―48― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(30)~レイナ、そしてルーク~

 悪名高き凶悪なペイン海賊団。

 今、自分たちが進んでいるこの航路は、把握している(つまりは推測される)悪しき海賊たちの出没地域からは距離がある。

 エマヌエーレ国までの航路においては、海賊たちに――子供までを”無理矢理”働かせている「ペイン海賊団」に遭遇する可能性は極めて低いだろう。


 だが、もし、ダニエルの手の内にある凶悪さを絵に描いたような、いや実際に人相書きとして絵として描かれている、ペイン海賊団に遭遇してしまったとしたら……


 アトキンスなる海賊の人相書きには、アトキンス自身が”自分はペイン海賊団で一、二を争う剣の使い手である”と言っていたらしいが、パトリックも決して負けるつもりはない。

 37才である彼は、スタミナという面では自身の若い頃と同様にとはいかないが、パトリックは戦闘能力全般には自信を持っていたし、他者からも認められてもいた。

 そもそも、認められていたからこそ、”希望の光を運ぶ者たち”とともに、ユーフェミア国の民を救う旅路に赴く兵士隊長としてアドリアナ王国から選ばれたのだろう。

 パトリックは、人とは思えぬ畜生どもにさせるがままにはさせない。何があっても奴らに屈するつもりはなかった。

 


 ダニエルもまた、パトリックと同じく考えていた。

 もしも、この船が海賊たちの襲撃に遭ってしまったとしたなら……

 真っ向から戦っては、自分などものの数秒で海賊たちに叩き切られることは、ダニエルは火を見るよりも明らかであると予測していた。自分には、今、隣にいる兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーや下で今も訓練に励んでいるヴィンセントやルークたちのようなことは無理だと。

 けれども、何とかこの船の女性たちを守ることを考えなければならないと。



「あ、あの、ヒンドリー隊長……確か、この船の隠し部屋ですが……もし、海賊たちが……あ、いえ、こ、これは絶対にあってはならないことであると理解してはいますが……海賊たちの襲撃を受けた時、女性をその隠し部屋へと集めて、身を隠させると……」

 ダニエルのその問いに、パトリックは「ええ、その通りです」と頷いた。


 この船が海賊たちの襲撃を受けたら……などといった非常事態も、想定したつくりとなっていた。

 男たちは甲板にて戦い、海賊たちの船内への侵入を防ぐ。

 けれども、男たちの守りに隙ができたら……その隙をついて、船内に海賊たちが侵入してしまったら……

 そもそも、船内にて、女物の服や靴などは各自の部屋に残されている。海賊たちが、この船に”漂っていた”甘い女の匂い”に気づかないことはまずないだろう。 


 女性たちは海賊たちの魔の手から逃れるために、船の後方にある隠し部屋へと避難する。その隠し部屋の一角にある梯子を下りていくと、緊急時の脱出に使う小舟が十数隻(船の乗員分)、準備してある。


 だが、海賊たちに船に火を放たれ、この船そのものが海へと瞬く間に沈められでもしたら……

 そして、女性たち全員が無事に小舟に乗り脱出することができたとしても、右も左も分からないこの大海原で遭難することが考えられる。そもそも、小舟で逃げる途中で海賊たちに見つかってしまうのは、確実だ。

 どうあがいても、地獄しか想像できないシミュレーション。

 そのシミュレーションが現実となってしまわないために、”まず海賊たちとの遭遇を防ぐこと”が”海賊たちの魔の手から逃げること”と同義である。けれども、万が一の場合に備えて、できる限りのことはしておきたい。




「万が一のことが起こったら、女性たちがすぐに脱出できるようにと訓練を行いましょう。本当なら、船に乗る前にそういった訓練をして、脱出経路を周知しておかなければならなかったのですが、乗船前にいろいろとありましたから……明日の昼過ぎに、女性たちを集めて、その避難訓練を行うことといたします。私とともに、避難訓練の指揮をとっていただけますでしょうか?」


