蠢動 その10


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 ブロント王国第二の都市ルカは、フルーツの名産地として知られる土地だ。

 特に柑橘系は、多く採れる。

 それはかつての国名であるキトロンである事実をみても明らかだろう。

 キトロンとは、シトロンとも読む。

 これはレモンの古代名である。

 国名になるほど、豊富に採れたということだ。

 品種改良を重ね甘みが増したレモンを、その場で搾る生ジュースを一気飲みしたグラディスが顔をしかめた。

「すっぱい」

 

 うげ~~っ


 と、舌を出したグラディスを見て、ナイジェル・ガザードが笑った。

「そんなに酸っぱいかな?」

 自分も同じようにグラスを煽る。

「うん、美味いじゃないか」

「すっぱいよ。よく、こんなの飲めるね。ボクはお酒の方がいい」

 頬を膨らませて、そっぽを向いた。

「酒は駄目だ」

「なんで? どーして?」

「君は、まだ未成年だからさ」

 ナイジェルが分別臭く言った。

 グラディスの正確な年齢は不明だ。

 サー・ゲオルク・エアハートがグラディスを引き取った時、直感で二歳ぐらいではないかと目星を付けて、役所に届けを出しているからだ。

 それから十三年経っているから、今年でグラディスは十五歳ということになる。

 ハリエットと同年だ。

 その事実を知った時のハリエットの驚きようは無かった。


「ボク、もう十五だよ。立派な大人さ」

 腰に手を当て、胸を張った。

「果たして、そうかな」

 カラカラと笑ったナイジェルが、足下の籠を拾った。

「随分沢山採れたな」

「でしょ~。肥えてるから、きっと美味しいよ」

「何故、用意された料理を食わない?」

「ん~、別に~」

 そっぽを向いたまま口笛を吹き出したグラディスに代わって、ロレッタが耳打ちした。

「なるほど、そういうことですか」

 籠の中から泥を払ったイモムシをひとつ摘まむと、ナイジェルが口に放り込んだ。

「ナイジェル!!」

 ロレッタが驚き、給仕をしているゲーンズボロ家の侍女が小さな悲鳴を上げた。

「うん。いけますよ姫さま」

「生で食べて、大丈夫なの?」

 ブロント王国でも虫を食べる習慣はある。

 もっとも炒めたイナゴを食べる程度で、生のイモムシを食べる食習慣は無かった。

「戦場では、よく食べました」

 ポンとグラディスの頭に手を置くと、

「城下へ行くか」

「城下町へ、なんで?」

「十五になったんだ。君の成人祝いをしなきゃな」

「ほんとに!!」

「ああ、本当だ」

 なにも言わずにグラディスが飛びつき、ナイジェルの唇を吸った。


 大きな悲鳴が涌いた。

 ガラス器の割れる響きと、重たいモノが倒れれる音が、ほぼ同時に耳に届いた。

 悲鳴の主は、ゲーンズボロ家の侍女たちである。

 グラディスの行為にショックを受けた者が、悲鳴を上げ、盆を取り落とし、衝撃のあまり意識を失ったのだ。

 全員、サー・ナイジェル・ガザードに思いを寄せている者たちである。

 グラディスのキスに大した意味は無いことを、ナイジェル・ガザードは知っている。

 ロレッタの従者たちも、それは同様だ。

 ハリエットなどは完全にグラディスに感化されている。

 何かといってロレッタにキスをせがむし、ご褒美といっては近衛兵の頬にキスをしている。

 しかし、ゲーンズボロ家の者は初めて見る、この奔放ほんぽうな光景に、正直度胆を抜かれた。

 別して、ナイジェルに思いを寄せる者に取っては、天地を揺るがす衝撃である。

 失神者が出るのも、無理はない。


「行こ」

 エヘヘと笑った顔が輝いていた。

「わしらも共に行こう」

 バレンテと数名の近衛兵が、そこに立っていた。

「デメトリオじーちゃん」

「なんだ? わしが行くとなにか不都合があるのか」

