鳴動す その5


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貴方あなたはグラスランナーをける。私は何を賭ければ良いの?」

「お姫さまは、なにも賭けなくていいさ。こいつは謝罪の一環なんだ」

「そうはいかないわ。謝罪は、もう終わり。これはゲームよ。勝負はね、なにかを賭けないと楽しくないの」

 左手を腰に当てはすに構えたロレッタの立ち姿を、眩しそうに眼を細めて見た。

 スラリと長い手脚に、細くくびれたウエスト。

 意外に豊満なバストとヒップに、広い肩幅。

 高貴の姫君とは思えない太く逞しい首筋。

 艶やかな鳶色とびいろの髪は無造作に背中に垂らされ、気の強そうな濃い眉毛に、すっと目尻のつり上がった大きな眼。

 高い知性を感じさせる瞳は、濃いスミレ色のきらめきを放っている。

 形の良い唇が、柔らかそうに微かに震えていた。

「そうだな」

 言いながら顔を撫でた。

 その仕草が、どこかバレンテを思わせて、再びロレッタは笑い出しそうになった。

「お姫さまからのご褒美ほうびといえば、昔からひとつに決まってる」

「なにかしら?」

 ひとつ咳払いをして付け加えた。

「勝者には、姫君の口づけを」

 ロレッタがきょを突かれたように、短く息を飲んだ。

「本気なの?」

「本気も本気。ずっと本気」

「貴方は……」

「なに?」

「本当に悪党ね」

 ルーカンが、いたずらっ子の様に笑った。


「コースの説明をしよう」

 風車を眺めながら、厩舎きゅうしゃの脇を抜ける。

 馬のいななき、けたたましい鶏の声、呑気のんきな豚のいびきを耳にしながら、牧場を出て道なりに北へ進む。

 見晴らしの良い小高い丘の上に立った。

 朝靄あさもやに煙る山嶺が、眼前にそびえる。

 絶景だった。

 ルーカンが頷くと、すっと右手を延ばして指差した。

 指を追うと、足下の道がずっと向こうの山嶺まで続いているのが分かった。

「あの山の頂きに遺跡がある。神話の時代に造られたとも、大レイリア時代の遺物ともいわれてる。そこがゴールだ」

ドラゴンの踵ドラゴンズヒールね」

「知ってたのか!?」

「ルカに来たからには、絶対に行こうって決めてたのよ」

 妙に上気したロレッタの顔をしげしげと眺めたルーカンが、驚いたように言った。

「遺跡に興味があるとは、知らなかった」

「で、しょうね」

 ふふん、と笑った。

「武術にしか興味がない、筋肉娘だと思ってたでしょ」

「まさか」

「アイアロスでも、レーデルでも、遺跡の探索は沢山したわ」

「へえ~、いつから?」

「興味を持ったの? そうね四年前だったかしら。十三の時に、面白い本を見つけたのよ」

 北方の神々を見つけた時のことを、かい摘まんで話した。

 不思議な感覚だった。

 あれほど不愉快な気分を味わったのに、いまはルーカンとの会話を楽しく感じている。

 道の脇の草原にルーカンが上着を敷くと、その上に腰を下ろして会話を続けた。

「へぇ。じゃあお姫さまは、そのオリビア・バルボアって婆さんに会うために、わざわざアイアロスまで出向いたってのかい?」

「ええ、そうよ」

 ロレッタが微笑わらった。



 ♠



 史家わく、大レイリア帝国最大の功績こうせきはレイリア大道の敷設ふせつにあるという。

 大レイリア帝国の版図の拡大と歩調を合わせるかの如く、また蜘蛛がその巣を広げるが如く、大陸全土を網羅もうらした、この古代の交通網は当代に到るも、その存在価値を損なうことなく人々の生活に関係してきた。

 大レイリア帝国の最盛期には、この大道を毎日数百万の人々が行き交い、帝都に向かって、上質な絹織物を、貴重な香辛料を、極めて希少な香木から。

 各地の鉱山から掘り出された、金、銀、銅、鉄、鉛、プラチナ、エメラルド、ルビー、サファイア、ガーネット、ダイヤモンド、マカライト、カーネリアン、ラピスラズリなどの鉱物を満載した商隊の列が陸続とつづき、途絶えることが無かったという。

 ロレッタたち一行がドヌシュカ共和国最大の港町アクシャハルに降り立ち、アイアロスに向かう際に用いたのも、このレイリア大道である。


 アクシャハルはかつて大レイリア帝国の海の玄関口として栄えた街である。

 ドヌシュカの長い海岸線に築かれた、この人工港はレイリア帝国第八王朝時代の皇帝ロトが開設し、第十王朝の皇帝ガルバが、大規模な補修と拡張を施した、当時世界最大の港であった。

