己を刻む殺戮

 経営していた会社が破綻した。

 世の中は無常である。

 必ずしも皆が成功を手にする事は無い。

 だが、自分が失敗するとは思いたくない。

 それでも現実は必ずやって来る。

 必死にやってきた。自分も借金をして、運転資金を捻出した。

 だが、残念ながら破綻してしまった。

 事業は停止。

 本来ならば、会社と個人の自己破産を掛けるべきだが、その現金すら残っていない有様だ。

 銀行に素直に事業が破綻した事を告げる。メインバンクの担当者は嫌そうな顔をしながら、「粛々と処理します」と答えて終わりだった。

 次の人生の事を考えて、色々と動いていると、銀行から一括返済の請求が来た。

 無論、そんな金は無い。それどころか、銀行の口座も凍結され、何も出来ない状態になった。

 自らが生きるための金すら無くなった。

 生きる為に日銭を稼ぐようなバイトに汗水を流すしかない。

 とにかく必死で働いた。

 だが、それを嘲笑うかのように奴等はこのナケナシの金と僅かに残された物を奪う為に差し押さえを掛けた。

 突然に家に押し寄せた執行官。

 彼等は無造作に私から金を奪い、最後に母の形見であったたった一つの指輪を手にした。それは僅かなダイヤが付いただけのそれほど価値がある物じゃなかった。だが、それは母が大切にしていた唯一の遺品だった。

 「たいした物が無いな」

 執行官がそう笑いながら言った。

 それは明らかに侮蔑であった。

 母に対しての。

 絶望の闇から湧き上がる怒りの炎。

 失う物など何も無い。

 その絶対的な欠乏が、怒りを止める術の全てを私から奪った。

 台所にあった包丁を手に取る。

 ホームセンターで売っている千円もしない安物の文化包丁。

 鈍い鉄色の刃がユラリユラリと揺れる。

 右手に持った包丁の柄の尻を左手で抑える。腰の位置で包丁を構え、そのまま無言で執行官の背中に体当たりをする。

 突然の体当たりに執行官は驚いた様子で振り返った。だが、その時には彼の腰には包丁が刺さっていた。刃渡り20センチの刃は3分の2が体内に入っていた。

 あああああ!

