―10― 頑固じいさんと凍った騎士(2)


 死んでいたはずの者の蘇生。

 それは現実に起こり得ないことであった。だが、現実に今、レイナたちの目の前で、死んでいたはずの青年、フレデリック・ジーン・ロゴは起き上がった。


 フレデリックの瞳は、吸い込まれるほど深いグレーであった。

 露わとなっている彼の上半身は、この世界の基準からすれば、どちらかというと小麦色に近い肌の色であり、体つきも筋肉隆々というほどではないが、両腕の筋肉は引き締まり、腹筋も見事に割れ、鍛えられた肉体をしていた。


「ここは……俺は一体……?」

 まだ焦点のあっていない虚ろな瞳をしたままのフレデリックが声を発した。

 死者は起き上がっただけではなく、声まで発したのだ。彼のその声は、18才前後だと推測される外見よりも落ち着いた印象を与える、ややハスキーな声であった。

 

 体の痛みをこらえるように顔をしかめながらも立ち上がろうとしたフレデリックの、腰にまで滑り落ちていた白いシーツがさらに下まで滑り落ちそうになり……

「待った、待った! 女の子もいるんだ!」

 このお約束の展開に、ディランが慌てて駆け寄った。

 フレデリックの白いシーツを手で押さえたディランは、彼がその全裸をレイナとジェニーに再び晒すことをかろうじて阻止することができた。


「……お前ら、誰だ? 俺は、一体……!」

 フレデリックは、自分の目の前のディラン、そしてルークたちをそのグレーの瞳でじっと見た。

 そして、ついに、フレデリック自身も自分が異常な事態に置かれていると理解したらしい。

「……お前ら、敵兵か?!」

 ディランより身を翻すようにガバッと立ち上がったフレデリックは、腰の位置で白いシーツを押さえたまま、身構えた。彼の全身より、闘志と怒りが瞬時に立ち上がったのが、レイナにも分かった。


「俺の仲間をどこへやったんだ!?」

 叫んだフレデリックは左右に素早く、その瞳を動かした。

 彼は、何か自分の武器になるものを、戦争のように破壊されたこの家の残骸の中より探し出そうとしたのだろう。

 自分は敵兵に捕らえられてしまった。そのうえ、このように全裸にされ、身ぐるみもはがされている。だが、何とかここを切り抜けて、一緒にいた仲間を助けなければと。


 椅子に座っていたアダムが、あばらを押さえたまま、立ち上がった。

 そして、身構えたまま後ずさるフレデリックに、ゆっくりと一歩を踏み出した。

「……わしらはアドリアナ王国の者だ。他国の敵兵などではない。それに、戦争はとうの昔に終わった」


 アダムのその言葉に、フレデリックは驚愕し、目を見開いた。だが、すぐにその唇をギュっと結び、アダムに向き直った。

「戦争が終わっただと……! 俺は……俺は一体、”あれ”から、何カ月眠っていたんだ?!」

 レイナたちが、ダニエルの知識より導き出した推測が正しいとすると、フレデリックが”眠っていた”のは、何カ月などといった単位ではない。彼はまさに200年に近い年月を……


 その唇だけでなく、全身をわななかせ始めたフレデリックに、アダムがさらにもう一歩、静かにゆっくりと歩み寄った。

「……落ち着いて、わしの話を最後まで聞いてくれ。お前さんが生きるはずであった時代はとうに過ぎ去った。国王ジョセフ・ガイの治世は、今より200年ほどの昔のことだ。今の国王の名は、ルーカス・エドワルドだ」

