第17話 父の称号

 広い部屋にデンと鎮座する長いダイニングテーブルの端に三人が集っていた。窓側から順に、自衛隊、マルサの女、空人が並んだ。皆スーツ姿ではあるが、全員ダレダレでヘロヘロでフニャフニャでボロボロといった情けない風体。みな座っている侵入者を睨むように見下ろしていたが、やがて空人だけがふと顔を上げた。


 それにしても広いダイニングだ。年寄り一人ではさぞ持て余したことだろう。さしずめ家来のいない王様と言ったところか。伝十郎の話では通いのコックを一人、メイドを二人雇っていただけだという。アメリカから連れて行った秘書は三年前に首にしてしまったのは、ロボットの件と関係があるのだろうか。時期的にはぴったり符合する。

 それ以来、表向きは楽隠居といった生活を送っていた父だが、裏では齢七十にして大暴走だったようだ。

 小さな溜め息を漏らしながら、空人はすぐ近くの壁に掛けられている父親の肖像画に視線を移した。

 白と黒が混じる斑な髪、窪んだような両眼、高い鷲鼻、そして何より特徴的なのはその肌だろう。年齢的に多少くすみはあるものの、全体的に白く、頬の周りがピンクというのは東洋人の特徴とは少し違っている。本人の話では父親がロシア人だということだが、私生児だったらしいので真偽の程は定かではない。

 年の割には若く見えるのは、描いた画家のサービスか、それともこんなものだっただろうか。死ぬ前の三年間、一度も父親と会っていなかった空人にはどうしても思い出せない。記憶の中にいる父は、時々新聞や雑誌に載る写真か、それとも幼い頃の姿だけだった。


 エントランスホールもそうだが、このダイニングルームも古き良き時代といった趣だ。窓は嵌め殺しの上下開閉タイプで、真鍮製の枠には薔薇を模した窓飾りがついている。高い天井には半円形の横断アーチが三つあり、その側面には色彩豊かなモザイク模様の彫刻が施されている。

 明かりは壁に付けられている小さなライトからの間接照明。明治の頃は燭台が付けられていて、キャンドルライトで食事という嗜好だったらしい。

 窓側以外の壁は幾つかの油絵が掛けられているが、直太朗の肖像以外は全て風景画だ。アメリカの何とかという風景画家で、どれも一枚五百ドルほどの代物だそうだ。漆喰の壁が妙に目立つ箇所があるのは、そこに国安女史が破壊した一枚が掛けられていたからだ。


 以上のことは全て、元画廊の店主であった伝十郎が、この屋敷に来てから毎日毎晩喋り続けていた話で、否が応でも空人の脳みそにこびり付いてしまった無駄知識だ。

 そもそもこの屋敷は県から買い取る条件に、修復と維持という二つが課せられたという。築二百年という建造物だから、さぞや金がかかったことだろう。伝十郎の話では県の財政難のおかげで、当初は最低限の手入れしかされてなかったらしい。それを四年前、アメリカから呼ばれた伝十郎が総指揮を執り、今のような状態まで改善した。屋敷中の調度品も半数以上は、伝十郎の趣味に任せた買い物だ。父はそう言うことに疎いから任せっきりに違いなかったし、さぞや楽しかったことだろう。なにしろアメリカの屋敷は機能的すぎるというのが、彼の不満だったのだから。空人としては、スチール色に統一された室内の方が安らぐのだが、執事には無機質に思えてるらしい。だから全ての修復が終わり再びアメリカに戻る時は、無い後ろ髪を引かれる思いだったと執事は涙ながらに告白した。


『だったら、あのまま残ってれば良かったのに』


 空人が文句を言うと、


『そう言うわけにはいきません。空人お坊ちゃまのお世話をするのが、私に課せられた最大の使命なのです!』


 眉間に青筋を立てて伝十郎がそう言い切ったのは、一昨日のことだ。

 あれからずいぶん時間が経った気がするなぁと、父親の絵を見ながら空人は考えていた。

 だが、いつまでも感傷と思い出に浸っているわけにもいかない。空人は座っている青年をふたたび見下ろした。まだ痛むのか、彼は後頭部に手を当てながら縮こまっている。六つの瞳に睨まれているのだから当然と言えば当然だろう。いわばこれは取り調べである。


 改めて侵入者を観察する。薄いグレーのスーツを着た若い男だ。薄汚れているのは公安の連中に追い回されていた為か、それとも床を引きずられた為か。右膝の部分は、僅かに血が滲んでいた。

 歳はたぶん空人より一つ二つ下ぐらいだろう。短い髪をヘアワックスのハンドブローで癖を付けてある。顔はそこそこ整っているが、気の弱そうな瞳が台無しにしていた。


「さて……」


 少々うんざり感を漂わせて空人がそ言った。

 するとそれが合図のように、


「ねぇ、貴方はロボットの件で来たんでしょ? アレがなんなのか、知っているんですよね? 設計図はどこにあるんですか?」


 と国安女史は矢継ぎ早に質問を繰り返す。きっと公安集団に大見得を切った手前、焦っているのだろう。それを制するように、空人が片手をあげた。


「その前に名前だろ」

「オレは南雲純樹って言います」

「オヤジのことは知ってるのか?」

「は、はい。大先生にすごく世話になりました」


 大称号だな、そりゃ。

 空人は口に手を当て、笑い出すのを必死にこらえた。

 確かに世界的に有名な科学者だった父親だが、大先生というのは大げさだ。もっとも息子とは父親を過小評価する生き物だし、今はロボットの件で散々な目にあわされている恨みがかなり混じっている。


「空人さん、真面目にやりましょう」


 そんな空人を咎めるように、田神が口を挟む。数分前に義兄に押しつけられた難題で、彼もまた焦燥にかられているのだが、もちろんそんな内面を空人が知る由もない。「いきなり羽交い締めにしたり、殴り倒したりして悪かった」と続けた自衛官に、「不法侵入者を持て成せるか」と口を尖らせる。一方、国安女史は“殴り倒す”という言葉に反応し、臆した視線を泳がせていた。


「とにかく、南雲さん。貴方が知っている事実を全て話して下さい。期せずして公安に睨まれたのは、我々も同じですからね」

「は、はい……」

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