―44― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(26)~レイナ、そしてルーク~

 17才のパトリック・イアン・ヒンドリー。

 兵士としてアドリアナ王国に仕え始めて2年目に入った彼の当時の役職は、当然のことながら”ヒラ”であった。さらに言うなら、今現在のパトリックは長髪がトレードマークともいえるが、この当時の彼のヘアスタイルはそのダークブロンドの髪が持つ自然なうねりを生かしたミディアムであった。



 夜。

 昇り始めた月は果て遠き夜空にあっても、その冴え冴えとした青き光を舞踏会場前のパトリックたちの元にも、あざやかに届けていた。

 パトリック含む4人の若い兵士は、いずれは将来の王妃となるであろう娘を含んだ敬うべきゲストたちに、恭しく頭を下げて敬意を示すと同時に、舞踏会に不審な人物が紛れ込むことを未然に防ぐ任務を承っていた。

 

 今宵、王子の妃候補である貴族の姫と、”その家族たち”が次々とこの舞踏会場へとやってくる。

 誰が王子の妃となるか?

 いや、”どこの家の娘”が王子の妃となるのか?

 それは国内の貴族階級やパトリックたちだけではなく、城外にいる数多の平民にとっても、最大の関心ごとであっただろう。


 たった1人の妃を選ぶことが目的の舞踏会とはいえ、王子がたった1人で姫君たち全員のダンスの相手をするのは無理だ。よって、メインのゲストは姫君たちではあるものの、家族――父や兄などの近親者の参加も許されていた。

 実を言うなら、”パトリックたちが姫君の顔を今宵初めて見るといったケース”であっても、”その姫君のたちの父や兄の顔には幾度となく見覚えがあるというケース”との組み合わせが多数あったため、彼らの背筋はさらにピンと伸びることとなった。

 

 舞踏会開始時刻までは、まだまだ余裕がある。

 なのに、この時点でゆうに100人以上の貴族の姫が――王子ルーカス・エドワルドと年齢的にもつり合いがとれる貴族の姫たちが、そして彼女たちの家族もこの舞踏会場の中へと……

 無論、首都シャノンからだけではなく、遠方の町からこの夜のためにやってきた貴族たちも多数いるだろう。

 王子の妃という、たった一つの椅子を目指し(いや、父や兄の命令だから逆らえないという娘もいるだろうが)、この上ない名誉と出世、そして愛国心(?)によって、この運命の夜に集いつつある者たち。

 だが、自分が(もしくは自分の娘が)王子の妃となることは厳しいであろうと最初から諦め、自分の家と釣り合いがとれる貴族の嫡男とのより良いご縁を第一の目的として、ここにやってきたという場合もあるかもしれない。


 

 胸にしん、と染み入る夜の匂いがパトリックたちの鼻孔に届けられた。

 どこか切なく物悲しいような秋の風は、彼らの訓練で引き締まった肉体を撫で上げていった。


 パトリックたちは無礼のないように恭しく頭を下げつつも、貴族の姫たちを――自分たちなどが手を触れる機会など永遠にないだろう若い娘たちにチラリと視線を滑らせ、互いに目配せしあっていた。

 めいめいに着飾った貴族の姫たちの、青い月明かりの下でも分かる色とりどりのドレスや髪飾りなどの満ち溢れんばかりの輝きは、お年頃のパトリックや彼の同僚たちの胸をドキマギさせるのに十分であった。



「……あんな超美人たちから、たった1人だけを選ぶのか? 絶対に選びきれっこねえよ」

 パトリックの隣に立っていた同僚がポソッと、パトリックにだけに聞こえることを想定した小声で同意を求めた。

「本当だな」

 パトリックも彼に”一応は”同意した。彼も普段はムンムンとした男所帯で生活しているためか、着飾った年頃の娘たちの煌びやかさに彼もあてられていたのは事実であった。



 このアドリアナ王国での一夫多妻制は、約200年前に廃止されている。

 国王や王子という最上の身分であっても、平民たちと同じく、妻は一人しか持てないのだ。公式の寵姫なる存在も持つことも許されない。おそらく、平民たちへの示しがつかないという理由もあるのだろう。

