ー1ー 道は開かれた(1)

――もうすぐ首都シャノンに着くのね……

 現代日本より、このアドリアナ王国に誘われた少女・河瀬レイナは、いまだ慣れないこの馬車の揺れにわずかな吐き気を催し、天井を仰いだ。

 アドリアナ王国の首都シャノン。

 自分の魂のこの世界での始まりの場所。そして、自分の魂をこの異世界へと誘った女性魔導士アンバー・ミーガン・オスティーンが戻ってくることができなかった場所。


 レイナは、膝の上にある荷物――アンバーの遺品であるノートをギュっと握りしめた。

 わずか10日程前に、アポストルからの使いの少年・ゲイブからの啓示――レイナにとってはは3回目となる啓示も、彼女はきちんと後からこのノートに書き記していた。

 希望の光を運ばんとする強い決意の集結。そして「希望の光を運ぶ者たち」7人の前にもたらされた、アポストルからの新たな啓示。

 目的も分からないまま、探り探りで進んでいくのではない。彼らが行くべき地と果たすべき使命は、明らかとなったのだ。

 これから先のさらなる”旅”に向かう彼らの視界は、アポストルからの差し込まれたその啓示という光により明瞭に……

 そう、まさに道は開かれたのだ。


 レイナと同じ馬車には、元魔導士アダム・ポール・タウンゼント、そして彼の孫娘ジェニー・ルー・タウンゼントが乗っている。

 そして、前を駆ける馬車にはルーク・ノア・ロビンソン、ディラン・ニール・ハドソン、トレヴァー・モーリス・ガルシア、魔導士カール・コリン・ウッズの4人、そして後ろを駆ける馬車には、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョー、ダニエル・コーディ・ホワイト、フレデリック・ジーン・ロゴ、魔導士ダリオ・グレン・レイクの4人が乗っている。

 悪しき者たちの万が一の襲撃に備え、3つの馬車に1人ずつ魔導士を配置していた。

 総勢11名でのアレクシスの町から首都シャノンへ向かっての、約10日間にわたるこの旅はもうすぐ終わりを迎える。



 やがて――馬車は止まった。

 馬車の窓はかたく閉ざされ、外の様子をうかがうことはできなかったが、車輪が紡ぐ音の変化により、おそらく道からどこかの敷地内に入ったのだと理解した。

 ついに首都シャノンの城の敷地内に入ったのだと。

 だが、馬車から下り、雪解けの土を踏みしめたレイナの前にある光景は、やや拍子抜けするものであった。

「え? ここが……首都シャノンのお城なの?」

 馬車から下り、レイナの隣に立ったジェニーも同じことを思ったらしい。


 今、レイナの青い瞳に映っているのは、城というよりも要塞と表現した方がふさわしい建物と、その建物をグルリと取り囲むように高くはりめぐらされた外壁であった。

「……ダリオ、どうやら城からの迎えの馬車は、まだ到着していないようだ」

「そうだな。思ったより、早く”ここ”に着いてしまったな。少し体を休めておくか?」

 馬車から下りたカールとダリオは、レイナたちを目の前にそびえ立つ建物へと案内した。


 揃いの身綺麗な服を身に着けた召使いたちより、あたたたかなお茶と小腹を満たすためのお菓子が、椅子に腰かけたレイナたちの前のテーブルに並べられていった。

 召使いたちが訓練された無駄のない動きのまま、この部屋より下がっていったのを確認したカールが口を開いた。

「ここは国王ジョセフ・ガイの時代に築かれた要塞だ。城からの迎えの馬車が来るまで、皆にはここで待機していてもらいたい」

 一刻も早く、アドリアナ王国第一王子ジョセフ・エドワードが待っている城へと向かうものだと思っていたが、ここで城からの迎えを待てと……

「城までは距離的にまだかかるということですか?」

 ディランが聞く。

「いいや、ここは首都シャノンの外れに位置している。そして城までは……歩いていこうと思えばなんとか歩いていくことができる距離でもある」

 そう答えたカールの言葉を継ぐように、ダリオが続ける。

「……そこにいる”レイナ”だが、何の事情も知らない民たちにとっては”マリア王女”だ。この要塞に仕えている者たちには一連の事情は伝えているが、マリア王女は表向きは病気で臥せっていることになっている。首都シャノンに住む民の中には、マリア王女の顔を知っている者も大勢いる。余計な騒ぎや混乱を防ぐために、城からの迎えの馬車に乗って城へと行く手配をした」


