レーデルの孤狼 その3



 ♠



 雑然ざつぜんとした街並みであった。

 瓦屋根の背の高い建物が整然と立ち並ぶヴェルスの街並みに較べ、板葺き屋根のこぢんまりとした家屋が、さして広くもない平地に密集して建っている。

 山の斜面にも、無数の家々が点在しているのが遠目からも確認できた。


 街を出ると、すぐ側に海岸があり、山がある。

 もう少し足を延ばすと、そこには密林ジャングルが広がっている。

 ブロントの王都ヴェルスも緑の多い街だが、植林された人工の林と、元から存在する天然自然の森とでは、はなから受ける印象が全く違う。

 大気のなかにさえ、圧倒的な緑の存在感がある。

 文明と自然が融和する街。

 それがレーデルの王都ニンフェバルドの特徴だ。


「おや?」

 と、バレンテが呟いた。

 ニンフェバルドの反物屋で派手な染め物を物色し、仕立屋で新しい服の仮縫かりぬいを済ませ、ぶらぶらと街歩きしていた時のことだ。

 ドライモント城では、連日ロレッタをゲストに招いての晩餐会ばんさんかい舞踏会ぶとうかいが開かれている。

 デメトリオ・バレンテはロレッタの剣術の師ではあるが、公的には如何いかなる官位も持たぬ市井しせいの民である。

 エックハルト王に拝謁するような身分には無く、また、そのような場を設けてもらう気も無かった。

 堅苦しい場は苦手なので、早々に退散するに限るとドライモント城下に宿を取ったのだ。

 ロレッタは城内に部屋を用意するといったが断った。


「ほ~う」

 と、白髯はくぜんを生やした顎を撫でながら心の中で呟いた。

〈面白れえじゃねえか〉

 黒檀の杖をクルクルと回して歩き出した。

 視線の先には、黒い髭を生やしたサパタの青年がいる。

 全身泥まみれで、大きな魚篭びくを担いで早足で歩いていた。

 足拵えはしっかりとしてるが、上半身は腹掛け一枚のラフな姿だ。

 百九十センチ近い長身に、光沢のある黒い肌の下で、発達した筋肉が逞しく躍動している。

 青年は迷路のように入り組んだ狭い路地を進みながら、時折立ち止まっては後ろを振り返り、追跡者がいないことを確認すると、再び歩き出す。

 曲がり角を曲がっては、そこで立ち止まり、さりげなく周囲に注意を払う。

 念には念を入れた確認の末に、一軒の飲み屋に入った。

 ニンフェバルドでは一般的な、飲み屋兼料亭である。


 大きく開放された出入り口に、吹き抜けとなった高い天井。

 カウンターに席はなく、幾つかの丸テーブルと椅子が置いてある。

 店の軒先にはターフが張ってあり、昼間は南方の強い日差しを遮り、突然のスコールの際には、雨風から客を守ってくれる。

 南方の陽気な風土を、そのまま切り取ったような店構えに、バレンテはウキウキと心が浮き立つのを感じた。


 相好そうごうを崩しながら席に着くと、なおさら気分が高揚こうようした。

 炭火で炙られる魚介の芳ばしい香りに混じって、種々雑多な香辛料の匂いが鼻をくすぐる。

 それに、この涼風を感じさせる不思議な音色はなんだ。

 店内を見回すと、店の端っこでサパタ人の少年が巧みにマレットを繰りながら太鼓を叩いている姿があった。

 バレンテが首を捻った。

 この高音は、とても太鼓の音には聞こえない。

 近づいてみて、ようやく合点がいった。

〈なんとバーバリアンドラムであったか〉

 バーバリアンとは、バハル地方独自の打楽器である。

 正式名称はアイツェパノン。

 金属製の太鼓である。


 発祥の時期も、制作者も不明。

 神話時代に描かれた壁画に、その原型と思しき打楽器が描写してあることから、かなり古い時代かあると思われる。

