第53話 一人暮らし

「本来、冬はサッカーに適したスポーツだ。運動量が多いサッカーは夏にやるもんじゃない。体力の消耗はもちろん、脳にもダメージが来る。まあ、確かに観客はじっと観てるから寒いのは確かだけど。

 夏場のサッカーのクオリティは明らかに落ちる。積雪地の除雪環境を整え、秋春制に移行すべきだな。

 というわけで冬場のトレーニングはハードにいくぞ」

 エロスは選手達に自身の経験に基づく肉体改造を施していた。


 エロスはマン・ゴーシュの小さな体を眺めて唇を結んだ。

 手裏剣は目をつり上げまゆをくっと上げ、そんなエロスを注視する。この男がサングラスをしているのは女の子の体をじっくり見るためだ。そしてああ、やっぱりこういう幼そうな外見の子が好きなのかと呆れた。


 エロスは首をひねった。

 おかしい。

 ん?

 おかしい。

「誰か、マン・ゴーシュのかばんの中を見てくれ」

「おいいいい! やめろバカ! その中には! 今朝殺した母親の首が入っているんだぞ!」

「それは是非拝見したい。ちょうどお前のお母さんに娘さんについてもの申したいことがあったんだ」

 エロスがマン・ゴーシュを羽交い締めにしているうちにモーニングスターがパンパンに張り詰めたマン・ゴーシュの鞄を開けると、中から山のようなジャガビーがあふれ出た。

「jagabee教の信徒ぁ?」

 弓がつぶやく。

 エロスはマン・ゴーシュの腹をつついた。

「うん……プニってる。こんな運動量の走り込みしてるってのに」

 マン・ゴーシュは両腕をばたつかせ暴れた。なんとか振りほどいてエロスに殴りかかるも、エロスは首根っこを掴んで「確かにお菓子は旨い。でもこんなもんばっっか食ってるからお前の体はさっぱりできあがらない。それどころか酸化してあっちゅうまにババアになるぜ?」と乱暴に諭した。

「がわ゛いぐない! おんがー! ふざげな゛いで!」

「犠牲なしに成功を掴めると思うなよ? お前が引退したら好きにすればいいがお前のキャリアに差し支えるぞ」


 信じられない。女の子の体をこんな真顔で、躊躇無く触るなんて! 手裏剣はいきり立った。絶対わざとに決まってる。



 十二月も中旬にさしかかり、念入りにウォームアップしてから今日の練習が始まった。

「フラン今日もそのシャツか。そんな格好で寒くないのか?」

 フランのトレーニングシャツは半袖だった。フランは色をなして言い返す。

「寒さなどに負けてサッカーはできません! 動けば暖かくなります! そうでしょ!?」

 そうだ。CPUが熱に弱いのと同様、人間だって熱で劣化する。でも、そんな顔を真っ赤にして反論するこたねえじゃねえか。ちょっとからかったつもりだったのに。



 フランは慎重に。静かに自転車を停めた。

 そして、びくびくしながら音を立てないようにきしむ階段を上り、錆びた鍵を差し込む。体を戸の中に滑り込ませる。

 大きくため息をつく。

「キュイイ! きゅいいきゅいい!」

 闇にバタバタと何かが走り出す音が響く。

 フランは違う種類のため息をつく。

 靴を脱いで上がり、棚を開ける。液体が垂れる音がする。

 また。……やられた。棚の奥に新しい穴が空いていた。


 フランはつまみを回しスイッチを入れた。電球に灯りが灯る。

 ネズミは、どこから侵入したのか判らなかった。木造の部屋は至る所に穴が空いており、ネズミのパラダイス。鶏ささみの袋は食い破られ、囓られ食べられていた。歯の痕が鮮明に残っている。


 そうだ。フランは振り返った。TVの機嫌を伺う。今日は、トヨタカップで鹿島の試合があるはずだ。

 ブラウン管は、実況は聞こえど、ぐにゃぐにゃと波打ち、ボールの位置すら判らなかった。このTV、最近は映る方が珍しい。様々な叩き方を試してみるが効果は出ない。諦めてTVを消す。明日、学校のパソコンで観よう。そしてカセットコンロに水を入れた鍋を掛け、さっきの肉を茹でた。


 体に毛布を巻き付け、今日の練習を回想していた。自分のプレーに落ち度は無かったか、洗っていく。肉の匂いに刺激され、壁の向こうでネズミの家族が騒ぎ始めた。


 やがて、今日、エロスが自分に投げた言葉に出くわした。

 自分のプレーが足りないものだらけなのは解っている。だから試合に出られないのだ。プレーの至らなさを責められるのは問題ない。でも。

 固いささみを噛みしめる。賞味期限は切れているので生で食べるわけにはいかなかった。白菜は塩をふっただけのを生で。余計なことをすると栄養価が落ちる。

 食事は娯楽ではなかった。栄養を摂るため……成長への過程の一工程に過ぎない。

 冷蔵庫なんて買う余裕はなかった。病気に罹るわけにもいかない。


 フランは突然慟哭した。

 ああ大家さんにどやされる。唇を固く閉ざし、それでも嗚咽をこらえきれはしなかった。

 このときばかりは、歳相応の女の子に戻った。

 

 お金が欲しい!


 今は耐えるんだ。そして早くプロになるんだ。

 ヴァッフェで!

 食事を抜くわけにはいかなかった。いくら安いものを買い求めていても、それなりに出費は嵩む。

 さあ、布団を敷こう。今から入ると髪が乾かないから、朝、風呂に入って。牛乳配達が待ってる。

 

 ネズミどもよ、今宵だけでも子守歌を歌ってはくれないか?

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