祭りのあと その5



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「本日、只今をもって。ハリエットは、リーゼロッテの実子とする。この場にいる者全員が、その証人となる」

 四人の近衛騎士が鋭く返事を返し、モデストが不本意ながら一礼を返した。

「そなたらも証人だ、良いな」

 イネスの背後に立ち並ぶ六人の男が、泡を食ったように視線を交わしあった。

 まさか自分たちが、ここまで深く王族のプライベートに関わることになろうとは・・・

 できれば今すぐにでも、この場から立ち去りたかった。

 だが、今更立ち去ろうと遅かった。

 全てを耳にしてしまった以上、全員が、この秘密を抱えて残る人生を生きねばならない。

 両肩に巨大な岩を乗せられ、両手両足に鉄枷てつかせめられたようなものだ。

 常時厳重な監視下に置かれ、何ひとつ自由には出来まい。

 下手をすれば、命まで失うことになる。

 いや、もはや命はないのかも知れない。

 雇い主であるイネスに取って、子供の養育権を奪われるということは、重大な恥辱となるからだ。

 主の恥を目の当たりにした使用人の末路が、悲惨なものになるであろう事は容易に想像できた。

 己の死刑執行令状に、己でサインしたようなものだ。

 全員が思った。

 いますぐ逃げるべきだと!!


「モデスト、書類を作成せよ。この場にいる者全員に証人として署名してもらう」

「陛下!!」

 サー・ナイジェル・ガザードが走った。

 シオン一世の前に出るなり抜剣し、イネスの駕輿丁の一人を切り捨てた。

 刹那の出来事であった。

 シオン一世がモデストに声を掛けた瞬間、イネスの背後にはべっっていた駕輿丁の一人が動いた。

 発作的な動きであった。

 この駕輿丁は、前に出た。

 イネスの前に立ち、シオン一世と対峙するような形をとった。

 この男は何を考え、このような行動に出たのだろうか?

 イネスを護ろうとしたのか?

 それともシオン一世を人質に取ろうと考えたのか?

 それともただ単に逃げ出したかっただけなのか?

