殺して欲しいと懇願しても殺さない

 人は普通に暮らしていると色々と退屈だと思う事がある。趣味の多い奴なら、そう言った退屈を誤魔化す事が出来るだろうけど、俺は違った。趣味など何もない。ただ、苛立つ事があれば、我慢するしか無かった。不条理でどうにもならない不満。それを時間が経つまで我慢する人生。

 そうして、35年間を過ごしてきた。親はすでに居ない。兄弟も居ない。嫁も居なければ、子どもも居ない。親戚だって知らない。完全に孤独だ。家に帰れば、冷たい空気だけがそこにある。狭いアパートでただ、コンビニ弁当を食う。それだけの毎日。だが、それでも実直に生きる。それだけが取り柄だった。どれだけストレスを抱えても、我慢する。怒られても何をされても、顔は笑顔でいる。そうやって、日常を守っている。

 たまに街中ですれ違うようなDQNなんて呼ばれるような連中みたいに自由に振る舞えたら、どれだけこの心の曇りは晴れるのだろうかと想像する事はある。だが、それは決して実行には至らない。今の自分の人生があるからだ。それを捨ててまでは、何も出来ない。


 そんなある日、俺は仕事上のミスの為に上司から叱責された。だが、そのミスは自分では無く、上司の連絡の行き違いが原因である事は解っていた。だが、彼は俺に全てのミスを被せた。まぁ、会社ではよくあることだ。腐った上司程、自分のミスを認めたがらない。俺は同僚達の前で散々、罵倒された。だが、それで済めば楽なもんだ。感情を殺し、ただ、聞き流せば良い。

 30分に及ぶ叱責は終わり、始末書を提出するように言われ、席に戻る。同僚の奴等はそんな自分を見て、笑っている。俺が集中的に叱責を受けるには理由がある。それは単純に学歴が低いからだ。とりあえず、大卒ではあるが、地方の名も無き大学だ。それに比べて、同期や後輩はとりあえず、東京六大学や地方でも有名な大学を出ている。それだけ、上司からは差別されている。これは被害妄想では無く、本当の事だ。仕事も面倒で厄介な仕事だけが回される。だから、ミスも増える。それに対する上司の支援も無い。

 それなりに有名な企業に入ったばかりにこの様か。10年以上、働いて、つくづくそう思った。本当なら、3年程度で辞めると思われたらしい。人事の奴が馬鹿にしたように「お前は常にリストラ候補なんだぜ」とか言うからそうなんだろう。クソみたいな会社だ。こんな会社の為に俺は必死に働いているのか。何ともやるせない感じだった。

 会社を辞めれば良かった。多分、その程度で事は全て丸く収まるのだ。次の就職先を考えれば、気が重いが、今の悩みからは解放される。そうしようと思っていた。だが、その矢先、問題が発生する。

 後輩が大きなミスをやらかした。無論、俺には非は無い。そもそも関わってもいない仕事だ。上司から説教を受けた後輩は可愛そうだが、青い顔をしている。世の中なんて、そんなもんだと思いつつ、仕事をしていると、ある日、呼び出しを受ける。

 「後輩のミスはお前の指導が足りなかったからだ」

 あまりにくだらない理由だった。後輩には目立ったお咎め無しで、俺だけ散々、説教を受ける。更には減給処分だそうだ。このまま、労働基準監督署でも行こうかと思ったが、そんな事に使う暇など無い。ただ、毎日の仕事に追われるだけだ。

 後輩の馬鹿野郎は俺に謝りもせずに今日もフラフラと仕事をしてやがる。そんなに有名大学を出たら偉いのだろうか?それとも親戚か何かにコネでもあるんだろうか?まぁ、あいつのことを詮索するのですら、馬鹿らしい。とにかく、俺はこの会社ではお荷物らしい。俺としては確実に利益をこの会社にもたらしていると自負しているのだが、そう思われるならそうなのだろう。辞めてしまおうか・・・辞めてどうする?この年齢で、新しい就職先を探すのも辛いな。

 俺は昼飯を外で食べる。少しでも遅れたら、すぐに上司が説教をするから、急いで帰る。他の奴等はそうでも無いのにな。だが、今日は何となく、帰る気になれなかった。休憩時間がどんどん消える。このままだと遅刻だろう。