 そのアダムの口調は落ち着き払い、重々しいものであった。

 フレデリック自身に、落ち着いて自分が”置かれてしまった”状況を理解してほしいという気持ちが強く感じられた。


「200年も昔のことだと?! 一体、俺はどれだけ眠っていたんだ? 俺は、いや”俺たち”は……!」

 フレデリックは片手で頭を押さえ、よろめいた。

 パニックを起こしかけている。いや、彼の場合はそれだけではないらしかった。

「あ、”あの時”……た、確か、俺たちの前に魔導士が現れて、そして、俺たちを……!」

 フレデリックの血の気がまだ戻っていない顔は、さらに血の気を失っていく。

 混乱とともに、蘇ってきた恐怖。

 フレデリックは吐き気をこらえるように、口元をグッと押さえ、ゴホゴホと咳き込んだ。そして……グルリと白目を剥き、彼はそのままバタンと床に仰向けに倒れた。


 床に倒れたフレデリックは、再び死体に戻ったかのようにピクリとも動かなかった。


 ルークとディランが、まばらに焼け残っていた絨毯の上に、彼を寝かせ直した。

 フレデリックの肌身に触れた彼らは、自分たちと同じく弾力があり若々しいフレデリックのその肌から、温かな体温を感じることはやはりできなかった。

「じいさん、さっき”やっぱり失敗したか”って言ってたけど、一体、何のことなんだ?」

 ルークが振り返り、アダムに問う。


 アダムは、深い息を吐き、ルークだけでなくここにいる者全てが知りたかった、その問いに答え始めた。

「……おそらく”その者”は、今より200年ほど前、このアドリアナ王国が戦火に包まれていた時代に生きていた騎士だろう。どういった経緯かは分からないが、魔導士に術をかけられ、その肉体だけでなく、魂までも氷漬けにされ、地中へと埋め込まれていた。肉体が滅びても、その魂は生まれ変わることを許されなかったのだ……」

 ふう、と重い息を吐き出したアダムはなおも続ける。

「……10年前の冬にわしがこの山あいにて見つけた、凍った騎士は7人であった。わしは7人の騎士たちにかけられた術を解き、冥海へと魂を送る途中だった。6人の騎士の魂は、その凍った肉体より解き放つことができた……あと1人で全員を冥海へと送ることができたのに……!」

 アダムは悔し気に、そのまばらな胡桃色の頭髪を掻き毟った。


 やはり、フレデリックは、200年以上の昔に生きていた者であった。そして、悪しき方向に力を使う魔導士によって、肉体だけでなくその魂までもこの世界にとらわれていた、凍った騎士の最後の1人だと。

「……その者たちにかけられていた術は、わしが今まで経験したことがないほど、難解であり、なおかつ残酷なものであった。文献を調べても手掛かりなどつかめず、わし自身も、術をとくための条件や方法を紐解くのだけで2~3年の時間を費やした。そのうえ、わしの力では、巡ってくる冬の季節に1人の魂を冥海へと送るので、精一杯だったのだ」

 アダムはまたしても、大きな息を吐いた。いまだに冷たいこの空気のなか、彼の白い息がほのかに舞った。


「だから、おじいちゃんはここ数年の冬の間、私をこの家から遠ざけていたのね……」

 そう言ったジェニーに、アダムは深く頷いた。

「魔導士の力を持って生まれたわしの、最後の使命であるのだと……冬の季節に、氷で凍てついた肉体を外気にさらして解き放ち、49日間に渡って魔導士による静かな祈りを捧げる。だが、お前たちも知っての通り、その静かな祈りの最中に、強烈な攻撃の気を浴び、またわし自身も強烈な気を発してしまったがために……」

 言葉を最後まで続けることができずに、宙を仰いだアダムは、顔をしかめて、あばらを押さえた。

「……昼過ぎにあばらが痛み出し、少しの間、横になっているつもりがすっかり寝入っておった。わしがもっと早くに目が覚めていれば、あの馬鹿ガキどもの奇襲にもっと早く気づくことができていたかもしれんのう……」


 アダムの話を聞きながら、レイナは考えていた。

 今のこの地に漂う冷気。そう、この家に近づくつれて、なお一層強くなってきた、あの冷気は、フレデリックの肉体を200年以上にわたる凍てつきから解放するために流れていたのだ。

 蘇ってしまった青年・フレデリックにかけられた術は、200年以上もとけなかったことからして、非常に強い魔術であるのだろう。

 だが、その強い魔術をわずか2~3年で紐解き、一冬に1人のペースであるとはいえ、冥海へと送ることができていた元・魔導士アダム・ポール・タウンゼントは、相当な力を持っているとも。

