―36― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(18)~レイナ、そしてルーク~

 出港の日が本来の予定より伸びてはいたが、現在、出港3日目――この船に乗ってから3日目を迎えている。

 だが、そのたった3日間の間に、この男の匂いが充満するエリアで訓練ならび寝泊まりをしているディランとトレヴァーの耳にも、船医ガイガーと兵士スミスの芳しくない噂は耳に入り、また実際にその芳しくない裏付けるような彼らの言動を目にしていた。

 


 船医ハドリー・フィル・ガイガー。

 年はまだ24才と若いが、外科も内科も網羅し、医者としての腕は確かではあるようで――いや、確かだからこそ、この船専属の船医として選ばれたのだろう。

 だが、ディランもトレヴァーもガイガーについては……いや、正確に言うと、彼ら2人だけではない。

 明るくてやや能天気なルークも、我が道を黙々と行くフレディも、そしてダニエルと同じく人の欠点を探すより人の美点を探すであろうヴィンセントも、船医・ガイガーは腕自体は優れているのかもしれないが、人としてあまり頼りにはならない――というよりも、”信用できない”一面があると思わずにはいられなかった。


 細面でこざっぱりとした外見のガイガー。

 聞いた噂によると家柄もまずまず、もちろん文字の読み書きも堪能、医者にもなれる頭脳を保持している。

 だが、ガイガーからは、努力により培った頭脳の優秀さや清潔感などを上回る”浮ついた感じ”がその全身より発せられていた。

 

 いわゆるホワイトカラーの高給取りであるガイガーは、派手な遊びを大変に好むとの噂を幾人にも聞いていた。

 いや、分別のある大人なのだから派手な遊びを好むのは本人の自由と言えば自由である。それが職務に差しさわりのないレベルであればの話だが……

 飲む、買う、打つ。

 ガイガーが特に好んでいるのは、最後の「打つ」であった。

 大の博打好き。

 そして、限度を超えた博打好きであった。

 有り金を全てつぎ込み、そしてその有り金が足らなければ、人から金を借りまくり、その金も博打につぎ込む。


 ディランもトレヴァーも、ガイガーが以前からの顔見知りらしい兵士数人に「借金の申込み」、あるいは「借金の返済の延長」を懇願する場面を、たった3日間の間に片手で数えるほどの回数ではあったが、目撃していた。もちろん、そんな時、ディランやトレヴァーと目が合うと、ガイガーは舌打ちし、すぐさま踵を返し自分の船室へと戻っていったようではあったが……


 危険な金儲けに病的にのめり込んでいるガイガーは、元々暮らしていた町において借金を繰り返して暮らせなくなったから、陸地を離れることができ、なおかつ一応の衣食住も保証されている船医を選んだのではないかとの推測までディランたちの耳に入ってきていた。

 真摯に医者の仕事に取り組んでいる医者の皆さんにはイメージダウンになるとは思うが……ガイガーは自分の借金を断ったり、または借金の延長に応じてもらえなかった兵士に、腹いせなのか、おかしな薬を治療と称して与えていたことまでもあったらしい。(おかしな薬といえば、ディランたちはまず第一に、魔導士サミュエル・メイナード・ヘルキャットを思い出してしまう)

 ガイガーが処方するその薬は、重篤な症状を引き起こすほどの薬ではないそうではある。訓練中に急激に眠気に襲われたり、または腹痛によってトイレから出ることができないといった症状に見舞われるそうだ。

 やはり、彼もそこらへんはよく考え、自分に咎が及ぶことがないように、「たまたま睡眠不足であった」「たまたま食べ合わせが悪かった」などと誤魔化せるような薬を与えたのではないかと被害者たちからの話であった。症状も1日もすれば治まるものであったから、証拠なども時とともに消滅してしまう。


 ガイガー自身は医者であるが、彼はギャンブル依存症を治す”心の医者”が必要な状態であるのだろう。

 いや、彼の場合はギャンブル依存症だけではない。

 おかしな薬を飲まされた兵士たちの件は証拠も何もないのだから、兵士たちの被害妄想であり単なる偶然であったと”しておこう”。

 けれども、ガイガーは今、実際に、博打で大負けしたらしい相手であるスミスに、負けた金の穴埋めとして間違いなく”レイナをあてがおう”としている。

 この船内で堂々と婦女暴行を働こうとする兵士がいるとは普通は考えられないが、”例外ともいえる”あのスミスなら分からない……というか、やりかねないと――




 兵士バーニー・ソロモン・スミス。

 いつも赤らんだ顔している21才の彼は、間違いなくこの船一番の”不良兵士”であるだろう。


 バーニー・ソロモン・スミスの背は兵士たちの中では中くらいといったところか。だが、彼はやや横に広がった体格をしていた。

 そのやや横に広がった体格は、訓練によって培われた筋肉によるガッシリさなのか、それとも酒好きが生じての酒太りによってのドッシリさなのか、そのどちらでもあるような気がするし、どちらでもないような気がしていた。

