第六章

鳴動す その1


 ♠



 骨身にみる冷たい夜だった。

 時折吹く強い風が、遠慮会釈えんりょえしゃくなく体温を奪って行く。

 子猫の爪のような細い月が掛かる寒空から、チラチラと小雪が舞っていた。

 小雪は杯を満たした酒に浮かんで、しばらく漂ったあと、するりと溶けて消えた。

 男は、愛おしそうにそのさまを眺めたあと、満足したように悠々ゆうゆうさかづきを干した。

 ゴウと強い風が吹いた。

 船が一瞬大きく揺れ、その拍子に、いい加減酔っぱらったミシェルの手から杯が滑り落ち、かわいた甲板をらした。

「あ~ぁ」

 勿体もったいないとてのひらを酒に浸して、意地汚く舐めとった。


「おい、あの噂ァ聴いたか?」

 安酒で焼けたダミ声で、ジュリアンががなり立てた。

「デケエ声出すない。あの噂ってな~、何のことだ?」

 こちらも負けず劣らずのしゃがれ声でミシェルが聞き返した。

 屋外である。

 犬の毛皮を着込んだ見張り番二人組は、金属製の火桶ひおけを取り囲み、轟々と燃えさかる焚き火で暖を取っていた。

 寒い。

 兎にも角にも寒い。

 河の水はねっとりうねっており、もう少し気温が下がれば氷が張るだろう。

 強い蒸留酒ジャーマでもりながらやらないと、やってられなかった。

 それに、この寒さだ。

 少々の酒では、真実酔っ払うことはなかった。

「あの噂っつーたら、あの噂だよ」

 頭をブン殴られて以来耳が遠くなったジュリアンは、常に喚くような大声で喋るのが癖だ。

 うるさそうに耳をほじくったミシェルが、輪を掛けた大声で返した。

「この脳タリンが、それじゃわからねえっつーんだよ」

「猿だよ、猿。盗賊殺しの猿の噂だよ」

 酒くさい唾を撒き散らして、ジュリアンが怒鳴った。

「ああ、あれか」

 ミシェルが馬鹿らしそうに手を振った。

「ああ? なんだって!?」

 耳に手を当てたジュリアンが聞き返す。

「ああ!! あれか!!」

「そう、あれだよ、あれ!!」

 ジュリアンが満足そうに頷いた。


 グレシナ王国の盗賊を震え上がらせる、ひとつ噂があった。

 殺し屋の噂である。


 ――おど白猿はくえん――


 その殺し屋は、一年ほど前のある日突然現れた。

 最初に目撃されたのは、工房都市こうぼうとしベルティプレスである。

 四方を緑の樹木で覆われた、こののどかな都市を、我が物顔で蹂躙する盗賊団が血祭りに上げられたのは、晩秋とは名ばかりの暑い夜のことであった。

 ベルティプレスの盗賊は、自らを白骨団と名乗っていた。

 頭領の《死神》ブレースが自らの顔に恐ろしげな髑髏の入れ墨を入れていたことから、この名が広まったという。

 仕事のやり方は、残忍で非道。

 目星をつけた商家に乗り込むと、まず男を殺し、女を犯した。

 散々飲み食いした挙げ句に、金品を強奪し、家に火を掛け退散する。

 まさに悪逆の限りを尽くした蛮行だ。

 白骨団は少数精鋭を謳い文句としており、仕事を終えたあとは、散り散りになって深い森のなかに姿を消した。

 ベルティプレスの森は深い。

 その深さはブロント王国の東部サントハーバーの原生林を想わせ、四方から押し寄せるさざ波のような山の連なりは、レーデルの王都ニンフェバリドを彷彿とさせた。

 しかし、この深い森の合間に見え隠れする剥き出しの山肌を見ると、この地が間違い無くベルティプレスであることを思い出させる。

 この地は木工芸が盛んになる前は、製鉄で栄えた土地である。

 深い森に沈んでいたベルティプレスを最初に開いたのは、ズワルト帝国の暴虐から逃れてきた産鉄の民シベリウスであるといわれている。

 トバール帝国の興隆から滅亡までのおよそ千年で鉄は掘り尽くされたが、その当時に掘られた万を超える坑道は埋め戻されることなく、そのままの形で残っていた。


 仕事をした(要は略奪りゃくだつ)白骨団は森に入り、そこに逃げ込んでしまうのだ。

 こうなると追跡は事実上不可能となる。

 山狩りを行うには、森が深すぎる。

 本気で殲滅せんめつするには山を焼くしかないが、わずか十数人足らずの盗賊のために、貴重な森林資源しんりんしげんを無駄にする訳にもいかない。

 ベルティプレス守備隊も対策に苦慮していた。

 商家には自衛のために用心棒を雇えと、アドバイスをするのが関の山という状況であった。


 舞い踊る白猿の最初の目撃者は、この白骨団に襲われた商家の生存者であった。

 生存者の名は、エメ。

 ベルティプレスで代々続いた材木問屋ボナール家の一人娘である。

 白骨団は、まずボナール家の護衛を殺した。

 こなれた仕事で手際よく一人ひとり沈血祭りに上げると、裏口から侵入して異常に気づいた父を殺し、悲鳴を上げた母を殺し、その亡骸を陵辱した。

 クローゼットに隠れていたエメも引きずり出され、凶獣の如き盗賊に着衣をむしり取られた。

〈もう駄目!!〉

 自分も犯され、殺される。

 恐怖で眼も閉じられぬまま、震える心でそう想った。

 その瞬間。

 エメの全身を、生暖かいモノがずぶ濡れにした。

 暗くて良く見えない。

 だが、それが何かはすぐに分かった。

 エメの口を押さえていた盗賊のくびが消えていた。

 全身を濡らした生暖かいモノは、その傷口から噴出した盗賊のドス黒い生き血だったのだ。