 魔導士を引退した現在も、名を残していることも頷ける。

 それと同時に、フレデリックと彼の仲間たちに、残酷な魔術をかけ、魂までもがんじがらめにした魔導士の息遣いや視線が、今もなお、この地に蘇ってくるような気がしていた。

 

 その時であった。

 この地に向かって、駆けてくる馬の蹄の音がはっきりと聞こえてきた。

 ルーク、ディラン、そして肩に深手を負っているトレヴァーも、すぐさま剣に手を伸ばし、身構えた。

 今朝より、人形職人の青年・オーガストに始まり、魔導士の少女・ヘレン。そして、つい先ほどは魔導士の少年・ネイサンと、超武闘派の女性・ローズマリー。

 日が昇り、沈むまでの時間に、こうも矢継ぎ早に刺客が現れたというのに、またしても新たな刺客か、と。

 だが、自分たちの前に現れたのは、揃いの服を身に着け、馬に乗っている役人たちであった。


 ここは人里離れた場所ではあったが、先ほどの少年魔導士・ネイサンによる二度にわたる攻撃の爆音は、町の中心部に住む者たちにも聞こえたのだろう。

 通報を受け、何事かと、剣を手に馬に乗って駆け付けた役人たちは、町はずれに住む老人アダム・ポール・タウンゼントの家が木の床の一部を残し、完膚なきまでに破壊されているこの惨状にあっけにとられていた。


 役人たちのその顔を見たアダムは、あばらを押さえたまま、クッと乾いた笑いを漏らした。

「……こののどかな田舎町で、まさに数十年に一度レベルの大惨事だろうな。あの馬鹿ガキめ、人の家や畑をこんなに破壊しおって……あの馬鹿ガキの両親に損害賠償を請求したいぐらいだ。まったく、どういう躾をしてきたんだ……」

 そして、アダムはフレデリックに視線を移した。

 固くその瞳を閉じたままのフレデリックであったが、彼のその胸板はゆっくりと上下していた。

「……その者が目覚めた時、わしがきちんと話をする。すまないが、お前たちでその者を町まで運んでくれんか? この年になると、わし1人で運ぶのは骨が折れるからのう……」



 こうして、レイナたちは、通り抜けたアレクシスの町の中心部に戻ることとなった。

 新たな敵がまたしても現れるのでは、との不安に満ちた夜も、どうにか無事に明けた。

 宿の一室に泊まっているレイナの瞳には、朝日に照らし出されていく、のどかなアレクシスの町の風景が映っていた。

 レイナは、ジェニーと同じ部屋に泊まっていたが、彼女は今は同じ宿に泊まっている祖父のアダムと朝早くから話し込んでいるのだろう。

 昨夜のジェニーは、愛らしい胡桃色の瞳から涙を流し続けていた。彼女と彼女の祖父の思い出が詰まった家は完膚なきまでに破壊され、家財まで失ってしまった。アダムは地中にへそくりを隠していたらしいが、失った大切な物はもう決して元通りには戻らないのだ。

 だが、あの家の近隣に住む民が他におらず、無関係な者の命まで巻き込まなかったのは、不幸中の幸いであるだろう。

 

 木でできた重々しいテーブルの上に、レイナはアンバーからもらったあの重圧なノートを広げた。

 インクにポチャンとペン先を付けながら、レイナは現時点で判明している情報を書き止めようとしていた。それが、どんな小さなことであったとしても。

 まだ、わずかな期間ではあるが、この世界で確かに生きている自分の足跡の確認、そして、縁を紡ぐことができた人々の足手まといにならないように、少しでもこの世界に順応していけるように。

 最初の頃とは違い、この世界での筆記用具に慣れてきたレイナは、スムーズにペンを走らせることができるようになり始めていた。

 書くというこの行為は、異世界で生きるしかないレイナの不安と恐怖、そして魂に刻まれた哀しみに波打つ心を静める役割を果たしていた。

 そして、レイナは思う。

 今は何もかもが、バラバラのピースのように、このノートに散らばっている。でも、いつの日か、自分が書き留めた全てのピースがつながり、自分の魂に響いてくるのではないかと。