 腕も身長の割には短めで、外見からはあまり機敏さを感じさせないスミスではあるが、合同訓練中の彼はなかなかのキレのある動きを見せていた。きっと、兵士としての素質は並以上に持っていると思わせるものであった。

 真面目に訓練を積んでいれば、今以上にいい線をいっていたに違いない。



 ちなみに、この船の船長の名は、ソロモン・カイル・スミスである。

 スミスという、船長と同一のファミリーネーム。

 ”スミス”という姓自体は、アドリアナ王国ではありふれた姓である。貴族にだって、平民にだっている姓だ。身分の差はこれでもかと感じずにはいられないアドリアナ王国ではあるが、貴族と平民の名前については、不思議にはっきりといった違いはなかった。

 そして――

 船長のソロモン・カイル・スミスのファーストネームと、一兵士であるバーニー・ソロモン・スミスのミドルネームは、同一の”ソロモン”である。

 これも単なる偶然であると言えば、偶然であるかもしれなかったが……


 ディランとトレヴァーは、スミスがわざと周りに聞こえるように(新参者である自分たちへの牽制なのかもしれないが)、「船長室にいる親父がよぉ……」と話しているのを乗船1日目にしっかりと聞いた。

 船長ソロモン・カイル・スミスと、兵士バーニー・ソロモン・スミスは親子であった。

 だが、一見、親子とは思えないほど彼らの雰囲気は異なっていた。


 船長のスミスは、髪の毛はすでにほとんど白へとなりかけているが、船長歴30年以上という触れ込み通り、非常に身なりも振る舞いも折り目正しく、自分たちのような新参者にも他の者と変わることない態度(成り上がり者だとの侮蔑の視線を向けることなく)で挨拶をしてくれた。長年、海を相手に人生という時を紡ぎ生きてきた男であり、この船の主でもあるとの威厳と誇りに満ちたオーラが、彼のその全身から発せられていた。

 息子のスミスは、父親が船長――しかも、アドリアナ王国から直々に指名され、船を走らせることとなる船長――であるのだから、もともとの家柄は相当にいいのだろう。

 しかし、彼は身なりも立ち振る舞いも、ドラ息子そのものであった。

 父親を「お父様」「父上」などとは呼ばず、平民の息子と同じく「親父」と呼び、いつもだらしなく服を着崩し、訓練だってたった3日間で目に余るほどさぼってもいる。訓練中であるのに、酒の匂いをプンプンさせていることもある。

 相当に甘やかされ、碌に躾や我慢を教え込まれることなく育ったのか、それとも単に彼が元々生まれ持った性分であるのか……


 そのうえ――

 折り目正しい父を持つバーニー・ソロモン・スミスは、船医・ガイガーと同じく、派手な遊びを大変に好むとの噂を――いいや、彼の場合は自分から自慢げにギャハハと笑いながら、取り巻きの兵士たちと、またしてもわざと周りに聞こえるように自分が好む遊びの話をしていた。

 飲む、買う、打つ。

 「飲む」と「打つ」はもちろんのこと、彼が最も好んでいるのは「買う」であるらしかった。

 

 「俺、ついに先月、100人斬り達成しちまったぜ」や「病気を移されたって、”こればかり”はやめられねえよな。ハドリー(ガイガー)に治療してもらえりゃあ、治るモンだし」や「今までで一番いいパイオツしてた娼婦は××の町の……」や「あそこの娼館はボロいけど、娼婦は粒ぞろいだ。俺もすっかりリピーターに……」と、同じ男でも顔をしかめたくなるような話を食堂(食事中にも)で大声で話していた。

 そんなスミスが、この船内において多大な興味を抱いているのは、自分たちとともに乗船した”2人の若い娘”であるだろう。


 レイナ(彼女はレイナ・アン・リバーフォローズという名とこの世界での戸籍を王子殿下から与えられたとのことである)と、ジェニー・ルー・タウンゼント。

 ともに15才の2人の娘(レイナの外身は17才であるが)は、スミス風に言うと”2人の素人娘”といったところだろう。

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