 そのダリオの言葉に、レイナは改めて実感した。

 レイナ自身は自分自身の魂がこの異世界で生きているつもりでも、何の事情の知らない者にはアドリアナ王国第一王女マリア・エリザベスとしてしか映らないのだと。

 肉体と魂の持ち主がそれぞれ違っているなんて、口で説明したとしてもその当人たちでなければ、到底信じることなどできないだろう。

 レイナは、”この”マリア王女が首都シャノンに住む民たちには、どのような王女として映っていたのかは知らない。ジョセフ王子がマリア王女の魂に巣食っていた闇を、民たちの目に触れることのないよう心を砕いていたに違いないから、マリア王女の真実を知る者は少ないのかもしれない。


 だが、レイナは思った。

 これから自分の魂が選択する行動に、より一層気を付けていかなければ、と。

 レイナが太腿の上に置いた両の拳をギュっと握りしめた、その時――


 レイナは気づいた。

 自分の右隣に座っているダニエルもまた、彼自身の太腿の上に置いた両の拳をギュっと握りしめていることに。そのうえ、彼は小刻みにブルブルと震えてもいた。

「……ダニエル?」

 彼の右隣に座っていたヴィンセントも、彼の異変に気付いたようであった。


 これからおそらく数時間の後に、ジョセフ王子に謁見する。

 その緊張のため、ダニエルはこれほどまでに震えているのだろうか?

 艶やかな黒髪で顔の上半分を覆い隠したまま、ブルブルとしていたダニエルは、バッと顔を上げた。

 そして、固く一文字に結ばれていた血の気のない唇を開いた。


「あ、あ、あの、カールさん、ダリオさん……私、やっぱり……」

 言葉を発したダニエルであったが、言葉は途中で途切れてしまった。

 レイナだけでなく、この場にいた誰もが想像せずにはいられなかった。ダニエルが、”やっぱり”の後に続けようとしている言葉、それは……

 けれども、彼の口から紡がれた次の言葉は、レイナたちの予想に反するものであった。

「わ、私、やっぱり、少しだけ、身なりを整える時間をいただきたいと……」

 まさか、”私は城へと行くのを遠慮しておきます”という言葉が続くのではという予感があったが、そうではなかったらしい。

 ダニエルは、ジョセフ王子に謁見するための身なりを整えたいと、カールやダリオに申し出たのだ。


「わ、私は、数年前にジョセフ王子に一度、お会いしたことがございます。今の私は平民の身分に下ったとはいえ、王子殿下……ましては国王陛下にまで謁見するのに、このような身なりではいけないと……」

「そうだね、ダニエル。その前髪を切って整えるか、後ろに撫でつけるかした方がいいね」

 そう言ったヴィンセントも続ける。 

「……私もダニエルと同じく身なりを整える時間をいただけますでしょうか。以前、私はジョセフ王子に大変なご無礼を働きましたこともあり、これ以上のご無礼など許されませんので……」