 レイナは、”フレデリックさん”とノートにペンを走らせた。

 あの青年・フレデリックは、この宿についてから数刻のち、再びその瞳を開け、起き上がった。

 目覚めたフレデリックはパニックを起こしかけていた。ルークやディラン、そしてまだ左肩に血を滲ませていたトレヴァー、オロオロとしているダニエルの4人の男で、フレデリックを押さえつけ、どうにか彼を落ち着かせることができた。

 レイナは、フレデリックの混乱と哀しみを思わずにはいられなかった。

 レイナがこの異世界で二度目に目が覚めた時もそうであったのだから。

 自分が置かれている状況が全くつかめず、しかもレイナに至っては肉体すら自分のものではなくなっていた。その後、アンバーより自分がこの世界へと誘われた経緯の一部を聞いた後も、頬がヒリヒリとするまで泣き喚き続け……

 あの時は、悪夢よりも恐ろしく、冷たい現実のなかにいるのだとしか思えなかった。

 自分の場合は、おそらく平行した時間軸の元の世界から、この異世界へと誘われた。フレデリックの場合は、同じ世界のアドリアナ王国ではあるものの、彼が生きるはずであった時代はもうとうに過ぎ去っている。彼の家族や友人の誰一人として、もうこの世にはいないのだ。

 孤独のなかにある混乱。混乱のなかにある孤独。

 彼もまた自分と同様の思いを抱えることになった者なのだ。


 そういえば、とレイナは、手の内のペンを握り直した。

 目覚めたフレデリックは「俺の仲間をどこへやったんだ!?」と言ってもいた。

 200年近くも凍ったままであった彼と、途中でアダムの術が中断されることなく、すでに冥海へと向かった6人の仲間たちとの絆もきっと深いはずである。

 そのうえ、どうやら彼は、自分たちが氷漬けにされた時の記憶が断片的に残っているらしかった。

 きっと、魔導士としての力を非人道的な――悪しき方向に使う魔導士に、彼らはあの山あいで襲われたのだ。


――もしかして、彼らを襲った魔導士というのは……あのフランシスなんじゃないかしら?

 レイナはそう思わずにはいられなかった。

 神人の力(神人の特性)を手に入れているフランシスが、あの外見以上の年齢を生きていることは確実ではある。それに200年近い時が流れても、続いていた強力な魔術。それほどの力を持っている魔導士は、限られているはずだ。

 自分たちの前に直接、姿を見せることは”今は”控えているらしいフランシスの笑みを思い出したレイナは、背筋をゾッと震わせた。



 その頃、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエルは、宿の外で話し込んでいた。昇り始めた太陽は、雪解けのアレクシスの町の一角にいる彼らの顔も照らし出していく――

 彼らはどうにか、アダム・ポール・タウンゼントと、ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーを見つけることができた。様々な偶然が重なったとはいえ、2人の男へと辿り着くことはできたのだ。

 だが――

「……なあ、ダニエル。お前、あのヴィンセントが今、どこにいるのか、分からないのか?」

 ルークの問いにダニエルは首をブンブンと振った。

「そっ、それは分かりません! でも、お兄さんは必ず来てくれますっ!」

 ダニエルが何を根拠にそう断言したのかは、ルークたちには分からなかったが、ヴィンセントと長い付き合いであるらしいダニエルだけに分かることがあるのだろう。

 確かに、ルークたちから見ても、ヴィンセントは魔導士としての力こそ持ってはいないものの、その卓越した美貌や物怖じしない態度を抜きにしても、どこか不思議で普通の人間とは違っているように思えてならなかった。