 一度、妃を娶った王族は、平民のようにそうすんなりとはいかないだろうが離婚となった場合、もしくは死別となった場合にのみ、次の妃を娶ることが許される。

 けれども、今、現在の国王(ルーカスの父、ジョセフの祖父)も若い頃に、ちょっと見られる容姿の侍女に手を出し、王妃(ルーカスの母、ジョセフの祖母)がキーキー言いながら、国王を引っぱたいていた”らしい”ことは、城内の古株の召使いや兵士たちの間に残留し続けている噂話――いや、昔話によって、パトリックの耳にまで入ってきていた。

 案外、そこそこの財産を持ち、暇がたっぷりとあるような貴族の男の方が、愛人を持つなど、自由気ままにこの世を過ごしているのではないかと思うパトリックであった。



 そして――

 パトリックは、今宵の”貴族の姫たち”は、”貴族の姫”という肩書があるからといって、いずれも劣らぬとびきりに美しい姫ばかりではないことに、何回目かのチラ見で早くも気づいた。

 彼は他の3人の兵士たちとはやや異なる、細やかな観察眼で王子の妃候補たちを見ていた。

 彼女たちの化粧や髪型、それらはいかにも美人風で垢抜けている。

 そもそも、このような場に気の抜けた汚らしい格好でくるような娘などいるはずがない。

 けれども、真の美人といえる娘は、彼女たちのうちでもほんの一握りのようなだろうと……


 中には、パトリックをハッとさせるような娘もいた。

 つい先刻、父親(この父親は、パトリックがこの城内でも幾度となく姿を見たことがある”ローガン”という名の相当な財産と人脈を持っているとの噂のある貴族であった)と母親に両サイドから守られるように付き添われ、舞踏会場の中へと歩みを進めていった輝かんばかりの金髪の娘も大変に愛らしかった。

 彼女の年の頃は、自分と同じ17才かそこらであっただろうか。

 何年も日の光を浴びていないような彼女の白い肌といい、うっすらとピンクに染まった薔薇の花びらのごとくふんわりと仕立てられたドレスも、愛らしい目鼻立ちと永遠の少女を思わせる彼女の雰囲気をさらに際立たせており、パトリックの心には甘い砂糖菓子のような余韻を残していた。先ほどの金髪の娘は、美しい女性というよりはあまりにも可憐で”永遠の少女”といった風情であった。

 ちなみに余談ではあるが、パトリックが”永遠の少女”と形容したこの娘の年齢は当時21才であり、なおかつこの妃争いの夜の唯一の勝者となるエリーゼ・シエナ・ローガンであったことを、彼は後に知ることとなる。



 話は元へと戻るが――

 この舞踏会場に集まった妃候補たちの、分厚い化粧を落とし、生まれ持った素材そのものだけで勝負したとしたなら、この城内の侍女や町娘などにも彼女たち以上の美人はいるだろう。

 いや、世間的に低く見られている娼婦(パトリックは先輩兵士に休みの日に何度か娼館に連れていってもらい、すでに経験済みであったが)にだって……顔と肉体、さらに言うなら個性とテクニック(心の駆け引きはもちろん、ベッドの中でのことも含む)で、金を稼ぐことができる娼婦の方が案外、美人の比率は高いのかもしれないと――



 パトリックは、平民の自分が手を触れることなど永遠にない貴族の姫たちを、”完全なる上から目線で”あれこれと批評している自分がアホらしくなり、背筋をグッと逸らし、夜空に煌々と輝く青き月を眺めた。 

 パトリック自身、17才にしては背が高く、その肉体はすでに立派な大人の男であったが、そう抜きん出た男前でないことは自覚していたし、そのうえ老け顔であることは自他ともに認めるものであった。

 自分のことを棚に上げての、今の心中の言葉は、口に出したら職を失うどころか、即座に無礼だと叩き切られるだろう。

 そもそも、今宵、この舞踏会場に集まりつつある姫たちは、平民の娘やそれこそ娼婦などが受けることなどできない教育を受け、しっかりとした教養や立ち振る舞いを身に着けているだろう。彼女たちの内面を知る機会は自分は皆無であるだろうが、やはり、今宵、王国から”妃選びの舞踏会”の招待状が届くだけの理由がある高貴な姫たちなのだ。



 ひっきりなしであった妃候補たちの来訪は、少しばかり途切れた。

 顔をキリッと引き締めて頭を下げ続け、時には頬を緩ませ目配せしあっていたパトリックたちの間にも、ほんの少しばかり息をつく時間ができた。

 ”やれやれ”といった感じで、顔を見合わせた彼らであったが、間髪入れず、この舞踏会場の入り口へと近づてくる複数の足音を聞き取った。

 日頃の訓練の賜物か、彼らは見事に揃ってビシッと背筋を正したのだが……



――おや?