 悲鳴と怒号が、まったく同時に屋敷内に鳴り響いた。

 そこから先は、夢幻のなかの出来事であった。

 ふわり、ふわりと、緩慢に動く白い影がキラリと閃く度に、盗賊の首が、ひとつ又ひとつと落ちてゆく。

 時折鋭い叫びが聴こえ、その声が森に棲む猿の鳴き声のようにエメの耳に響いた。

 瞬く間に動く者がいなくなり、白い影は姿を消した。

 空が白み始めた頃。

 ようやく周囲が異常に気づき騒がしくなるまで、エメはその場を動くことが出来なかった。


 同様の事件が、立て続けに三件起きた。

 目撃者がいる事件だけで三件。

 目撃者抜きの盗賊殺しとなると、片手では足りず、両の指を使ってもまだ足りない。

 どれもこれも似たり寄ったりの事件である。

 盗賊が家を襲い、その盗賊を白い影が襲う。

 目撃証言も似たようなものだ。

 どこからともなく白い影が現れ、舞うような華麗な動きで瞬く間に盗賊を血祭りに上げる。

 いつの頃からか、舞い踊る白猿と呼ばれるようになり、グレシナ中の盗賊を震え上がらせる存在となっていた。

 ジュリアンの心配は、ただひとつ。

 自分たちが舞い踊る白猿に襲われやしないかということだ。

「心配いらねえよ」

 ミシェルが断言した。


 舞い踊る白猿が最後に現れたのはラックボワの街だ。

 ミシェルたちが居る河港ベルトレアムから、何百キロも北にある。

 直通する街道もなく、船が行き交う大河もない。

 ラックボワからベルトレアムに向かうには、山を越え、谷を越え、何日も馬に揺られるしかない。

 徒歩なら二ヶ月は掛かる道程だ。

「心配いらねえよ」

 もう一度繰り返して酒を口に含んだ。

 ミシェルたちが乗る船は、一見すると只の貨物船である。

 船銘はグロワール・ドゥ・エミール。

 所有者は水運業で財を成したエミール・ドブレである。

 エミール・ドブレは強欲な男であった。

 通常の商いでも充分の利益を上げたが、それだけでは飽きたらず、いつしか元手でいらず仕事にまで手を染めるようになっていた。

 元手要らずの仕事とは、即ち盗みである。

 グレシナは海を持たぬ国だが、国土を蜘蛛の巣のように大小の河川が走っている。

 この河を舞台に、複数の水賊すいぞくが跳梁跋扈していた。

 ドブレは、この水賊のひとつを抱え込み、ライバル水運業者を襲わせていたのである。

 グロワール・ドゥ・エミールの船倉には、こうした掠奪で貯えた金銀財宝に絹織物、さらには貴重な香辛料といった財宝で満載されていた。

 ミシェルたちは表向きは船の護衛としてドブレの船を護り、いざという時は商船を襲う水賊として働いていた。


 良い仕事だとミシェルは思っている。

 確かに楽な仕事ではない。

 船には当たりハズレがある。

 当たりを引けば大きいが、ハズレを引けば目も当てられない。

 時に激しい反撃にもうし、逆に襲撃を受けることもある。

 ジュリアンは棍棒で頭を殴られ聴力ちょうりょくを失い、エクトルは膝をやられて船を降りた。

 自分が今もって無事なのは、単なる幸運に過ぎないとミシェルは信じていた。

 いつまでも、こんな幸運が続く訳がない。

 いつか必ず潮時しおどきが来る。

 だが、その時までは、この仕事は続けるべきだとミシェルは考えていた。

 掠奪りゃくだつした船には、火を掛けて沈めるのが常だ。

 血痕けっこんは河の水が洗い流してくれるし、死体は川底のかにが始末してくれる。

 河の上の仕事は、証拠が残らないのが良い。

 それに表向きエミール・ドブレは慈善家じぜんかとして通っている。

 ドブレの貨物船の船員というだけで、ベルトレアムでは一目置かれる存在なのだ。

 自分から馬鹿な真似をしなければ、疑われる心配もなかった。

 それにドブレは強欲な男だが、吝嗇けちな男ではない。

 金払いは良かった。

 真っ当な働きには、正当な報酬ほうしゅうで報いてくれる男だ。

 良い雇い主だった。


「でもよう……」

 ミシェルの説明に納得しないジュリアンが、さらに何かを言おうとしたがミシェルは相手にしなかった。

 舞い踊る白猿なんて、ただの伝説だ。

 そもそも何で真夜中に、わざわざ目立つ白い服を着て殺しを働く。

 それも猿が、海千山千の盗賊相手にだ。

 どうせポカをやらかした馬鹿な連中が、自分の失敗を誤魔化ごまかすためにでっち上げた、一時しのぎの嘘に決まっている。

 その嘘が広まった結果、舞い踊る白猿なんていう架空かくうの化け物が生まれたに違いない。

 ミシェルが口に含んだ酒を焚き火に噴きかけた。


 ボン


 と、炎が爆ぜ、一瞬だが昼間のように明るくなった。

「おい!!」

 ジュリアンが大声で喚き、自分の背後を指差した。

「なんだよジュリ……」

 ゴトンと硬い音を立てて、ミシェルの頸が甲板に落ちた。

 頸を失ったミシェルの身体が前のめりに倒れ、噴水のように噴き出した血が真っ赤に焼けた火桶を直撃した。

 灰かぐらが上がり、強烈な悪臭を放ちながら焚き火が消えた。

 濃厚な闇が辺りを覆い尽くし、ジュリアンが叫んだ。



 ♠



 第六章 鳴動す その2へつづく。


 

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