「せめて、ヴィンセントがこの場にいたら、ゲイブも現れる可能性が高いし、俺たちが啓示を受けた謎もいろいろと解けるような気がするけど……」

 ディランの言葉に、トレヴァーも頷いた。

「とにかく、もう2~3日だけ、ヴィンセントがこの町へとやってくるのを待つか……町から町への移動は、天候や馬車の状態に左右されるからなあ」

 トレヴァーも深い息を吐いた。

 その時、ローズマリーにつけられた肩の傷(あの後、応急措置として、アダムに魔術でふさいでもらったが)がうずいたらしく、彼は顔をしかめた。

「ひょっとして、あいつ、また女ひっかけて、よろしくやってんじぇねえの?」

「……俺もなんだか、そんな気がするよ」

「後から俺たちと合流するっていっていたけど、口約束でしかないしなあ……」

 ルーク、ディラン、トレヴァーが口ぐちに呟く。


「おっお兄さんは、必ずやってきてくれますっ! 確かに女性の心と体に入り込むのが上手い人ですし、皆さまには軽薄な印象を与えているのかもしれません! 誤解されやすいですけど、お兄さんは情が深くて優しくて、何でもできる非常に素晴らしい人なのですっ!」

 彼らの呟きを聞いたダニエルが、その青白い頬を紅潮させていた。ダニエルの顔の上半分は、ウェーブがかった重たげな黒髪で隠れているため、顔全体の表情は分からなかったが、ルークたちは彼のこんな様子を見たのは初めてであった。

 それは、ヴィンセントについて、(ヴィンセント自身の普段の立ち振る舞いに大きな原因があるが)好き勝手なことを言われた怒りのためであるだろう。


「ごめん、ダニエル……でも、君、ヴィンセントのこと、お兄さんって呼んでいるけど、本当のお兄さんではないよね?」

 ディランが問う。

 彼らの記憶が正しければ、このダニエルは、アリスの城の領主夫妻の長男であるはずだ。それにヴィンセントとダニエルは、この髪の色といい、全く風貌は似ていない。

「……はい。私とお兄さんには、血のつながりはありません。お兄さんは、私がまだ貴族であった時に、城に出入りをしていた教師の息子です。一時期、アリスの城に仕えていたこともありました……は、は、母には、身分の低い者を”お兄さん”と呼ぶなんて、などと叱られておりましたけど、私にとってお兄さんは本当の兄のような存在で、誰が何と言おうと私はお兄さんのことが好きなのです!」

 頬をピクピクと震わせたダニエルが、唇をギュっと結んだ。


 その時、「ねえ! あんたたち!」という声が聞こえた。

 思わず振り返った彼らに向かって、1人の女性が馬車から手を振っていた。その派手やかな印象の妙齢の女性に、ダニエル以外は見覚えがあった。

 リネットの町で、自分たちと同じ宿に泊まっていた、あの旅芸人の女性・メグであった。

 メグは、馬車を操る男に「ちょっとだけ、止めといて」と言い、手に荷物を抱えつつ、ひらりと身軽に雪解けの地面へと飛び降りた。


「あんたたち……確か、ヴィンセントを探していた子たちよね? 私、昨日の夜までヴィンセントと一緒だったんだけど、いつの間にかいなくなっちゃったのよね。ヴィンセントはあんたたちと合流するって言ってたし、悪いけど、”これ”をヴィンセントに渡しておいてくれない?」

 しっかりとフルメイクをして、重たげな付け睫毛をまたたかせたメグは、手の荷物をルークにポンと手渡した。

「これは……?」

「ヴィンセントの服よ。あの子ったら、服を置いて、どこかへ行ってしまったのよ。私が直接、渡すことができればいいんだけど……このアレクシスの町って、過疎り気味だし、もっと賑やかな町へ行こうと思ってるのよ」

 メグは口角をキュッと上げ、微笑んだ。

「おーい、メグ、そろそろいいか?」と馬主の男の声。

「今、戻るわよ」と振り返ったメグは、ルークの肩をポンと叩き、「じゃ、よろしくね」と言い残し、馬車へと軽い足取りで戻っていった。


 メグを乗せ、このアレクシスの町より去っていく馬車の音を聞きながら、ルーク、ディラン、トレヴァー、ダニエルは顔を見合わせた。

 ヴィンセントは昨日の夜まで、この町にいた。自分たちとの約束をきちんと守り、リネットの町からアレクシスの町へと移動していたのだ。

 おそらく、このアレクシスの町でも、先ほどの女性・メグに偶然に再会し、またしても互いの同意のもと、めくるめく一夜を過ごしたのだろう。

 同じアレクシスの町内にいたにも関わらず、それぞれの事情による行き違いで会うことができなかった。

 

