第122話 ミスマッチを作って

「オーバーワークね。止めなさい」

 ストップウォッチを止めて電子はぴしりと言い放つ。その背中をフランはきつく唇を結んでにらみつける。

「右足の状態もまだ油断できないのよね。ほら、また張ってきてるわよ」

 中性子がフランの足を診て、電子を援護した。

「昨日の夜も勝手にトレーニングルームに入ったでしょ。以後、許可を取らないトレーニングルームの使用は禁止」

「試合で必要な体力は試合でしかつかないわ。これ以上トレーニングしてもコンディションは戻らないわよ」

 不思議なもので試合勘ってものは確実に、ある。

「もう次の試合は! 絶対に出ますからね」

 フランは荒く息をつきながら空を仰いだ。




『9月10日のヴァッフェ東京戦でグラディウス選手に対するファールが悪質と判断され、クラリネット選手に公式戦5試合の出場停止処分が下されました』

 こういうとき、誰かのせいにできればいいんだが。 

 ああ、俺、うちの選手の前で『別に浜松が特に荒いプレーをしたという訳ではない』とか言っちまってたぞ。


 てか、得をするのは以後浜松と戦うチームだ。被害を食らったうちにはまったくメリットがねえじゃねえか。

 俺にはサッカーの経験がない。致命的な欠点だ。

 横浜戦が終わったらどっかのサッカーチームに入ろう。どこでもいい。それこそ草サッカーでいい。

 


「はよっす」

「ああ、剣さん」

 おっさんAがちらりとおっさんBを見遣る。おっさんBが口を開いた。

「剣さん、次の次の試合、つまりディッシュ堺戦から新しい監督に代わって貰うことになりそうです。横浜戦、宜しくお願いしますね」


 そうか。

 つまり俺の力に見切りをつけた訳だ。

 俺に残されたチャンスは次の横浜戦だけ。


 俺は部屋を出ると分析室に向かった。小野がPCに何かを打ち込んでいる。仕事はマジメにやる男だ。

「守備はどうすればいいと思う?」

 剣が唐突に訊く。

「リトリートしかないでしょうね」

 剣は微塵も表情を変えずに話す。

「エレメント横浜はペップバルサの模倣もほうだ。

 ペップバルサの天敵。

 ハインケスのバイエルンミュンヘンにならおう」

「ゲーゲンプレス?」

「そうだ」

 

 横浜の監督、原子時計。

 彼には、いいことを教えてもらった。

 ミスマッチ能力のギャップ

「横浜はボール保持ポゼッションのための選手を選んでいる。技術と知性に長けた選手で占められている。だが反面、守備力は隙がないわけではない。


 横浜がボールを保持していさえすれば守備力は低くても構わない。それがペップバルサの、原子時計の考え方だ。

 今まではそれで勝っているね。


 原子時計は求道者だ。自分のやりたいサッカーをする。それで勝ってしまう。幸せな男だ」

 俺はどうする。

 どちらでもない。中庸。そして今回はあまりに理想と現実の間に乖離かいりがある。だから。

「フィジカルで、押しつぶして勝つ」


 もう、手段は選べない。

 練習場に出る。暇そうな記者が俺が何かヘマをやらかさないか数名、覗きに来ていた。小砂羽こさわとか言う編集者も今日もご苦労なことにそこに混じっている。スケベな記者がチラチラ横目で小砂羽のあらわになった胸の谷間を盗み見ているのが手に取るように判った。


「一体どうなってるんだよ!」

 俺は大声を上げた。記者達が駆け寄ってくる。

「どうしました?」

 そうして彼らはICレコーダーを突き出す。

「ランスだよ。帰化申請を出して一年近く経とうとしてるが何の音沙汰もない。法務省は仕事してるのか?」

 半分は、本当に怒っていた。小砂羽の口角が上がる。

 ちっ。……まあ、いいけど。



「戦術練習をしよう」

 選手達のサーキットトレーニングが終わると剣がピッチに入った。

「次の試合、ハルバードとランスの2トップでいく」

「私が、CFセンターフォワード?」

 ハルバードが目を回している。

「バルサには高身長のジェラール・ピケがいる。だが横浜はそこまで高さはない。次の試合、キック&ラッシュ。高さで勝負する。練習を始めるぞ」



 帰る時間にもなれば、もう真っ暗。

 残暑はまだまだ厳しいが、秋の音がぐるりサラウンドで聞こえてくる。

 ククリの父親の車が遠ざかる音が、街の騒音に溶けていく。悲鳴を上げながら白いポリ袋がアスファルトを滑り、息を潜める手裏剣の足にしがみついた。

「彼女とかいるの?」

「今はいないです」

「いつまでいたの?」

「こ……去年ですねえ」

 

 !?

 手裏剣はのけぞった。声が出そうになる。

 彼女ぉ?

 どういうことなんだろう。

 ……あの女か。あの編集者に気があるのか。

 やっぱり、大人の女がいいのかな。アタシだってもう、カラダはすっかりオトナなのに!

 でもまあ、どうやら完全に男しか眼中にないって訳でもなさそうだ。

 嬉しくて、悲しい。

 二人が歩いてくる。手裏剣は慌てて植え込みに身を隠した。これ以上は危険かな。あれで剣は鋭い所がある。忍び歩きでその場を去る。


「次に、剣さんの手記のことなんだけど」

「俺には文才なんてない。ついでに言えば学生時代、文集を書かされたがサービスで絵も描いてやったのに解読不能だったもんでヴォイニッチ手稿part2と呼ばれたぞ。さあ、どうする」

「それなら安心して。その手の者に代筆させるから」

 ゴーストなんとかって奴か。まったくうす汚れた世界だ。剣は鼻でため息をついた。




 ※実際にはミスマッチにも色々ありますが、今作では『能力のミスマッチ』のみ扱います。

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