たちが構えている甲板をじっと見ている。

 唯一の飛び道具を持つ、あの海賊だけが戦意を喪失し始めたのか? いや、違う……


 この船の最前線には、左からトレヴァー、フレディ、ヴィンセント、アダム、パトリック、ルーク、ディランの順で並んでいた。

 エルドレッドの目線は、自分と向かい合う対角線上に――つまりは左側だけに注がれていた。

 彼は”何か”に気づいたのではなく、”誰か”に気づいたのであろう。

 睨み合う2つの船の甲板にいる者たちの顔や表情はまだはっきりとは見えない距離からでも感じ取れる既視感。決して無視はできない既視感。

 どこかで見たことがある気がする、自分が知っている、かつて自分の近くにいたことがあった誰か”たち”の…… 

 

 エルドレッドの異変に一番最初に気づいたのは、皮肉なことに調子に乗って飛び回っているオウムであるらしかった。翼をせわしなげにバタバタとはためかせ、エルドレッドの左肩に再びチョコンととまった。

 騒々しいオウムが肩へ帰還すると同時に、エルドレッドは口元を動かした。


 エルドレッドが何かを呟いたようであったが、あいつが何を言ったかなんて、この距離では聞こえるはずがなかった。


 けれども――


「……ルーク、ディラン……ナゼ、オマエタチガココニイル?!」


 エルドレッドの肩にとまっていたオウムが、その金切声で彼が先ほど呟いたであろう言葉を復唱し、獣臭い風とともにルークとディランの元へとそのまま届けてきたのだ。

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