 なにも分からない。

 なにも分からないが、この行為が、死に値する不敬であることだけは確かだった。

 男が動いた瞬間。

 四人の近衛騎士は、シオン一世をその広い背中で取り囲み、ひと欠片の感傷もなく駕輿丁の一人を斬って捨てた。

 護衛として、当然の働きであった。


「モデスト!!」

 子飼いの駕輿丁を斬殺されたイネスが、半狂乱になって叫んだ。

「者共出会え」

 モデストが叫んだ。

 全ての扉が開き、武装したガルメンディア家の私兵が一同を取り囲んだ。

 イネスの顔に喜色が浮かんだ。

 何があろうと、この弟だけは自分の味方だと信じていた。

 だが次の瞬間、イネスの笑みが凍りついた。

「イネス夫人の輿舁きを捕らえよ」

「モデスト!?」

「ブロント王国国王にして、王土の守護者たるシオン一世陛下に対する数々の無礼。もはや我慢ならん、全員を捕縛せよ」

「モデスト。なりませんモデスト、モデスト!!!」

 イネスがクッションの上でおたおたしている間に、残る五人の駕輿丁が組み伏せられ、連行された。

 抵抗する者もいたが、腕自慢とはいえたかが駕輿丁。

 訓練された兵士の前ではひとたまりもない。

 棍棒と刺又で滅多打ちに殴られ、虫の息になった所で引き摺られて行った。

 後日のこととなるが、この駕輿丁は牢の中で息を引き取っている。



 ♠



 国王一行が立ち去った大ホールを、


 シュ、シュ、シュ、


 と、ブラシが床を擦る音が充たしていた。

 イネスの暗い瞳が漠然と見詰めるなか、数人の侍女が入れ替わり立ち替わり、四つん這いになり床を磨く。

 駕輿丁の流した血が、絨毯じゅうたんにベットリと染み込んでしまったからだ。

 木桶に水を汲み、洗剤を泡立て、ブラシで、


 ゴシゴシ、ゴシゴシ、


 と、擦っては、浮き出た血の染みを拭い取っていた。

「……」

 唐突にイネスが口を利いた。

「え?」

 聞き漏らした侍女の一人が振り向いた、その瞬間。

 侍女が悲鳴を上げて倒れ込んだ。

 飛んできたティーポットが激突し、侍女の額を割ったのだ。

 ティーポットのなかには、れたばかりの熱いお茶で満たされていた。

 熱湯を浴び、顔を真っ赤に晴らした侍女が、悲鳴も上げずにのたうち回った。

「姉上!!」

「出て行って」

 イネスが言った。

 ヒステリックな声だ。

 血走った眼がギョロリと動いて、辺りを見渡した。

「聞こえなかったの? 出て行けと言ったのよ」

「姉上」

 駆け寄ったモデストの顔に、菓子を盛った皿が投げつけられた。

「お前もよモデスト。出てけェェェッ!!」

 クッションの上でジタバタと手足を動かし、手当たり次第に物を投げつけるイネスの狂乱ぶりに、その場が凍りついた。

 モデストが侍女を助け起こすと、ホール内にいた者が全員一礼して退出した。


 せきと静まり返った大ホールに、どこからともなくリーゼロッテの高笑いが響き渡った。

「リーゼロッテ」

 イネスが叫んだ。

 だが返事はない。

 左右を見渡した。

 だが人影もない。

 ただリーゼロッテの笑い声だけが、八方からイネスに押し寄せていた。

「やめて」

 大声で叫んだ。

 だが笑い声は止まない。

「やめてと言ってるでしょう」

 黒髪を振り乱し、両手で顔を覆ったイネスが動かなくなった。



 ――うぅっ・・・



 両手の指の隙間から溢れた涙が、黒いドレスの袖を濡らした。

「どうして……」

 嗚咽混じりの声であった。

「どうして、こんなことになったのよ」

 さめざめと泣き崩れたイネスが、唐突に顔を上げた。

 そのかおが歪んでいた。

 悪鬼の形相である。

「なにもかも、あの女のせいだ!!」


 ――リーゼロッテめ!!


 涙は渇き。

 代わりに血涙が頬を赤く染めた。

「殺してやる、殺してやる、リーゼロッテめぇぇぇぇ」

 巨体を揺り起こそうとしたイネスの肩幅程もある太い首に、ふわりと、長く柔らかな腕が優しく絡みついた。

「誰!?」

 イネスが振り向いた。

 だが顔は見えない。

 イネスの首筋を、ぞくりと戦慄が駆け抜けた。

「やめなさい」

 耳たぶを甘噛みされる心地よさに耐えきれず、声が快感に震えた。

 手で左耳を払うと、顔を右に向けた。

 その瞬間、イネスは唇を奪われた。


 うっ、


 息を詰まらせながら、唇を割り進入した舌の軟らかさに全身が痺れ、心臓が甘くとろけた。

「伯母上。あんな酷い男、オレが忘れさせてやるよ」

「ベラスコ」

 イネスの脅えた黒い瞳に、上着を脱ぎ捨てたベラスコの滑らかな裸体が映っていた。



 ♠



 広い部屋であった。

 広い部屋に、無数の書棚が掛けてあり、その書棚に数え切れないほとの書籍が納めてある。

 天井が高かい。

 自分の居室の数倍はある広い室内は、ひどく埃っぽく、ほんの少しカビ臭かった。

 ぐるりと三百六十度を見回したロレッタは、腰に手をやり、

「よし!!」

 と、気合いを入れた。

 背中まである鳶色とびいろの髪を後ろに引っ詰めると、頬に大きな湿布を貼った顔の下半分を布で覆い、ハタキを片手に掃除を始めた。

 これから約一ヶ月、この巨大な書庫が住まいとなる。

 夜具を運び込む前にやるべきことが山ほどあった。

 この部屋は書庫だ。

 読んで字の如く、書籍の保管庫である。

 常時司書ししょが手入れをしている王室図書館とは異なり、必要性の低い(誰も読まない)本を、取り敢えず保管しておく場所である。

 それゆえ人の出入りは少なく、そのため手入れも行き届いていない。

 書物の保管庫だけに、綿埃の量が凄まじい。

 これから少なくとも一ヶ月、父王の気持ちが変わらない限り、ここで寝起きすることになる。

 トイレと入浴時以外は、終日この埃っぽい部屋で過ごすのだ。

 生活環境を少しでも改善する必要があった。

 何脚ものテーブルが並び、そのテーブルの上には本が山積みにされ、更に布が被せてある。

 その布の上に、雪のように塵が積もっている。

 ロレッタは埃を叩き出し、蜘蛛の巣を払い、床に落ちた塵をほうきで掃き出した。

 書庫の清掃も罰の一環である。

 侍女の手は一切借りれない。

 本を一カ所に集め、テーブルを端にずらし、床をデッキブラシでゴシゴシと擦って長年の汚れを掻き出す。

 乾いたモップで乾拭きを終えた頃には、とっぷりと日が暮れていた。

「あ~あ、もう大変……」

 こうして蟄居の一日目は、部屋の大掃除で終わったのであった。



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 第三章 祭りのあと その6へつづく。


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