聖女は慈悲深く、撃鉄を起こす。祈りを捧げるように引鉄を引いた。
イタリアの片田舎。小さな教会で祈りを捧げる一人の女。名をリーザ。癖の強い金髪をボサボサにしているせいで、綺麗な顔をしているのに、あまりパッとしない風体だった。服装も地味で、素っ気ない。ただ、彼女はとても信仰心が厚く、教会の仕事を誰よりも熱心に行った。
若い頃は修道女になろうとしていたが、病気がちの母の代わりに兄弟の面倒を見ないといけないから、その望みは達せないまま、過ぎてきた。無論、修道女になるのに、年齢は関係ない。兄弟の面倒が終わったら、すぐにでも修道院に入ろうと思っていた。
そんな彼女の日課は教会で祈る事から始まる。そして、掃除をしてから、仕事へと出かける。働く事は大事だ。勤勉でなければならない。嘘も言わない。人を妬まない。ただ、一日、一日を正しく生きる。それが彼女の願いだった。
教会や修道院、美術館はイタリアの宝である。マフィアはここで騒ぎを起こさない。ここで騒ぎを起こせば、八つ裂きにされるのが掟だ。まるで結界に護られているように静寂に包まれる教会。
それとは正反対に街の裏へと回れば、犯罪の臭いが漂っている。
犯罪者からチンピラ、マフィア、テロリスト。
イタリアのちょっと大きな街の裏にはこんな奴等が掃いて捨てる程、居る。
「マルコぉ・・・てめぇ・・・どういうつもりだ?」
イタリアの高級ブランドの背広に身を包んだ男は、目の前の石畳に倒れ込む若者を怒りに満ちた瞳で見下ろす。
「トッティさん、す、すいません。だけど、変なんです。俺はヤクなんて、流した事が無いのに・・・」
「だったら、なんで、シマでヤク漬けが増えてんだよ?」
男は若者を蹴り飛ばしながら尋ねる。
「ほ、本当に知らないんですよ。勘弁してください」
「ちっ・・・解った。だが、誰が俺らガネッティ家の縄張りでヤクを流しているかを探って来い。見付けられ無かったら、てめぇをあの世に送ってやる」
「わ、解りましたよ」
若者はその場から走り去った。
礼拝堂の掃除を終えたリーザは静かにマリア像に向かって祈りを始めた。ただ、静かに。誰も居ない礼拝堂の静寂の中で、ステングラスからの色鮮やかな光に包まれたリーザ。
バタン
礼拝堂の扉が開かれる。
彼女は振り返った。そこにはボロボロの若者が立っていた。
「マルコ・・・どうしたの?ボロボロじゃない」
彼女は若者を知っている。彼は幼馴染のマルコだ。家が隣で、同じ歳なので、ずっと兄弟のように育った。
「リーザ・・・あぁ、ちょっとね」
彼はハニカミながら、礼拝堂に入る。
「あなたも祈りに?」
「あぁ・・・少し、祈りたくなったよ」
マルコはマリア像の前に屈み、祈りを捧げる。幼い頃からやってきた事だ。敬虔なクリスチャンであるマルコは毎週、日曜日の礼拝も欠かさない。それはマフィアだろうと同じことだ。
「あなたもマフィアなんて辞めて、真面目に働きなさい」
リーザはマフィアに入ったマルコの事が心配だった。マフィアなんて、いつ殺されるか解らない。親じゃなくても心配するのが当たり前だ。
「俺は頭が悪いから仕方がないよ。これでもそれなりには兄貴から頼られているんだ。その証に銃だって、渡してくれたしよ」
マルコはボロボロのジャケットの内側に隠したヒップホルスターから拳銃を取り出す。
ベレッタ社 M8000クーガー 自動拳銃
ベレッタ社の大型自動拳銃はワルサーP38を参考としたとされるロッキングシステムを採用したM92Fだった。独特のロッキングシステムにより、スライドに大幅なカットを入れる事が出来たなど、大きなメリットはあったが、9ミリパラベラムよりもハイプレッシャーな弾丸に対して、対応が出来ないという問題が発生した。
時代は防弾チョッキなどの発達により、9ミリパラベラムよりもパンチ力の高い45ACP弾など、大口径、または高圧力による高い貫通力を有した銃弾の使用を求める傾向にあった。
ベレッタ社は世界的な流れを汲み入れるべく、まったく新しい拳銃を開発する必要性に迫られた。そこで開発されたのがロータリーバレルロッキングシステムである。これはバレルにログを設置して、スライドの後退に合わせてバレルが回転することで、ボルトアクションのようにログの組み合わせで閉鎖されていた薬室が解放されるシステムである。これはショートリコイル式のロッキング方式としては画期的で、尚且つ、ティルトバレルと違い、銃身が上下に動く事がないために、命中性能を高める事が出来ると期待された。
ベレッタ社はこの方式で大口径の拳銃弾を用いる拳銃をシリーズ化する事になり、PX4などを生み出している。
黒光りするその拳銃をマルコは自慢気にリーザに見せる。
「何よ。拳銃なんて持って・・・不良ね」
「不良で悪かったな。生きていく為には必要なのさ」
「マリア様の前で不遜よ。早くしまってちょうだい」
リーザの嫌悪するような目に驚きながらマルコはヒップホルスターに拳銃をぶち込む。