 往時は常に数千隻の船が碇泊しており、数百の言語が飛び交い、数万の艀が行き交った、賑やかな港であった。

 画聖デラクルスの描いたレイリアの獅子にも、往時の活気に満ちた港の情景がありありと描かれていた。

 大レイリア帝国の崩壊後、この巨大な港を維持管理するだけの国力を持たぬドヌシュカ共和国は、港の規模を全盛期の二十分の一に縮小することで、かろうじて生き延び、ささやかな繁栄を教授した。


 ロレッタが残念に思ったのは

デラクルスの絵にも描かれた、かの有名なアクシャハルの青銅の獅子を拝み見ることが出来なかったことだ。

 大海に向かって咆哮する高さ百メートルのライオン像は、その口で赫々あかあかと炎を焚き、何千万という船の往来を助けたという。

 レイリア帝国崩壊後も、その威容を保ったままドヌシュカ共和国のシンボルとして、永らく繁栄に貢献したが、時の移ろいには遂に勝てず、五十年ほど前に自重を支えきれずに足元から崩壊していた。

 ドヌシュカ政府は、事前に青銅の獅子の最期を予測しており、崩壊による死傷者を出すことなく事なきを得得ていた。

 代わりとなる燈台も先に建設しており、跡地には百分の一ほどにスケールダウンした、小さな青銅の獅子が鎮守として安置されている。

 それを見たハリエットは、不満たらたらに「小さい」と呟いたものだ。


「ルシアン兄さまのインク壷より、ちょっぴり大きいくらいね」

 ルシアン愛用の白銀製のインク壷を引き合いに出し、皮肉るように言った。

「昔は大きかったのよ」

 ロレッタがライオン像の頭をでながら言った。

 この港に訪れた者は、必ずライオン像のひたいを撫でる慣わしがあった。

 元はアクシャハルの船乗りが、航海の安全を祈願して行った、験担げんがつぎの様なものなのだが、いつしか巷間に広まり、いまではアクシャハルを訪れた異国の者までが行う行事となっていた。

 無論、百メートルもある青銅の獅子の頭を撫でることなど不可能である。

 当時は、獅子の爪先、それも左前脚の爪先を撫でていたようだ。

 いまは同じ高さにある、ライオン像の額を撫でるようになっている。

 その為であろう、緑青の浮いたライオン像のその部分だけが、つるっつるに光っていた。


「どの位?」

「お城の大門よりもよ」

「うっそだ~」

 声を大にしてハリエットが言った。

 その眼を見ても信じて無いのは明らかだ。

「もう。失礼なことばかり言わないの。このレイリアの獅子は、第十五王朝時代の皇帝フロン……」

 侍従が用意した踏み台に脚を掛けながら、両手で耳を塞いだハリエットが、

「ラララララ~ァ」

 と、オペラ歌手のようにハミングしなが獅子の頭を撫でた。

「もう。――人が説明してるんだから、たまには最後まで聴いたらどうなの」

 不機嫌そうに両手を腰に当てたロレッタが、ムッとハリエットを見た。

「気づいてる?」

 漆黒の瞳をたたえた大きな眼が、ニタ~と笑み崩れた。

「お姉さまの歴史の講義は、マダム・ポッターのお説教より退屈なのよ」

「嘘よ!!」

「本当よ!!」

 マダム・ポッターとは、ロレッタとハリエットの教育係である。

 ふくよかな身体つきの中年女性で、幼少期から二人の行儀作法全般を監督していた。

 ロレッタに取っては、天敵ともいえる人物である。

「ポッターのお説教よりは、ためになる話をしてるわ」

「同じぐらい退屈よ~」

 ロレッタを真似して腰に手を当て胸を張ったハリエットが、青銅の獅子を指さした。

「私は、これを世界三大ガッカリに認定するわ」

「もう」

 大慌てで口を塞ぐと、ハリエットを抱えてその場を離れた。


「なんてことを言い出すの、あなたは」

「だってわざわざ青銅の獅子を見にドヌシュカまてやって来たのに、あんなにちっちゃくて、かわいいライオンを見たんじゃガッカリするじゃない」

 ハリエットの言うことも、もっともな部分はある。

 百メートルとはいわなくても、せめて十メートルぐらいのライオン像は作れなかったのだろうか。

 青銅の獅子の跡地には、ライオン像の他にも記念碑が安置されている。

 ライオン像より遥かに大きな石碑に刻まれた碑文に目を通した旅人の瞳は、一様に死んだ魚のように生気を失い、よどんでいた。

「三大ってことは、他にもあるのよね」

 興味本位でロレッタが訊いた。

「もちろん」

 ロレッタの手を握り替えしながらハリエットが自信満々に答えた。

「他の二つはなに?」

「それは、これから探すのよ」

「やっぱり。適当に決めたのね」

「違うわ、本当にガッカリしたんだもん」

「ここに来るまで、青銅の獅子なんて知らなかったでしょ……」

 手をつないだまま馬車に乗り込んだ美人姉妹を、小さい小さいと言われ青銅の獅子が、ちょっぴり寂しげに見送った。



 ♠



 第六章 鳴動す その6へつづく。

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