 そう言ったパトリックに、ダニエルは「は、はいっ!」と訓練された兵士ばりに背筋をビシッと正して答えた。

 今は乗船4日目だ。

 おそらくあと15日以上、この船旅は続く。

 現在は、すこぶる穏やか――いや、ダニエルもルークとレイナの間に発生した恥ずかしすぎる事件は知っていたし、昨日の夜は食堂でガラの悪い兵士(バーニー・ソロモン・スミス)に絡まれるという一幕はあったが、気候も良く、船路自体には何ら問題はなかった。

 乗船5日目となる明日の昼過ぎに、女性たち全員を集めて、”万が一の時に備えて”避難訓練を行うと、兵士隊長は即座に判断を下したのだ。


 

 パトリックは、またしても考える。

 この船に乗っている女性と少女のなかで、海賊たちに立ち向かっていける力を持っているのは、魔導士ミザリー・タラ・レックス、ただ1人だけであるだろう。

 だが、彼女も女性だ。魔力ではなく腕力という点では、男性に勝てるわけがない。

 パトリックは決して、女を蔑んでいるわけではない。

 パトリック自身も、母という女から産まれ、愛しい妻と3人の娘という女ばかりの家族を持っている。

 男女差別ではないが、男と女では体のつくりが違うし、体力や身体能力に差があるのは事実だ。

 港町で、魔導士フランシスとともに姿を見せた、あのローズマリーという女(鍛え上げられたパトリック以上に発達した筋肉を持っている女)なら、腕力という点で男顔負け、いやそれ以上に戦えるかもしれないが……



 それに――

 ペイン海賊団の襲撃と凌辱の生き残りである1人の女性の証言に、奇妙なことがあった。

 その女性は、襲撃当時、新婚旅行中であり夫(もちろん、この夫は海賊たちによって殺害されているが)と船の甲板で沈みゆく夕陽を眺めていたらしい。その時に、突如、不思議なものを見たらしい。それは、”普通の人間が起こせる事象ではなかった”と――

 その直後に、船はペイン海賊団の襲撃を受け、夫は剣で心臓を突かれて殺され、自分は連れ去られたと……


 たった1人の女性による、この奇妙な証言は、地獄を見た女性がショックによって、精神に混乱をきたし、奇妙な幻を見たのではとの判断もあったため、この人相書きには記されていなかった。


 だが、酒場で海賊たちに鉢合せしてしまった善良な民たちによる通報をまとめた報告書の一説にも、パトリックがひっかかる点はあった。

 酒場でペイン海賊団の1人が、うちの海賊船では”鳥”がいると言っていたらしい。 

 海賊が鳥を飼っていること。

 それは絶対に鳥の可愛らしさや賢さを愛でる目的ではないのは、明らかではある。

 その海賊の1人は、その後に続けて、次のように言っていたらしい。


「鳥のくせに……って言いてえとこだけど、あの鳥には頭上がらねえよな。俺らの仕事を、ただの鳥以上にやりやすくしてくれてる魔導士サマなんだからよ」と。


 鳥が魔導士?

 魔導士としての力を持っている鳥?

 奇妙で不可解な一説であったが、ペイン海賊団が飼っている、というか襲撃のために手懐けている鳥は、ただの鳥ではないということか?


 ちなみに、その鳥について得意気にしゃべっていたペイン海賊団の構成員の風貌は、「年は20才前後、背はそれほど高くない、紫がかった黒髪、榛色の瞳、背筋を震え上がらせるほど眼光が鋭い男」と記されていた。

 今、ダニエルとともに見た人相書きの中で、この容姿の条件に当てはまりそうなのは、アトキンスなるペイン海賊団の構成員ではあるが……


 もし、”魔導士サマ”というのが単なる比喩ではなく、本当に「ペイン海賊団」の後ろに魔導士がいたとしたなら(パトリックの読みが当たっていたとしたら)、この船でその魔導士に抵抗できる力を持って生まれている者は、アダム・ポール・タウンゼント、ピーター・ザック・マッキンタイヤー、ミザリー・タラ・レックスの3人だ。

 彼らの体調は快方へと向かいつつあるが、まだ本調子には戻っていない。


 パトリックとて、まだともに25才と若く修行の身である(そもそも修行を積もうと思ったら、終わりなどないが)マッキンタイヤーとレックスはともかく、高齢ではあるが高名でもある魔導士アダム・ポール・タウンゼント以上の力を持つ魔導士が、この世界にそう何名もいるとは思いたくはない。