 執行官は突然の事に悲鳴を上げた。そして逃げ出そうと駆け出した。その時、包丁が腰から抜ける。血が溢れ出す。

 痛みのせいか執行官がその場に倒れ込む。

 私は怒りに任せて、その身体に乗り掛かった。手にした包丁をその背中に何度も、何度も叩きつけるように刺す。その荒々しさに安物の刃はパキンと音を立てて、折れた。

 だが、そんな事に構う事無く、私は折れた刃で何度も執行官の男を叩いた。

 どれだけそれを繰り返しただろうか。

 気付けば、床は血の海となり、執行官は動かない。

 死んでいる。

 確認はしていないが、直感で解る。

 殺した。

 人を殺した。

 執行官が手にした母の指輪ともぎ取る。

 この為に彼は死んだ。たった一つの指輪の為に彼は死んだ。

 だが、それは人の尊厳を汚した罰だ。

 俺が見下ろしている執行官をまともに人として見れない。

 ただの屑だ。

 私は疲れたように死体から離れる。

 汚れた服を着替える。

 残された死体をどうするかと考える。

 このままならば、必ずここに警察官が訪れるだろう。

 幾ら死体を隠したとしても、必ず、自分が疑われる。

 そうすれば、殺人犯として捕まるだけだろう。

 それが・・・怖いとは思わない。

 ただ、何も残されていない自分がこの世界に何かを残せるのかも知れないと思った。それは決して、好ましい事では無いとしても。

 私は執行官から奪われた金と彼の財布から金を奪った。その金で新たにナイフを買い求めた。

 包丁は人を殺す為には出来ていない。切る為にある包丁で人に切り掛かっても刃の長さから、相手に致命傷を与えるのは至難の業でもある。

 短い刃の物は突き刺すのが適している。

 だが、包丁はそれに向かない。何故なら、包丁には鍔が無い。その為に突き刺せば、柄を握った手が滑り、自らの手を刃で切りかねない。

 だからこそ、ナイフを手に入れる必要があった。サバイバルで用いるナイフは鍔、もしくはハンドルの形状が刺す事に適した物が多い。

 相手を一撃で殺すならば、包丁よりもナイフを選ぶべきである。

 私は数本のナイフをポケットに入れ、最も大きなナイフを手に死体の横で新たな来客者を待った。

 幾度も執行官のスマホが鳴っていた。きっと、彼の同僚からだろう。彼を心配する同僚はやがて、ここに辿り着く。

 チャイムが鳴った。

 私は新たに訪れた二人の男を見た。どちらも執行官の同僚だと名乗った。ここに来ていないかと言う。

 「居ますよ」

 私はそう告げた。二人は顔を見合わせながら、開け放たれた玄関から中へと入っていく。私は彼等を迎え入れた後、玄関の扉を閉めた。

 ガチャリ

 扉の鍵を掛ける音に男が振り返ろうとした。

 その首に大柄のナイフの刃が押し当てられる。安物の刃は鈍く、その肌を切り裂く。頸動脈と気道を切り裂き、刃は虚空へと飛び出す。

 首を切られた男は何事が起きたかも分からず、ただ、フラリと体勢を崩した。その身体を突き飛ばす。もう一人の男は倒れている執行官の死体を見て、驚いていた。その背後にナイフの刃を突き立てる。突き立てた刃を一気に下へと引き下げる。肉が裂ける感触が手に伝わる。

 悲鳴が上がる。

 首を切られた男は息が出来ないのかヒューヒューと音を漏らしながら、崩れ落ちていた。逃げ出そうと必死に玄関へと這っている。その背中を踏み潰す。彼は絶望的な目で私を見上げた。そして、真っ青な顔は白くなり、ガクリとその場に突っ伏したまま動かなくなった。

 三人目の死体がここに転がった。

 私はそれを見て、不謹慎にも興奮した。

 何も残されていなかった自分が得た獲物だ。

 刃に着いた血を拭き取る。

 殺せる。

 自分は人を殺せる。

 確信した。

 それだけが唯一、自分に残された事であると。

 私は・・・きっと殺人犯として死刑になるだろう。

 だが、並の殺人犯では・・・困る。

 きっと歴史に残るだろう殺人犯として死刑になろうじゃないか。

 覚悟が出来た。

 三人が帰って来ない。

 きっと、何か事件だと感じて、警察に相談するだろう。

 次に来るのは警察官だ。

 一般的に警察官は二人一組で行動する。

 無論、交番などから来る場合は一人の事も多い。

 どちらにしても、いきなり大人数で推し掛けて来るなどあり得ない。

 まだ、殺人事件として露見していないわけだから。

 案の定だが、警察官はやって来た。前の二人同様に彼等を中へと招き入れる。

 警察官を殺す時は気を付けねばならない。

 彼等は防弾チョッキを纏っている。それは鉄板が入った防刃仕様でもある。すなわち、腹や背中には刃が通らない。殺すなら首か、防弾チョッキの隙間を狙うべきである。

 さっきの二人同様に背後から襲い、一人は首を掻き切った。死体を発見したもう一人は即座に警棒を抜こうとした。だが、その動きより先にこちらの刃が彼の右腕を切る。機動隊員なら手甲を巻くが、ただけの警察官ならば、そこは無防備だ。

 切られて、悲鳴が上がる。だが、それは私にとって、充分な隙であった。右手を切ったナイフの刃は彼の首に突き刺さる。それと同時に彼の悲鳴が遮られる。抜かれた傷口から血が噴き出す。それは私を染めた。

 二人の警察官の死体が転がった。

 新しい獲物だ。

 私は血に染まった顔でニヤリと笑う。

 転がった死体から拳銃を奪う。


 ニューナンブM60 回転式拳銃


 ミネベア社が生産していた国産の回転式拳銃である。

 S&WのM60に用いられるKフレームをベースに開発されている。使用する弾薬はベースになったM60同様に38スペシャル弾が用いられる。

 ダブルアクションのトリガープルはS&W社の拳銃に劣るが、集弾性に関しては高いレベルにある。

 左側面にあるシリンダーノッチに指掛け、押し込む。そして左に傾けると弾倉がゴロリと転がる。中には5発の弾丸が入っていた。

 拳銃が二丁。

 一丁をポケットに入れて、一丁を右手に持つ。

 警察官二人が音信不通になれば、当然ながら重大事件が発生しているとして、緊急体制が敷かれる。警察官が最後に訪れた場所周辺に警戒線が敷かれる。

 

