第76話 トライアル
恋敵は増える一方だった。
まさかの手裏剣。
弓は買って三日目のHDDがぶっ飛んだ時の顔で、ショーテルの報告を聞いた。
手裏剣てば、コーチの文句ばっかり言ってたのに、どういうことなのかなぁ。
そういえば、コーチの家に、猫がいたぁ。
3月11日。
練習が終わると弓が駆け寄ってきた。
「コーチ、弓にも見返りがほしいにゃー」
どうやら弓がクラスチェンジだかランクアップだかした模様。こちらを見つめるククリの顔に『今頃星空凜のマネ?』と書いてある。
「なんだお前もメシおごって欲しいのか。俺、安月給だからそんな高いのは無理だぞ」
安月給は本当だが実際のところ、副収入がそれなりにあるので食うには困っていない。だが、これ以上タカられるのは勘弁。
「ううん。ご飯じゃないにゃー。これ、明日行きたいにゃー」
弓は紙切れを突き出す。……オペラのチケットだ。
いや、ちょっと待ってくれ。明後日は大事なテストがあるんだ。
でも弓には世話になった。ううむ。
練習後、京王新線を初代駅で降り、新国立劇場に向かい、弓と落ち合う。
「そういえばあれだな。レスターが監督替わってから好調だな」
「こんなときまでサッカーかにゃー」
弓はごろごろ言いながら俺に体をこすりつける。どうしちまったんだ。
始まったのはシェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし』。
もちろんオペラなんて観るのは初めてだ。盛大に寝てやろうかと思ったが案外普通に観てしまう。
「楽しんでやらなきゃ何事も身につきゃしません」
なんかどっかで聞いたようなセリフだ。
翌朝。都営新宿線を住吉で降りる。
さ、落とされに行こうか。
東京ガス深川グラウンド。
グラウンドは2面あり、関係者っぽいのが
サングラスを外すように言われて、素直に従う。受験者は四十名ほど。ほぼ全員がちらちら俺を見やる。じきに
おっさんDが俺の脳裏で大暴れしていた。悪夢だ。
そうだ。俺は落ちるために来ている。
ふと、昨日のオペラを思い出した。
そうだ。
エレメントのコーチは、常に選手を笑わせようとしていた。あれは選手の緊張を緩和させようとする意図だと思っていたがそれだけじゃない。
シェイクスピアの言うとおりだ。
俺は道化を演じた。学生時代に女子を引っかけようと編み出した顔芸を繰り出し、一方で指摘する際にはぴしゃりと叱りつける。
ああ、そうか。
感情を揺さぶるんだ。
そういえば面白い先生の授業はつい聞いてしまってよく理解できたように思う。
持っているもの、今まで培った技術をすべて吐き出す。
「攻撃は不規則に、幻想的に。
守備は規則的に、事務的に。
守備に意外性は不要だ」
「ああ、いたいた」
振り返らずとも判った。
「頑張れー!」
空気が変わる。参加者の中にはプレーの質が落ちる奴もいた。どういうわけか緊張している。
俺の教え子達が応援席に陣取り歓声を上げる。わざわざ横浜からフランまで駆けつけている。
講師が帰るように彼女らに告げる。仕方なく去るが離れたところから声援を送り、ボードをふりふりしている。
「剣さんの生徒さんですか?」
講師は呆然と訊いた。
「……ああ」
「こんなことは初めてですよ」
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