―25― ”まだ”穏やかな船内にて起こったある事件(7)~だが、事件の前にアダムの過去の一場面へと~

――何なんだ? あの男は……?


 自分の進行方向からやってくる彼ら。

 サミュエルと彼の隣にいる男の2人から、発せられている魔導士の気。

 燃え上がる炎を思わせる力強い気の持ち主であるサミュエルの隣にいる男。その男は自分たちと同じ魔導士であることには間違いはない、とアダムは”感じてはいるものの”なんだか……


 自分たちとサミュエルたちの距離は、徐々に縮まっていく――


 アダムとサミュエルの視線が真っ直ぐに交わり合っていることには気づくはずもない雑踏の中の者たちの反応は、アダムの側から見ると見事に二通りに分かれていた。

 サミュエルの美形ぶりに気づき、ハート形の光を目に宿した者(主に若い娘やおねえさまと形容すれば喜ぶような年齢の女性)が、サミュエルの隣にいる”太っちょ”などと形容するには明らかに重量をオーバーしている男のブヨブヨとした図体を見て、ギョッとする。中には連れの者と顔を見合わせ、含み笑いをする者までいる。

 もしくは、まず何よりもこの雑踏の中でもひと際目立つ巨漢の姿にギョギョッと驚く者。”これほどの迫力を見ずにいられようか”という札を下げているほどの巨漢であり、しかもパンをムシャムシャと咀嚼しながら彼が放つ”インパクト”はその隣にいるサミュエルの美貌が霞むほど強すぎて……

 どうやらアダムが見る限り、雑踏の中の者たちの反応は、後者の方がより多いようであった。


 アダムが初めて見る、ならびに”気を感じる”魔導士の男。

 サミュエルは自身の引き立て役として、その超巨漢の魔導士の男を連れて歩いているわけではないだろう。

 口は悪いが、やはり貴族の血を引いている証明であるような品のある容貌のまま大人となったサミュエルであるが、彼はそもそも”生まれ持った容貌”などに人生の重きは置いてはいない。

 彼の人生の最優先事項は、自身の”魔導士としての力”を高め上げることであるだろう。それはともに過ごした15年間、ずっと変わらず、今も変わっていないだろう。人はそう簡単に変わるものではない。

 となると、単に魔導士としての仲間か。

 だが、それにしては……あの巨漢魔導士の放つ気は、読み取れることは読み取れるが……なんだか”何か”に押さえつけられているようなアンバランスで不安定な気であった。

 魔導士の力としては、そう大したことはないのではないかと”この時の”アダムは思わずにはいられなかった。


 徐々に縮まる距離は、あと数メートルと言えるところまで、やってきた。

 実を言うと、中年と形容できる年齢ではないかと遠目では思われた巨漢魔導士であったが、縮まっていく距離の中で見える肌や髪の質感は、まだそれほど年はいっていないような感じがした。

 年はいってはいなさそうだが、年齢不詳。

 なにせ、巨漢魔導士は、両肩に首が埋もれ込みつつあるような猪首であり、目も鼻もほっぺたやら顔全体の贅肉に埋もれ、本来の顔立ちすらはっきり分からなかったのだから――

 相当な巨漢であることには見ての通りで、普通の人間なら歩行すら困難になるレベルであると思うが、不思議なことにその巨漢魔導士はスラリとした体型のサミュエルに全く遅れを取ることなく、この雑踏の中をドスドスと歩いている。

 当の本人は、自分に対する周りの好奇や侮蔑などの視線はものともせず、そして自分の進行方向からやってくるアダムが発する魔導士としての気にも全く気付いていないようで、(仮に気づいていたとしても手の中のパンの方が気になるようで)ただパンをむしゃむしゃと――いや、ムッチャムッチャと品がいいとは言えない食べ方で齧り続けていた。


 いきなり、巨漢魔導士は何かを思いついたように隣のサミュエルにバッと顔を向けた。

 そして、まくしたてるように、口の中の物を飛ばしながら、サミュエルに何かを言い……


 彼らとの間には距離があったため、そのうえ巨漢魔導士の口の中にはまだ唾液と混じり合いかみ砕かれたパンがたくさん残留しており、巨漢魔導士がサミュエルに何を言ったかはアダムには分からなかった。

 けれども、サミュエルは猛烈に顔をしかめ、嫌そうな顔をしていた。

 そのサミュエルの「おい、口の中にものを入れたまま喋るな。そして、俺に口の中のモンを飛ばすな」という言葉だけは、アダムにもはっきりと聞こえた。


 巨漢魔導士は、傍らのサミュエルとともにアダムとすれ違う地点へと来る寸前に、重い体を支えている足の進行方向を変えた。

 そう、すぐ側の大衆食堂らしき建物へと入るために――

 齧りかけのパンを手にしたまま、そして口をムッチャムッチャと動かし続けながら……巨漢魔導士は、建物の中へと吸い込まれるように消えていった。

 止まることのない食欲に、新たな食欲が追加されたようかのように……

 