「ううん、うれしいよ」

 そう言ってバレンテにキスをし、近衛兵一人一人にキスをした。

「さ、行こ」

 バレンテと手をつないだグラディスが、後ろも振り向かずに庭園の出口に向かった。

「それでは姫さま。我らは、これにて」

 ナイジェルが跪き、差し出されたロレッタの手の甲に口づけをした。

「行ってらっしゃい。私も行けたら良かったんだけど」

 最後の言葉は、本音である。

 晩餐会と舞踏会より、心から楽しめるグラディスの成人祝いに参加したかった。

 ハリエットの成人の儀式でさえなければ、いますぐ着替えて城を抜け出していただろう。

 グラディスの後ろ姿をうらやましく眺めたロレッタは、踵を返して城内へと戻っていった。



 ♠



 晩餐会も終わり、マルクード城のダンスホールで大々的に舞踏会が開かれた。

 今夜の主役は、成人を迎えたハリエットである。

 次から次に、ダンスのパートナーを求められ目の回るような忙しさだ。

 時折、こっちに眼をやって、ロレッタに助けを求めるが、ロレッタは素知らぬ顔で、そっと視線を外している。

 ハリエットの困った顔を見るのは楽しい。

 それにアナベルに釘を刺されてもいた。

『今夜はハリエットに取って大切な夜なんだから、決して邪魔をしては駄目よ』

 王族の子女に取っての社交界デビューとは、そのまま結婚相手を探すことでもある。

 一人でも多くの相手を知る必要があった。

 アナベルは自身が成人と共にロバート・ゲーンズボロに嫁いだことから、恋いも知らずに大人になった不完全な人間であると、己を卑下する部分がある。

 せめて妹たちには、人並みに恋いをして欲しいと願っていた。

 それはハリエットのみならず、ロレッタも同様である。

 ロレッタに刺した釘には、ハリエットに構わず貴女も自分の相手を見つけない、という意味も多分にこめられていた。


 小さく溜め息をついたロレッタが、果実酒に口をつけた。

 アナベルを見た。

 西部諸侯の友人たちと、楽しげに談笑している。

 いまや立派な西部総督夫人である。

 フェリシアはというと、誘われるがままにダンスに興じている。

 意外に様になってるのは、王侯貴族に取ってダンスは必要不可欠な処世術のひとつであるからだろう。

 ダンス外交という言葉があるように、各国の宮廷では頻繁ひんぱんに舞踏会が開かれている。

 そして、そこでは、かなり重要な案件が話し合われているのだ。

 王族間の婚姻が、その場で決められることも決して珍しいことでは無かった。


 実の所、ロレッタは舞踏会があまり好きではない。

 ひらひらとした服を来て、男を相手に可愛らしく踊るなんて、自分には似合わないし、何も楽しくないと想っている。

 踊りも、さほど好きでは無かった。

 ダンスの稽古も熱心ではなく、よく舞踏の師匠の眼を盗んでは抜け出して、城下に繰り出していた。

 ロレッタの考えを変えたのは、バレンテの一言である。

『踊りの足運びと、剣術の歩法には相通ずるものがある。それなのに踊りの稽古をさぼるなんて、損をしてるたぁは想わねえのかい』

 この言葉を聞いた翌日から、ロレッタは舞踏の稽古を休まなくなった。

 アイアロスのバルボア家で行われた夜会では、頭首ジョナサン・バルボアの一子ギルフォードのエスコートで、見事な舞を披露して衆目を集めていた。

 この日のロレッタは、ギルフォードに贈られた、オリーブ色の美しいドレスを身にまとっている。

 いまのように男装はしていない。


〈皆は、どうしてるかしら?〉

 どうしてもグラディスたちのことが頭から離れない。

〈あっちは、楽しいんだろうな~〉

 気心の知れた仲間たちと、ワイワイガヤガヤ騒ぐ方が自分には合ってる。

 このような席に顔を出す度に、そう想わずにはいられない。

 自分以上の変わり者と陰口を叩かれるフェリシアですら、きちんと王族としての務めを果たしているのに・・・

