第125話 人事を尽くして
剣の言葉が体の奥底にこびりついて離れない。
浜松戦で負った傷、打撲、筋肉疲労は1週間を要してようやく癒えてきた。これを来週からは毎週こなすことになる。気が重い。
マン・ゴーシュはぬるい風呂から上がって自分の部屋のドアを開けると、待ってましたと
あ。
口を半開きにしたまま宙を見上げ、右手で顔を覆う。目を瞑るとお菓子を床に置いた。ドゥサーがまぶたを開けて、大きな目が食べていいのかマン・ゴーシュに訊いている。マン・ゴーシュは「よし」とつぶやいた。
練習の空気が変わった。顔つきも。
ランスは見学。剣は紅白戦で声を張り上げる。
「ボールを奪ったら攻撃陣はとにかく前に走れ。
『急がば回れ』同様、『楽をしたかったらハードワーク』だ。
サッカーは先取点が非常に重要だ。先手を取られたら横浜は攻める必要が無くなる。するとカウンターをぶちかますのが困難になる。逆にうちが前に出なければいけなくなる。
おそらく、チャンスは少ない。シュートが撃てるようなら躊躇わず撃て。次の機会を待っていたらシュートコースは塞がれると思ってくれ。待っていても状況は良くならない。小細工せずシンプルな攻撃を心がけろ」
「様になってきたじゃないか」
ハルバードは剣に笑顔を返す。
長い足を利してDFの届かない位置にボールを置きボールをキープ。その間に両
「鎖鎌、お前は自分たちのことを猫だと言ったな」
「それが?」
「次の試合は猫をやめてくれ。
横浜はお前達がボールを追いかけ回すのを期待している。猫のように目の前のボールに飛びつけば、振り回されて疲労するのはお前達だ。自陣に入ってくるまでぐっと我慢しろ。入って来たら一網打尽にする。
お前は単独行動が多い。プレスは連動しないと意味がない」
練習が終わると、
「助かりますけど」
雲母は苦笑した。剣はため息をつく。
トレーニングルームで二人、マッサージベッドを並べて選手達に施術をこなす。
「本職の私より剣さんの方が人気なのはどういうわけなんですかね……」
「だってコーチのが力強くて気持ちいいんだもん」
と、ククリが
「どう考えてもトレーナーもう一人欲しいぞ」
「今度、私にもマッサージして下さいよ」
と、雲母が笑顔で言う。トマホークが雲母をちらり、見遣った。
剣はぐったり疲れて事務室に戻ってきた。
「ああ、剣さん、当日のピッチをどうするかスタジアムのグラウンドキーパーから訊かれているんで返答をお願いします」
おっさんAが携帯の番号を渡してくれた。
「もしもし、剣だ」
「ああ! よろしくおねげえします。ええとねぇ、ピッチのね、サイズを決めて欲しいんですわ。ここんとこサッカーの試合で使ってなかったんで。ライン引き直しますわ」
剣の口がぱくぱくと開く。これだ!
「最も横に狭く、そして縦に短くしてくれ」
「はいはい。あとね、芝の長さも。もう荒れ放題でねえ。ボーボーですわ」
おっさんEはガラガラ笑った。
「一切刈らなくていい!」
「は?」
天気予報では雨は降らなかったはず。
「そのままでいいと言ってるんだ! 当日は水も
興奮してつい声が大きくなる。
剣の言葉が体の奥底にこびりついて離れない。
ショーテルはスマホ片手にベッドに潜り込んだ。ソシャゲを起動する。
ほとんど惰性だった。とっくに飽きている。でも、誰かとつながっている感が欲しくて、まあ、微課金もしてしまったし、続けている。
まあ、デイリークエが終わるまでやろう。
人差し指が止まる。
コーチはずるい。
布団を頭から
10分でも、1分でも多く眠ろう。
試合前日。剣は朝からクラブハウスに入った。
「はよっす」
「剣さん! ランスとカットラスが日本人になりましたよ!」
「まじか……」
嬉しい誤算だ。罪滅ぼしのつもりか、カットラスまで帰化が認められた。
外国人枠は5人登録してあるが、ピッチに立てるのは3人までだ。でもこれで全員出場できるようになった。
練習場に早めに出る。普段、俺を監視している記者がランスとカットラスから話を聞いている。
「おめでとう」
「おお、剣殿。今日、病院に行ったが完全に直ったそうだ。練習に出られるぞ」
今やれることはすべてできそうだ!
9月24日。
朝のうちに両チームは会場入り。まだ晴れているが試合時間には曇りになるはずだ。
ピッチに入ると悲鳴が上がった。エレメントの選手達からだ。
「何この芝」
「ボールが、止まる……」
なるほど、これはひどい。
原子時計はしゃがみこんだ。芝が長いだけならまだ解るのだが長さが揃ってない。
貴方の仕業ですね。……そうきましたか。
ああ、困難はいいものです! 困難は僕を幸福にします!
剣はヴァッフェのドレッシングルームに入った。着替えが済んだ選手達がキャラクターセレクトのように居並んで剣を待ち受けていた。
「今日の試合、フランは必ず先発で出てくる」
だろ?
「モーニングスター、ヴァッフェはどういう意味だ」
「……Waffeはドイツ語で、武器」
「今日はきれいなサッカーはするな。強く激しいサッカーをしてくれ。
そして」
剣はこわばった顔で言った。声が震えそうになるのを懸命に抑える。
「フランの右足を削れ」
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