 確かにヴィンセントは、自らの意志でないとはいえ、ジョセフ王子のベッドに潜り込むという最大級の無礼を働いていた。


 ダニエルとヴィンセントの申し出に、残るレイナたちも自分の服装と清潔感を慌てて見直した。

 これから向かう城には、ジョセフ王子だけでなく、国王や王妃、それにそうそうたる身分の国の重鎮たちも揃っているのだから。

 ルーク、ディラン、トレヴァーの3人は、自分たちの身に着けている服の生地がところどころ擦りきれ、薄くなっていることに気づいた。

 今まではそう頻繁に服を買い替えたりなどできない平民の身であったため、そう気にも留めることもなかったが、この服装のまま、城へと向かうと考えると躊躇してしまう。

 フレディは、全裸で「蘇生」してしまうことになったため、町の者から親切心で寄付された衣服を身に着けていた。だが、少し過疎り気味のアレクシスの町で急遽、調達したためかルークたちのような青年が身に着ける服より、年配の者に近い色合いとデザインの服を身に着けていた。

 アダムはどこからどう見ても農夫の服装であり、彼が肌着のうえに身に着けている腹巻の形までくっきりと見て取れた。彼の孫娘・ジェニーも、どこからどうみても村娘といった服装であった。彼ら2人はそのまま、畑仕事に向かったとしても何ら違和感はない。

 レイナ自身も、自分がこの異世界で置かれてきた状況において、お洒落を楽しむような心の余裕など持てるはずなどなかったため、用意された服をそのまま着ていた。

 

「そうだな。高級品でなくとも、国王やジョセフ王子に失礼のないよう、身なりを整える時間を設けよう」

「ダリオ、この近くにはわりと大きな服屋があったはずだ。そこに使いを出して、適切な服を見繕ってもらうとするか」

 カールとダリオが、顔を見合わせ頷きあった。

 それなりの場所に行くには、それなりの服装をしなければならない。


 それから小一時間。

 レイナは、服屋から素早く届けられた3~4着の服の中より1着を選び、鏡の前に立っていた。

 着替えを手伝ってくれた、召使いの女性たちの感嘆の溜息と同時に、レイナ自身の口からも感嘆の溜息が漏れた。

 ハイネックのため、露出度はグッと押さえられ、スカートの裾の広がり方も極めて控えめでクラッシックなデザイン。”マリア王女”の瞳と同じく、透きとおるほどの青さに染め上げられた生地に、金色の糸で首口と裾に雅やかな模様が縫い込まれている。

 今、レイナが身に着けている服は、本物の”マリア王女”から見たら、下賤の者が身にまとうような服であるだろう。だが、どのような服を身に着けていたとしても、この”マリア王女”の時すら忘れさせるほど輝く美しさは色あせることがなかった。

 レイナたちが、鏡の中の”マリア王女”に見とれていた時、先に身支度が整ったらしいジェニーがやってきた。


 ジェニーもまた、”マリア王女”の放つ美しさに言葉を失い、その場に立ちつくしてしまった。

 数秒たった後、ジェニーが「……綺麗」と一言だけ、吐息交じりに言葉を発した。

 そういうジェニーも、レイナから見れば、大変に愛らしかった。

 彼女は爽やかなレモンイエローに染めあげられた生地に、ところどころ蝶々をモチーフとしたような刺繍が深緑色の糸でほどこされている服を身にまとっていた。胸元はいやらしくない程度に開いてはいたものの、スカートの裾の広がり方はレイナの服とほぼ同じであった。

 

 ジェニーの生まれ持ったその顔立ちが、アイドルのように愛らしく、垢抜けているということもその愛らしさの一因であるが、彼女が選んだ服もまた、彼女の胡桃色の髪や瞳、そして瑞々しい肌を際立たせていた。彼女がこのまま、町を歩けば、間違いなく多数の男も、そして女も振り向くであろう。

「私……こんな経験初めてで、どの服にしようか迷っちゃったよ。他に気に入った大人っぽい服も合ったけど、気に入った服と似合う服は別物だしね」

 肩をすくめたジェニーは、可愛らしく舌を出した。


「おじいちゃんや男性陣は、もう用意はできたかな?」

 そう言ったジェニーとともに、レイナは廊下に出た。

 要塞らしく、やはり廊下はやや殺風景であり、まだ冬の名残を見せる空気が漂っているような気がした。

 並んで廊下を歩くレイナとジェニーであったが、自分たちの向かい側より1人の見知らぬ黒髪の青年が歩いてきているのに気づく。


 その濡れた黒曜石のような黒髪の青年は、細身ではあるが遠くから見ても上背があり、この廊下の隅々にまで、静かに波打ちながら、広がっていくような存在感のある美しさの持ち主であった。