 音域や使われる材料によって、幾つかの種類が存在した。

 文字通り鋳鉄ちゅうてつで作られた鉄鼓。

 素晴らしい余韻よいんを遺す、青銅製の銅鼓。

 白銀をふんだんに用いた高価な銀鼓。

 最も音域が広く音色の良い、錬鉄製の鋼鼓がそれだ。

 レーデル王宮の宝物殿には、ブロントの建国王デミアンから友好の証として贈られた、黄金製のアイツェパノンが収蔵してある。

 また花の離宮で第六夫人リーゼロッテが時折演奏する鋼製のアイツェパノンは、シベリウス鋼シベリアンスティールで製造された世にも珍しい逸品だ。 


 少年のアイツェパノンは、青銅製の銅鼓であった。

 それも随分と使い込まれたものらしく、表面に浮いた緑青がなんともいえぬ趣のある風合いを醸しており、思わずバレンテのなかで、悪い癖が顔を覗かそうとした。

 ほんの一瞬だが、猛烈に少年のアイツェパノンが欲しくなったのだ。

〈いかん、いかん。こんな大荷物を抱えて長旅などできるもんかい〉

 少年に眼をやると、一心不乱に演奏しており、バレンテに気づいていない様子だ。

 足下には籠が置いてあり、そのなかにそくばくの金があった。

 これが、この少年の演奏に対する対価なのだろう。

 懐から財布を取り出すと、銅貨を数枚投げ込んだ。

「景気よくやっとくれ」

 そう声を掛けて、その場を離れた。



 席に戻りながら厨房に眼をやった。

 黒髪の青年が魚篭を抱えたまま、厨房に入って行ったのを確認している。

 カウンターで内と外に隔てられてはいるが、客席からでも厨房は丸見えだ。

 居た。

 二十代半ばのポッチャリとしたエプロン姿の女と、口論している。

 ここからでは会話の内容は解らないが、ポッチャリ女が一方的に青年をどやしつけているのが分かる。

 青年は何ひとつ抗弁こうべんせずに、魚篭の蓋を開けた。

 バレンテの眼に、巨大なハサミが写った。

 魚篭の中身は、カニだったのだ。

 レーデル名物のひとつといえば、マングローブの森で穫れるマンモスクラブである。

 アマル河の河口は栄養豊富な広大な汽水域となっており、密林を彷彿とさせるマングローブの群生地となっている。

 そこに生息するマンモスクラブは、古くからレーデル人の空腹を満たす貴重なタンパク源になっていた。


 近年は、その美味が広く他国にまで伝っており、

「レーデルに行かば、カニを食え」

 と、旅人間で合い言葉のように囁かれていた。

 ポッチャリは、魚篭のなかのマンモスクラブを見て一瞬呆気に取られていたが、すぐさま顔を赤くして青年の頬を平手で張った。


 パチーン


 と、乾いた音が客席まで届いた。

 なおも何かを言おうとしたポッチャリの口を、青年の髭に覆われた唇が塞いだ。

「おっほっ・・・」

 バレンテが手を叩いた。

「眼福ってやつだな~」

 青年がポッチャリの手を引いて奥に引っ込むと、給仕がバレンテの席にやって来た。


「たったいま届いたカニを焼いて貰えるかい?」

 注文を終えると、ゆったりと椅子に腰掛け、外を眺めながらアイツェパノンの音色に耳を澄ませた。

 カニが焼き上がるまでに、三杯のビールを飲み干した。

 途中、ひとしきり強い雨が降り、昼間の茹だるような熱気を洗い流してくれた。

 開け放たれた出入り口から、微かに湿り気を帯びた爽やかな風が吹き込み、バレンテの白髪をそよがせた。

 レーデルのさっぱりとした味のビールは、昼間の燦々さんさんとした陽の下よりも、夕暮れ時に涼風を感じながら飲んだ方が美味いのではないか?