 サイレンの音が連なり、周辺が騒がしくなる。

 これからが本番だ。

 自らの事を多くの人々の記憶に刻むためには生半可な事ではダメだ。

 シールド付ヘルメットに分厚い防弾チョッキ、手甲とジュラルミン盾で完全武装した警察官達が家の前に近づいてきた。

 誰もが拳銃を警戒しているのだろう。

 扉には鍵が掛かっている。それを破壊する為に長柄のハンマーが持ち込まれる。

 一撃で扉は破壊され、パタリと内側に倒れた。彼らはそこで警察官の死体を発見する。

 「警察官だ!」

 最初に家に入った警察官が叫ぶ。それと同時に銃声が鳴り響いた。

 拳銃に不慣れだからと言って、ちゃんと構えて、撃てば、当たらないわけじゃない。特に至近距離ならば。

 私は物陰に隠れながら両手でしっかりと拳銃を握り、腕を縮めるように構えながら撃った。

 38スペシャル弾は威力が弱い方だと言われるが、9ミリの直径の弾丸がそれなりの初速で発射されれば、当然ながら、十分な殺傷力を有している。

 放たれた弾丸は警察官のシールドを破り、その鼻を潰した。

 警察官はその場にのけ反りながら倒れた。

 一人

 弾倉には残り4発。

 慌ててはいけない。限られた弾丸で殺さねばならないのだから。

 突然の発砲に驚いた警察官達は慌てて、逃げ出した。彼らの腰にも拳銃は下がっている。だが、この状況でそれを抜いて、反撃が出来る程に訓練はされていない。

 

 住宅街に響き渡った銃声は空気を一変させた。

 待機していた機動隊はジュラルミンの盾を構えて、身を小さくするようにした。

 マスコミに対して、下がるように怒鳴る警察官。

 それでも現場に踏みとどまろうとするマスコミ。

 混乱が起きていた。

 最初に突入したのは完全武装をしていたが、捜査一課の捜査員だった。腰に回転式拳銃を装備しているが、突入などの特殊な訓練を受けているわけじゃなかった。

 現場の指揮を執る愛知県警の捜査一課長は現場の混乱を納めるために怒鳴る。

 そこにSITの隊長が姿を現す。

 「捜査一課長、SITの突入準備が出来ました」

 「そうか・・・そのまま、待機しろ。これから説得を試みる」

 捜査一課長は眉間に深い皺を寄せて答える。

 開け放たれた扉に向かって、拡声器による呼び掛けが始まった。すでに籠城している犯人の個人情報を警察は把握している。

 「野沢さん、話を聞いてくれないか?我々は君に危害を加えるつもりは無い。出来れば、武器を捨てて、出て来て欲しい」

 交渉役の刑事が呼び掛けを続ける。だが、それに対する反応は見られない。その間にもSIT隊員達はMP5短機関銃を手にしながら、目標の家の周辺へと静かに近付く。相手に気付かれたら何が起きるか解らない。それ故にマスコミも含めた周辺の全てに情報統制の要請がなされている。そして、携帯電話などによるライブ配信も無くすために全ての通信会社に要請して、中継基地を停止させた。

 手にしたスマホは圏外になっている。何かしらの方策を取ったのは間違いが無い。情報を制限するのは突入前の予備行動である。次に奴等は電気を潰す。灯りを失い、暗闇となると、人の精神は不安定になる。怯えや恐怖などの不安は犯人に投降を即す。

 SIT隊員は手際よく、家屋へと繋がる送電線を切断する。これには当然ながら電気工事の資格を有する者が安全に注意して行う。実際はこの周辺の電力を一時的に中断している。

 家屋の中の蛍光灯が消えた。室内は完全な闇になる。

 いよいよだった。

 特殊部隊が突入してくる。事件の性質から言って、突入して来る相手はSIT。

 捜査一課所属の特殊部隊。

 短機関銃や狙撃銃を有する特殊部隊だが、制圧よりも逮捕が前提となる部隊である。その為に短機関銃はフルオート機能が無く、単発のみである。

 今度はさっきの連中とは違う。完全に訓練された連中だ。

 確実に殺せるか?