 高貴なバイオレットに染め上げられた生地には銀色の刺繍を施され、レイナが身に着けている服とよく似たクラッシックなデザイン。

 とても並々の者には見えない。この要塞の関係者かしら、とレイナとジェニーが顔を見合わせた時、レイナたちに気づいた青年が口を開いた。


「……あ、あ、あ、あの、レイナさんとジェニーさんは、お支度が終わられたんですね」

 見知らぬ美しい青年が発したその声は、紛れもなくダニエルのものであった。

「えっ! ダ、ダニエルさん?!」

 レイナとジェニーは、同時に声をあげた。

 そういえば、レイナたちはダニエルの素顔を見るのは、この時が初めてであった。彼はいつも、母譲りの艶やかな黒髪で顔の上半分を隠していたのだから。

 今、こうしてみる正面からダニエルの顔は、ビックリするほどに整っていた。


 重い前髪を後ろになでつけ、彼のその眉毛は薄すぎず濃すぎず綺麗に生え揃い、鼻筋もスッと通り、上品な顔立ちであった。

 唇の血色はやはり良くなく、その黒い瞳が尋常じゃないぐらい泳いでいることを抜きにしても、彼が貴族として生まれ、貴族として育てられていた中で培われていた気品と周りに放つ美しい空気は、今もなお健在であったのだと。


「……ダ、ダニエルさんて、とても素敵な方だったんですね」

 ジェニーが呟いた。

 そのジェニーの言葉に、ダニエルは瞬時にその白い頬を赤く染め、慌てて首をブンブンと横に振った。

「い、い、いえいえ、わ、私など素敵なところなどありませんよっ! 私なんて、何の取り柄もない人間ですからっ……」

 話し方は、レイナが知るいつものダニエルのままであった。

 あまり女慣れしていない中学生男子と彷彿させる、彼のその態度にレイナはやや面食らった。

「わ、私のことなどより、お二方ともよくお似合いでございます……それに、レイナさんと私、色違いのペアルックみたいになってますね」

 ダニエルは頬を赤く染めたまま、恥ずかしそうに頭をかいた。

 そんな彼の姿に、レイナもジェニーも思わず、クスッと笑いを漏らしてしまっていた。


「ジェニー、お前たちも支度はすんだのか?」

 背後からかけられたその声はアダムのものであった。

 振り返ったレイナとジェニーの瞳に映ったのは、重々しい威厳に満ちたアダムの姿であった。

 きっちりとプレスされたような深緑色の上着の前面には、勲章のような金色のボタンがよりよい配置で輝いていた。彼の顔の四角い輪郭や、頑固そうな面持ち、少し薄くなった胡桃色の頭髪も、彼のその威厳をより際立たせる、プラスの作用として働いていた。

 真っ当に年を重ねた者にしか、出すことのできない威厳とその貫禄……

 まるで、レイナが歴史の教科書ならび参考書で見たことがある、軍服に身を包んだ歴史の主要人物の写真を思い起こさせた。けれでも、彼はやはりその服の下に、あの愛用のラクダ色の腹巻を巻いているに違いなかった。


「わしはもう、洒落っ気などは遠い時の彼方に置いてきたからな。あいつら……カールとダリオにアドバイスをしてもらった」

 あの有能な男性魔導士たちは、自分たちは揃いの黒衣(彼らにとっては制服、いやスーツのようなものか)を身に着けているも、ファッションセンスもなかなかに良いらしかった。それに加え、彼らはジョセフ王子が求めるものも知り尽くしているのだろう。


