第九首 宴の日 ほろ酔いつつも 箸休め 世の雑事など 耳をそばだて
讃酒歌など諳んじ、酒と共に料理を楽しんだ私たちの宴は続く。しかし、酔いにその身を任せた後には、現実への対処を話し合わねばならないのが現実だった。風流だけに身を任せている訳にはいかぬ。
何時までも、物事を先送りにするのは愚か者の所業だ。
目の前の問題に対処する時間がやってきた。
諸々を なさずに過ごす 愚かさよ またをちめやも そう嘆く日々
何事もなさずに年を取り、あの時に、ああしていれば良かったと嘆いても遅いのだ。人は若返ることは不可能なのだから。
問題を話し始める折を見ていた水月ほとりは、くいっと盃に残る清酒をあおると、首元のネクタイを緩め直し、語り出した。
「…東日本大震災以後、国土管理室の指揮の下、陰陽博士たちは四苦八苦しています。それこそ、嫌われ者の我等に助けを求める程度には…ね」
「…ふーん…お友達の海外の連中に助けを求めればよくない? 雲居(みやこ)の連中は、散々、私たちに冷や飯を食わせてきたくせに今更じゃないのかね? ねえ、永月君?」
「ふふ…その通りなので、私もあなたとの仲立ちで、奴等に吹っ掛けることができた訳です」
私の意地の悪い質問に、永月はにやりと笑ってそう応じた。差し向かいで盃を
傾ける私たちは、仲良く黒い表情となる。
「…とはいえ、笑っている場合でもないのよね。澱みの龍に取り込まれた死者の魂は減るどころか増え続けてる訳だものね…」
朝焼け小焼けだ 大漁だ
大羽鰯の大漁だ
浜は祭のようだけど
海の中では何万の
鰯の弔いするだろう
そう詩を著したのは金子みすゞだったか。
地上の住む存在が、金子の詩のように海の住む存在を糧にすると同様に、海に潜む存在もまた、地上に住む存在を糧にする。
そんな輩の中には、大海の水底の澱みに潜む澱みの龍なる大妖と、その配下であるサキガケも存在する。
澱みの龍は、基本的に颶風神(台風)の到来と共に川をさかのぼり、多数の人々を水害によって水底に引き込み、魂を取り込む大妖。
そして、配下のサキガケは、颶風神到来前に人の世に現れ、犠牲者を選別する引き込み役である。
しかも、近年に連続して起きた大水害によって、澱みの龍とサキガケは急激に勢力を伸ばしていた。遠き異朝での大水害…スマトラ沖地震での津波や、我が国の東日本大震災の折の犠牲者たちの魂を喰らい、強大な力を有したのだろう。
先の大戦の折以来の急激な勢力拡大だと、近年、国土管理室に属さない陰陽博士たちの間でも話題に上っていた。
「それで、国土管理室の配下のものたちは総出で澱みの龍と配下…サキガケ討伐に乗り出していたのですが、ついに対応が追い付かなくなったそうです…それに、この辺りは大丈夫ですが、太平洋寄りの関東、東北地方では、例年にない風邪などで、まだら模様状に所々、都市がマヒ状態だとか」
「…風邪?…季節外れの?…その結果、とうとう取れる手立てがなくなって、私に折り媛になれとの話が来た訳ね?」
「はい。しかし、それ以外の話もありまして…」
そう言った永月青年の双眸から柔和さが消えた。私の緩んでいた表情も自然と引き締まる。
「…ほほう?」
「じつは…サキガケに敗北して死んでしまったらしいのです。あの大陸からやってきた道士連中…」
「…それって、土御門に身を寄せていた連中よね? 情報屋連中からは、けっして弱くはない連中だって聞いていたけれど?」
私は、永月青年の話を聞き自分の耳を疑った。けっして安くはない料金を払い、買っていた情報と内容が食い違っていたからだ。
「…大陸の道士まで倒すほど、サキガケが強力になったってこと? 他の陰陽博士たちにも犠牲者が出ているの?」
「ええ。私が聞いた限り、すでに数人が死んでいます。今、情報屋たちに探らせていますが、被害はそれだけでは済んでいない可能性があります。今日の夜…調度今時分ですね…死体を国土管理室の地下で腑分けして、見分する予定だとか…」
「それは………問い質す必要がありそうね…国土管理室の連中から」
胡乱な話を聞き、いつの間にか私の酔いは醒めてしまっていた。永月青年といえば、今後のことを考えていて元々酔えていなかったのだろう。素面で私の反応を見守っていた。
「…ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。澱みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例なし。世中にある人と栖と、またかくのごとし…か」
私は、何と無しに鴨長明の方丈記の一節など口ずさみ、もはや楽しむ気のなくなった盃に残る清酒を、胃の腑に納める。
腹は決まった。
「…行きましょう、国土管理室へ」
そして、私は永月青年に共に国土管理室へと赴く決断を下したのだった。
後にして思えば、その夜は長い…とても長い夜だったと思う。
神州たる日本を侵略しようとする輩との戦いの
私はこの時、まだそれに気付かない振りを続けていた…のかもしれない。
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