―42― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(24)~レイナ、そしてルーク~

 ”本当に最悪なこと”、それは一体?


 数秒の沈黙。

 そして――

「……スミス船長、その本当に”最悪なこと”とは、一体、何を指しているのですか?」

 分厚いカーテンの後ろで話を盗み聞きをしてしまっているレイナに、スミス船長と直接、顔を向かい合わせて話をしているアンドリュース副船長の声が聞こえた。


 またしても、数秒の沈黙。

 そして――

「……海賊だ……港町で時折、”あの”ペイン海賊団の構成員たちが、金に困っている若い男たちに声をかけて、自分たちの海賊団に引き込もうとしているとの噂をお前も聞いたことがあるだろう? 私は金の面であいつに不自由をさせたことなどは一度もない。だが、金には困ってなくても、あいつは海賊団のスカウトについていきかねん奴だからな……私の息子がアドリアナ王国に仇なす海賊の一員になどなってしまったら、私は今まで築き上げた全てを失ってしまう……」


 スミス船長が今まで築き上げた”全て”……

 レイナの目から見たスミス船長の年齢は、50代といったところか。立ち振る舞いも醸し出すオーラも、いかにも海のエリートといった彼の乗船歴ならび船長歴は、数年レベルではなく、数十年レベルであるだろう。


 そんな彼の息子が、海賊団のスカウトの手をとり、海賊の一員となってしまったら……

 彼が懸命に築き上げた数十年のキャリアだけではなく、名声、人脈、家の財産などを失い、いやまず何よりも「信頼」を失うことは間違いなく、完全に失脚の流れとなってしまうことは免れないだろう。

 自己の保身のため、スミス船長はアドリアナ王国側の使者に頼み、兵士として少しは訓練を積んでいる自身の息子を、規律正しいこの船にいる兵士たちの中に紛れ込ませて、海賊の構成員となるかもしれない可能性を少しでも低くしようとしたのか。

 いや、けれども、スミス船長は会話の中で「妻」や「下の子たち」とも言っていた。

 家族とはいえ、全員、別の人格ではある。だが、スミス家より海賊団の構成員を出してしまったら、”家族全員が”世間から白い目で見られ、路頭に迷うかもしれない。自分だけでなく、家族全員の今まで通りの生活基盤を守ろうとする思いもあったのだろう。



「……アンドリュース、すまない。今の話はこれから親になるお前に言う話ではなかったな」

 項垂れているかのようなスミス船長の力無き声に、アンドリュース副船長も「いいえ、そんな……」と力無き小さな声で答えた。


「お前の子供はいつごろ生まれるんだ?」

「……妻は今、妊娠5カ月ですから……おそらく、アドリアナ王国に秋の風が吹き始めたごろではないかと……妻は私の両親とともに暮らしておりますので、妻の出産時や産後の面倒は両親が見てくれるとも……ですが、私が子供を腕に抱くのは、アドリアナ王国に無事に戻ってきてからのことになりますね…………」


「そうか……初めての子供なのに、残念だな」

 そのスミス船長の声に、アンドリュース副船長は黙って頷いたらしかった。


 妻と両親、そしてまだ見ぬ子供を残して、アドリアナ王国を発ったアンドリュース副船長。

 彼もまた、王国側からの(きっと逆らうことなど許されない)命令によって、今、こうしてこの船の梶をスミス船長とともに握っている。

 大変に名誉なことであると同時に、自国に残してきた家族たちへと思いを馳せずにはいられないのだろう。

 この青く輝く、どこまでも続いているかのような穏やかな海の上で――



 スミス船長の話を聞いたレイナは思い出していた。

 ミザリーもアドリアナ王国にたった一人の母を残し、アドリアナ王国を発ったと話していたことを――



 が、ミザリーの言っていたことを思い出し始めていたレイナは、ハッとした。

 自分は侍女長に、トレイの上にある飲物を船長と副船長に持っていくように言われた。その後、船室フロアの掃き掃除をして、ミザリーのところに戻らなければならない。

 微熱はあるが起き上がることができ、話も普通にできるミザリーの容態が急変することはまずないとは思われるが……


――いけない! 私、いつまでここで、こうして盗み聞きしている場合じゃ……! 早く自分のすべきことを終えて、ミザリーさんのところに戻らなきゃ……



 まだ新鮮さを保っているであろう2つの飲物を乗せたトレイを、ギュっと両手で握りしめたレイナは、「失礼します」と声を出すと同時に、その場で飲物をこぼさないように数回の足踏みをするという、”馬鹿っぽい演技”を行った。