 孫娘・ジェニーの愛らしさに目を細めたアダムの胡桃色の瞳に、喜びと同時に後悔を思わせる色がスッと差し込んだ。

「……田舎ではなくて、もっと都会に家を構えていても、良かったかもしれんな。お前も年頃の娘らしく、いろいろと楽しみたかったろう」

 そのアダムの言葉にジェニーがキョトンとする。

 ジェニーは確かに、牧歌的でのどかなアレクシスの町で育ち、そして冬の間は王国の最北のデブラの町の宿の手伝いをしていた。田舎で15年間、生まれ育った娘だ。

 アダムは、これほど美しく育った孫娘に、年頃の娘らしく都会の流行の服装で着飾らせる楽しみを、こんな形で知ることなく、先に教えておくべきだったのかと――

「お、おじいちゃん……私、おじいちゃんと暮らせるなら、どこだっていいのよ。おじいちゃんと暮らすのって、とっても楽しいもの」

 アダムの言わんとしていることが分かったジェニーが、明るく言った。そのジェニーの言葉に、アダムが深く頷いた。


「……しかし、お前さん、なかなかの男ぶりじゃないか」

 アダムにも褒められてしまったダニエルが、頬をさらに真っ赤に染め、「いえ、いいえ、そんな……」と首をブンブンと横に振った。

「あの色男はどうしたんだ? 一緒じゃないのか? 確か、お前さんとあいつは自分で服を選ぶと言っていたろう」

「お、お兄さんなら、今はあの部屋の中にいます」と、ダニエルがある1つの部屋を手でスッと示した。


 そのダニエルの動作とほぼ同時に、ヴィンセントが扉より姿を見せた。

 目もくらむような鮮やかな赤毛、美し過ぎるその顔の彫りは濃く深く、彫刻のように均整のとれた長身。

 生まれ持った元々の素材に目立つ要素がありすぎるヴィンセントは、わざと控えめな色味とシンプルなデザインの服を選んだのだろう。

 明るいベージュに染められた服であったが、裏地は彼の髪と同じ色であるらしく、首口と折り返された袖口には、赤色のアクセントが入っていた。いや、ヴィンセントはそのアクセントで、自らの魅力を際立たせるためにその服を選んだに違いない。

 当のヴィンセントに連なるように、部屋から出てくる召使いの女性たちの目は揃って輝き、というよりもハートマークとなっていることは、レイナも分かった。

 ヴィンセントが声をかければ、その場で彼に抱かれることをあの召使いの女性たちはいとわないかもしれない。彼が女を疼かせ、惑わせる魔性の男であることを、レイナは改めて実感した。


「はあ……お兄さん、なんと凛々しく美しい……」

 ダニエルがヴィンセントの姿に、感嘆の声をあげた。

「ほんと……あれで女たらしじゃなければねぇ」

「何を言っている、ジェニー。恋人を作るなど、まだまだ早いわ」

 この異世界では15才ともなれば、所帯や子供を持ち始める”少女”も少なからずいる。だがアダムは、自分の可愛い孫娘は、男など知らずいつまでも可愛い孫娘でいて欲しいに違いない。


「……あ、あの、お兄さんは、少し浮ついた面も確かにございます。ですが、お兄さんは……あの美しさのみならず、剣技も馬術も、そして勉学においても、いやその他、どんなことをしても……卓越した才能を見せまして……まさに、神がお作りになったような方なのです」

 ダニエルは怒っているというわけではなさそうであったが、強い口調で自分が知るヴィンセントの素晴らしさを語ろうとしていた。

 レイナは思う。

――ヴィンセントさんって、いわゆるチートって呼ばれるような人なのね。そのうえ、あのルックス。やっぱり、世の中には天から二物も三物も与えられる人はいるものなのね……


「……わ、私の母も”ヴィンセントが私の息子なら良かったのに”と言っていたぐらいでして……私もこんな愚図でのろまな亀のような役立たずの息子などではなく、お兄さんのように生まれついていればきっと……」