 ふと、そんな考えが頭を過ぎった。


 サパタの少年のかなでるアイツェパノンの涼やかな音色が、バレンテの感慨を一層鮮明なものにする。

〈この話しをしたら、リンクスもハリエット姫も羨ましがるな〉


 ――お前さんたちの用事が済むまで、オレァ街中をぶらぶらしとくよ


 バレンテに、そう切り出された時のロレッタは、世にも情けない顔をしていたものだ。

 元々、なにか大きな目的がある旅ではない。

 名目上ロレッタの武者修行の旅になっているが、その実、王都ヴェルスを離れることが最大の目的であったからだ。



 ♠



 三年前。

 第四夫人イネスの元からハリエットを引き離し、第六夫人リーゼロッテの実子としたことが、大きな禍根かこんとなっていた。

 その余波が、ロレッタの身にも、決して小さからぬ災難として降り掛かっていたのである。

 ある時を境に、よからぬ噂がヴェルス市内でささやかれるようになっていた。

 それは燎原りょうげんの火の如く瞬く間に燃え広がり、甘い毒薬のようにヴェルス市民の心を浸食しんしょくしていった。


 いわく、ロレッタが練武場に出入りするのは、兵士たちと淫らな行為に耽るためだ。


 ロレッタが男装を好むのは、女の恋人がいるからだ。


 その相手は、実は妹君のハリエット王女である。


 兄上たちと兄妹の垣根を超えた道ならぬ関係にあ。

 既に出産し、その子は神々の呪いを受けたが為に、生まれながらに死んでいた。

 などという、根も葉もない噂が真しやかに囁かれ、ヴェルス城下を賑わせていたのである。

 ある娼館しょうかんでは、ロレッタを名乗る赤毛の娼婦が男装で客を取り、その耳元で「おにいさま・・・・・」と囁く倒錯とうさくしたサービスが好評を博していた。

 またロレッタとハリエットを名乗る赤毛と黒髪の少女二人が、ベッドの上で絡み合い痴態を見せるストリップショーが、ヴェルス各地の遊郭ゆうかくを賑わせていた。

 これらの行為は取り締まりを強化したことで、一応の終息をみたものの噂の方はいつまでも根強く残った。


 この馬鹿げた噂の火元を探るために、徹底した調査が行われた結果、意外な事実が判明した。

 噂話の出所を辿ると、そのことごとくがヴェルス城に行き当たるのだ。

 調査人たちは困惑した。

 これは城内の何者かが、故意に流しているとしか思えなかったからだ。


 賢明なる読者諸氏は既にお気づきのことと想うが、この悪意に満ちた噂を流したのは、第四夫人イネスである。

 彼女は、リーゼロッテにハリエットを奪われたことを、心の底からうらんでいた。

 心中深く企んで居た計画が頓挫とんざしたからだ。

 イネスは生母の権利を利用して、ハリエットが成人した暁に、東部総督エドカー・ベルのもとに嫁がせる準備をしていた。

 ブロント王国の東西両翼に自身の娘を配置し、その夫たる東西の総督を自在に操ろうと、浅はかにも考えていたのだ。

 それらの計画が、この一事いちじによって全て御破算となった。

 イネスの怒りは、怒髪天を衝く勢いである。


 かといって公然と異を唱えることも、楯突くことも出来ない。

 二人の王子と二人の王女の実母となったリーゼロッテの権威は、いまやブロント王宮で揺るぎないものとなっていた。

 イネスに出来ることといえば、このような嫌がらせをすることぐらいである。

 この嫌がらせのターゲットを、リーゼロッテ本人ではなく、その愛娘であるロレッタとハリエットに絞る辺りに、この女のねじ曲がった性根しょうねというか、底意地の悪い部分が、端的に現れているように思える。