 ”私は今、この操舵室に足を踏み入れたばかりです。お二人の話を盗み聞きなどしていません”と彼らにアピールするために。


 レイナはもう一度、「失礼します」と言い、片手でトレイを支え、分厚くゴワゴワしたカーテンのほんの少しだけ横に引っ張り、彼らがいる場所へと足を踏み入れた。




 レイナが足を踏み入れてから、数秒ほど、操舵室の時は止まってしまった。

 それは、”マリア王女が放つ”この世のものではないほどの美しさに、スミス船長もアンドリュース副船長も言葉を失ってしまったからであった。

 ただ、操舵室から見える、陽の光を受けて、まるで宝石のように輝き続ける青い海が奏でる波の音だけが、彼らとレイナの間を流れていた。



「あ、あの、侍女長に言われて……飲物を持ってきました。いいえ、お持ちいたしました」

 慌てて、敬語に言い直したレイナ。

 元の世界で不慮の事故で死ぬことなどなかったら、アルバイトなども含めてレイナが働くことなど数年先であったろう。だから、言葉遣いや敬語の使い方に自信はなかった。



「ああ……すまないね。ありがとう」

 我に返ったらしいスミス船長は、目を細めて、レイナから飲物を受け取った。

「ありがとうございます。僕もいただきますね」

 同じく我に返ったらしいアンドリュース副船長は、頬を染め上げたまま、レイナから飲物を受け取った。


 飲物に口をつけたアンドリュース副船長は、その大きな瞳をクリクリとさせながらレイナに問う。

「あの……あなたと同じ部屋に泊まっている魔導士の女性の容態はどうですか? 下の船室フロアの男性魔導士の容態はかなり回復していると聞いているのですが……」

「あ、はい。ミザリーさんの容態も良くなってきています。たぶん、あと数日もすれば部屋からも出れるかな、と……」

 アンドリュース副船長の問いに、レイナはややつっかえながら答えた。

 だが、頭の中はいろんなことが入り乱れるように飛び交い、グチャグチャであった。

 ”ミザリーさん”じゃなくて、”レックスは”と言うべきだったわ。それに、”たぶん”じゃなくて”おそらく”とも言うべきだと、それにそれに……”出れるかな”なんて言ってしまった。相手は友達じゃないのに、私はなんておかしな言葉遣いで話しちゃったの……といった具合に。



 だが、アンドリュース副船長も、スミス船長も、レイナを咎めることはなかった。

 彼らも”レイナの魂”が、この世界にまだ慣れていない15才の平民の少女であるということを、知っているのだから。


 レイナから見た船長ソロモン・カイル・スミスは、レイナが想像する「船長」の脳内想像図にほぼ一致する外見をしていた。

 ジョセフ王子、そしてマリア王女の容姿がレイナ自身が「王子」「王女」と言われたら、頭の中で思い描いてしまうような金髪碧眼の麗しき美男美女。そして、彼らの父である国王ルーカス・エドワルドも、レイナが「王様」と言われて思い描いてしまう脳内想像図より、それほど差異がない外見をしていたという例にもれず――


 折り目正しい服装とピシッと伸びたまっすぐな背筋、優し気ではあるも力強い光をたたえているような瞳。長年、海を相手に人生という時を紡ぎ生きてきた男であり、この船の主でもあるとの威厳と誇りに満ちたオーラは、新参者のレイナですら圧倒されてしまった。

 この立派としかいえない外見のスミス船長が、自分の息子に頭と胃を痛ませているだろうことなど、彼らの話を盗み聞きしなければ、レイナは知ることなどなかったろう。


 対する副船長ブロック・ダン・アンドリュースは、非常に小柄であり、”一見すると”まだ少年のようにも見える男性であった。

 彼の身長は、もともとのレイナ、そしてミザリーと同じぐらいであるだろう。ルークやディランたちと、同じぐらいの身長かと推測されるスミス船長と並んでいると、椅子に座っていても、その体格差は如実に分かった。