 「辞めようかな」

 そう思った時、俺は不意に何か、どうでもよくなった。生きている事さえもだ。死んじゃおうか。そんな気持ちがふつふつと湧いて来る。フラフラと街中を歩く。その時だった。誰かの肩にぶつかった。いや、それは自分がぶつかったと言うより、ぶつけられたのじゃないかと思う。振り返ると、背広姿の若い男が立ってる。一見すると普通のサラリーマンのように見えるが、その眼光は思った以上に鋭い。

 「おい・・・ちょっと、こっちへ来て貰えるか?」

 彼は私の右腕を掴む。その握力はとんでも無く強い。きっと喧嘩も強いのだろう。そして、これから行われる事は、カツアゲか・・・それとも別の何かか。何にしても私は肉食獣に睨まれた草食動物のようなものだ。すでに彼の鋭い爪が皮膚を裂き、逃げられぬように肉に食い込んだ状態であろう。私に逃げるチャンスなど無い。

 彼は路地裏へと私を連れ込む。私は何も抵抗が出来ずにいる。

 「よう・・・あんた、ちょっと・・・良い話があるんだけどな?」

 話し方こそ、何かの交渉のようではあるが、決して、それは断る事の出来ない感じだった。

 「わ、私に何か?」

 「あぁ・・・あんた・・・戸籍を売ってくれないか?」

 「こ、戸籍?」

 「あぁ・・・あんた・・・今の自分に不満だろ?」

 「不満?」

 「あぁ・・・解るんだ。俺にはよぉ・・・今の自分を殺して生きている奴の気持ちがよぉ」

 男の言葉はグサリと心を貫く。確かにその通りだった。こんな下衆な男に見透かされた事に苛立ちを覚えるが、彼の言う通り、今の自分は嫌いだ。自分を何度も殺して、今、生きている。逃げ出す事も、死ぬことも出来ず、ただ、心を殺して生きている。

 「だから・・・戸籍を売ってくれよ」

 迫って来る男。甘言のように思えるか。それはただ、苦しいだけだった。

 「止してくれ・・・俺は・・・そんな事・・・知らない」

 詰まりそうになりながら、言葉を吐き出す。

 「ああん?俺の頼みが聞けねぇのかよ?」

 男はいきなりキレた。質の悪い感じだ。相手はそれほど、本気じゃない。数発、殴られるぐらいで終わるだろう。多分、暴力を覚えさせることで、警察にチクったりするのを防ぐためだろう。それは冷静に考えて、解る。怯えていれば、すぐに済む。それだけの事だ。それを解っているのに、俺は・・・。

 「痛ぇ」

 何の前触れもなく、軽く放たれたジャブは男の顔面を捉えた。鼻っつらを叩かれて、彼は予想外だったのか、少しヨロメク。

 「おっさん・・・本気か?」

 鼻っ面を叩かれて、本気で怒ったらしい。ボクシングの構えをする。

 「こっちはこれでも、鍛えてるから・・・殺さない程度にサンドバッグしてやるよ・・・簡単に倒れるなよ?」

 そんな言葉を聞きながらも、特に何の構えもしない。武道の構えには意味がある。攻撃、防御、回避。これらを最も合理的に行える体勢である。すなわち、戦闘に入る段階において、構えを取らないというのは、無防備かつ、攻撃力を有さない。すなわち、的だ。彼もそう考えたのだろう。構え一つで相手の力量は解る。構えすら取らないとなれば、素人以下。木偶の棒を叩くのはまさにサンドバッグ。

 男の右ストレートが顔面に襲い掛かる。ジムに通っているだけあって、プロには及ばないが、そこそこのスピードだ。素手で当たれば、歯ぐらい折れるかもしれない。ただ、彼が素人だと言えるのは、素手で頬骨などが近い顔面を殴るという事は単純に自分の手も痛める可能性が高いだけである。

 左足を数センチ退け、顔を微かにズラすように身を翻す。たった、数センチの移動で彼の拳は頬を掠めるだけで、突き抜けた。彼は一瞬、何が起きたか解らなかったはずだ。確実に当てるつもりで放った一撃が掠めただけで終わった。来ると思っていた拳への反動が無かった。それはすなわち、自分の頭の中にあるイメージと現実が相違した瞬間。彼の筋肉は強張り、すぐに戻せない。体重を乗せた右足も杭を打ち込んだように動かせない。