 ここへと近づいてくるのは、正装姿の2人の男であった。

 ともに非常に体格の良い2人の男の1人は、遠目から見ても中年であり、もう1人の男はおそらくまだ20代ぐらいだろうか。

 パトリックは、その2人の男のどちらの顔にもしっかりと見覚えがあった。


 中年の男は、ヤードリー将軍だ。

 ケネス・ヒューゴー・ヤードリー。

 彼の屋敷は、首都シャノンから離れた町に構えているが、幾度となく城に召集され、その労をねぎらわれている人物であることは、パトリックも剣を握る職に就いている者として、ちゃんと知っている。

 軍人系の家系に生まれたケネス・ヒューゴー・ヤードリーは、その家系に流れる血を如実にあらわしているかのような実力と手腕の持ち主であり、現国王にも目をかけられている人物だ。

 だが、ヤードリー家の家柄と財産は貴族の中でもさほどでもといった感じであり、そのうえ、その厳つい顔から受ける印象通り、やや横暴でワンマンなところもあるらしく、敵を作りやすいタイプでもあるとの評は、一兵士であるパトリックのところまで伝わってきていた。


 ヤードリー将軍が連れている若い男の方は、彼の息子だ。というよりも、彼らが並んでいると、一目で父と息子であると分かる。

 ヤードリーの将軍の血を能力面でも容姿面でも、しっかりと受け継いだ優秀な2人の息子たちの名は、長男がクリフトン、次男がライオネルであったとパトリックは記憶していた。息子たちは、顔も体格も醸し出す雰囲気も、ヤードリー将軍に生き写しのレベルで似ており、息子たちの年もわずか2つか3つしか離れていない。

 だが、ヤードリー将軍の長男が最近、妻を娶ったという話も、パトリックは小耳に挟んでいた。新婚の身で着飾って”妃選びの舞踏会”になど顔を出すことなどしないであろう。よって、今、ヤードリー将軍が連れている若い男は、次男のライオネルに違いない。

 ヤードリー将軍は自身の約二十年前の姿を思わせる息子を隣に連れ、そして次男ライオネルは自身の約二十年後の姿を思わせる父に従い、まっすぐに歩いてきている。



――もしかして、男2人だけでこの舞踏会に参加するのか?

 パトリックが疑問に思ったその時であった。

 ヤードリー将軍は、「エヴァ」と、数歩後ろを振り返った。


 彼らの後ろからは、娘が付き従っていたのだ。

 今宵の妃候補の1人である娘が……

 ただ、その娘は、父親と兄の厳しく研ぎ澄まされた戦士としてのオーラとガッシリと鍛え上げられた肉体、そして月明かりに照らされてはいるものの漂う仄暗さに隠され、その存在をパトリックたちに認識させることにやや時間を有したのであった。


 「エヴァ」と呼ばれた娘。

 楚々とした風情で、足音すら立てることなく父と兄に付き従っていた娘。

 青い月明かりの下でも、艶やかな黒髪をしていることが一目で分かるその娘はゆっくりと顔を上げた。



――!!!――


 ヤードリー将軍の娘・エヴァが放つその美しさに、パトリックたちの瞳は文字通り釘付けとなった。煌びやかな妃候補たちの容貌を、やや冷静に……いや皮肉めいた感じでとも形容できるが、あれこれ心中で批評していたパトリックでさえ、エヴァから目を放すことはできなかった。

 彼らの背後に広がっている、舞踏会場の開幕前の喧噪も聞こえなくなるほど、彼らはただ息を呑み、エヴァの美貌に見惚れてしまったのだ。

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