こわい神様3

 弟と妹は玄関の前で怒っていた。いつからそうしていたのだろう。寒くなってきた時分に玄関の前にいるなんて、相当凍えていたに違いない。

 ハンスは思わず息を吐く。

 どうして怒っているのかなど、考えるまでもなかった。


「あにぃ! 今日は早く帰ってこれたらしいじゃん!」

「あー、そうだなー」


 弟の子供らしいがなり声に、ハンスは曖昧に応える。


「もう夜じゃん! すぐに飯! 飯ったら飯!」

「お前の頭には飯しかないのか、ペーター」


 弟の頭をはたきながら、家の中に入る。はたかれた弟は抗議の声をあげたが、とくに気にする風もなかった。妹のほうは頭を撫ででやる。すると怒った顔が可愛らしい笑顔に変わる。


「今から飯作るから、おとなしくして暖まってろよ。ほら、お前はリカをいじめるな。リカ、ペーターが何かしたら俺に言えよ」


 リカはハンスの腕にしがみついた。


「ハーにぃ、ペーにぃはリカのアコをとってっちゃうのー」


 アコとはリカの大事にしているウサギの人形である。一年ほど前に母親が誕生日プレゼントしたものだが、リカはずっと大切に持っていた。ちょうど一年前にその母親が居なくなったのだ、親を恋しく想う気持ちがその人形にぎゅっと込められていることだろう。


「……やっぱり」

「あー! あにぃはそうやってリカばっかり!」

「あのなぁ、だったらお前がいじめなきゃいいだろ」

「いじめてねぇよ! 遊んでやってるんだ! ありがたがられなきゃおかしーだろ?」

「……どっからそんな不遜な態度と言葉を覚えてきたんだ?」


 思わず呆れた声を出してしまうが、当の本人はまったくお構いなしだった。


「だいたいさぁ、昨日から今日にかけてどこに出かけてたんだよ。まさか彼女でもできたわけ? そーいや昨日の飯、あにぃが作ったんじゃないし」

「あーほ。ンな暇ねぇっつの」

「あにぃより美味かったし。なぁ、リカ!」

「え、うん、おいしかったー」

「……」


 昨日はテースが作ってくれたのである程度の楽はできたが、さすがに連日世話になるわけにもいかない。今日は自分で作ろうと材料を見て、愕然とした。


(しまった、買ってくるの忘れてた)


 どう見ても二人分程度の材料しかない。


(……仕方ないか)


 とりあえず弟妹分の夕食を作り、自分は後でどこかへ食べに行こうと思った。霧の町に出るのは躊躇われるが、致し方ない。

 外だとそれ程食べられないので、やはりあのサンドウィッチを全部食べておけば良かったと、今更ながらに後悔するハンスだった。




(……あ、見つけた)


 アンナが聖堂で両手を胸の前で握り祈りを捧げているテースを見つけたのは、夕食が済んで間もない頃だった。元々聖堂だった場所の中は小さな蝋燭が数点に渡って火を灯し、弱々しく照らしている。今やほとんど聖堂としての意味を為さなくなってはいたが、そこにある十字と聖母の像はやはりここが教会だったのだという確固たる証拠ではあった。今となっては無駄に広い聖堂は結構冷える。アンナは身体を震わせてテースに近寄った。足音を立てるのは憚られたので、ゆっくりと静かに歩く。


(テースお姉ちゃん、珍しい……)


 夕飯の後はたいがい子供達と一緒に遊ぶテースが、それもせずに祈っている。アンナは珍しいと思ったが、実はテースがこうやって祈る場面を前にも見たことがある。彼女は時たまにこうして祈りを捧げていた。


「アンナ、お伽噺を聞きたい?」


 聖母の像を見上げて、テースはぽつりと呟いた。


「え、おとぎばなしって?」

「この町に伝わるお話なんですよ。この町に住む多くの人が知っているお話なの。違う町から来たアンナが知らないのも無理のないことですね。そうね、アンナもそろそろ知っておいて良いかもしれません」

「へぇ、そんなのがあるんだぁ」


 町に伝わるというニュアンスが、アンナの心を刺激した。何かしらの冒険談であろうか。そういうのだったら、男の子達を呼んできたほうが喜ぶだろう。この孤児院の子供達は皆、一様にテースの話が好きだった。


