3

 もうやめよう……。

 そこまで見て俺は画面の右上の×印をクリックしてページを閉じた。

 その後も書き込みは続いていたみたいだが、全部読む気にはなれなかった。


 ネット上の書き込みなんてもんは顔も見えないしデタラメも言いたい放題なんだ、書き込みにもあったけど信じるなんてのは馬鹿らしい。そんなの見たってなんになるんだよ。

 扇風機を回して、デスクの上の煙草の箱から一本引っ張り出して火をつける。

 夏バテにでもなったのだろうか、此処最近なんだか体の調子が優れない。

 まあ夜勤を始めて昼夜逆転しているんだ、体調を崩すなんてのは普通にあるな。

 睡眠は一応たっぷりとっている、でもそれにしたって全身が気だるくてしょうがない。

 明日行けばあのコンビニに勤めて一週間が経つ。そしていよいよ、噂の竹中さんとの初対面。緊張している訳ではないがなんとなくだがその竹中さんと顔を合わせるのが怖いというかなんというか。

 またバイト中になにか起こるのだろうか。今までは偶然に偶然が重なっただけかも、そうそう変なことが起こって堪るもんか。流石に今回はないだろ、……多分。

 そうやって無意識に身構えようとする自分を振り払うも、頭の中はスッキリせず。俺は自分の中で少しずつ蓄積していく何かを自覚してしまわぬように、気を紛らわせるために煙草の煙を大量に吐き出した。

 そうこうしている間に日は沈み、夜は更け。あっという間にその時が迫った。


 ◆◆◆


 あーダルいなぁ……。

 心の中で呟きながら駐車場にバイクを停めて店内に入る。


「お、来た来た」

「お疲れさまでーす」


 今日の夕勤は長瀬さんと……、店長だ。

 おお、なんか久し振りに見たこのバーコード。


「久し振りだねぇ、袴田君。元気にしてた?」


 カウンターに入るなり店長は再会を喜ぶかのように笑顔で俺の横にくっついてきた。

 なんだよその期待の眼差しは。


「まー、それなりにっす」

「青山さんから聞いたよ、順調にやってるみたいじゃない。感心だなぁ」


「そんなたいしたことはしてないですよ」


 殆どただつっ立ってるだけだしな。


「いやいや、一週間もてば上出来だよ。最近じゃ新人の入れ替りが激しかったから、これでようやく夜勤組が落ち付くんだと思うと嬉しいことだよ」

「そうですか」

「どうしたの?元気なくない?」

「いえ、別に」

「あ、わかった。今日は竹中さんと会うから緊張してるんだな」


 図星じゃないと言えば嘘になる。

 すると客を一人送り出した長瀬さんが振り向いてにこっとして言う。


「竹中さんならもう来てるよ、今バックルームで準備してるから」

「え」


 俺は一応新人ということで、今日は竹中さんより早く来るつもりでいつもより二十分早く来たというのに、その前に来ていた竹中さんは一体開始何十分前に此処に来てんだ。早過ぎだろ。

