―32― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(14)~レイナ、そしてルーク~

 ベッドに横たわったままのミザリーは、レイナの話を黙って聞いていた。

 その間、レイナとミザリーの間に流れているのは、穏やかな波の音だけであった。

 止まることのない時は流れ、船は波をかきわけ進みゆく……


 淫蕩なマリア王女がこの右手で行っていたであろう性行為以外を、レイナはミザリーに包み隠さず話し終えた。

 この肉体に起こった事実と、自分の考えも全て――


 ミザリーは、数秒だけ目を閉じた。彼女もまた、何か考えているのだろう。

 レイナは体調が全快ではないミザリーに余計な負担をかけてしまったのではと、今さらながら気づいた。


 レイナがミザリーに謝る前に、ミザリーが目と口をそっと開いた。

「全ては繋がっている……その繋がっていることをより如実に、レイナさんの身に伝えているのが、あのヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーであるということですね……私はあの者に対して、いえ、私以外にもカールとダリオもですが、凶悪で禍々しい性質は感じ取ってはいません。彼にはたった一つだけ、好ましくないところはあるらしいですが……彼の性生活については、他の者がどうこう言うことではありませんし……」

 そう言って再び、ミザリーは再び目を閉じた。

「確かにあのスクリムジョーは、いろいろと人智では考えられないこと――いや、普通の人間なら到底あり得ないようなことを私たちに直接見せています。サミュエル・メイナード・ヘルキャットの薬が、フレデリック・ジーン・ロゴとともに効かなかったこと。そして……ヘルキャットの炎を一時的に押さえ込んでいたのもおそらく彼でしょう」


「!?」

 今のミザリーの言葉を聞いたレイナは、ハッとした。

 あの夜のことは、あまり思い出したくはないのだが、何とか思い出そうとしてみると……あの恐ろしい魔導士サミュエルの炎の勢いが弱まった時が、あったようななかったような……

 まさか、魔導士でもないヴィンセントがサミュエルの炎を押さえ込んでいたというのか?


「あの時……ヘルキャットの炎を押さえ込んでいたのは、タウンゼントさんではありませんでした。そして、私とピーターにはヘルキャットの炎を押さえ込むことは無理です。生まれ持った魔導士としての力の格が違い過ぎますから……」


 城に仕えている魔導士(魔導士の中のエリートである)たちですら、押さえ込めないサミュエルの炎をヴィンセントが押さえ込んでいた?

 混乱するレイナであったが、ミザリーは言葉を続けた。

「……もしかしたら、スクリムジョーは本人もまだ気づいていないようですが、私たち城に仕える魔導士などより遥かに強大な力を持ち……いえ、強大な力というよりも、立っている次元が違うのでしょう。あなたの推測通り、あのスクリムジョーは”あちら側”の人物であると同時に、”希望の光を運ぶ者たち”でもあるのでしょう」


 レイナはミザリーにコクリと頷いた。

 ミザリーは自分の考えを否定することなく、聞いてくれた。

 いくら優しい彼女であっても、自分が明らかにおかしいことや間違っていたことを言ったとしたら「それは違うのでは……」とはっきり言うに違いない。ヴィンセントに対して、レイナが考えていたこととほぼ同じことをミザリーも思っていたのだ。


 だが――

「レイナさん、私、思うのですが……レイナさんの魂に響いてきた声は、”本当に”スクリムジョーの声だったのでしょうか?」

「!」

 数か月の間とはいえ、ほぼ毎日聞いていた声を――ヴィンセントの艶のあるテノールを、レイナが聞き間違えたとミザリーは言っているのであろうか?


「いえ、レイナさん。あなたの言っていることを疑っているわけでは決してないのです。でも、スクリムジョーがあなたに何か伝えたいことがあるなら、”遠く離れた場所”にいるわけでもなく、こうして同じ船内という限られた空間にいるのです。彼の性格からすると、直接この部屋にやってきて、あなたと顔を合わせて話をするような気がするのですが……」

 このミザリーの言葉に、レイナは改めて考えてた。

 確かに、ヴィンセントが自分に何か伝えたいことがあるなら、同じ船内にいるのだし、(レイナはやや緊張するが)普通に話ができる間柄だし、このような回りくどいことはしないだろう。

 だが、時々廊下ですれ違う剣稽古帰りの彼の様子に、特に変わった様子(自分に何か伝えたいことがあるような)は全く見られなかった。


 だとすると、一体、レイナの魂に響いてきた声は、誰の声なのか?