「でも、あいつ、服を残したまま、一体、どこに行ったんだ?」

 呟くルーク。

 ディランとトレヴァーが、ルークの手にあるメグより手渡されたヴィンセントの服を調べる。

「まだまだ冬は終わってないし、コートも着ずに外に出るのは厳しいと思うがな……」

「いや、トレヴァー、コートだけでなくて、肌着まで残ってるよ」

 ディランの言葉に全員が「!!」と顔を見合わせた。

 あのメグはそう深く考えていなかったようだが、明らかにおかしな状況である。

「つ、つ、つまりは、今、お兄さんは全裸ということですかっ!?」

 ダニエルの声は裏返っていた。

「い、いや、残っている肌着は上だけだよ。下は身に着けているかもしれないし……」

 ダニエルにつられたのか、ディランの声も少しだけ裏返っていた。

 服だけを残して、忽然と宿の一室より消えたらしいヴィンセント。

 ルークたちの思考の流れは、決してあってはならない悪い方向へと流れていく……

 もしかしたら、ヴィンセントはあの悪しき魔導士たちに誘拐されたのではないか?

 魔導士ヘレンやネイサンの奇襲からして、その可能性は非常に高かった。

 人智を超えた力を持っている魔導士たちだ。普通の人間ができないようなことも、事もなげにすることができる。自分たちの先回りをし、アポストルからの手紙に書かれていた者の1人であるヴィンセントを捕らえて……

 その時、自分たちに向かってくる小さな足音に振り返った。

 足音の主は、目をパンパンに腫らし、頬に涙の名残を残しているジェニーであった。ジェニーは、スンと鼻をすすり、懇願するようにルークたちを見て言う。

「……お話中のところ、ごめんなさい。あの、おじいちゃんが大切な話があるって……皆さん、宿のおじいちゃんの部屋に集まってもらえますか?」



 ルークたちが、ジェニーとともに宿のアダムの一室に足を踏み入れた時、そこにはすでにアダムとレイナがいた。レイナは緊張した面持ちで椅子に座り、膝の上で両手をギュっと握りしめていた。

 そして、この部屋にはベッドに横たわり、眠っているかのようなフレデリックもいた。

 フレデリックに生々しい血の気はまだ見られなかったが、その彼の様子を見ていると、つい一日前まで冷たい屍であったとは到底思えなかった。

 彼は自分たちと同じ生者となり、その生者が今、ベッドに横たわり眠っているのだとしか……


「フレデリックはわしが魔術で眠らせている。しばらくは起きないだろう……」

 ルークたちの視線に気づいたアダムが言った。そして、「まあ、お前らも座れ」と部屋に備え付けの長椅子に腰を下ろすことを促した。

 そして、アダムはゆっくりと勢ぞろいした青年たちを見渡した。

「……お前たちが来るまで、このレイナを呼んで、おおよその話は聞いた。異世界から来た少女の魂やら何やら、80年以上生きていたわしでも驚くことばかりであったが……つまりは、お前たちがゲイブというアポストルからの使いの子供を通して、啓示を受けた。その手紙には、わしの名も書かれていたと……」

 アダムの言葉がふいに途切れた。

「だが……」と、アダムは深い息を吐いた。

「……見ての通りわしももう年だ。確かに、今でもは魔術を使うことができる。だが、とても若い頃と同じ訳にはいくまい。それに……お前たちは、あの調子に乗ったネイサンというガキや、フランシスとかいう他のおかしな魔導士にも狙われているのだろう……酷なことをいうが、わしはとてもお前たちと行動をともにすることはできない」