 こんだけ早く来てバックルームで何をして暇を潰すのか。


「早いですね、竹中さん」

「彼はいつもこのぐらいが普通だよ」

「もう直ぐ出て来るんじゃないかな。まだ時間もあるし少し話したら?」


 と、長瀬さんに言われて此処で立っている訳にもいかず、俺は目の前の扉の奥にいる竹中さんなる方と対面すべくドアノブに手を掛けた。


 なんとなく顔が引きつるけど、笑顔、笑顔……。初対面の時は誰にでも笑顔を見せねばこれ基本。


 そう繰り返すも、何故か変に硬くなってしまう。おかしいな……青山さんや平井さんの時はこんなことなかったのに。

 なんで――。


 バックルームの扉の前でおかしな葛藤をしていたその時。

 握っていたドアノブが勝手に動いた。

 ハッとして顔を上げたのと丁度同じタイミングで、眼前にある白い扉が間近に迫ってきて。


 顔面に勢い良く激突した。


「ぶっ――」


 その瞬間。頭から、目から、火花が飛び散る。

 真っ白になった視界と、鼻の頭をガツンと叩きつけられた衝撃。

 何が起こったのかわからなくなったのは数瞬だけ。


「あ」

「うっわ」


 間抜けな声を出してその場によろける俺を。タイミング悪く開いた扉に顔面を強打した俺を。


 レジ打ちをしていた長瀬さんも、店長も、店内にいた数人の客も。

 皆、見ていた。

 同じように顔を歪めて、口を半開きにして。

 コンビニ内の空気が一気に凍りつく。

 それはどう見てもコンビニではありふれていない奇妙な光景だっただろう。


「ぶふっ、ぅぉっ、っ、っ~、……いっへぇー!」


 予期せぬ出来事に悶えながら顔の半分を手で覆ってその場に蹲る。


「大丈夫?!袴田君!」

「わァアアー、今のかなり痛そう……」


 そんな俺に手を離せないながらも長瀬さんと店長が心配そうな顔をして声を投げてくる。

 レジに並んでいた客ですらも目を丸くしてこちらを見下ろしていた。


 こっち見んな恥ずかしいだろ、くそぉお。

 客から見たら俺はドアに顔面ぶつけたアホ店員に見えているんだろうけど、ドアに顔面をぶつけるハメになったのは俺が原因なんじゃない。

 この場合悪いのは不注意である俺でもあるけど……。

 人がまん前にいると想定せずに普通に開けやがった扉の前にいる人間にも罪はある……。


「っ……」


 手で鼻と口を押さえたまま、俺は痛みに顔を歪めながらゆっくりと、扉を開けてきた張本人を見上げた。

 お馴染みのユニフォームに、女受けの良さそうな黒髪の爽やかナチュラルヘア。


 芸能人みたいに高い鼻、整った眉とそこまできつくない吊り目、顔の重要なパーツというパーツはどれをとっても整っていると言える。

 体格はスレンダーで、しかも扉とあまり高さが変わらないぐらいの長身。

 こういう、欠点の見つからない姿をしている奴のことを人はイケメンと呼ぶのだろう。

 確かに、染髪剤で何度も染めたツヤすらもない髪に、両耳に多数のピアス、成人男性の平均身長は超えているものの、大した長所もない不良顔の俺よりも、今時の女性に数十倍はモテそうな顔をしている。


 この人があの竹中さんか。

 ていうか……。……。謝れよ……!!


 顔面ぶつけたんだぞ!

 すっげぇ痛かったんだぞ!


 必死に訴えるように見上げている俺を竹中さんは扉から体の半分を出した状態で吊り気味のジト目で見下ろしている。

 何も言えずに見上げる俺と、固まったまま俺を見下ろす竹中さん。


 数秒間じっと見つめ合うも、お互い何も言わなかった。

 ひ、表情という表情がねえ……。

 笑顔も申し訳なさそうな顔すらもしていない、だと。

 なんだこの人……、俺が扉に顔ぶつけたことに対して、ざまあとか思ってんのか。

 じゃなかったらこんな冷めた眼差しで見下ろしたりなんか……。


「竹中さーん、今扉に袴田君がぶつかっちゃったんですよ、顔面から思いっきり、ね」


 フォローのつもりか沈黙を裂いてくれたのは長瀬さんだった。


 その時初めて竹中さんはぱしりと瞬きして。

 小さく。


「え」


 と言ったのを俺は聞いた。

 そしてジト目のまま。


「……すみません」


 と丁寧に謝罪した。

 白々しさは感じられない、もしかして……、気がついてなかったのか。


 少し不満を覚えつつも、俺は押さえていた手を退けて立ち上がり無理に笑顔を作る。


「ははは、タイミング悪過ぎってやつっすね」


 対面すると身長差が……、うわ、デカ。青山さんもそうだがこの人も相当デカい。

 電柱かこいつ。

 それこそ平井さんと並んだら小人と大男みたいな感じになりそう。


「ども、俺、袴田です。竹中さん、今日から一緒になるんでどうぞよろしく、おねが……」


 気にしていないという素振りでそこまで言いかけた時、俺の鼻から血がつつーっと垂れてきた。

 鼻血――。


「あ゙」


 あー……。

 という長瀬さんと店長の声が後ろから聞こえた。

 やべぇ……!


 慌てて両手で鼻を押さえるも、勢い良く出てくる生暖かい血が指の間から漏れてくる。

 カウンター内の床にポタポタ垂れていく。

 ポタポタ血を垂らす俺を何事かと客達も凝視してくるもんだから、余計に顔が熱くなり、血の流れが……。

 あわわわわわ!とまんねぇ!鼻血ってどうやって止めるんだ、鼻摘めばいいのか!?上向けばいいのか!?てか鼻血の血って飲んだら駄目なんだよな!?

 あからさまに慌てる俺とは対照的に竹中さんは少し俺を見つめた後、バックルームにまた引っ込み、引っ込んだかと思ったら。

 鼻を押さえて動けずにいた俺に、箱のティッシュを差し出した。


「……これ、使ってください」


 顔面をぶつけて、涙目になって鼻血を突っ立ったまま垂らす情けない俺は、縋るように出されティッシュを数枚いっぺんに引っ張り出して鼻の穴にぐいぐい押し込んだ。


 押し込んで、それから俺はバックルームで凡そ数十分、鼻血が止まるまでティッシュの詰め替えを繰り返しながら待つことになってしまった。

 竹中さんはその間、店内の掃除と俺が汚した床を淡々と掃除していたらしい。

 バックルームに帰ってきた店長と、長瀬さんが教えてくれた。


 まぁ、何が言いたいかって言うと。


 竹中さんとの初対面は予想していた以上に、最悪だったってこと。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る