第82話 そのとき、バルサは最も美しかった

2次選考トライアル、受かったそうですね。おめでとうございます」

 記者の顔に『あなたは有名人だから受かったんですよ。おわかりですよね?』と書いてある。次の記者の顔には『何か記事になるようなこと言えよ。手ぶらで帰すなよ?』と書いてある。

 お前が記者という職を好き好んで選んだのだろう? いつものように想像でお好きなように書けばいい。

 剣は口を閉ざしたままクラブハウスに入った。


 ヴァッフェの注目度は俄然、増した。むしろU-18の方だったが。

 土日の試合は観客が増えた。しかし剣はむしろ不機嫌だった。おっさんAとBは上機嫌。剣のことをエロスとは呼ばなくなり、いつしか剣もそんな偽名を使っていることなど忘れてしまった。

 テニスファンは署名を集め、剣にカムバックを迫った。「無理」とだけ答えて剣は去った。

 



 自分は、意地が悪い人間なのだろうか。

 フランはどきりとした。でも。

 正直に言えば。剣がもだえる顔を見るのが好きだった。どうしてなのか自分でも解っていない。

 skypeで打ち合わせをしたときの剣はやはり仏頂面ぶっちょうづらだった。こんな尊大な表情を浮かべる仏像などありうべからざるものだろうけど。だけどフランの要求は今まで一度も拒まなかった。

 その夜、ヴァッフェU-18+フランがPCの前に座ると、講義が始まった。


「まず、謝らなければならないことがある。

 以前俺はレスターでラニエリが岡崎の価値をようやく再確認した、という趣旨のことを言った。だがそれはどうやら間違いだった。俺は岡崎はまたスタメンに戻るだろうと予想していたが、ラニエリは岡崎の使い方を忘れてしまったようだ。

 だが、代わったシェイクスピア暫定監督が岡崎をスタメンに戻し、レスターはプレミア5連勝を飾った。



 さて、本題。

 昔話をさせてもらおう。俺が最も感銘を受けたサッカー。2008~12シーズン。ペップ政権下のバルサだ。


 これまでに見たどんなサッカーと比べても異質だった。

 ボックスの中になかなか侵入しない。とことんパスを回す。そして好機だと判断したら勝負に出る。ボール支配率は軒並み70%を超え、80%を超える試合もしばしばだった。

 

 夢見る乙女のサッカーだった。尊大で怖いもの知らずで万能感に溢れ、優等生の仮面を被るように厳しく言われてそのお言いつけを遵守する。

 DFラインは恐ろしく高く、誰が見てもカウンターの餌食になりそうだったがボールを扱う技術と戦術が優れているので危ない奪われ方をしない。したとしてもCBにはスペイン代表キャプテン、プジョルが的確なカバーリングを行い処理した。


 チームの中心にはシャビがいた。手で扱うようにボールを操り、鋭い洞察力で相手の意図を測り、裏をかく。穴が見当たらない防御陣形にシャビだけが発見する瑕疵キズを見つけるとスルーパスで風穴を開け味方にゴールを提供した。

 前でボールを奪われるとエトーが無尽蔵のスタミナで前線から強烈なプレスをかけた。そこで奪われたら大ピンチ。もうクリアするしかない。ビルドアップできずにまたバルサボールになる。

 ゲームはほとんど敵陣で行われた。アップダウンも少ないため疲労も少なくて済んだ。


 バルサの選手達は二つ目の戦術を理解する必要はなかった。ボールを支配ポゼッションしてしまえば、何も問題なかった。試合終盤リードしていると、DFラインを下げる。相手はボールを取りに来る。バルサは悠然とロンドパスの舞踏を始めた。点を取りに行かず、ただ踊るだけだ。それだけでポゼッションは守備的戦術に変じた。


 バルサが獲得する選手は何より知性が優れていることが求められる。加えて高い技術が要求される。そうなると身体能力はどうしたって劣る。

 バルサは鎧を着ない戦士だ。サッカーの美を追究する芸術家だ。選手に謙虚さを求めるがその実、実に傲慢なサッカーをする。


 『当たらなければどうということはない』。相手のタックルは空を切り、バルサはペップ就任一年目、ゲームを支配し続けた。

 ペップバルサは、可能なすべてのタイトルを獲得し、三冠トリプレテを果たす。


『ボールはずっとずっと私のもの、あなたは必死に追い回していればいいの』


 バルサは強欲にも勝利と美、両方に手を伸ばし、掴もうとした。今もしている。ペップの求めるサッカーとバルサは完璧に符合し、二つとも手にして、栄華に酔った。

 スペイン代表はバルサをベースとして構成され、バルサを模倣した。スペイン代表は2010年、念願のW杯を初めて掲げる。2012年、欧州選手権も獲得。以後、パスサッカーは世界中に波及しブームになった。

 ザックJAPANも、その一つだ。



 さて、現在。

 エンリケが率いるようになって、バルサに流れる空気が緩んだ。するとピケの舌禍ぜっかが度々メディアに躍るようになった。

 ペップの時代は違った。ボール運びは遊び心があって奔放。だが、日常生活に厳格な制約を課した。誰も相手チームに対する毒など吐かない。徹底していた。

 ペップは完璧主義者だった。

 

 ゴールは駆け引きに勝利した上で、意図通りの必然であれ。


 適当に上げるクロス。コースを狙わず、全力で打つミドルシュート。ペップの美学に反する。

 コースを狙わなくても、結果、ゴール隅にシュートが飛んでいくことはよくあることだ。キックコントロールの問題ではなく、シュートを打つまでの体勢不全、DFとの接触などによりシュートが思った通りに飛ばないことは多い。だからコースを狙わないシュートはままある。


 だがペップは幸運の女神の力を借りることを禁じた。いさぎよしとしなかった。完全に崩しきってゴールの前をグラウンダーのパスが悠々と横断、ちょっと触るだけでゴール。

 それがペップの理想だった」

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