 イネスは自身の息の掛かった使用人たちを呼び、ロレッタとハリエットの悪評を街中にばら撒いた。

 彼らは街の盛り場に繰り出しては、そこで『実は、こんな話しがあるのよ』と、吹聴ふいちょうして廻ったのである。

 当たり前のことだが、庶民の多くはヴェルス城内で何が行われているのか知りようがない。

 興味津々と噂話に耳を傾けた。


 山猫リンクスの異名を持つロレッタは、その異風ないでたちと突飛な行動から、庶民の間で絶大な人気を誇った王女だ。

 話しの内容は、それこそ大衆の好む、際どく、危険で、スキャンダラスな話しだ。

 これらの噂は、たった一夜でヴェルス市内を席巻した。

 調査人が情報源を掴み、何人かの使用人を捕らえて尋問したが、誰一人として口を割る者はなかった。

 特に忠誠心の強い者を選んで噂を流させたのだから、これは当然である。

 噂の内容も、文章に書き起こすような馬鹿な真似はしていない。

 証拠は、どこにも残らなかった。

 イネスの目論見通り、当局が火消しに躍起になる程に信憑性しんぴょうせいが増す。

 そんな悪循環が繰り返された。


 これらの噂話は、ロレッタとハリエットも知っている。

 二人の耳に入らぬよう箝口令かんこうれいを敷き、周囲の人間は堅く口を閉ざしていたのだが、やはり人の耳を塞ぐ術は無かった。

 ロレッタは活発な娘である。

 成人前から城を抜け出し、頻々と城下に姿を現していた。

 髪を黒く染め、変装し、市民生活を垣間見ることを楽しみにしていた。

 郊外には、祖母エノーラ・ビングのアトリエ兼自宅もある。

 そこにも顔を出し、時々彫刻のモデルを買って出ている。

 エノーラ・ビング女史の晩年の作品に少女像が多いのは、これが理由である。

 百点近い少女像のモデルの約半数が、ロレッタをモデルとしたものであった。



 ある日のこと・・・

 いつも通り城下に赴いたロレッタは、そこで自分の噂話を耳にする。

 その内容は前述したように、極めてスキャンダラスで、卑猥なものだ。

 ロレッタは、己が耳を疑った。

 ロレッタを特に傷つけたのは、敬愛する兄や可愛い妹と姦通しているという風評だ。

 ブロント王国で近親相姦は最大の禁忌タブーであることは、既に記した通りだ。

 近親相姦の横行は国を破る悪行と考えられ、破った者は公開処刑に処されるほどの重罪である。


 各聖堂では、近親相姦を犯した者の魂は輪廻転生の輪を外れ永劫地獄を彷徨うことになる、と、強く戒めている。

 ロレッタ自身も、その教えを受けていた。

 なによりロレッタのアイデンティティは、王女である前に剣士である。

 剣士はげんを担ぐものだ。

 神々の庇護を喪失うしなう禁忌破りを冒す訳がなかった。

 それなのに世間の人に、自分は実の兄としとねを共にするような、ふしだらで淫らな禁忌破りと想われている。

 ロレッタの心臓は、悲憤に張り裂けた。


 まだある。

 ロレッタが変装をして城下町を散策していることは、多くよヴェルス市民の知る所である。

 例え変装をしていても、上位の守備兵の多くがロレッタの顔を知っている。

 彼らは仕事終わりに街の酒場に寄って、

『今日は、ロレッタさまが遊びに来ていたよ』

 と、飲み仲間に自慢気に話していた。

 何気ない日常の一幕すらが、この噂によって、いびつに歪められた。

 ロレッタ姫は、気に入った男を見つけると路地裏に誘い込み、そこでつまみ食いをしている。

 と。

 果ては、ロレッタとベッドを共にしたなどとかす、馬鹿な若者が出る始末だ。

 この一連の出来事には、人間の残酷さと愚かさがありありと現れているように思える。

 王都ヴェルスの市民に取って、王族はそれほど遠い存在ではない。

 それはロレッタの例を見ても分かる通りだ。

 それでも天上人であることに変わりはない。

 もし、この噂話が自分や友人のことであれば、女たちは必死で否定したであろう。

 もし、この噂話が妻子や恋人のことであれば、男たちは噂を口にする者に鉄拳を食らわせたであろう。

 だが噂の主人公は、王族の姫君だ。

 現実味の薄い存在なのである。

 彼らは、城壁の向こう側に、血の通った十代の少女が実在し、自分たちが垂れ流す卑猥な噂話によって、その心と魂が抉られていることを忘れていた。



 ロレッタは、城下通いを止めた。



 第四章 レーデルの孤狼 その4へつづく




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