 緊張が高まる。

 手にした拳銃をしっかりと握る。

 SIT隊員達は正面と裏口の二方向からの突入を決めた。正面に犯人が待ち伏せている事を考慮して、相手をそこに釘付けしつつ、裏口から入った部隊が犯人を後方から確保するという作戦であった。

 正面の扉に分厚い防弾盾を構えた隊員が姿を見せる。彼は慎重に中に入った。室内を後方の隊員が強力なライトで照らす。だが、誰も居ない。

 隊員達はゆっくりと前に進む。その時だった。先頭の隊員の脛に何かが当たった。僅かに引っ張った。本人はそんな感じであった。だが、次の瞬間、天井からガランと派手な音を立てて、何かの液体がぶっ掛けられた。

 「ガソリン?」

 匂いで解った。それはガソリンとか灯油の類だった。それが一斗缶のような物に入れられて、天井に吊るされていた。今のはそれを傾けるための仕掛けだったのだ。

 次の瞬間、彼らが燃え上がった。激しい炎が彼等や地面に転がっていた死体を燃え上がらせる。難を逃れた後続の隊員達は突然の業火に怯えてただ、逃げ出すしか無かった。

 それを知らない裏口の部隊は犯人に気付かれぬように裏口の扉をピッキングにて、開錠して、侵入をした。そこは台所だった。食卓の上には使い捨てガスを使うコンロが置かれ、その上に鍋があった。中には油が煮えたぎっているようだ。

 食卓の位置から彼等はどうしてもその横を通り過ぎねばならなかった。三人が二手に分かれて食卓の横を通り過ぎようとした時、銃声が鳴り響く。誰もが慌てて、腰を落とす。だが、銃弾は鍋を撃ち抜いた。その衝撃で鍋は激しく暴れ、煮えたぎった大量の油を周囲に飛び散らせた。

 油を頭から浴びた隊員達は着衣の隙間から流れ込む高温の油にもがき苦しみながら狂ったように暴れ回る。そこに次々と銃弾が撃ち込まれる。無事だった隊員のシールドが砕け散る。そこでもまた、後続の隊員は逃げ出すしか無かった。

 正面玄関部分は盛大に燃え上がっていた。

 さて・・・武器も手に入った。

 油でもがき苦しむ隊員から奪った短機関銃で彼等の命を奪った。そして、彼等の装備を奪い、それを着込む。

 

 捜査一課長は突入班の失態に唖然としていた。

 「捜査一課長、狙撃班に警戒させます。あれだけの火災なら、奴は必ず家から出て来るはずです」

 SITの隊長の意見に捜査一課長は我に返る。

 「あぁ、そうだな。全員、警戒しろ」

 燃え上がる家屋。放置しておけば、周辺にも延焼しかねない勢いだった。その為に消防にも要請が掛けられたが、犯人が確保されていない現状では消防を現場に入れることは出来なかった。

 「周辺を囲む機動隊員には注意をさせろ。相手は短機関銃を所持している可能性が高い。銃対班は必要に応じて、発砲を許可する」

 捜査一課長は冷静に指示を出す。

 この突然の異常事態に現場は混乱を始めていた。周囲を囲む機動隊員達も現場から逃げ出して来たSIT隊員達を救出するのに手いっぱいであった。

 「おい、もう一人、逃げて来たぞ!」

 機動隊員達は駆け寄って来るSIT隊員を見た。

 多くの機動隊員は銃を持たない。彼等の武器はジュラルミンの盾と警棒だ。極一部の部隊だけが銃器犯罪に対抗する為に短機関銃を装備している。そして、機動隊が所属する警備部にも特殊部隊がある。それがSATだ。

 彼等は相手がテロリストなど、大規模な過激な犯罪を制圧する為の部隊だ。それがここに配備されているかどうか。それは解らない。だが、可能性は無いとは言えない。

 だが、暴れるなら・・・ここだ。


 逃げ出して来たSIT隊員は手にした短機関銃の銃把を握る。肩から掛けたスリリングをしっかりと張る。それだけで銃は安定する。そして、引金を引くんだ。

 銃声と機動隊員の中で響き渡る。金属薬莢が飛び散り、最初に倒れたのは銃対班の機動隊員だった。短機関銃を携えていた彼は顔面に一撃を受けて、倒れる。

 それが始まりだった。突然の銃撃に対応が出来る奴なんて、そうは居ない。俺は冷静に脅威となる獲物から仕留めていく。そして、必死に襲い掛かってくる奴。命知らずほど、簡単な獲物は居ない。その巨体を晒して、飛び掛ってくるだけなのだから、その胸元に一撃を加える。防弾チョッキは確かに9ミリパラベラム弾を防ぐ。だが、衝撃までを完全に失くすことは出来ない。彼の身体は一瞬と言え、止まる。その身体に向けて更に発砲を続ける。

 完全な防弾装備など存在しない。シールドは割れるし、隙間もある。だから撃っていれば、次々と機動隊員は倒れる。そして逃げ惑う機動隊の中を私も溶け込むように逃げるのだ。


 捜査一課長は混乱した現場を抑える事が出来なかった。

 想定外の事態が起きた。

 犯人が現場から抜け出し、特殊部隊に紛れて、警察官の中で暴れ回る。

 誰がこんな事態を想定が出来ただろうか?