 ”きっと、母にも愛されていたはずです”との言葉を続けることができなかったダニエルは、苦く重い息を吐き出した。

 今のダニエルの話を聞いたレイナのみならず、アダムもジェニーもギョッとした。


――え? 自分の子供に、”他の子供が自分の子供なら良かったのに”なんてこと、言えるものなの? ダニエルさんだって、充分に美形だし、オドオドしているけど良い人だし……いいえ、そもそもダニエルさんがどんな子供であったとしても、そんなこと絶対に言っちゃいけないことじゃ……

 親になったことなどないレイナであるが、それだけは分かった。ちらりと横に見ると、ジェニーも「そんなこと子供に言う?」と言いたげな表情を浮かべていたし、アダムも渋い顔をしていた。

 だが、当のダニエルは自分などそう言われて当然だと言わんばかりに、哀し気な表情のままであった。彼は自分の存在を否定されることに慣れ、その心はすでに麻痺してしまっているのだろう。

 彼が貴族の身分を捨てる要因となったのは、間違いなく、あの美人ではあるがどこか冷たい感じのする、エヴァ・ジャクリーン・ホワイトに違いない。彼女は自分が産んだ下の息子、ダニエルにとっては弟のサイモン・ラルフ・ホワイトには、多大な期待を寄せていることは、アリスの町での晩餐の席で分かった。サイモンはきっと、母エヴァが”愛すことができる子供”であったのだろう。


「おやおや、皆さま、もうお揃いで」

 ヴィンセントが片手をあげ、にこやかにやってきた。

「ほう、おじいさまも良くお似合いで…………それに、お嬢さん方もいつも以上に、その魅力が増しておりますね。まるで、絵画の中にから抜け出してきたような美しさですよ」

 ヴィンセントは白い歯をキラリと見せ、微笑みかけてきた。

 その彼のすこぶる蠱惑的な微笑みに、レイナとジェニーだけでなく、堅物なアダムまでも頬をポッと染めてしまった。

 御年83才の男性にまで、ヴィンセントの発するフェロモンは通じたようであった。彼のこの色気も、彼が神より授かった天性のものであるに違いない。


「ダニエル、よく似合っているよ」

 ヴィンセントは、ダニエルにも優しく微笑んだ。

「で、でも、お兄さん……わ、私、なんだか恥ずかしいです。こんな……」

「いいんだよ。ダニエルはダニエルのペースで、歩んでいけばいい。私はこの命あるかぎり、ずっとダニエルを見守っているから」

「お兄さん……」

 ダニエルのうれしそうなその声。

 今までにも流れたことのある妙な空気が、またしてもこの場に流れた。

 この2人、まさか……と。

 だが、以前にヴィンセントの肉体は女性にしか反応しないと彼自身が申告していたし、ダニエルにいたってはオドオドビクビクとして、人間自体にあまり慣れていない面が随所にみられる。この2人が男色関係にある可能性は低いだろう。

 けれども、この2人の関係は、血のつながった兄弟以上に濃く強いものなのではないか。いや、兄弟というよりも父と子、もしくは母と子のようにも、レイナには感じられた。ダニエルにとって、ヴィンセントは自身の心の父であり、また母であるのではと――