 全て、解っている。奴はこの瞬間、木偶の棒になった。目は確実に私の顔を追っている。当てるつもりだった私の顔を。それを見ながら、彼の懐に入り込む。そして、背中を彼の胸に当てながら、彼の伸びきった右腕を掴んだ。それだけで、彼は尻餅を着いた。倒れ際に掴んだ腕は放しているので、彼は勢いのまま、倒れ、後頭部を打った。

 全ては一瞬の事だ。彼自身も何が起きたか解らずに倒れているだろう。

 「はっ・・・はぁ?て、てめぇ・・・はぁ?」

 何が自分に起きたか。解らずに混乱する男。

 「悪いが・・・あんたのにわかなボクシングじゃ・・・間違って人を殺すぞ?」

 「な、何を言ってやがる?」

 「本気でボクシングをやっている奴・・・本気で格闘技をしている奴は、そんな無鉄砲に暴力を振るわない。やるとしても、最後の一線を越えないようにやる余裕を持っているんだ。あんたのパンチにはその余裕が無い。いつか、間違って、人を殺すな。・・・それが嫌なら、もっと、真面目にボクシングをやるか・・・堅気に戻りな」

 「おいおい・・・おっさんが・・・何を舐めた事を言ってやがる?」

 男は立ち上がった。当然だろう。後頭部を打ったとは言え、ただ、倒されただけだ。ダメージは小さい。本人からすれば、マグレ程度だと思っている。

 「無駄だ・・・悪いが・・・俺もこれまで・・・必死になって我慢して来たんだ・・・お前だって堪えてくれないか?」

 湧き上がる鼓動。今まで必死に堪えてきた。心の中のどす黒い竜が蠢こうとしている。押さえないといけない。そうやって、今までずっと我慢してきたじゃないか。この程度の不条理で、何でキレそうになっているんだ?

 心を抑え込もうとする。目の前に居る奴の事などどうでも良い。私の心の中を抑えないといけない。

 「何が・・・殺すだ?マジで殺す時はこういう物使うんだよぉ」

 男は懐から何かを取り出す。それは黒い物体。

 「拳銃か?」

 男の手には金属の塊が握られている。その形。一目でそれが拳銃だと解る。ただし、前からでは拳銃全体の形状が解らないので、ただ、拳銃とだけしか解らない。

 「どうだぁ・・・ビビったか?怖いなら、そこで土下座しろ!」

 クソみたいな男だ。腕力で勝てないと解ったら、武器に頼る。その事を卑下はしない。当然の行為だ。武器は元々、そうして、生まれ、使われる物だからだ。腕力には個人差がある。根本的な体格差は覆す事は出来ず、ただ、ひたすらに優劣が決まるのが人間である。それを唯一、覆す方法は武器に頼るしかない。武器は人を選ばない。使いこなす事が出来れば、それは肉体の延長として、力を与える。

 「ははは。早くしろぉ!撃つぞ!」

 男は笑っている。頭の打ちどころでも悪かっただろうか・・・それともこいつもあの使えない後輩と同じだろうか?自分がダメな事を全て他人に押し付け、我儘のし放題。親の顔が見てみたいと思わせる輩。

 はぁ

 軽く嘆息する。その行為が男を更に苛立たせたようだ。

 「てめぇえええええ!舐めるなよぉおおお!」

 何に向けて怒鳴ったかは知らない。だが、奴は撃つつもりだ。さっきから引金に指が掛かりっ放しだったたが、その指に力が入るのが解る。こいつは銃に関しても完全な素人だ。一発でも撃った事があるのだろうか?あまりに怪しい手つきで銃を撃とうとしている。

 最初の一歩。右足は素早く、それでいて、滑らかに出す。その動きに相手の焦りは最高潮となる。多分、間違って奴は撃つ。撃つつもりだったか、そうじゃないか。それは私には解らない。ただ、その動きは完全に撃つものとして処理している。銃口から目を離さない。拳銃は確かに怖い。だが、恐れてはならない。所詮、銃というのは引金を引いた時点で、射手の意思から離れた存在になる物だ。引金を引いた瞬間に向けられていた銃口以外に弾は飛ばない。飛ぶとすれば、欠陥品だ。すなわち、銃口を見て、相手が撃つ瞬間、その銃口から身を躱せば良い。そうすれば、弾を躱せる。

 相手の指が引金を引いた。グッと力が込められた人差し指。それは堅い引金に阻まれる。普通はそこから更に後ろへと引金が動くはずだった。安全装置?男は焦りの中でそう思った。