 いや、それは油断だったのかも知れない。周囲を包囲していると言う警察の油断を相手は狙っていたのだ。

 捜査一課長はこの事態を収拾する事の難しさを思った。相手を囲んでいるからこそ、相手を撃ち殺せない。相手は周囲が全て、敵なのだ。どこでも撃てる。それが恐怖を与える。誰だって、撃たれたくはない。必死で逃げ出す。その波に自らを紛れ込ませれば、ここから逃げ出せるかも知れない。

 犯人の考えている事は解る。解るが、それを妨げる手段を講じる事が出来ない。その無力さをこの混乱に感じながら、ただ、怒鳴るしか無かった。

 

 混乱をどんどん、拡大させる。

 手にした短機関銃を撃ちながら、逃げ惑う機動隊員達の中へと飛び込む。奴等は怯えて混乱している。誰が誰かなんて、すでに解らない程になっている。そうして、この現場から逃げ出す。

 計算では無い。全ては本能のままに動いている。生きるためじゃない。殺す為にどうしたら良いかを考えている。

 ただ、殺すだけではいけない。混乱を最大限に利用するのだ。この窮地から逃げ出し、そして、隠れる。やがて、混乱は収束する。

 全ては時間の問題だった。

 

 SAT隊長は全部隊を投じて、犯人捜索の任務に当たる。すでに事件の指揮権は刑事部から警備部へと移っている。これはただの殺人事件では無くなっていた。所謂無差別テロと認定されたのだ。

 「隊長、逃走した機動隊を再集結させましたが、犯人らしき人物は紛れていません」

 すでに現場から逃走した機動隊や警官隊は再集結をして、点呼を受けていた。現場で死亡したとされる警察官の数は30名を超える事がこの時点で明らかになる。

 「まぁ・・・当然だな。この混乱に乗じて、包囲網から逃げ出した可能性もあるが、そっちは我々の担当じゃない。我々は奴がまだ、この包囲網に居ると仮定して、行動する。各班、5人一組で行動して、探索を行え。奴は留守になっている家の中に潜んでいる可能性が高い。片っ端から家宅捜索を行うぞ」

 SATは一軒一軒、家宅捜索を行うという途方も無いローラー作戦に出た。

 5人一組の隊員達は手にMP5短機関銃を握り、捜索範囲内へと入る。

 

 SATの投入は予定通り。

 奴等はSITと違い、相手を制圧する事を最優先とする。それ故に殺害する事も必要ならば、行うだけの訓練は受けている。そして、手にした短機関銃もフルオートが可能だ。

 だが、所詮はそれだけだ。待ち伏せは用意周到ならば、有利に動く。相手がどれだけ訓練された隊員であっても、容易では無い。ましてや、限られた場所での戦闘では無くなっている。今は街全体が私のフィールドであり、彼らは訓練には到底無い、広い捜索範囲での作戦を遂行せねばならないのだ。

 緊張感は否応なしに高まるだろう。

 本来ならば狩る側なのに、今はいつ狙われるかもしれない狩られる側の恐怖を感じているはずだ。

 手にした短機関銃は確かに強力だ。引き金を引けば、弾丸が尽きるまで銃口から吐き続ける。しかし、それが怖いと思うのは普通の人だ。

 死を無視した存在になれば、怖さなど・・・微塵もない。

 怯えてはダメだ。まともに弾丸が当たる確率など、実際はそうは高くない。相手に狙う隙を与えない事だ。冷静で且つ、大胆に。

 私は路傍の石のように自らの存在を消す。息すら止める。これで死んでも構わないと思うぐらいにだ。そして、SATの隊列が通り過ぎるのをやり過ごす。幾ら注意深く見て回っていても、そんな簡単に見つけられるはずがない。