「さてと……彼らの支度ももうそろそろ終わるはずですよね。カールさんとダリオさんが、彼らの服を選ぶとのことでしたし」

 ヴィンセントが、彼ら――ルーク、ディラン、トレヴァー、フレディ、そしてカールとダリオがいる一等広い部屋へと視線を移した。


 部屋の前で、着替え中の彼らを待つレイナたちの元に、彼らの声が聞こえてきた。

「ルーク、服の裏表が反対だよ」とディラン。

「ディラン、お前はその服、前と後ろが逆だぞ」とカール。

「俺はこの服なら何とか入りそうだ」と、トレヴァー。

「お前たち、服を着終わったら、髪に櫛を入れてやるから、急げ」と、ダリオ。

「フレディ、早く何か服着ろって。目のやり場に困るからさ」と、ルーク。


 今、あの扉の向こうは、まさに男子更衣室のような状態なのだろうとレイナは思った。

 おそらく、彼らはTPOに合わせて、服を着るという経験は初めてのはずだ。

 肉体労働を生活の糧としていたルーク、ディラン、トレヴァーは、そう服装に気を使うこともなく、動きやすさや防寒を第一に考えていたはずだ。

 そして、唯一、声が聞こえてこないフレディは、服を脱いだまま、面食らっているのだろう。

 200年に渡る、凍てついた眠りより「蘇生」してしまった彼の前に今、突き付けられているのは、とうの昔に戦火がおさまったアドリアナ王国の最先端の流行だ。まるで、異世界のものを選べと言われているような心情なのかもしれない。

 もしくは、フレディは同性の前では平気で裸のままでいれる性格なのかもしれないが。



 それから、さらに数分後――

「いい? 扉を開けるよ。もしかしたら、皆、もう待ってるかもしれないし」

 そのディランの声とともに、この要塞には似つかわしくない軽快な音を立てて、扉は開いた。

 

 軍服のようなカッチリとしたデザインの服に身を包んだディランが立っていた。

 穏やかな雰囲気を持つ彼の肩が、意外に広く、がっしりとしたものであることにレイナは気づく。

 彼のその若木のようにしなやかな肢体を包んでいるのは、レイナの服よりも数段深い青――ネイビーブルーに染め上げられた軍服のようなカッチリとしたデザインの服だ。

 ディランは平民の生まれであるはずなのに、彼の優等生っぽいその風貌も相まってか、なぜか毛並みの良さすら感じさせる凛々しさを放っていた。何も知らない者に”彼は貴族の嫡男である”との嘘の紹介をしたとしても、大抵の者は信じるに違いない。衣服を整えただけで平民に見えなくなった彼も、なかなかのものだろう。


「……すまん。待たせたようだな」

 ディランの後ろから、トレヴァーがヌッと姿を現した。

 規格外といえるほどの長身であり、全身をムキムキとした筋肉で包まれているトレヴァーは、用意された服がなかなか入らず、消去法で今、身に着けている服を選んだのだろう。

 トレヴァーは、彼の鳶色の髪や褐色の肌に良く合ったカーキ色の服を着ていた。彼の服は、ディランが着ている軍服のようにカッチリとした輪郭に比べるとやや柔らかめの輪郭であった。だが、彼のその筋肉隆々とした肉体の逞しさは際立っていた。

 そして、何より彼のその服は、彼が皆を――いや、特にルークとディランを、兄貴分として見守っているような彼の穏やかで優しい佇まいによく似合っていた。アースカラーに身を身を包んだ彼の姿は、”大地の男”と形容できるほどに。


「女の方が支度に時間がかかってると思ったが……待たせて悪かった」

 トレヴァーの後ろから姿を見せたのは、きちんと服を着ているフレディであった。

 彼はディランと同じくカッチリとした輪郭の服に身を包んでいた。そして、その服は黒一色であり、前面にいくつかの金色のボタンと両肩に金の糸が縫い付けられていた。

 時を越えて、今”ここ”に存在しているフレディ。

 彼のその装いは、他の男性陣に比べるとその色味も含めて、控えめである。

 だが、そのことがかえって彼のその研ぎ澄まされた存在感を際立たせていた。吸い込まれるような深いグレーの瞳と、サラサラとした髪、そのあっさり目の顔立ちにも良く似合っており、彼の服選びも大成功と評価できるだろう。


 ディラン、トレヴァー、フレディ、そして部屋からひょいっと顔を出したカールは、部屋の前に集まっていたレイナ、アダム、ヴィンセント、ジェニー、それぞれの光輝き続ける絶世の美貌、貫禄とダンディズムに満ちた佇まい、空気すら熱く濃厚にさせるほどの美貌とフェロモン、垢抜けた都会的な可愛らしさに見惚れた。