 アダムのその言葉に、ただでさ緊張していたこの部屋の空気はさらにはりつめ、なお冷たくもなった。

 自らの言葉がこの部屋の空気を変えたことを、アダム自身も感じ取っていたが、彼はなおも続けた。

「わしは何よりも家族を守りたい。だから、毒蛇どもがとぐろを巻いている巣の中に、自ら飛び込んで家族を危険にさらすような真似はできない」

「おじいちゃん……」とジェニーの声。


 アダムの言うことは最もなことであると、レイナだけでなく、ルークたちも思わずにはいられなかった。

 昨日、実際に自分たちは、あの悪しき者たちの手によって、殺されるところであった。

 それを防いでくれたのが、他らならぬこのアダムである。彼のおかげで、自分たちはこうして命を繋ぐことができ、今というこの瞬間も息をしているのだ。

 あのアポストルの手紙に名前が名指しで書かれていたとはいえ、大切な者をこれ以上の危険にさらす道を選択するなど、自分がアダムの立場に立たされたとしても、絶対に首を横に振るに違いないと。

 アダムは、ゲホンと咳払いした。

「……そして、もう1つの理由がある。そのフレデリックのことだ。わしは最後まで、こやつの面倒を見る責任がある」


 そうだ。術が中断されてしまったがために、本来なら冥海へと向かう川の流れに乗っているはずであったフレデリックは蘇生してしまった。

 前例のない残酷な魔術をとこうとし、偶然によって「蘇生」という失敗が起こった。

 これから、このフレデリックがどうなるのか。

 自分たちと同じ生者として、彼はその命の物語を紡ぐことになるのか。それとも、彼の肉体は時とともにボロボロと朽ち果てていくのか。

 彼が蘇生してから、まだたった1日しかたっていない。

 これから、どうなってしまうかのか。アダムにも、そしてフレデリック自身にもまだ分からないのだ。

 けれども、アダムの頑固そうなその顔からは確固とした意志が感じられた。

 200年以上前に残酷にもその生涯を断ち切られた青年に対する思い、そして、自らの魔導士としてのプライドにかけて、必ずやこの青年を救う他の方法を見つけ出すとの強い意志が――


 ルークたちは困惑するしかなかった。

 アダムには自分たちと行動をともにすることを断られ、ヴィンセントは明らかにおかしすぎる状況で行方不明となっている。

 なかなか進まなかった”船”がやっと動き出したかと思えば、空には暗雲が立ち込め始めたのだから。

 が、その時――

 この狭い客室の空間がザアッとさざ波始めた!

 そのさざ波から眩しい光が放たれ出した。

 ジェニーは「きゃあっ!」と後ずさり、アダムの側へと駆け寄った。ダニエルは、「ひええっ!」とひっくり返った。


 けれども、レイナ、ルーク、ディラン、トレヴァーは、その光に見覚えがあった。

 この光は悪しき者たちが発する光ではない。だが、アポストルからの使いであるゲイブが現れる光でもない。

 光の中にいる3人の男のかたい輪郭が、ぼんやりと見えてきた。そして、「……レイナ」という声も聞こえてきた。

 レイナはその声に聞き覚えがあった。首都シャノンにいるはずの魔導士カールの声に違いないと。

 カールと同じく魔導士のダリオ、そしてジョセフ王子が自分たちの元に瞬間移動で駆け付けてくれたのだと。

 

 だが――

 カールとダリオの真ん中にいたのは、ジョセフ王子ではなかった。

 ヴィンセント・マクシミリアン・スクリムジョーであった。

 燃えるような赤毛、均整のとれた長身、その全身より過剰なまでに発されている色気。あのヴィンセントが首都シャノンにいるはずのカールとダリオとともに現れた。

 そのうえ、しくじったと言いたげな表情のヴィンセントの両手首には手枷が、そして両足首には足枷が重たげにつけられていた。カールとダリオ、それぞれの腕も、ヴィンセントの逃走を防ぐためのように、彼の腕にガッチリと回されていた。

 そう、まるで捕らわれた囚人のような状況で、ヴィンセントは再び自分たちの前に姿を見せたのだ。

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