 そして、私は動く。手にした短機関銃を構えながら相手の背後へと踊り出る。最初の一発は最後尾の隊員の首筋へと撃ち込む。1メートル以下の一撃を外すはずがない。弾丸は首を貫き、防弾チョッキを内側から破り、止まる。その時点で隊員はただ、崩れ落ちるしかなかった。

 銃声が鳴り響いた時、前に進む隊員たちは振り返るしかなかった。訓練通りに短機関銃のセーフティを外しながら。

 だが、私は冷静に彼らの顔面を狙って撃つ。防弾チョッキを着た身体に撃っても意味はない。至近距離からでも9ミリパラベラム弾は止められるからだ。

 確実に殺すには顔面。シールドを突き破るしか無い。その点において、難しい射撃を行う必要がある。反動を固定ストックとフォアグリップでしっかりと抑え込み、連射と言っても冷静に連続射撃を行う。

 その場に居た5人の隊員は反撃をする事も出来ずに倒れた。全ての隊員は顔面に銃弾が叩き込まれ、一撃で絶命している。

 彼等を殺す為に弾倉を使い切った。銃を放り捨てる。そして彼等の銃を手にした。今度はフルオート射撃が出来る。

 銃声は意外と響く。多分、今頃、他のSATのチームが接近しているだろう。倒れた連中の無線機には何かしら指示が飛び交っているのが聞こえる。

 私は再び、暗闇へと姿を消す。

 警察は襲撃を受けた場所を中心に今度は隊員を5人から10人のチームにして、捜索を開始したようだ。流石に10人を一度に殺害するのはフルオートの銃でも難しい。いや、さっきのでも正直、奇跡に近い襲撃だった。防弾チョッキまで着込んだ特殊部隊隊員を殺害するということはそれぐらいにリスクが高い。

 暗闇を静かに移動しながら、彼等を狙う。

 今度は殺害が目的じゃない。こちらの射撃位置を知らせず、狙撃する事だ。

 距離は50メートル。発射炎が相手に見えないように茂みの奥から撃つ。

 伏せた状態で左肘を地面に着けて、それを支点として、銃を安定させる。そして、ダットサイトにて、狙いを定める。狙うのは胸元。防弾チョッキを着ているから当たっても相手を殺す事は出来ないが、目標としては小さい頭を狙って、一発も当たらないというのは愚なので、確実に当てるためにも腹や胸などの胴体を狙うべきだ。

 引金を引く。

 弾丸が次々と吐き出される。拳銃弾とは言え、反動はそれなりに大きい。跳ね上がる銃口をフォアグリップを握った左手に力を込めて、抑える。

 銃弾は先頭の隊員の胸元などに当たる。彼はその衝撃で背中から倒れ込む。続けて、別の隊員にも銃弾が当たっていく。

 弾倉が空になる前に残りの隊員は銃弾から逃げていた。彼等は反撃をする事も無く、まずは身を伏せる事で精一杯だった。私はその間に弾倉を交換しながらその場から逃げ出す。

 SATは混乱した。今の銃撃でも一人の隊員が胸と顔に銃撃を受けて、死亡したからだ。他の隊員達も腕などを負傷している。相手はフルオートの短機関銃を手に入れて、あまりにも危険であった。

 指揮を執るSAT隊長も苦渋の表情を浮かべる。

 このまま、数で攻め立てる方法もあるが、そうなれば、被害を著しく増やしてしまう。警察にとって、この状況は倒的に不利であった。そして、愛知県警本部からだけじゃなく、警察庁からも対応に苦慮を呈する発言があったことが伝えられ、彼の心は折れそうだった。