「怒るなよ。俺はちょっと野暮用で出掛けて来るから。ひょっとすると暫く、ここには来れないかも」
「野暮用って、マフィアの?」
「あぁ、ちょっとね。じゃあ」
マルコはそれ以上、何も言わずに教会から出て行った。
リーザはそれを心配そうに見送り、いつも通りの生活に戻った。
それから数日が経ったある日。その日もリーザは礼拝堂の掃除を終えて、マリア様に祈りを捧げた。
ガタン
扉が蹴破られるように開け放たれた。あまりに乱暴な開け方にリーザは怒りながら振り返る。そこにはマルコの姿があった。彼はボロボロになり、額から血を流していた。
「マルコ!」
リーザは彼を呼ぶ。
「リーザか・・・。逃げろ。奴等が来るかも知れない」
「奴等って?」
「この街にヤクを流していた連中だ」
「ヤク?」
リーザは突然の事にオロオロしている。
「とにかく逃げろ。奴等は異教徒だ。ここが神聖な場所だと知っても、土足で踏み込ん来るに違いない」
「異教徒?ここはマリア様の前ですよ!」
倒れ込むマリオにリーザが駆け寄る。
「おい!ここだ!」
扉の所から男の声が聞こえた。
「ちっ、お前も仲間か?」
礼拝堂に入って来たアラブ系の男達。彼等は手に拳銃を持っている。
「銃をしまいなさい。ここは教会ですよ?」
リーザは気丈にも彼等に怒鳴る。
「リーザ・・・そいつらにそんな事は通用しない」
マルコは傷付いた身体を震わせながら立ち上がる。そして、ホルスターから拳銃を抜いた。
「へっ・・・ビッチな聖母の前で死にな」
男達は笑いながらマルコに向けた銃を撃った。弾丸は次々とマルコの身体に叩き込まれる。彼も一発も撃つ事なく、背中から倒れるマルコ。彼等の胸板や腹には銃弾の穴が開いていた。
「リーザ・・・逃げろ。リーザ・・・」
それだけを言って、マルコはこと切れた。
「マルコ!マルコ!神様、彼をどうぞ・・・どうぞ、お助けを」
リーザは祈りを捧げ、必死に声を上げた。
「ははは。もう、そいつは地獄に行った。ついでだ。お前も楽しんだ後にそいつの元へと送ってやる」
男達は下卑た笑いをしながらリーザに近付いた。
「あ、あなた達はなおもマリアを汚すと言うのですかっ!」
リーザは近付く男達を睨む。そして祈りを捧げた手を解き、その右手は床に落ちていたマルコの拳銃。クーガーを手にした。怒り。リーザの中に渦巻く、どす黒い怒り。だが、リーザは手にした拳銃の鋼鉄の冷たさに、我に返る。一瞬、悪魔を宿したのかと思った。
「マリア様・・・私をお赦しください。私は悪魔に魂を許してしまったかもしれません」
リーザはそう告げた。
「へっ、無駄だ。拳銃なんか持つなよ」
男達は一瞬、マリアが拳銃を掴んだので、動きを止めていた。だが、彼女は撃てないと解ると再び、歩き始める。
「神よ」
立ち上がり、リーザは拳銃を構えた。両手で構えた拳銃はまるで祈りを込めたようにスルリと前へと伸ばされる。男達は再び歩みを止めて、手にした拳銃を構えようとする。
「私はこの身を捧げます」
マリア像の前で彼女はゆっくりと撃鉄を起こした。引金は半分程度、後退する。
「てめぇ」
男がリーザに狙った。
銃声が鳴り響く。僅か5メートル前に迫った男の額に9ミリパラベラム弾が叩き込まれる。頭蓋骨を軽々と貫き、脳を砕き、再び頭蓋骨を破って、弾丸は頭を貫通していった。血と脳漿が混じった鮮血が礼拝堂の床や椅子を汚す。
「汚らわしい・・・だが、その血もマリア様の慈悲にて、洗い流されるでしょう」
リーザは涙を流しながら、銃口を別の男に向ける。彼もリーザを狙った。だが、彼の銃よりも早く、リーザの銃が唸る。スライドの後退に合わせて、バレルが回る。空薬莢が飛び散り、銃弾は男の顔面に穴を開けた。
リーザは連射した。その銃撃は10メートル以内にいた男達を次々と撃ち殺す。全ての銃弾は彼等の顔面や頭を撃ち抜いた。まるで機械のように正確無比だった。とても初めて銃を撃つ少女だとは誰も思わなかった。
「ひっ・・・あ、悪魔」
たった一人。残された異国の少年。彼は手にした拳銃を撃つ事なく、怯えて、逃げ出そうとしている。リーザは死体の間をゆっくりと歩き、彼に迫る。
「少年よ。祈りなさい」
銃口を向けた彼女は少年にそう告げる。黒光りする拳銃は禍々しくもどこか、神々しく輝いているように見える。きっと、ステンドガラスの光を纏っているからだ。
少年は恐怖した。どこを見ているか解らない少女の空虚な瞳。透き通るように綺麗な声なのに、どこか現実を忘れたような声。そこから紡がれる神への祈り。
「悪魔ぁあああああ!」
彼は恐怖から拳銃を彼女に向けた。刹那、銃声が轟き、彼の視界は暗闇へと墜ちた。
撃ち終えたリーザは振り返り、マリア像の前へと歩み寄る。そして、跪き、拳銃を床に静かに置いた。彼女は無言で、いつも通りに祈りを捧げた。
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