「この町には、古くから伝わるお話があります」


 普段は優しい微笑みをその顔に浮かべて話すテースが、今日ばかりはアンナすら見ずに聖母を見ている。

 ──そういえば。

 テースは『背後にいる』子供が誰なのか、どうしてわかったのだろう。アンナはテースがその名を呼ぶまで、決して一言も喋っていない。首を傾げたアンナではあったが、さほど気にせずテースの話に耳を傾ける。


「これから話す物語は、神様に由来することなの。この町のことですから。教会が生まれて、神様が降臨したお話を、アンナにもしなくちゃ、ね」テースはいまだ両手を握ったまま「──昔々、この土地よりずっと北に住んでいた人々がおりました。その人々はとっても信仰心が強く、神様がいると信じておりました」


 続けて話が始まったのでみんなを呼びに行く機会を失ったアンナは椅子に座って耳を澄ますことにした。


「うんうん」

「人々は神様を信じて平和に暮らしておりました。だけど、ある日、他の土地から別の人々が攻め込んできたのです。平和に暮らしていた人々は土地を追われ、南へ逃げました。南へ南へ。それでも彼らは追いかけてきました。そうしてとうとう、この土地まで逃げてきたのです」

「なんか、とてもこわいお話だね」

「そうね……怖いかもしれないね。でも、この人達がこの町にすむみんなのご先祖様なんですよ」

「へぇ、そうなんだ」

「ご先祖様はこの土地まできて、やっと逃げ切れたのです。追っ手もここまで遠くへは追ってきませんでした。彼らは自分たちが暮らすには十分な土地を手に入れたんですから。問題は、ここまで追い込まれてしまった人達です。当時のここはとても荒れ果てていて、とても人が住める場所じゃありませんでした。それでも人々はなんとかここで生活をしていくしかありません。そんな時、一人の青年が現れたのです」

「それって、かっこいい人?」

「さぁ、それまではわかりませんよ」


 くすりとテースは笑った。


「その人はその土地に教会を建てました。後にこの教会の原型ともなる教会なのですが、その時の教会はまだ小さな掘っ立て小屋みたいな感じだったらしいですよ。荒れた土地を甦らせようと必死になっていた人々は、その教会に集まるようになりました。心身共に疲労した身体を癒しにきた人達は、しかし教会で祈りを捧げれば捧げるほど、絶望感に苛まれるのでした」

「え、え、どうして?」

「疲れていたからですよ。とても。住んでいた土地を追われて、何もない土地で、ついさっきまで隣にいた友人が次々と死んでいくことに、とても疲れてしまったんです。未来が無かったんです、彼らには。隣人に寄り添わねば人は生きられない。その隣人が失われていったのですから。だけど、それでも彼らは教会に通い、神様に祈り、土地を耕しました。そうしてやっと教会を中心とした村を作ったんです。村を作り、いつしか町になったところで、また戦争が起こりました。またも外からの侵入者です。今度はなんとか追い返した彼らでしたが、またも疲れ切ってしまいました。もう疲れて疲れてどうしようもなくなった彼らが、最後の希望を胸に教会へ行き、神様にお願い事をするのです」

「お願いごと?」

「お祈りでは、神様は何も叶えてくれないから。だから願うことにしたんです。──神はそんな人々を長い間ずっと見守っておられました。そうして、哀れな人々の為、たった一つだけ願いを叶えることにしたんです」

「ふーん、神様って願い事を叶えるんだ」

「どうして?──の信じる神様は人々を見守っておられるんですから」

「だったら、私の願い事も叶えてくれるかな!」


 アンナは無邪気に笑った。


「ドレスが欲しいの! きれいなドレス!」

「そうね。もしかしたら叶えてくださるかもしれないわ」


 テースはすっと立ち上がる。


「神様は、人々が最も望むことを叶えてくださいました。そう、最も望むことです」

「もっとものぞむこと……なんだろ、お金? おとなはお金にきたないんだって。知ってた?」

「ふふ。そうだったらどれだけ良かったんでしょうね」


 聖母像を見上げるテースの両眼を、アンナは伺うことができなかった。


「人々が最も望んだこと、それは──」

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