 これは警察だけに限ったことでは無い。

 狂暴な殺人鬼をいつまでも逮捕が出来ずに居るという点において、すでに責任は政府にまで届きそうだった。

 総理大臣は事態の推移をテレビで眺めながら眉間の皺を深くする。

 現場からSATは一時的に引き上げた。周囲を囲む包囲網は更に密度を高められ、街から蟻一匹として逃がさぬようにしていた。

 「このまま、兵糧攻めってのも良いじゃないかな?」

 誰かがそう呟く。

 「バカ。家やコンビニに忍び込めば、食料には困らないよ」

 誰かが答えたように、時間稼ぎは通用しない。ただ、この街の機能が麻痺したままになるだけだ。 

 そんな言葉が聞こえたかどうか。総理大臣は決断した。

 「治安出動だ」

 緊急に集められた閣僚達は驚きの顔で総理大臣を見た。

 「治安出動・・・相手は一人・・・しかもテロとは無縁ですよ?」

 閣僚の一人がそう告げる。

 「解っている・・・それで、その一人にSATが撃退されたという失態は誰が責任を負うのかね?」

 総理大臣は嫌味を言う。それで誰もが黙った。

 「治安出動となると・・・自衛隊ですが・・捕まえるとなれば、状況は変わらないかと・・・」

 防衛大臣は額の汗を拭いながら答える。

 「捕まえる?テロリストじゃないんだろ?事件に裏が無いなら都合が良いじゃないか・・・殺せ。とにかく凶悪な犯罪者を野放しにしている状況を何とかするんだ」

 総理大臣の言葉に防衛大臣は慌てて、その場に居た防衛省官僚に指示を出した。

 

 統合幕僚本部では突然の指示に騒然とした。

 このような事態に対する防衛出動など想定していないからだ。

 「相手はサブマシンガンを手にしているとは言え、ただの一般人だろ?」

 「警察からの情報だと、まったくの素人です」

 「そんなの相手に自衛隊が自動小銃で撃ち殺したとなれば、世論がどう動くか解らないぞ。防衛大臣の決意は変わらないのか?」

 飛び交う議論。

 多くは出動に反対であった。

 元々、自衛隊の出動に関しては世論は厳しい。それが犯罪者とは言え、一般人を殺害したとなれば、どんな事になるか。

 「総理大臣は事態の早期解決を優先しているようだ。我々はこの事態を回避が出来ない。こうなれば、出来る限り、殺害せずに捕まえることを視野に入れつつ、行動がするしかない」

 「だとすれば、投入するのはアレか」

 議論は尽きた。

 

 陸上自衛隊で最強であり、その真相は秘密にされた部隊。

 特殊作戦群

 命令を受けた彼等は即座に動き出す。

 「可能な限り、捕縛する。ただし、殺害も可能だ。危険を察したら殺せ」

 投入されるのは一個小隊。

 小隊長は冷静に部下に命じる。

 消音器付のM4A1自動小銃を携えた部下達は厚木基地へと移動して、輸送機にて、小牧基地へと飛び立った。

 

 SATが遠ざかり、街は静かになった。

 手にした短機関銃とレッグホルスターに納めたH&KUSP自動拳銃。そして、ニューナンブM60回転式拳銃。

 たった一人で数百、数千の警察官と戦うには不十分だった。

 そんな事は最初から解っている。

 最後は自分は殺される。

 殺されるために・・・自分は戦う。

 これから多くの人間を殺す自分がその最後に殺される事を望むなんて、あまりに矛盾だと思うが、だが、それが自分の歩む道なのだ。

 

 深夜近く、自衛隊が到着した。その場の空気が一変する。

 なんとも言えぬ臭いが漂う。ただ、それが何なのかを解る者は居ない。

 街の雰囲気が変わった気がする。

 人を殺した私には解る。

 殺せる奴等がこの街に来た。

 「そうか・・・ようやくか」

 私は銃を携える。

 本当の戦いがこれから始まる。

 そして、自らの死への歩みが。

 

 トラックから降りた自衛官達は慎重に街中へと入っていく。防犯灯と月明かりしか無い街中を彼等は暗視ゴーグルで見渡しながら進む。彼等は知っている。暗闇において、暗視装置の有無は大きい。

 訓練された彼等は素早く、それでいて、慎重に。

 音も立てずに進む彼等の動きは簡単には読めない。待ち伏せする事が難しいと言う事だ。

 死ぬために戦うのだ。

 勇猛果敢に散ろう。

 どのように散ったとしてもただの犯罪者なのだから。

 私は短機関銃を撃った。

 銃弾は隊列を真横から撃ち抜いた。彼等は慎重に索敵をしていたはずだ。だが、それでも隠れた敵を発見する事の困難さを知っただろう。

 3人が倒れる。死んだかどうか解らない。弾が切れた。短機関銃を投げ捨てる。腰からニューナンブを抜いた。

 腹が熱い。多分、弾が貫通した。次々と撃ち込まれる弾丸。

 左腕

 右足

 次々と撃ち抜かれる。

 弾丸はこの身体を貫く。

 死ねる。

 これで死ねる。

 私が伸ばした右手の先にある黒い塊は火を噴いた。

 38スペシャル弾が自衛官の顔面を穿った。

 それが私が見た最期の光景だ。

 どうだ。

 誰もが私を刻んだだろう。

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