 給仕が運んできたカクテルを受け取ると、視線を下におろした。

 アナベルと同年代の少女が数人、ロレッタの近くでヒソヒソと小声で会話をしている。

 ロレッタが視線を送ると、慌てた様子でその場を離れたが、しばらくすると再び近くに寄って来てはヒソヒソ話を繰り返す。

 ロレッタが小首を傾げて微笑むと、意を決した少女が一人歩み出た。

「あのロレッタさま。あの、その、わたくしと、その、あの……」

「良いわよ、踊りましょう」

 ロレッタが手を差し伸べると、少女の顔がパァッと華やいだ。


 広間の中央で二人が踊る。

 男装の麗人と、成人を迎えたばかりの貴族の少女。

 一種異様な光景だが、絵になる景色には違いない。

 後のこととなるが、この日の光景を、ロバート・ゲーンズボロお抱えの絵師が、

《ハリエット王女成人祝いの一幕》

 と、題して発表している。

 ロレッタの祖母である女流彫刻家のエノーラ・ビングは、こんなに面白いことがあったのに、何故自分は招かれなかったのかと、理不尽な怒りを爆発させたといわれている。


 七人の少女たちと代わるがわるダンスしたロレッタが、ほっと一息ついた時、スカートのはしを持ち上げたハリエットが、大急ぎで駆け寄ってロレッタ前に出た。

「どうしたのハリエット?」

 ハリエットの黒い瞳が、上目遣いにスミレ色の瞳を見つめている。

 ややあって、ちょこんとお辞儀をすると手を出した。

「お願いします」

 ダンスの誘いである。

「ハリエット?」

 困ったようにロレッタの視線が泳いだ。

 このような場で姉妹が踊るなど、前代未聞の珍事であろう。

 しかも、一方が男装となれば尚更だ。

 繰り返すことになるが、ブロント王国で同性愛は禁忌でもなんでもない。

 今日この場にも、何組も居る。

 ロレッタとダンスした七人の少女たちも、ロレッタに憧れを抱いているのは一目瞭然だ。

 ロレッタさまとベッドで朝を迎えたとなれば、それは一生の思い出だ。

「お願い、リンクス姉さま」

「そんな眼をしても駄目よ」

 ハリエットの瞳を見ずに言った。

 見たら、押し切られるのは分かっている。

 ハリエットのお願いを回避する術を、ロレッタは知らない。


「私は少し疲れたの。だから、あっちで休みたいの」

 本当は汗ひとつかいてないが、こうでも言わなければハリエットは納得しないだろう。

 回れ右して歩みを進めた。

 壁際にはソファーが置かれており、穏やかな弦楽器の音色と、色鮮やかな観葉植物が、踊り疲れた男女を優しく癒やしていた。

「一生に一度のお願いよ。成人の祝いに、一生の思い出が欲しいの!!」

 いまに地団駄を踏みそうな剣幕に、ロレッタが折れた。

〈も~、この子は……〉

 腰に手をやり、ため息をついた。

「一回だけよ」

「お姉さま、ありがとう」

 よける暇も無かった。

 振り向いた時には、ロレッタの唇は塞がれていたのだ。

 一瞬にして、周囲がザワついた。

 七人の少女が、一斉に息を飲むのが気配で伝わった。

 ロレッタの正面に立った少女は、両手でスカートをギュッと握りしめ、ジットリと眼に涙を溜めてハリエットを睨んでいる。

 いつもの癖が出たのだが、場所が良くなかった。

 口を離したハリエットが、自分の口元に手をやって、困ったような顔をしている。

 アナベルが青ざめ、フェリシアは苦笑を浮かべた。

 大きく開け放たれた大扉から、哄笑こうしょうが湧いた。

 そこでは青い髪の青年が扉に手を掛け、大口を開けて笑っていた。



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 第五章 蠢動 その11へつづく。


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