 「悪いが・・・お前の拳銃は撃てない」

 彼の拳銃の銃身を鷲掴みにしている。前からしか見えないので、相手の拳銃が何か解らなかったが、スライドがフレーム全体に乗っているデザインなのは解っている。比較的、新しい拳銃である事から、ショートリコイルの拳銃だろうと推測して、敢えて掴んだ。自動拳銃の場合、一部の例外を除くと、ショートリコイルの機能を妨げられると射撃が出来ない構造になっている。すなわち、スライドその物の動きが阻害されると、撃てなくなる。

 「何も知らずに銃を使っちゃダメだな」

 男は唖然としている。まさか、拳銃が使えなくなるなんて思わなかったのだろう。素人はこれだから困る。自分が使っている道具を熟知する事は、何を通じても大切な事だ。使えれば良いじゃない。道具を最大限に使う。それが大事である。

 「は、離せよ!離せ!ぎゃあぁ!」

 拳銃を握る手とは一見、しっかり握れているように思えるが、人差し指は銃から離れ、自動拳銃のように銃把に弾倉が内蔵されている場合、握りはどうしても、甘くなる。そもそも、剣などと違って、しっかりと握って使うという代物じゃない。それ故、銃身をしっかり握られた上で、グルリと捻り上げれば、無理に捻られた手首と指に痛みが走り、離れる。

 私の手に残ったのは、一丁の拳銃だ。それをゆっくりと左手で銃把を握る。黒い塊はドシリと重いと思ったが、実際は見た目程度の重さだ。当然ながら、実物の拳銃を持つのは初めてだ。それを右手に持ち替える。

 「ひぃ」

 右手首を左手で押さえた男は目の前に向けられた銃口に怯える。

 「ふん・・・銃口を向けられると怖いだろ?それが普通の感覚だ。お前はそんな危ない物を他人に向けたんだ。このまま、撃たれたとしても・・・解るよな?お前に撃たれそうになって、もみ合いなった時に発砲してしまったの一言で、俺の正当防衛は成り立つ。そういう事だ」

 その言葉をどこまで正確に理解したかは解らない。だが、男は絶望的な表情になった。

 「良い顔だ。死にたく無かったら、こいつの弾と弾倉を寄越せ」

 「えっ?」

 驚く男。

 「えっ?じゃない。こいつの弾と弾倉で許してやると言っているんだ。俺もさすがに、腹が立って来た。早く用意しろ。撃ち殺すぞ」

 男は慌てて、ポケットから弾の入った箱と弾倉1本を取り出した。

 「これだけか?」

 「は、はい」

 「じゃあ・・・散れ・・・早くしないと、そのスカスカの頭に風穴を開けるぞ?」

 男は飛び跳ねるようにして、逃げ出した。路地裏に残された一人。手には拳銃。それを眺めた。

 それはシャープなデザインの拳銃だった。全体的に斜めに切れ込んだようなデザインとなっており、鋭さを感じる。大きさは見た目より小さく感じる。シングルカアラムの弾倉を採用しているせいだろう。手がそれほど、大きくない日本人の自分にも馴染む感じだ。

 

 ワルサー社 P5自動拳銃


 戦後、ワルサー社は戦時モデルだったP38をP1として製造販売を続けた。そこからP38をベースにモデルが開発され、西ドイツ警察の正式拳銃のトライアルに合わせて開発されたのがP5である。これもP38と同様の機構を備え、内部に関してはほぼ、P38である。部品脱落などの問題点を解決した結果、シリーズとしては最も良い物に仕上がった。

 ただし、ワルサー社特有の価格面でのデメリットが大きく反映して、採用は極少数に留まってしまったために、販売自体もそれほどは大きくは無い。だが、品質、性能共に高い水準であり、当時、共にトライアルを受けたH&K社のPSPやSIG社のP226と引けは取らなかった。

 「思ったよりも良い銃を使ってやがるな」

 そこら辺のチンピラが持つ拳銃じゃない。確かに銃の知らない奴からすれば、マイナーな拳銃だ。見た目だって、カッコイイと思うのは拳銃マニアだけで、普通の人からすれば、ちょっと奇抜過ぎてと倦厭するかも知れない。

 「悪くない・・・実に悪くない」

 俺は拳銃をポケットに突っ込み、歩き出した。

 ひょんなことから拳銃を手に入れた。普通の生活をしていたら、実物の拳銃を手に入れる事など、まずは無いだろう。これはとても面白い事になった。人生の最期を全ての我慢を解放するんだ。