 ”やれやれ”といった感じのサミュエルと、すやすやと眠るオリーを抱っこしたままのアダムの視線は、今度こそ、まっすぐにそして、”強く”交わった。

 9年ぶりに顔を合わせた2人の若き魔導士――

 先に口を開いたのは、サミュエルであった。


「久しぶりだな、アダム」

 そして、サミュエルは、アダムの腕の中の”オリー”へと視線をスッと視線を移した。

「……しばらく見ないうちに父親になって、”小さく”まとまっちまったかと思ったんだが、お前の子じゃねえな。これまた随分と、面白いガキ、連れてるじゃねえか」

 口の両端をニッと上げたサミュエル。

 相当に”面白いガキ”を見つけちまったなあ、と言いたげに――


 サミュエルは一目で感じ取ったのだろう。

 アダムの腕の中の子供は普通の人間ではない。だが、魔導士としての力を持って生まれた者でもなく……

 おそらく、自分たちが生を受けたこの世界とは違う異世界からやってきた者であると。


 アダムは思わず、オリーをサミュエルから守るように腕の中に抱き込んだ。

 一見、優し気な好青年といった感じの”目の前のこの男”の瞳に宿った不穏な光と不吉な予感。そして、先ほどの何やら異様な感じを醸し出している魔導士の男。

 この状態で危険を感じずにいられようか。


「……9年ぶりになるか……サミュエル。さっきのあの男は何なんだ?」

 自分にそう問うアダムに、サミュエルはフッと唇を緩ませ、綺麗に並んだ白い歯を見せた。

「おいおい、久しぶりの再会だっていうのに、挨拶もそこそこに俺の近況ではなく、あのメガトンデブのことを真っ先に聞いてくるとはな。まあ……あいつの放つ強烈さを前にしたら、聞きたくなる気持ちは分からんでもないが、”かつての”昔馴染としては寂しいもんがあるぜ」


 口では寂しいとは伝えながらも、心の底では全く寂しいなどとは思ってはいないだろう。

 人生の幕開けより、サミュエルと15年間の時を共有してきたアダムは分かっていた。

 当のサミュエルも、アダムが今、心の中で「お前、全く寂しいなんて思ってないだろ」と声に出さない突っ込みを入れたことも理解していた。


「……犬猿の仲ってわけじゃなかったけど、昔からお前とはどっか合わなかったもんな。同じ魔導士といえども、なんだか魂の根っこは鳥と魚みたいに違っていたわけだし」

 サミュエルがニヤリと唇を歪ませて笑った。

「でも、”食欲を満たすことが第一なのは仕方ない”として、他のことにも思い込みと自惚れで”考えるといったことをせず”猪突猛進といったメガトンデブより、お前の方がまだ”普通に話はできる”しな。お前、今、どこで何をしてんだ?」


 自分の近況を問うサミュエルのその笑みに、アダムの魔導士としての勘――いや違う……魔導士としての力を持ってはいない者でも持っている第六感が更なる危険を知らせていた。

 サミュエルは、こうも言葉を続けたかったにも違いない。”お前のその腕の中のガキは何だ? ちょっと俺によく見せてくれよ”と――


 再度、アダムはオリーを抱き込んでいた。

 自身を抱きしめるアダムの力に驚いたかのように、眠っているオリーはわずかにむずがるような動きを見せた。

「……元気そうなら、それで良かった。じゃあな。近くの町に住んでるなら、たまにはヘルキャット夫妻のところに顔を出してやれよ。巣立った子供たちが元気にしているか、とても心配してたぞ」

 会話は噛み合っていないが、アダムは一刻も早く、この場を立ち去ることを選択した。

 腕の中にいる無力な子供を守るために。


 サミュエルに、神人トーマスから預かった子供・オリーを渡そうものなら、どうなるか分からない。

 世にも珍しい神人の子供が、あいつの知的好奇心とマッドサイエンティストな欲望のサンプルとなるのは、明らかであった。


 目を伏せ、オリーを抱え込んだまま、サミュエルの横を通り抜けたアダムは、そっと近くの路地裏に入ろうとした。

 アダムの背中に、サミュエルの「じゃあ、”また”な」という声が聞こえてきた。


 この時のサミュエルの手には捕まることなく、路地裏に身を滑り込ませたアダムが真っ先に行ったのは、瞬間移動であった。

 オリーと自分の姿をこの雑踏から消すこと。

 そして、アダムは決して馬鹿ではない。

 瞬間移動で、まっすぐにトーマスたち神人のところに戻ったとしたら、サミュエルに後を辿られる可能性は高いなんてもんじゃない。

 体力を”少し”削ることは、明らかであるが、数回の瞬間移動でサミュエルをまくことを考えた。

 あのサミュエルの優し気な瞳に宿った不穏な光と不吉な予感が杞憂であると――

 そう、まだ何も起こっちゃいないのに、何を俺はこんなに焦ってんだと、自分自身に言い聞かせながら――



「逃げやがったか……」

 アダムが大事に抱えていた腕の中の”面白いガキ”とともに、瞬間移動にて姿を消したのを見たサミュエル。

 彼はハン、と息を吐き、誰もいなくなった路地裏から目を逸らした。

――並以上の力を持つ魔導士でも、1回の瞬間移動で相当な気を消耗するし、中にはコントロールが下手くそで全く思いもよらないところに行っちまう奴だっている。そもそも、魔導士の力を持っていて生まれていても瞬間移動すら行うこともできない、哀れな奴だって中にはいる。だが、あいつと、そしてこの俺は瞬間移動などお手のモンだ。おそらく、あいつは数回瞬間移動を繰り返しながら、俺を煙に巻くつもりなんだろう。でもよ、この雑踏の中で俺と奇跡の再会を果たしちまったのが、運のつきだったな。”翼もないのに鳥のように空を自由に飛び回れ、尾びれもないのに魚のように水の中を泳ぐことができて、ジジイになることなどないガキ”を連れていて、この俺が……いや”俺たち”が見逃すわけねえだろう? 


 ”自分たちの礎”となるために、この世界にやってきたかのような”神人”をそのままにしておく気など毛頭ない。

 サミュエルも、そして”サミュエルの仲間たち”も――


 そう、こうして――

 この約1カ月後にこの地で起こる、陰惨で血塗られた「神人殺人事件」の最初の火種は、1人の悪しき魔導士の魂に静かに灯されたのであった。

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