 アダム・ポール・タウンゼントは、生まれ持った力のベクトルを善へと向けて生かしてきた人物だ。災害時などに彼に命を救われたという者は大勢いる。アダムは知らないことであるが、彼の功績を称えた胸像を作っていた町まであったらしい。


 反対に、あの魔導士フランシスやヘルキャット含む一味たちは、悪へとその力のベクトルを向けている。

 無差別な殺戮と強奪と凌辱を行う「ペイン海賊団」にその力を貸しているかもしれない魔導士も、フランシスたちと同類の魔導士であるのは明らかであると……



 コホンと咳払いをした、パトリックは考えることを中断し、ダニエルへと向き直った。

「さあ、少し時間を取りすぎましたが……”万が一の時に備えての”避難訓練の詳細な打ち合わせを今から行いましょうか?」

「は、はいっ! もちろんでございます!」

 ダニエルのピンっ伸びていた背筋に加わり、彼のその顔にはピシッとした緊張感が走った。

 顔の上半分を母親譲りの濡れた黒曜石のような髪で隠しているダニエルであるが、その顔の下半分の形の良い鼻と血色は悪いが気品のある唇は、パトリックにエヴァ・ジャクリーン・”ヤードリー”の今も忘れ得ぬ面影を切なく思い起こさせた。


 悪しき「ペイン海賊団」の人相書きを、本棚に元通りに戻したパトリックは、ダニエルと同じくテーブルへと腰掛けた。

 ダニエルはすでにペンを握り、目の前の紙に、パトリックの指示を――自分が明日の避難訓練においてすべきことを、聞き洩らすまいと身構えていた。

 大げさな言い方かもしれないが、パトリックはダニエルのその姿に”騎士”を思い起こさせた。ダニエルは、馬に乗り、剣を振るうのではなく、彼はまた違った形で守るべき者たちを守ろうとしているのだと……

 

 パトリックがこの部屋に足を踏み入れる前より、ずっと感じている湿気のようにじっとりとした不安の影は、ほんの少しだけ薄くなったようであった。

 その不安の影を完全に打ち消すことはできなかったが、パトリックはダニエルに向かって口を開き、明日、彼がすべきことについて、明確な指示を出し始めた。



  

 命の恵みのごとき陽の光に包まれ、母の囁きのごとき穏やかな波の音に抱かれ、ダニエルやパトリックのみならず、やがて後世にも語り継がれこととなる”希望の光を運ぶ者たち”を乗せた船。

 ”まだ”穏やかな船内にて、レイナとルークの間には事件は発生してしまったが、他の事件(船医ガイガーの企みと、”希望の光を運ぶ者たち”に対する兵士スミスのちょっかい)は未遂に終わっており、すこぶる順調な船路”であった”といえるだろう。



 けれども、パトリックがずっと感じている不安の影は、観察力や洞察力に極めて優れている彼の第六感が知らせていた、この船へと迫り来る本物の危険であったのだ。彼の不安の影は、レイナの世界の言葉でいう「杞憂」などではなかった。

 それに加え、先ほどパトリックが本棚に元通りにしまった「ペイン海賊団」の人相書きを、”希望の光を運ぶ者たち”のうちのルーク・ノア・ロビンソンとディラン・ニール・ハドソンの2人にも見せていたとしたなら……アドリアナ王国広しといえども、悪名高き海賊たちのフルネームはすぐさま判明していた。あの人相書きは、レイナの世界でいうと証明写真ばりに精度が高い人相書きであり、”現海賊たち”と過去に寝食を共にしていたルークとディランなら、すぐに分かったであろう。



 そして、何より……

 この船の後方に姿を見せ、同じ航路を辿っていると思われる”エマヌエーレ国の船”は、すでにペイン海賊団の手に落ちていた。

 後方の船にいるペイン海賊団の構成員たちは、ペイン海賊団の本船と挟み撃ちを企み、まるで容赦も慈悲もない獣のごとく舌なめずりをしながら、襲撃の機会をうかがい、この船を追い上げつつあるのだ……

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