 俺は拳銃をポケットに入れて歩き出した。この手の武器を所持して街中を歩く背徳感。強くなったような気分よりもそちらの方が強い。だからと言って、それが嫌ってわけじゃない。何かスリルを感じて、生きている感じがする。

 俺は会社の近くで時間を潰した。普段なら、仕事をしているはずのビルを見ながら、近所の喫茶店でコーヒーを啜る。悪くない感じだ。スマホは切っているので、何も解らないが、多分、上司は怒って、何度も電話しているだろう。俺が居ないとどうにもならない事もある。

 いや

 優秀な人達が多いんだ。頑張ってやってくれるだろう。そうだ。俺など居なくてもやれるはずだ。そう毎日、怒鳴っていたのはあいつなんだからだ。

 やがて、時刻は終業となり、残業タイムとなる。ここからはいつ、奴が出て来るか解らないので、喫茶店から出る事にした。いつもなら2時間程度の残業をして帰るはずだ。派遣やパート従業員が定時で帰って行く。彼等を眺めながら俺は静かに時を待った。

 午後7時前。一人の男がビルから出て来た。彼に気付かれぬように背後を歩く。疲れたように彼は地下鉄の入り口へと向かっていた。彼の家は職場から電車で1時間の場所だ。さすがにそれだけの時間を追跡するのはゴメンだ。

 「おはようございます」

 耳元で声を掛ける。男は驚いて振り返った。そいつは俺を散々罵倒してきた上司だった。

 「お、お前・・・今更・・・何を・・・」

 余程驚いたのか、まともに物が言えない。

 「すいません。少し、トラブルがありまして」

 俺はポケットから拳銃を取り出し、彼の腹に突き当てる。銃口が当たったままでは自動拳銃は発砲が難しいが、この場合は発砲を考えていない威嚇なので、問題は無い。

 「な、なんだ?」

 上司は突然、堅い物体を腹に押し当てられ驚く。

 「拳銃ですよ。さっき、チンピラから手に入れまして」

 「じょ、冗談だろ?こんな・・・玩具」

 「玩具かどうか・・・試しましょうか?」

 グイッと押し込む。普通なら、ただ、撃てないだけとなるが、相手が銃の知識が無い場合、むしろ、押し当てられる事で恐怖感が増す事もある。

 「や、止めろ。望みは何だ?今まで、散々、怒鳴ったことか?それなら謝る。すまない。やり過ぎたと思っている。仕方が無いんだ。不満を解消して、職場内を丸くしようと思ったら、ああするしか」

 上司は怯えているのか、よく口が回る。さっきとは大違いだ。

 「まぁ、ここではアレですから、場所を変えましょう」

 俺は上司を引き摺るようにして、路上で止めたタクシーに乗り込んだ。

 「た、助けてくれ」

 上司はタクシーの運転手に救いを求めた。運転手は何事かと驚いた表情をする。

 「はぁ・・・あなたって人は他人を安易に危険に巻き込んではいけませんよ?」

 俺はそう言って、運転手に銃口を向けた。

 「走らせろ。不穏な動きをしたら、撃つ」

 「じょ、冗談ですよね?」

 顔が引き攣る運転手の前で、俺は後部シートに倒れ込む上司の太腿を撃った。乾いた銃声と共に金ぴかの薬莢が飛び散り、銃弾は太腿を貫通して、シートに突き刺さった。真っ白なシートカバーは一瞬にして血に染まる。

 「ぎゃあああああ」

 悲鳴を上げる上司。

 「早くしろ。殺すぞ?」

 「は、はい!」

 タクシーの運転手は慌てて、走らせた。

 「行先は・・・」

 場所は埼玉県の山奥だ。あまり人気のない場所だと思う。喫茶店で適当に探した場所だから、よく知らない。

 「痛い・・・痛い」

 上司は足を押さえながら、泣いている。

 「あんた、そんな顔をして泣くんだ?」

 初めてみる上司の泣き顔に新鮮さを感じる。

 「あ、あんた、一体?」

 タクシーの運転手は緊張しながらも声を掛けて来た。多分、この緊張に耐えられないのだろう。

 「あぁん?サラリーマンだよ。ただのサラリーマン」

 「ただのって・・・その拳銃は・・・」

 「チンピラを教育してやったら、置いていったんだ」

 怯える運転手に笑いながら答える。

 「や、やめろ。俺が悪かった」

 卑屈に声を上げる上司の額を銃把の尻で殴る。額は割れ、血が流れ出す。痛さで上司は唸っている。

 タクシーは都内を抜け、徐々に人気の少ない場所へと入って行く。時刻も夜の10時になろうとしている。閑散とした山道には灯りも少なく、運転手も怯えながら運転している様子だ。