 そのうえ、アンドリュース副船長は、クリクリとした瞳のかなりの童顔でもあった。

 だが、彼の肌の質感は、ルークやディランたちとは明らかに異なり、30代半ばの男性であることは見て取れるものであった。

 褒める言葉ではないが、日本風に言うと”とっちゃんぼうや”な外見の男性であるだろう。


 15才のレイナでも、元の世界における警察や自衛隊、客室乗務員などに身長やその他の肉体的な制限があるらしいことは知っていた。よって、この世界でも、明確な肉体的制限はなくとも、人の命を預かる仕事に従事する者たちは人並み以上の身長と体格の持ち主が大半ではないか想像していた。

 だが、一見するとまだ少年のような体格のアンドリュース副船長が、アドリアナ王国から選ばれたということから考えると、彼もまた非常に優秀な海の男であることには間違いないだろう。



「あの……それでは、失礼いたします」

 彼らにペコリっと頭を下げたレイナは、トレイを胸に抱え、いそいそと操舵室を後にした。

 レイナが彼らの容姿から感じ取れることについて思いを巡らせていたのは、十秒未満だ。

 けれども、レイナは海の男たちのテリトリーに、用事もないのにこれ以上、身を留めておくことは遠慮したかった。



 廊下へと出たレイナ。

 豊かな胸の前でトレイをギュっと抱きしめた。そのトレイに、少しだけ早くなったレイナの心臓の鼓動が伝わったような気がした。

 緊張したけど、なんとかこの任務を遂行することができた。トレイを食堂へと返し、後は廊下のお掃除だわ、とレイナが一歩踏み出した時であった。


「!」

 進行方向から、こちらへと歩いてくる人物がいた。

 しかも、その人物はよりによって――


 船医ハドリー・フィル・ガイガー。

 二度と顔をあわせたくないと思っていた、あの男とレイナはこうも早く再び顔をあわせてしまった。嫌すぎる鉢合せだ。不運すぎる鉢合せだ。


 全身に震えが走り、後ずさってしまったレイナであったが……

 レイナを見たガイガーは、レイナに気持ち悪い笑みを投げかけてくるわけでもなく、レイナを睨み付けてくるわけでもなく、ただ猛烈なまでに苦々しい顔して彼女から目を逸らしただけであった。


 「?」と思ったレイナであったが、その理由についてはすぐに分かった。

 ガイガーの数歩後ろに、兵士隊長パトリック・イアン・ヒンドリーの姿が見えたのだから。


 面白くなさそうに口元を尖らし、自室の扉を開けたガイガーの背にかかる、パトリックの「いいな、次はないぞ」という厳しい声がレイナのところまで聞こえてきた。


 彼らのその様子を見たレイナは、まるでパズルのピースがひとりでに集まり、ピッタリと合わさって完成したかのごとく、全てを察した。


 ディランとトレヴァーだ。

 彼らが、ガイガーと兵士スミスの”企み”を兵士隊長に根回ししてくれたのだ。

 ディランとトレヴァーが、ガイガーやスミスに対して直接の尋問(?)を行うよりも、兵士隊長という上の者を挟み、今後この船内にて起こりえるかもしれない事件を未然に防ごうとしてくれたに違いないと。


 レイナは、ガイガーに受けた”猥褻行為のこと”は、誰にも話していない。だが、ガイガーが口実をつけて鍵を兵士スミスに持って行かせようとしたことは、ディランたちも知っている。

 昨日、ガイガーとスミスの企みが遂行されたという最悪な事態になることだって、あり得た。きっとガイガーたちは、レイナが誰にも言わずに泣き寝入りをするに違いないと踏み、女性に対して許されないことを企んでいたのだから。


 だが、こうして、彼らの企みは兵士隊長の耳にも入った。

 尋問されたであろうガイガーはしらを切り通したに違いないが、今後の船旅にてガイガーとスミスがよっぽどの馬鹿でない限り、同様のことを企む可能性はグンと低くなったということだ。


 レイナとパトリックの視線が交わりあった。

 フッと口元を緩ませたパトリックは、レイナのところまでその歩みを進めてきた。


 近くで見るというか、レイナが見上げるパトリックはかなりの長身(ヴィンセントとほぼ同じぐらいか)であり、なお当然ではあるが兵士として鍛え上げられ、引き締まった肉体をしていた。


「あいつには、ちゃんと釘をさしておいたからね。もう、心配ないよ」

 パトリックはまるで小さな子供を安心させるような口調で、レイナに優しく微笑んだ。

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