 そして、彼らもまた、レイナたちと一緒にいる上品な顔立ちの黒髪の青年を見て、一瞬だけ「?」といった顔をしていたが……


「……もしかして、ダニエル?」

 ディランのその問いかけに、ダニエルはまたしても頬を染めて頷いた。

 ダニエルとともに旅を続け、同じ部屋で夜をともにすることもあった彼らもまた、こうしてダニエルの素顔を見たのは初めてだったのだろう。彼はどこまで、恥ずかしがりやだったのか。

 重たげな前髪で、その顔を隠すなんて、なんてもったいないことを……と、彼らもまた、レイナたちと同じことを思っているに違いなかった。


 そして……

 開かれた部屋の奥には、椅子に座っているルークがダリオにそのくすんだ金髪を櫛で梳かされていた。

 おそらく、最後の仕上げに入っているのだろう。

 ダリオに優しく髪を梳かされていたルークが、クルッとレイナたちの方に振り向いた。

 

 自分以外の皆はすでにジョセフ王子の待つ城へと向かう支度が整っている、自分が最後であり皆を待たせているということに気づいたルークは、ハッとしたようであった。

「あっ、ありがとうございました。ダリオさん」

 ダリオに礼を言い、即座に立ち上がったルークの頬は赤く染まっていた。


「待たせてすまん」

 急ぎ足で自分たちのところに駆けてきたルークは、深い赤に染め上げられた服を身にまとっていた。

「あれ? お前、ダニエルか?」

 部屋の外に勢ぞろいしていた一同を見回したルークも、すぐにダニエルが分かったらしい。

 レイナとダニエルが、男女という違いはあるが色違いでよく似たデザインの服を身に着けていると表現するなら、ディランとこのルークも色違いでよく似たデザインの服を身に着けていると表現できるだろう。

 若木のようにしなやかなルークの肢体も、軍服のようにカッチリとしたデザインの服に包まれていた。

 ディランが深い青を身にまとい、ルークはそれと対照的に深い赤を身にまとっている。ルークが身に着けている赤色には下品さなどは全く感じられず、彼のそのくすんだ金髪や榛色の瞳と相まって、彼の全身から湧き上がる情熱をさらに燃え上がらせているように感じられた。

 装いを整えたルークの場合、ディランのように毛並みの良さと凛々しさを感じさせるようになったというよりも、自らの力で運命を切り開いていこうとしている力強さと情熱にあふれていた。


 

 こうして――

 「希望の光を運ぶ者たち」7名と、レイナとジェニーの城へと向かう支度は整った。

 そして、ちょうどその時――この要塞に仕える召使いより「城からの迎えの馬車が到着した」との知らせがもたらされた。

 睡眠中と寝起き以外は、身なりが完璧に整っているカールとダリオが頷き合う。


 これから、いよいよジョセフ王子が待つ城へと向かう。

 レイナは心臓が脈打ち始めているのを感じ、胸を押さえ、そっと周りを見回した。

 単に身に着ける服がグレードアップしただけであるのに、レイナの瞳にはルークたちはより眩しく映っていた。彼らもまた、カールやダリオと同じく、表情を一瞬にして引き締め、頷きあっていた。


 レイナは、まるで中世ヨーロッパを舞台とした、味のある俳優ばかりが集まった映画の中に入ってしまったかと錯覚しそうになった。

 もし、これが物語や映画の一シーンであるとしたら、新たな章に突入し、この場には新たなテーマソングや挿入歌なるものが流れているだろう。

 だが、こうした異世界の他人の肉体にいるレイナの魂が直面しているのは、まぎれもない現実なのだ。

 レイナも隣を歩くジェニーと深く頷きあい、先を歩く「希望の光を運ぶ者たち」に続いた。


 自分たちが進むべき道は開かれた。

 その進むべき道のまず第一歩として、ジョセフ王子、そして国王の元へと向かうのだ。

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