第24夜 4・13 潔癖社会東京の話

4・13 潔癖社会東京の話


 タバコを買いに行くために玄関を開けたら、マンションの廊下に貼り紙があった。「共用部での喫煙は止めてください!」

 うらぶれた気持ちを紛らすために、夜のベランダに出ることも許されない。かといって、抑えられない苦しみを、叫ぶことさえも許されない。悲しみを歌や音楽に昇華して、ひとり奏でることさえも許されない。そんなことをこの街ですれば、すべて標準語の張り紙になって、新たな苦しみとして回帰する。わざとらしいポップ体とワードアートが、弱い者の心を絞めていく。弱い者は弱いまま発散を許されず、ただその苦しみを内に籠めて生きるしかない。

 もう東京なんて、たくさんだ。

そうしてさっきは外へ出ていた。弱い者を隠す夜さえも東京は、人工の光で追いやろうとする。男が夜に一人で歩けば、たちまち不審者として通報される。無名の他人は相互に監視し、視線は家の中までも入り込む。

 東京というのは、そういう街だ。

 道でまたいつかの黒猫にあった。左耳が欠けているあの猫だった。あいつは、どこかで生きていたのだ。冷たい標準語の張り紙にもめげず、ひとりこの街で生きていたのだ。

疎まれて疎まれて、でも猫は、気ままに一匹で街を歩いている。猫は猫自身を精一杯生きている。排除しようとする者がいるなら、その小さな爪を閃かす。

 僕の小さな爪は、書くことだ。僕自身の苦しみを、書き残すことだ。今日も小説にならないぼやきだ。僕は書く。書き続ける。書き続けなければ、生きていられない。これは遺書だ。僕への遺書だ。長い苦しみを耐えた証の、故人当人にしか読めない遺書だ。いつかこれを笑いながら読んでやる。それで笑いながら死んでやる。今はまだ、死ぬわけにはいかない。僕はまだ、戦わなければならない。

 いつか、この東京に、復讐する。(了)

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