第114話 そして、眼を開くまで ①

 9月10日午後3時。ヴァッフェクラブバスは静岡県浜松市北区に乗り込んだ。

「あちいな……」

 バスを降りると剣は早速、ピッチに降りて芝を見に行く。

「いいか。お前は選手の前では口を開くな」

 小野は手のひらを上に向け、両手を軽く上げた。

「あなたもライスと同じこと言うんですね」


「スタメン。ティンベー。ハルバード。ランス。ショーテル。マン・ゴーシュ。独鈷杵。モーニングスター。グラディウス。カットラス。ククリ。刀」

 ウォーミングアップが済むと、剣はじっとしていられなくなった。

 あんなことを言った手前、勝たなくては。ああ、自分を追い詰めるもんじゃないな。いや、これでいい。

 自分を追い込むぐらいじゃないと、妥協してしまう。

 大言壮語して、剣は生きてきた。おかげでたくさん恥をかいた。嘲笑された。

 でも、その分強くなった。


 マン・ゴーシュは床の一点を見つめて動かなかった。剣はぺたぺたと近づいた。

「緊張でもしてるのか」

 そっぽを向く。

「もっと緊張しろ」

 その目が大きく開いた。

「もうだめだ死ぬ。ひどいことになる。やばいやばい。絶望しろ。最悪の結果を想像しろ」

 マン・ゴーシュは小さくうなずいた。

 なんだろこれ。

 ひょっとして、剣も選手だったとき緊張したんだろうか。


 外に出ると、剣はよくわからんおっさんに捕まった。

「今日は宜しくお願いします。いやそれにしてもすごいお客の入りですよ! あなたのおかげです。ありがとうございます!」

 観客席は空席が見当たらない。

 剣は身震いする。観客の視線を感じた。客席の上にはTVカメラも見える。剣はおっさんBに請われるがままに取材に追われる日々を過ごし、今日に至った。この試合もBSフジで生中継される。さっきのおっさんは向こうのベンチに座っている。どうやら浜松の監督だったようだ。 

 

 今までとは圧力が違う。

 おっさんAは祈るように空を見上げている。


「おお、すげえ人だ」

 カットラスが感嘆する。

「こんなん初めてだわ」

 ショーテルはぴょんぴょん飛び跳ねた。

 選手入場。

 観客席に小さな光が瞬く。


 マン・ゴーシュはずっと、何かをつぶやきながら歩いていた。自分をひたすら追い詰める。

 すると、上がっている自分を客観的に見ることができた。

 そうだね。自分にできることだけをやろう。

 なんか、吹っ切れた。


 浜松のデータは全員頭に叩き込んだ。やるべきことはすべてやった。

 ADが主審に声を掛ける。

「CM開けたら指示するんで待っていて下さい」

 午後6時、ホイッスルが鳴る。


 浜松の中心はイタリア人トリオCBセンターバックグランドピアノ、CHセンターハーフギター、WGウィングヴァイオリンだ。

 三人のパス交換からCHクラリネットにボールが渡る。ルックアップ。

 緊張しているのだろう、ヴァッフェの陣形に偏りがみられる。ターンしてダイレクトではたけばチャンスができるよ、とメッセージ付きのパスを出す。 

 と、独鈷杵が駆け出し、予期していたようにボールをかっさらった。マン・ゴーシュを経由して左WGのカットラスへ。カットラスは半身でボールに左足を伸ばした。

 右SB小鼓こつづみはそこに身体を当てに行く。と、カットラスはボールに触らず急に反転して駆け出した。小鼓は手を伸ばすも突き飛ばされ離された。カットラスはボールを蹴り出し、長く疾走してボックスに侵入。それに対しグランドピアノが迫る。

 CB宮太鼓は刀を確認した。刀はボックスに入ると悠然と止まった。宮太鼓の視線がグラディウスに移る。宮太鼓が止まったのを見て刀は宮太鼓の背後に駆けた。宮太鼓は刀に付く。カットラスは刀の前にふんわりしたクロスを放つ。宮太鼓が追いすがるが刀は二歩先を行く。


 明鏡止水。明鏡止水。

 

 決定機。心の強さが試される。

 はずしたらどうしよう。なんて思ったら震える。

 ストライカーはチームメートが粉骨砕身して届けてくれた次はいつになるか判らないチャンスを、得点に変換するのが仕事だ。


 刀は数多くのゴールを挙げ経験を積み、これを長所にした。

 無心でボールを捉える。心をさらにする。

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