「あの……これは私の推測でしかないのですが、あなたに何か伝えたいことがある者がスクリムジョーの声を借りて、あなたに伝えている。それかもしくは、スクリムジョーと”非常によく似た”声の者があなたに語り掛けていると……」


 ヴィンセントと”非常によく似た”声の者。

 それは、彼と血縁関係にある者としか、考えられない。


 ミザリーは言葉を続ける。

「実は私は、首都シャノンを発つ前に、”希望の光を運ぶ者たち”の戸籍やら人物調査やらに目を通してました」

 そうだ。

 自分たちが首都シャノンの城に着いてから、宣旨の日まで日数を要していた。

 それは城内において、詮議にかけられていたからであろう。

 この世界で生を受けたルーク、ディラン、トレヴァー、アダム、ヴィンセント、ダニエル、(誕生が200年以上前の戦乱の渦中であるので、戸籍が残っていたかは分からないが)フレディの7人の戸籍やら身辺調査やらが水面下で行われていたのだ。

 ルークたちの誰一人として、犯罪歴などは皆無であるには違いないが、血税を使っての旅に見合うだけの人物であるかということも、もちろん調べられていたことは間違いない。



「あなたもご存知かと思いますが、スクリムジョーは養父に育てられ、その養父も亡き今は、天涯孤独の身の上であると……戸籍にも確かにそのように記されておりました」

 レイナはコクリと頷いた。確か、ヴィンセント自身もさらりといった感じで、自分の生い立ちについて話していたような気がする。


「スクリムジョーも捨て子でありました。ですが、彼は”子渡し人”に――いえ、”赤子を孤児院へと渡すことを生業としている者”に託されたのではなく……赤子の彼は”木のゆりかごに乗せられた状態で海岸へと打ち上げられ”、通りかかったアラン・ダニエル・スクリムジョーに拾われ、彼の元で育つこととなり……」


 レイナが初めて知ったヴィンセントの養父の名前。

 自分の魂がこの世界に誘われるより以前に亡くなっている彼の養父のミドルネームは、彼が今、弟のごとく可愛がっている青年のファーストネームと同一であったという偶然の一致も今、初めて知った。


「彼が拾われた当時、近隣の海では海難事故の届け出は一切ありませんでした。身ごもっていた女性が、船上にて出産し、彼を捨てた可能性もあります。けれども、わざわざ木のゆりかごになど、赤子の彼を乗せなくとも……残酷なことですが、必要のなかった子供なら、そのまま海へと”捨てればいいだけです。木のゆりかごに赤子の彼を乗せて”送り出した”者は、彼が教養を持つ者に拾われて育ち、そして今というこの時も船に乗っていることまで、全て見越していて……彼は本当にユーフェミア国の民を救わんとする者たちの手助けをするために、”海から”やってきたかのかもしれないと……」


 ミザリーの言葉は段々とか細く消え入りそうになっていく――

 ミザリーも――いつも周りの者や状況を良く観察し、そこから答えや自分がなすべき行動を考え、魔導士ではあるがどちらかというと現実主義な彼女自身も、今の自分の言っていることは、何の証拠もなく、単なる推測――いや、想像でしかないことを理解しているに違いなかった。



※※※



 まだ微熱が続いているらしいミザリーを、再び安静にさせたレイナは、静かに廊下へと出た。

 用を足すために、しばしミザリーの側を離れるのだ。どんな絶世の美人でも、嘔吐だってするし、出るものは出る。


 木でできた船の廊下が足元でギイッと軋む。

 肥満体とは絶対に言えないマリア王女の体重でも、このような軋み音を立てる木の船に、レイナが初めの一歩を踏み入れた時、”この船が瞬く間に海底へと沈みやしないか”と、冷たい脂汗がじわりと浮かんできたことを覚えている。


 ”レイナの魂が船に乗る”のは、今回が初めてである。

 元の世界において、レイナは電車や新幹線、そして家族旅行での飛行機ぐらいにしか乗ったことはない。それに、レイナがTVやネットニュースなどで見た船というものは鉄鋼材料によって作られており……失礼な話だがこの木の船に比べると、安心感などは段違いに元の世界における(乗ったこともない)鉄鋼の船が勝っているように思えた。

 だが、この船は軋み音をたまに立てるも、出港3日目となった現在、特に不具合もなく(あっては困るが)進んでいる。

 もちろん、この船内に設置されているトイレも水洗ではないし、揺れる中、長いスカートの裾を濡らさないようにしながら、レイナは用を足さなければならないが。


 これから先――とっていも、何百年も先のことになるとは思うが、この世界においてもレイナの元の世界と同じく、科学なるものは発達していくだろう。

 テレビも電話も、携帯もインターネットもない、この時代。

 現代日本で15年間暮らしたレイナにとっては、まだまだこの不便さに慣れることはできない。


 だが、今というこの時代にだけ、吹いている風。

 その切ない風とともに、この船はエマヌエーレ国へと進みゆくのだと……



 慣れぬ不便さを嘆くとともに、どこかセンチメンタルな感傷に浸っていたレイナであった。

 その彼女が、すっきりと用を足し終え、ハンカチーフで手を拭きながら自分たちの部屋へと戻ろうと廊下を歩いていた時――


「!!!」

 突如、レイナは”両肩を”背後から”強い力で”掴まれたのだ。

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