 「事故を起こすな。お前さんを殺すつもりは無い。ちゃんと仕事をしてくれれば、助けてやるから」

 運転手が安心するような言葉を投げ掛ける。それだけで運転手の気持ちは落ち着いたようだ。そして、山の中へと入ったタクシーは予定の場所に停まった。

 「お、お客さん・・・これっ」

 銃声が鳴り響く。運転手の後頭部から飛び込んだ銃弾は彼の脳を貫き、右目を破裂させ、飛び出し、フロントガラスを破った。当然ながら、彼は即死した。撃たれた瞬間、痛かっただろうか?俺の解らない事はそれだけだった。

 「ひぃいいいいい!」

 上司は倒れる運転手の身体を見て、悲鳴を上げた。

 「悲鳴を上げるなよ。外に出ろよ」

 上司を押し出すようにして外へと出た。上司は足を撃たれているので、動きが悪い。

 「逃げるなよ。痛い思いするぞ?」

 そう脅しながら、タクシーの運転席を開き、給油口を開く。給油口の栓を外してから、少し距離を離れて、拳銃を向ける。

 よく、車に銃弾が当たって、派手に爆発するシーンが映画などにあるが、実際にはそんな簡単では無い。ガソリンに引火させようと思えば、ガソリンタンクが引き千切られるぐらいの破損を与える必要がある。ガソリン自体は気化しないとすぐに引火とならないからだ。だから、こうして、栓を開き、気化したガソリンが周囲に出るのを待つ。そこに向けて発砲をする。高熱の銃弾が鉄の車体に当たる事で、飛び出る火花がそれに着火する事が出来れば、タクシーは燃え上がる可能性があるわけだが、それでも爆発からは遠いだろう。

 狙いを定めて、発砲する。銃弾はタクシーのボディに当たって、火花を散らして、跳ね飛ぶ。三発目でガソリンに火が点き、軽い爆発が起きた。ガソリンタンクが破裂したのだろう。ガソリンタンクがある後部座席の後方から一気に火の手が上がり、炎が燃え上がる。中に残されたタクシーの運転手もその姿を炎の中に消した。

 「さて・・・ここから離れるか」

 今のタクシーはGPSなどで監視されている。何か事故を起こせば、その信号を会社に送っている可能性はある。まだ、車内映像を飛ばすまでは無いと思って、車内の映像を処分するのと同時に証拠を消すためにタクシーを燃やしたが、そうであれば、自分は逃げられないだろう。

 上司を連れて、山道を歩く。足を撃ち抜かれている上司の歩みは遅い。

 「も、もうダメだ。歩けない」

 まだ、1キロも歩いていないのにそんな事を言っている。

 「ふん・・・ここで満足するまで拷問して殺してやろうかと思ったが・・・」

 俺は上司にそう告げる。彼もそれが解っていたのか。あまり興味の無い様子だ。

 パン、パン、パン

 銃声が鳴り響く。上司の無事だった方の足も撃ち抜いた。それと両腕も彼は痛みで叫ぶ。

 「まぁ、お前は生きていろよ。俺はこれから戻って、お前の奥さんと娘を殺すよ。確か、娘は5歳だっけ?」

 「や、やめろ。妻と娘は関係ないだろ?」

 「関係あるか無いかは知らないね。お前が生きたまま、地獄に堕ちる顔が見たいだけだからな。それと、会社の幹部連中やあの使えない同僚達も殺してやるよ。たっぷりと苦しめてな。お前が無事に見つかった頃には全てが無くなっているかもな・・・。その時の顔が見てみたいな」

 俺は四肢を撃ち抜かれて転がっているしか出来ない上司を見捨てて、歩き出した。時間は無い。タクシーが行方不明となれば、夜明けぐらいから捜索が始まるだろう。監視カメラやオービス映像からこの場所が発覚するのは時間の問題。

 「さぁ・・・どこまでやれるか・・・ゲームの始まりだ」

 手にしたワルサーが鈍く輝いた。

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